第3話 嘆きの灯台-3 怪盗
同じ道を二度歩き大した距離でもないのにやけに疲労した経験は無いだろうか。
概ねその疲労は徒労感と呼ばれるのだが、朝歩いた道を夜に再び歩かされている俺にも当て嵌まるはずだ。
「ワハハハ! 無人の野を往くが如くだねぇヤカ君! どうだい、人から見えないというのは気持ちが良いものだろう!」
「博士。光学迷彩は視覚には有効ですが音声までは遮断しません。ご注意を」
「これだけ人が集まれば他人の声なんて誰も気にしないさ! ワハハハハ!」
俺は今、市庁舎へ向かう道路をブルーマン博士と共に歩いている。宣言どおり本当に関係各所へ予告状をばら撒いた博士の所為で、話題の犯罪者を捕らえようと躍起になっている警察、各所から出された依頼で詰める協会員、噂を聞きつけてきた報道関係者とそのやじうま、夜だというのに市庁舎の周辺はちょっとした騒ぎになっている。
そんな中を歩いていて大丈夫なのか?
平気な身体にされてしまった。
悲しいかな、博士と俺はブルーマンスーツで歩いている。
肌にピッタリはりつきつつ、不快な蒸れや張り付きを感じない、さらに言えば顔面を覆われているはずなのに外の景色がはっきりと捉えられる博士開発のブルーマンスーツは確かに発明品として優れた代物であるようだと思う。思うのだが、身体の線が出るこの形状である必要は果たしてあったのだろうか。博士ほど外見に無頓着になれなかった俺は股間にファールカップを入れた。ここだけはどうしても譲れなかったのだ。
現在光学迷彩系の魔術を使用して移動中である。このスーツ、見た目はさておきその隠密性能は優れている。概要としては特殊な青色の染料によって他の波長の光を散らし、光学迷彩系の魔術にありがちな"ゆらぎ"を消しているのだそうだ。道すがら博士の口から直接受けた説明によればだが。
その効果はてき面で、こうして人ごみの中を見た目最悪の状態で歩いていても、誰にも気取られない。
そうこうしている内に市庁舎の正門にたどり着いた。普段は僅かな警備員しか残っていないが、犯行予告が来た今日は歩哨が立っており敷地内も巡回されている。厳戒態勢と言って良いだろう。
まあ何事もなく正面から門を乗り越えて真っ直ぐ突っ切るのだが。
巡回員が建物に入るのにあわせ扉に滑り込む。中は外ほど警戒されていない。当たり前と言えば当たり前だ。侵入されないよう警戒しているのだから、侵入された後の事など考えはしないだろう。
そもそも【市庁舎に眠る大切なもの】とかいう訳の分からない物を警護する事も出来はしない。建物そのものを警戒する判断は正しいだろう。それにしてもやけに内部の警戒は薄いようにも感じる。おかげで真っ直ぐ突っ切れているのだが。
ところで先導する博士に付き従っているのだが、目的地は決まっているのだろうか。その旨を人気が切れた頃合を見計らって訊ねると、
「うむ。怪盗レーダーにはバッチリ映っている。3階まであがるぞ」
とのお答えを頂戴した。俺と博士は同じ装備だ。何も言うまい。
目標の部屋は3階の経理課――奇しくもシーリィ女史の部署だ――の執務室だった。
やはり室内でも博士は迷いの無い足取りで進み、窓際の執務机の引き出しに手をかけた。硬質な音を立てるのみで引き出しは開かれない。
「フハハハ。怪盗と言えば華麗なる鍵開けよ! ヤカ君、みていたまえこんな鋳型の鍵など――」
そういって博士はどこからともなく細い針金を取り出し鍵穴へ差し込んだ。
「フムフム、ここをこうして……むっ、いやこうか? なるほど、そうきたか」
もたもた。もたもた。
「博士。代わりましょうか」
「フハハハ! すまないね。こう見えて私はとても不器用なのだ!」
「博士。我々の姿は迷彩により見えないかもしれませんが声は別です。控えめになさってください」
(フハハハ! すまないね。こう見えて私はとても不器用なのだ!)
