第6話 嘆きの灯台-6 基地へ
「ちくしょう、ちくしょう……なんでこんなことに……!」
デアネミーは走っていた。がむしゃらな全力疾走も鈍った身体では僅かな時間しか持たずその速度はもはや早歩きと大差ないほどに落ち込んでいたが、それでも懸命に持ちうる全力を出して走っていた。
何度も何度も後ろを振り返り、その度にまだ追っ手が無い事に安堵する。
「"尾薬"だ、"尾薬"さえあれば……ッ!」
事は彼が思う以上の速度で進展していた。劇場襲撃事件より明けて翌日。憂さ晴らしに少女を陵辱し、昼遅くに出勤した彼は、彼を見る同僚の視線がいつもと異なることに気付いた。よくよく観察すれば己を指差し誰か人を呼んでいるようですらある。
デアネミーは危険を察知する事に関しては人一倍敏感である。半ば妄想染みたこじつけで己が悪事が露呈したことを察し、次の瞬間には署を飛び出し、己が秘密基地を目指して走り始めた。
事実、サンベイル市警察は事件の全容を解き明かすまでには至らずとも、強盗犯の証言から一連の事件の裏側にデアネミーがあったことを突き止めていた。
デアネミーは直接のやりとりをしていない心算であったが、"尾薬"の効果に酔いしれていた彼は彼が考えているほど慎重ではなく、また機密保持についての深慮が足りていなかった。
彼は悪事を働くたびに"尾薬"の力を用いて時に暗示をかけ、時に記憶を消し、それらをもみ消していた。
そうした歪はいつしか彼自身が可能な『いつどこで誰に対してどのように"尾薬"を使用したか』の管理能力を大きく超えてしまっていた。その結果、『デアネミーについての記憶を忘れる』と暗示をかけていない強盗犯に対して面識を残してしまい、そこから捜査線上に浮上したのだ。
彼には"尾薬"を手に入れるための金が必要だった。ダミルはデアネミーにバイヤーとして売り捌く事を望んでいたが、それはとんでもないことだった。
こんな特別な魔薬を広めるなんて考えられない。これは己一人で独占するべき物なのだ。故に末端価格から比較すれば格安の、しかし金額としては相応に高額の金を払い続けていた。
そのために世を騒がす"花怪盗"に罪を被せた強盗事件を閃き、せっせと集めた金品を秘密基地に溜め込んでいたのだ。
全ては己が望む欲望を満たすために。それが今、失われようとしている。
(そんなことは認められんッ!)
彼は走る。"尾薬"の貯蔵される秘密基地へと向かって。
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物音をかき消す程度のBGMが微かに流れる店内。真白なテーブルクロスの上に載る無地の皿、そして赤いソースが上品に滴る薄く火の通された肉、添えられる野菜の甘煮の橙と緑がなんとも彩り鮮やかで美しい。
対面に座る麗しの令嬢、シーリィ・サンベイル女史にとってこれらの食事は珍しい物ではないのだろう。特に手間取ることも無く用意された食器を用いて可憐な唇へ運んでいる。
俺の視線に気付いたのだろう。柳眉が逆さに上がる。
「何?」
「綺麗に食べるな、と思ってね」
「何でも褒めれば相手が喜ぶと思わないほうがいいわ」
「思ったことを口にしたまでだよ。それになんというか……緊張しちゃって」
少しおどけて見せると眉尻が下がった。
緊張しているというのは半分冗談で半分本気だ。一通り身に着けているとはいえ、使い慣れていない物を突然引っ張り出せばどこかで無理がでる。特に普段の生活から対極に位置する礼儀作法ともなれば。
「意外ね。あなたって緊張とか感じない人だと思っていたのだけど」
「それは心外だな。君に声をかけるときはいつもそれなり以上に緊張していたし、無理もしていたよ」
「過去形なのね」
「今は背伸びして格好つけても上手く行かないことを悟って、観念しているのさ。肉料理のナイフはどれを使うのか教えてくれないか?」
「もう。予め言ってくれればもう少し気楽なお店にしたのに」
「それは次の機会にしよう。というより一人では行き難い店があって――」
呆れたような物言いながら頼りにされて嬉しいのか、シーリィ女史は質問に対して丁寧に教えてくれた。
約束通り、シーリィ女史はお礼の食事に誘ってくれた。それも翌日に事件の聴取のため訪れた警察署の帰りに、である。
一足飛びな展開になったのは間違いなく劇場を襲撃した強盗犯たちのおかげだろう。シーリィ女史にベタベタ触ったあの野郎以外には感謝してやってもいいくらいだ。
今日の俺は普段は強気だが慣れていない場所で緊張している男だ。強気な態度は形を潜め、彼女を頼りにその場を切り抜けようと奮闘する、やもすれば滑稽な姿を見せる。
