閑話・編入前の二人
ある私立中学の寮の一室で、夜な夜な怪しげな声が響いていた。
「………ち、違う、そうじゃない。でも……ああ、だから……そうそう、その調子で指を動かすんだ」
「止めて、耳元で喋らないで……くすぐったい」
消灯後の暗闇と静寂に包まれる、うら若き男子たちが睦合う空間……と、思いきや。こそこそと話し合うのは櫻森と柳橋。二人は、この中学で一目を引く存在であった。
かたやライバル校の御曹司でありながらこちらの中学に通うモデルのようなイケメンと、かたや財閥の令息で、有名な某歌劇団の男役のような凛として麗しい姿に、在校生たちは羨望と恋慕、そして少しの嫉妬を向けていた。
そんな二人が夜な夜な行っていたのは、愛しあうことではなく、柳橋の執筆入力を手伝う櫻森とのやり取りであった。
「だから、ここは二人が海岸で海を見ている場面なんだろ? 何でカラスが飛んでいるんだよ。せめてトンビだろう?」
「彼らは、これから数々の試練を乗り越えなければならないから、その暗示の意味でカラスが飛んでいるんだよね。ほら、カラスだと不吉感が増すでしょう?」
つまり柳橋が書いた小説を読んで桜森が推敲し、最終的にはタイピングが早い桜森がパソコンに打ち込みPDF化して印刷所に送る、という同人サークル活動であった。それを知る者は、この場には存在しない。
「………本当、お前打ち込むのが遅いな」
「だから耳元で喋るなって言っただろう! タッチタイピングは、それなりにできてるから問題ないよ!」
「俺を頼らなくてもいいように、一人で練習するなんて言っても、これじゃあ無理だろうな」
「ゆっくりでも、数をこなせば大丈夫だよ! ああ、もう! 気が散るだろう、静かにしてよ!」
声を潜めて喋っているため一部聞き取りづらく、巡回する警備の人間には、愛を囁く睦言のように聞こえる。それは、この二人に限ったことではないが、つい想像してしまうのは仕方がないのかもしれない。なぜなら警備員も、ここの卒業生だからだ。
「……だから、それだと……もう少し早く………そう、いいぞ……その調子で……俺を……!」
「ああ……櫻森、もう少し優しく……何でそんな意地悪なんだ……分かった……でしょう?」
そんな会話が漏れ出る部屋を前に、若かりし頃の自分を回想する。そしてあの時の彼は今、何をしているのかと想いを馳せる。実際にはーー
「……だから、それだと日が暮れるだろ! もう少し早く打てないのかよ? そう、いいぞ。だいぶマシになってきたな。その調子で全文打ち込め! そしてもう俺を頼るな!」
「ああ、もう分かったって! ところで櫻森、もう少し優しく言えないのかな? 何でそんなに意地悪なんだろう。そんなんじゃモテないよ! 分かった。君、ツンデレでしょう?」
と、色気もへったくれもない会話だった。そんなこととは露知らず、警備員は音を立てないように、その場を足早に去っていく。他の部屋からも似たような会話が聞こえてくるが、それは警備員が想像していたものであり、ベッドの軋む音が、それを物語っていた。
「ところで柳橋、今度のイベントには参加するのか?」
「当たり前でしょう! 撫子さんに新刊をいただくことになってるし、弟さんもコスプレ参加するって言っていたから絶対に行く!」
タイピングの手を止め、拳を高く突き上げて参加の意思を示す柳橋。そんな彼に櫻森が軽く頭を小突いた。
「なに、いきなり。痛いって!」
「だったら、さっさと原稿を上げるんだな。俺は手伝わないって言っただろう?」
「もし間に合わなかったら、家の誰かにやってもらうから大丈夫!」
「おいおい、それは初耳だぞ! それなら最初から、そうしろよ!」
「だって、そのやり取りだとワンクッション入るからタイムロスになるんだよねぇ。だったらタイピングが早くて、僕と同じ部屋で、その場で内容を確認して推敲ができる君に頼むのが一番いいんじゃないの?」
「……褒め言葉として取っておく」
「やっぱり君、ツンデレさんだね! これからもヨロシクね!」
まさかその後、高校で柳橋の想い人と同じクラスになり、一生涯の友として付き合うことになるとは、この時の櫻森は知るよしもなかった。




