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荒野に立つのは悪夢

作者: 藍沢 円夏

人民よ、人民よ。

荒野に立つは悪夢なり。

狂える日々を送りたまえば、安静の日々が送れるもの。

己を殺し、周りを活かし、さすれば、民は楽園へと行く。


間違っても、荒野へは行くな。

荒野に立つは悪夢。

狂える日々を過ごすは平穏。



 がたがたと窓ガラスが揺れる。今日も、どこかで、誰かのくしゃみが起きる。くしゃみが何かの風を生み出し、それが僕の窓ガラスを揺らすのだ。がたがたと。街に立つ新聞屋はこの風を、神の攻撃と呼んでいるし、政治家たちはそれに賛同している。

 人民の多くはそれに憤りを感じている。

 神を殺せ、殺すのだと。

 しかし、誰が神を知っているのか。教会に身をささげた修道者たちは、己の神を見出した。しかし、それは彼らが思い描く紙であろう。僕たちの神ではない。そして、街の大工場の上に立つ人々は、自分たちこそが神であると信じて疑わない。街にある信号機こそが、神であるという話を聞く。

 しかし、それらが神ならば、かんたんに倒せるではないか。

 ある日、国家は、大工場に火をつけた。すると、大工場はたちまち燃え上がり、上に立つ人とともに灰になった。教会の修道者たちは、頭を、液晶ブラウン管テレビに交換されて、延々と国家の讃美歌を流し続けている。街の信号機は全て取り払われ、三角トライアングルに生まれ変わった。

 そして、誰かが言った。

 国歌こそが神だ、と。

 国家は全てを支配している、と。

 政治家はそれを支持し、新聞屋はそれを裏付けた。

 国家に逆らえば、荒野に立つことになる。

 荒野に立つは悪夢だ。

 国家は言った。

 神を殺さねばならぬ。

 誰も否定をしてはならない。

 新聞屋は神を殺すことを大々的に広めるため、頭のアンテナで、人民の脳内に直接語り掛ける。神を殺さねばならない、と。狂える日々こそが安定で、安静で平穏であると、それよりはぐれるのは悪夢であると。

 僕は頭をアンテナ頭にした。じっとしている事はできない。歩かなければ。

 三角トライアングルを手に、荒野の彼方に立つ悪夢に挑まなければ。



 荒野に立っていると不思議な事によく合う。

 頭がアンテナになった不思議な生き物が襲い掛かってくるのだ。その手にある三角トライアングルを振り回し、こちらを殴ってこようとする。しかし、すぐさま、頭のアンテナから意味の分からない歌を流して倒れる。

 顧客満足度ナンバーワン。

 経営者意識をもった革命宣言。

 まったく意味の分からない歌である。

 そうやって何日も荒野に立ち、アンテナ頭で目の前に大きな山が出来上がった時、小さな女の子が、クラリネットを手にやってきた。クラリネットの中からはナメクジがこちらを凝視している。

 緑色の三日月がこちらを凝視する。あぁ、あれはミカヅキモだった。

「これ、音が鳴らないの」

 女の子がそういうと、喉をクラリネットと交換する。

 女の子は嬉しそうにクラリネットを鳴らして荒野の向こうへと歩いていく。

 女の子と入れ替わりに、荒野の向こうからやってきたのは、ラーメン屋だった。

「肉ラーメン安いよ」

「一つでいいよ、二つでいいよ」

 屋台を引っ張る男と、屋台の上でチャルメラを奏でる男が言った。

 要らないと、告げると屋台を引っ張る男の口から勢いよく歯が飛び出してくる。

「あんたが悪いんだ。あんたが悪いんだ」

 チャルメラが勢いよく鳴る。

 突風と共にチャルメラが吹き飛んでいく。

 残ったラーメンの屋台が、砂にまみれて腐っていった。

 ラーメン屋の屋台の残骸に腰かけて、荒野の彼方を見る。

 アンテナ頭の行列が見えた。小さな子供みたいなアンテナ頭もいる。

この荒野の向こうがどうなっているのか気になって仕方ない。




 ミカヅキモは考えていた。

 一体どうしてこうなったのか。ミカヅキモは田んぼの中で仲間と共に冬を越していたはずだ。ミカヅキモは乾燥すると合体して一つの細胞になる。しかし、それが気がついたら、というよりは自我を持つとともに自分がどこにいるのかわからなくなっていた。

