少女を背に乗せて
日が沈み始めた野原に、七色の目立つ物体が飛び跳ねていく。動きは素早いものの、酷く疲れた様子であった。
(久しぶりに死の恐怖というものを味わった)
この肉体になり、思考出来るようになったのは良いことだが、精神的疲労というものを感じるようになったのはマイナスだ。
今日は探索も終えて、住処で休むべきだろう。
そしていつものように
林近くの住処に戻って来たわけだが...。
「スピー...スピー...」
なぜか人間の子供が、寝息を立てて住処の中で寝ていた。随分穏やかな顔をしている。
この子供は確か...村のターニャの娘のサニャだったか。いつも井戸で話し込んでいる二人組の「片割れ」の娘。
井戸での出来事を思い出す。この娘と目線が合ったように思えたのは、もしや偶然では無かったのだろうか?
何にしろ、私の後を尾けられる訳が無いのだから、娘がここに居る理由にはならない。
私は住処とは別方向の湿地帯へと進んだのだから、万に一つ尾行された訳ではあるまい。
さて、どうしたものか。
ペタペタと歩み寄ってみる。目覚めない。この湿気た穴蔵の中でよく眠られるなと感心していたが、よく見ると枯草などを敷いて寝ていた。
なかなか逞しい娘らしい。
考えても仕方ない。
彼女が目覚めれば、音で分かる。
私も隣でご相伴に預かろう。
隣に座り込み、カエルは疲れ切った体を横たえ、微睡みの中に沈んでいった。
サニャは、村から去ったカエルを探した。
まだ8歳でしかないサニャが何の手掛かりもなく、広大な野原へ走り去ったカエルを見つけるのは奇跡に等しいであろう。
それでもサニャは探した。
途中で珍しい虫を捕まえたり、お腹が減れば、野苺をつまんだりした。
途中小さなゴブリンの群れに追いかけられたりもしたが、横合いから猪が突っ込んで来て、ゴブリン達を蹴散らした。
「イノシシさんありがとうございました」
母親から「誰かに助けられたら、ちゃんとお礼をしなさい」と言われていたサニャは、丁寧に猪に向かって礼をして去った。
もっともイノシシの方は、礼を背にゴブリンの肉を貪っていたのだが。
そんな8歳の大冒険だったが、2時間ほど進んだところで、終わりを告げる。
「... つかれちゃった」
単純な疲労である。
ただ、この野原で無防備に寝たりすれば、自分がどうなるかくらいはサニャも理解していた。
「どこかお休みする秘密基地を作ろうっと」
近くにあった林の方を見やる。
あそこなら、木陰もあってちょうど良いだろう。
「あっ!ちょうどいい場所みーつけ!サニャとピンチョの秘密基地2号にしよう。」
その見つけた穴が、追い求めたカエルの住処であるとは、流石にサニャも考えていなかった。
「わぁっ!広い」
穴の中に入ると、サニャの5倍ほどの高さと、大人が十分寝られる幅、奥行きは20mほどある。
「お昼寝の準備しよっと」
早速サニャは林に向かい、枯葉や木の実を集め始めた。ブライと呼ばれる果実の木も見つけ、意気揚々と登って行く。
男の子に囲まれて育ったサニャには
木登りはお手の物である。
そうしてせっせと集めた物を、穴の中に持ち込み、枯葉はベッドとし、果物や木の実は起きた後のオヤツにする事にした。
「ふんふんふふーん」
拾った枝で地面に絵を描く。
カエルの絵だ。
そして周りに家族を描く。幸せな家族の絵。
「ふふふ。お母さんとお父さんビックリするかな?カエルさんとみんなで一緒に暮らすんだ 」
彼女の中ではカエルは幸運のお守りのようなものだと思っていた。
実際は父親がカエルを殺し、その部位を売り払ってお金を稼ごうとしているのだが、無垢なサニャには知る由もない。
サニャは眠りについた。
そしてなぜか目が覚めると
虹色のカエルが目の前に居た。
「...なんで?」
頭上にハテナマークが沢山浮かんだが、目の前の光景がそのハテナマークを吹き飛ばす。
目の前に来れば分かるが、サニャの想像していた姿よりカエルが巨大であった。サニャを丸呑みしようと思えば、軽くこなせるであろう。
そして巨大なソレはゆっくりと眼を開き、サニャの視線と絡み合う。
そしてこう言った
「ケロ」
それを聞いて、サニャの疑念や困惑が吹き飛んだ。
「おっきなカエルさんこんにちは!!」
「ケロ」
人間の真似をしてカエルは頭を下げる。
「お返事出来るの?