シーリィ女史は教養もあれば思いやりもある一般的な女性の感性を持っている。男女の機微には縁が無くとも、誘った先で相手の男が萎縮してしまっている姿を目にすれば、話題は自然と次の機会についてになる。美味いんだか美味くないんだかよく分からない料理を食べ終えた頃には、次の休み――一週間後のデートが決まっていた。先日中断されてしまったので、違う演目だが観劇をする事になった。
うむ。上手く行っているのではないだろうか。これは大きな進歩だ。偉大な一歩と言っても過言ではない。生まれてこの方真面目に女を口説いた経験など無かったので物凄い達成感がある。
彼女を家の近所まで送り届けて帰る頃には、俺はすっかりご機嫌だった。
「フフフ、やあヤカ。なんだかとっても機嫌がいいね?」
家の扉に背を預ける紫色の服を着た怪しい相貌の男――ピエッタは指先をくしゃくしゃとばたつかせながら表面上はいかにも和やかな笑みを浮かべつつ挨拶してきた。
高揚していた気持ちは一瞬にして沈静化された。ピエッタが現れた。つまりは仕事の時間である。
「少し荒っぽい事になりそうなんだ」
部屋に招きいれると物珍しそうに内装を見て回るピエッタはそう口火を切った。
「"尾薬"という物に聞き覚えはあるかな」
「はい。催眠の導入に用いられる魔薬です。南部で採掘される鉱物を精製して作成されると聞きます」
「うん。本来の効能は人の内面と外面の境界を曖昧にさせるものなんだけど、使用初期の段階で特定の術式を用いると強い暗示の効果が得られるんだ。どうもこの町でそれを使って悪さをしている奴が居るらしくてね。以前から博士と一緒に調査していたんだ」
あの博士、そんな事をしていたのか。物凄い衝撃がある。
「ここ一年、サンベイル市を騒がせた事件は3つ。
一つは少女連続誘拐事件。次に花怪盗事件。最後に連続強盗事件」
ピエッタ曰く。少女連続誘拐事件とは俺がこの町に来る直前まで騒がれていた不可思議な事件で、品行方正な少女が夜になっても帰宅せず、翌日の夜半に町中で何事も無く発見され、その間の記憶が一切無いというのが特徴だ。一両日の間ではあるが誘拐されている(と思しき状態の)ためこのような事件名になったのだという。 記憶の部分喪失という観点から魔術による精神操作が疑われ被害者の精密検査が行われるも、精神系の魔術使用時に利用される導入薬物の反応が無かったため、それらの線は薄れてしまった。つまり"尾薬"は想定される薬物の範疇になかったのだろう。
非公開の情報だが発見された少女達の体内には例外なく男性の精液が残っていた。精神操作が何の目的で行われたのかは考えるまでもない。
後ろ二つは直近に関わった事件だけに記憶に新しい。しかし強盗事件については続報があった。
「先日君が巻き込まれた劇場襲撃事件の犯人だけどね、やっぱり君が睨んだとおり連続強盗事件の犯人も混ざっていたよ。前から目星はついていたけれど、黒幕の存在にも行き着いた」
数枚の写真を取り出す。
町中で会話する少女と小太りの男。
そして何処からか出てきて連れ立って歩く二人。
大きな門のある敷地に入る二人――見覚えがある、市庁舎の門扉だ。
暗い市庁舎に入っていく二人。
「彼はサンダイル市警察の刑事デアネミー・トト。どこかから手に入れた"尾薬"を自らの悪事の露呈を防ぐために、被害者や署内の人間の精神操作に使う小悪党さ」
確かに薬の持つ効能を考えれば、行っている悪事があまりにもチンケすぎる。根が弱気だから大きなことが出来ないのかもしれない。しかし、
「そこまで判明していたのなら、制圧しなかったのですか? 例えば市庁舎に入ったとき等に」
「僕としてもいたいけな少女が中年男性の獣欲の餌食にされるのを見るのは忍びなかったのだけど、背後関係を知る必要があって泳がせておいたんだ。"尾薬"はそう簡単に手に入る魔薬ではないし、保管も特殊で専用の装置が必要なんだ。それももう十分調べがついているんだけどね。
あとは"尾薬"の貯蔵庫を破壊すればこの件に関して"組織"としての目標は達成されるよ。そして場所についても目星がついてる。
だから最初にいったのさ。荒っぽい事になるって。でも得意だよね、そういうの? ということでね――」
――今からそいつら、殴りに行こうか。
やはり昼更新はきつそうなので明日からは19時更新にきりかえたいとおもいます。
毎日更新のために!
事情を網羅した裏側からみると、どんな事件もとってもあっさり風味
あと、サブタイトルを全部変えようと思います。
内容は変わりません