見かねて声をかけると、何故か博士は小声で言い直して針金を差し出した。
鍵開けは一座の訓練で散々やったが、まさかこんなしょうもない引き出しを開けるために使うとは思わなかった。
交代して引き出しに顔の高さを合わせる。別にどうという事の無い備え付けの鍵穴だ。渡された針金を軸にして錠前の奥をくすぐると、あっさり開いた。
「おお! ヤカ君、中々やるではないか。では、お宝を頂戴するとしよう」
そして取り出されたのは円筒形の容器に入った薬液だ。パッケージには育毛剤とプリントされている。
「それが対象物ですか?」
「その通り! "経理課課長の大切な育毛剤"である! ううん、容器から伝わる中年の毛根に対する妄執。素晴らしい一品だ」
満足気そうに頷く博士。コイツとは一生感性が合わなそうだ。
しかし話には聞いていたが、本当にしょうもない品を盗むな。
俺の白けた視線を気にも留めず、博士はまたしてもどこからともなく取り出した白いドライフラワーを引き出しに仕舞った。
対象を入手したならば長居は無用。そう考えていたのだが、来た道を引き返す道すがら博士が唐突に口を開く。
「さてヤカ君。私と君は予告状を出した"花怪盗"として市庁舎へやってきた、そうだね?」
「私は博士の趣味に同道するよう命ぜられただけですが」
「うむ。つまりいまや君もその道のプロということだ。故に現状がまだ完全ではないと気付かないかね?」
意思の疎通に難が生じている。勝手に仲間認定しないでいただきたい。
「私は私の盗みが"花怪盗"の仕業である事を証明するためにここへ来たのだ。このまま帰ってしまってはその証明にならないではないか!」
少し考えてみる。そもそも博士は模倣犯の犯罪が博士の手による物でないと証明するため予告犯罪を行おうとしていた。信じる信じないは別として、従来通りの手口で盗みを行う事で、多発する強盗事件の犯人とは別口であると主張をするためだ。
そして正に今、目論見通り警察関係者は市庁舎を厳重に警戒し、博士はその中で【市庁舎に眠る大切なもの】を奪い、名詞代わりのドライフラワーを置き去りにした。何も問題はないのではないか?
「違うぞ! 間違っているのだヤカ君! いいかね、私が言うのもおかしな話だが、盗んだ場所にドライフラワーを置くだけならば誰でも出来るだろう! 事実強盗共はやっていたな! つまりそれでは片手落ちなのだよ!」
「では何か妙案がおありなのですか?」
「あるとも! 不足していたのは"窃盗犯の姿"だ! "花怪盗"の姿が認知されていなかったからこそ今回のような模倣犯を許してしまったのだ! 後は分かるねヤカ君――いや、"花怪盗"二号君」
「…………まさかとは思いますが、私に怪盗役として姿を晒せと?」
「肯定だ!」
----
政府要人が来訪しているかのような厳戒態勢。普段は人気の少ない市庁舎通りとその周囲にはやじうまや警備関係者がひしめき合っていた。
警護の依頼を受けた俺たち狩人協会員もその喧騒の一部となっている。警備にも縄張り争いがあるらしく、協会員は市庁舎の外、警察関係者は敷地内及び内部の見張りといった区分けがされていた。まあ変に連携しろと言われるよりはやりやすいと思う。
「分かってはいたけれど、やっぱり警備って暇ね」
「そう言うなって。名高い"花怪盗"の姿を拝めるかもしれないんだろ? な、アース」
チームの仲間、マリアベルとエリクは退屈しのぎの会話を続けながら、俺と同じく担当された市庁舎外周部の西側地点を見張っている。市庁舎は正面門以外は鉄柵で囲まれており、普段は薄暗い通りになっているその場所も今は燦々と炊かれた照明で真昼のように明るい。柵を乗り越えて敷地内へ侵入しようとする人物を見逃す事は到底ありえないだろう。
「まあ、最近ずっと"花怪盗"事件と連続強盗事件の事を追いかけていたからね。関連性の有無を確認するためにも、ここは是非本人と話がしてみたいね」
「"花怪盗"ね。どんな奴なんだろうな?」
「絶対ニヤついた軽い感じの男よ。人の物を盗む奴なんて卑しさが顔に出るものだもの」
「やっぱりマリアベルは"花怪盗"否定派は変わらない?」
「当たり前よ。面白おかしく話題にされてるけれど、やっている事はコソ泥じゃない。本質を見誤ってはいけないわ」