サニャの言ってる事分かる?」
「ケロ」
頷いてみせる。
「すごおおい!」
そしてサニャは駆けてカエルに抱きついた。
ブヨブヨとした肌が気持ち良かった。
毒やヌメりの事など気にしない。
無垢な姿がそこに在るだけ。
尚それには困惑するカエルの姿も付随する。
目覚めた娘に急に抱きつかれた。
なんだなんだ?どうすれば良いのだ?我々カエルの体表には毒がある。強い物から弱いものまであるが、眼に入ったりしてはいけない。
自身の身体に、体表のヌメりを無くせないか問うてみる。
スッと体表からヌメりのある物体が取れる。
次に消毒だ。身振り手振りで服を脱ぐように伝える。
「アハハ!面白い動き!ダンス?」
伝わらなかったようだ。
自分では85点くらいの出来だと思ったのだが。
しょうがないので、水球の魔法を応用し、娘の頭部以外を水球に入れる。
そして水を内部で回転させ衣服ごと洗ってしまう。なぜか娘が大喜びしている。感情について、ある程度理解していたつもりだが、子供の感情はまだ私には理解出来ないらしい。
洗い終わった後は、娘が持ってきた枯草を集め、木の枝と枝を擦りあわさせて、火を付けさせた。ここまでで半刻ほどの時間を費やしている。
人間は濡れると体温が奪われ、病になってしまうという。幼体であれば、なお気を使うべきであろう。
全て身振り手振りで伝えるせいか、無駄に時間がかかってしまった。
伝える度に笑われるのも考えものだな。
火を焚きながら衣服を乾かしていると、どこからか「グゥー」という音が聞こえてきた。
「...えへへへ」
娘が妙な顔をしている。なんだ?
「今のお腹の虫!」
なに!?腹に虫が居て鳴いたのか!?驚き娘に近づき腹に近づいてみる。...食べられるだろうか?
「ちがう!ちがうよカエルさん。お腹減ったなーってことだよ。」
...そういうことか。人間の食べ物?肉だろうか?
ここで待つように手を挙げて鳴く。
外の林に出る。皮などは剥げない。そのまま齧りつける物...。
魚か。この近くに小川があったな。
川辺に行き、舌で魚を捕獲し、サニャに差し出す。
「カエルさんすごいね!なんでも出来ちゃうね!」
なんでもはできないが。
はて?一つ気付いたことがある。私は、この娘との会話を完璧に理解している。村の成人達の言葉は半分程度しか理解出来ないが。
おそらく私の会話の程度が、子供と同程度なのだろう。ちょうど良い話し相手なわけだ。
木の枝に魚を刺し
サニャがパチパチと焼いている。
だが視線は魚ではなく、私の方を向いている。
心なしかキラキラ輝いた眼差しに見える。
「カエルさんはね。
しあわせを運んでくれるカエルなんだって」
しあわせってなんだ?
背中を見てみるが、「幸せ」が乗っている気配は無い。軽過ぎて分からないのだろうか?
「ねえねえカエルさん。
カエルさんにおねがいがあるんだ」
少女に向き直る。
「サニャのおうちにね。来て欲して欲しいの。そこで暮らして欲しいの。お父さんとお母さんと一緒に。」
首を傾げてみる。どこからそんな話が出てきたのだろうか?私の同族は、人間達から以前追い回されていた。私も追われたのだ。
はいそうですか。と行くわけにはいかない。
「カエルさんが来てくれるとね、みんながしあわせになるの。おねがいっ!!」
そういうと娘は頭を下げて、手に持った木の実を差し出してくる。うーむ。どうしたものか。
「むらのみんなにはサニャからお願いする!カエルさんいじめないでってお願いするよ!」
うーむ。困った。
リスクが高い。どうも人間からみて私の種族は、あまり好印象を持たれていないようだ。襲ってくる可能性は高いだろう。
利点はある。
人間達の言語を習得するという私の目的の助けになるだろう。
また、この辺りの土地や、自分が使う水球などの不思議な力などの情報も手に入るかもしれない。
(よし、その話乗ろう)
襲って来たら逃げればいい。
大蛇からも逃げられたのだ。
村人相手なら悠々と逃げられるだろう。
サニャの顔を見つめ頷き
「ケロッ」とひと鳴きする。それだけで
「いいの!?やったああ!」
と察してくれた。ただ、叫びながら走り回るのは勘弁して欲しい。他の生物がただでさえ魚の焼ける匂いに反応する恐れがあるのだ。
そうと決まれば善は急げだ。
「でも今日はもう遅いから
穴の中で一晩おやすみして行こうよ」
それに首を振って答える。
そして背中を見ながら「ケロッ」と鳴く。
「うん?サニャに背中に乗れって言ってるの?」
「ケロッ」
首肯し、体を低く下げる。
サニャが足を踏み台にして背に乗り込んで来た。そして足腰を粘着性の体液を出して固定。身振り手振りで身体を低くするよう伝える。
最初のひとっ飛びは加減して...
ビョンッ!!
「わわわわっ」
サニャが驚いて手をバタバタさせている。子供にはまだこのスピードでも早かったか。
「すごおおおおい!はやい!カエルさんもっともっと!」
と思いきや、早くも順応した。
では期待に応えよう。日没までには村に着いておかねば。
虹色のカエルが野原を突き進んでいく。
背にはしゃぐ子を乗せて。