 まさか、自分の目の前にあるのは、もっとも、ミカヅキモに目はないが、青い球体であり、これが地球というとは思いもよらない。ただ、青い細胞があるのだと思っていた。しかし、いくら声をかけても、ミカヅキモに声帯はないが、反応はない。

 しばらくして、ミカヅキモのところにやってきた包帯の男に聞く。

 ここはどこなのか。

 ここは悪夢、狂える日々。

 狂える日々を過ごすは平穏なり、荒野に立つは悪夢なり。。

 ならば、虚空に浮かぶミカヅキモは、どうだというのか。

 包帯男は答えなかった。

 ミカヅキモはただ悲しみに涙を浮かべ、そして、細胞分裂を始めた。




 空に浮かぶ月が八つになった時、包帯男は考えた。

 街にいけばアンテナ頭に交換してもらえる。アンテナ頭になれば、何も考えずに済むあのアンテナは受信のためのアンテナだから何も考えなくても物事が進んでいく。狂える日々を過ごすならば、実に有意義なものだ。

 しかし、包帯男は包帯だからアンテナ頭にはできない。

 包帯男は荒野を歩き、アンテナ頭が倒れているのを見つける。

 己の腕をほどき、アンテナ頭に巻いていく。

 せめてもの安らぎを与えるために。

 アンテナ頭がたまに口を開くことがある。

『荒野の彼方に向かえ。このまま、真っ直ぐ、荒野の彼方へ』

「彼方には何がある」

『荒野の彼方に向かえ』

 それっきり、アンテナ頭は黙って、しまった。

 包帯男は、アンテナ頭の持っている三角トライアングルを手にして、荒野の彼方へと歩いて向かう。チリリンチンチリリンチンと、三角トライアングルを鳴らして歩く。

 すると、荒野の彼方から、クラリネットの音が風に乗ってやってきた。

 包帯男はその方向へ向かって歩く、すると、突然クラリネットの音はやんだ。

 砂煙が巻き上がり、立っていたのはトレンチコートの男であった。

「あぁ、この先に行くのか」

 トレンチコートの男は、バチバチと火花を指先から発した。

「ならば、これと交換しないか? 旅の役に立つ」

「いいや、三角トライアングルより役に立つものはないよ」

 そう答えると、トレンチコートの男は寂しそうに、砂煙にまみれて姿を消した。

 



 荒野の彼方に立つ館の主は思った。

 最近どうにも、花の調子が悪い、荒野を舞う砂塵のせいだろうか、いいや、それにしてもくしゃみが良く出る。部屋の中にある花が咲かなければ、くしゃみが出るのだ。花粉症と呼んでいる。

 窓の外に広がる荒野をみて思う。

 あのアンテナ頭の行列はどこへ行くのか。

 アンテナ頭の国家はどこにあるのか。

 リンゴンと来客を告げる鐘が鳴る。

 案ネタ頭の宣教師がアンテナ頭のすばらしさを伝えに来た。

 それを断わると、アンテナ頭の宣教師は、すごすごと退散した。

「荒野に立つのは悪夢ですよ!」

 それがアンテナ頭の捨て台詞である。

 荒野に立つのが悪夢ならば、あのアンテナ頭の行列は悪夢ではないのか。

 風に交じって聞こえるのは国家の讃美歌。

 人民よ、人民よ。

 荒野に立つのは悪夢なのだ。

 荒野の館の主は、窓からみえるミカヅキモを見て思う。

 昨日より数が増えている。

 まどろみの中、リンゴンと金がなる。

 やってきたのは包帯男だった。

 包帯男は館にある死を見て、何も言わずに、立ち去った。




 アンテナ頭は荒野の彼方についに立つことが出来た。数多くの仲間を失った、しかし、それでもなお、彼はアンテナが受信するように、荒野の彼方へと向かい、荒野の彼方へと立つことが出来たのだ。

 荒野の彼方に立った時、アンテナ頭はすっきりとノイズがなかった。

 自分の頭で立つことが出来た。

 荒野の彼方には、砂嵐も強風もなく、ただ、静かだった。

 包帯男が荒野の彼方に立った時、自らの体にある包帯は一巻きもなかった。

 ミカヅキモは空を埋め尽くしていた。

 そして、彼らの前にはくたびれたラーメン屋の残骸に腰かける一人の男がいた。

「まいったな。ここを彼方だと思ってやがる」

 ラーメン屋の壁に張り付けられた張り紙から水着の女が足を踏み出す。

「目を覚ます時間よ」




 人民よ、人民よ。

 荒野に立つのは悪夢なり。

 狂える日々を過ごすは、平穏なりや。

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