その意見は正しい。いかなる理由があるにせよ、他人の物を盗む事を肯定しては社会秩序が崩壊してしまう。だから盗人を嫌悪する心は正常であると思う。
「お前はそうでもないんだろ、アース?」
「君だってそうだろ、エリク」
「俺は言ってしまえば面白ければ何でもいいからな。自分がいいと思ったらいい、くだらねーと思ったらくだらねー。それでいいんじゃねえの?」
「はー。これだから山育ちは野蛮でいけないわ」
「おい山育ち関係ねーだろ」
「野蛮は否定しないのね」
「野生的と言って欲しいね」
事ある毎に喧嘩腰になる二人だけど、実のところそこまで仲が悪いわけではない。エリクが俺やマリアベルより年上だからということも無関係ではないだろう。チームを組んで半年経つが、仲良く喧嘩できるだけの信頼関係は築いてきたつもりだ。
「窃盗は犯罪だ。法を犯した以上、それは法によって裁かれるべき罪だと思う。だけど、行いだけを見た場合"花怪盗"のやりように"悪意"みたいなものは感じられないとも思うんだ。正しいことを正しい言葉で伝える人の中にも"悪意"がある事は多いよ。市民はそういう機微に聡いから、あれだけもてはやされたんじゃないかな。
だから俺はこの機会を逃したくない。一度会って話を聞いてみたいと思っていたんだ。自分の行いについてどう考えているのかって」
「アースはいつもそれね。話を聞いてみたいって」
「大切なことさ。人間にはね」
――!
その時、俄かに敷地内が騒がしくなった。慌しく市庁舎へ向かっていく警察関係者や他の協会員達。俺は二人と顔を見合わせる。
「これは……」
「出たわね」
「よし、俺たちも行こう!」
最短距離は勿論鉄柵を乗り越えた先だ。
『ワハハハハ、ワーハッハッハッ!』
正面玄関にたどり着いたとき、聞こえてきたのはそんな男の高笑いだった。
周囲の人間を見ると、誰も彼もが頭上を見上げている。一体何があるのかと視線の先、照明光が照らす光輪を見やる。
「ワハハハ! 諸君、良い夜だな! まさに絶好の窃盗日和だ!」
「な、なんだお前は!」
「君たちはそれを知っている!」
「な、なにぃ……?」
一足先に到着していた刑事がその男と問答している。そうか、この男こそが。
「分かったぞ、貴様が巷を騒がす花――」
「我こそが"花怪盗"ブルーマンッ! 予告通り"市庁舎に眠る大切なもの"は確かに頂戴させてもらった! ワハハハハッ!」
全身青色のタイツで覆われた男は高らかにそう宣言した。
あれが"花怪盗"……ブルーマン。
「遮って自ら名乗ったわよアイツ」
「自己顕示欲の強いタイプだなありゃあ。にしてもすげー格好」
「絶対変態よあれ。なによあのもっこりしたの」
マリアベル、見るべきところはそこなのか? 君って案外……いやそれよりも"花怪盗"だ。少なくともそれを名乗る男が警備の網を抜けてこの場に立っている。それが重要だ。俺は人垣を掻き分け前へ躍り出る。
「"花怪盗"ッ! いや、ブルーマン! お前は何故こんな事を繰り返すんだ!?」
「お前、何を勝手に!」
「ほう! この私に意味を問うか! いいだろう青年、答えてやる。私が盗みを繰り返す意味、それは……」
「それは……?」
ブルーマンの溜めにその場の誰もが固唾を飲んで続きを待った。
「趣味だッ! ワハハハ、ワーッハッハッハッハ!」
どこか白けた空気が漂う。しかし俺は合点がいった。やはりそうだった。やはり彼は――
「やはりあの強盗事件はお前の仕業ではないんだな、ブルーマン」
「肯定だ! あのような美しさの欠片も感じられぬ盗みに我が代名詞たる花を真似られては不快ッ! 故に今宵予告通りに参上した次第である!」
ビシッ、と音でもなりそうなほど機敏な動きで様々な角度に腕を伸ばしたり曲げたりしながら、まるで演説でもするかのようにブルーマンは断言した。
「舐めた真似をッ! 強盗事件の犯人が誰かなど、貴様を捕らえた後で調べれば済む話よ! 全体、構えぇぇぇい!」
「撃つ気かよ」と傍らにまで飛び出してきたエリクがそう呻く中、屋根上へ向けて警察隊の銃口が構えられる。ここに居ては危ない。慌てて斜線から飛びのく。
「撃てぇぇぇい!」
本当に撃った! 警告も無しにいきなり射撃とはどうかしている!
「ワハハハハ! そんな銃弾あたりはしないぞ! 私はここだ、もっとよく狙うが良い! ワーハハハハッ!」
火花散る屋根の上を、踊るように、時にはバク転で、時には片足飛びで、駆け回るブルーマン。その様子からは銃弾が命中した様子は見られない。
「とぉうッ!」
そんな華麗かつ腹立たしい動きの最後、大きく跳躍したかと思うと、なんと屋根上から飛び降りたではないか!
「――"怪盗旋風"!」
直後、猛烈な風圧が頭上より叩きつけられた。魔術による攻撃だ。術式展開の速度から殺傷力は感じられない。とはいえ吹き付ける風は強い。たまらず腕で顔を覆うが、それどころかまともに立っている事すら難しくやがて膝を付いた。
「無粋な真似は止めたまえ刑事君。私は清く正しく窃盗を行っているのだ。そのような鉛玉を打ち込まれる謂れは無い!」
「ぐ、ぐぬぬぬ、やかましい犯罪者め! お前達、何をグズグズしている! さっさと立て! 全体構えぇぇッ!」
まずい。さっきは頭上である事と距離が開いていたから銃弾は命中しなかったが、こんな至近距離で整列射撃を浴びせられたらさすがのブルーマンも避けようが無いだろう。それにさっきからこの刑事の判断には疑問が多い。止めさせなければ。
『フハハハハハハ! ハァーッハッハッハッハッ!』
「!? 何を笑って……いや、声は上から!?」
突然の哄笑。声のした頭上へ目を向ける。するとそこには満月を背景に腕を組み佇む全身青色の不審者の姿が。
「なっ!?」
その場の全員の視線が移る。地上には腕を組む全身青色の男。そして屋根の上に目を向けると、そこにも全身青色の男。
「"花怪盗"が……」
「二人ッ!?」
「ワハハハハハハハッ!」
「フハハハハハハハッ!」
共鳴する高笑いで頭がおかしくなりそうだ。どういうことだ? "花怪盗"ブルーマンは複数犯だったのか!?
「全てはまやかしの中。偽りに目を曇らせてはいけない。例えばそう、そこの偽者のように――」
屋根上のブルーマンが地上を指差す。すると、直前まで確かにそこに居たはずのブルーマンが忽然と姿を消しているではないか!
「なっ!?」
驚きの声を上げるのは何度目だろう。目を離していた時間は僅かだったはずだ。屋根の上にはブルーマンが二人。ブルーマンが二人居るではないか!
「"花怪盗"は偏在する。そう! あるべき美学と共に! フーハッハッハッハ!」
ブルーマンが腕を振るう。すると虚空より何かが大量に出現し見上げる俺たちの頭上へ降り注ぐ。魔術だ。防壁の魔術を用意しようとするが、術式は途中で霧散してしまった。何故ならば、
『さらばだ皆の衆ッ! "市庁舎に眠る大切なもの"確かに頂戴した!
フーハッハッハ、ハァーッハッハッハッハッハッ!』
色とりどりの花吹雪と共にこれまでのどれよりも高い笑い声をブルーマンが上げたからだ。
視界が晴れた時、そこに全身青色の男達の姿は無かった。
足元に落ちた花吹雪を拾い上げる。明かりに透かしてみれば、乾燥された生花であることがわかった。辺り一面に散らばったそれらが微かに甘い香りを漂わせている。
「……結局、なんだったんだ?」
エリクの呟きに応える者は誰も居なかった。
ちょっと遅れました。
明日から昼頃更新になりそうです(12時厳守がきつい≒ストックが切れた)
RPGあるある:やたらと性能の高い分身、別け身、偽者
う~んどっちがヤカ君なのかな~わかんないな~
劇場型犯罪者花怪盗の話でした
ぜんぜん中ボスしてないな