表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/22

旧友の日

「いやあ、ペドロは本当に凄い奴だよ」

 感心した表情で、宮崎は言った。すると、安原もうんうんと頷く。

「うん。俺、あんな凄い喧嘩を見たの初めてだよ」

 その点に関しては、智也も同意せざるを得なかった。彼らより年上で暴力慣れしているであろうチンピラを、ものの数秒で撃退してみせたペドロ。この学校でうろついている不良たちとは、完全に違うレベルの人間だ。あんなアクション映画のごとき早業を見たのは始めてである。

 その時、智也の頭にある疑問が浮かんだ。

「でもさ、何であんなこと言ったんだろう?」


 昨日ペドロはチンピラを叩きのめした後、皆に対し、こう言ったのだ。

「すみません、今日のことは誰にも言わないで下さい。お願いします」

 今日のこと、とは間違いなくチンピラを叩きのめした件だろう。言葉遣いそのものは丁寧だが、その奥には有無を言わさぬペドロの意思がある。その迫力に押されるかのように、智也たちは頷いていた。




「ペドロは謙虚な男なんだよ。目立つのが嫌なんじゃないかな」

 安原の言葉に、宮崎も同意の表情を見せる。

「だろうな。あいつは、本当に凄い奴だよ」

 そう語る宮崎の表情は、尊敬の想いに満ちていた。もともと宮崎は、暴力的なものに対する強い憧れがある。もっとも本人は、その想いをおくびにも出さないが。

 そしてペドロは、理不尽な暴力にも屈しない圧倒的な強さを身に付けている。その上に謙虚だ。まるでアクション映画の主人公のようである。


「ところで、ペドロは今日も休んでるみたいだね」

 安原の何気ない言葉に、智也はふと疑問を感じた。

「えっ、ヤッちゃん何で知ってるの?」

「い、いや、担任の先生に聞いてきたから……」

 ちょっと照れくさそうに答える安原。だが智也は、胸のあたりに奇妙なつかえを感じていた。安原は、わざわざペドロのクラスまで聞きに行ったのだろうか。まるで、親友を心配するかのような行動だ。いや、それ以上かもしれない。

「ヤッちゃんもか。実は、俺も行ったんだよ」

 少し恥ずかしそうな様子で、宮崎も言った。

 そんな二人を見て、智也は漠然とした不安を感じた。いつの間にか、この二人はペドロに魅せられているのだ。二人は、ペドロの行動に注目している。でなければ、彼が出席しているかどうかなど、わざわざ聞きに行ったりはしないはずだ……これでは、アイドルの出待ちをしているファンと大して代わりない。


 大丈夫なんだろうか?


 智也は、ふと仁平を見た。しかし、仁平は相変わらずだ。ボーッと窓を見つめている。

 仁平は、いつもと変わっていない……智也は少しホッとした。自分は考え過ぎなのかもしれない。


 ・・・


 その日、小沼秀樹はバイト先に行くため足早に歩いていた。学校は、例によってキナ臭い匂いが漂っている。しかし、今の彼には関係のないことだ。

 秀樹は校門を出た後、駅まで真っ直ぐ歩いて行く。だが、その時――


「ようヒデ、ちょっと待ってくれよ」


 聞き覚えのある声だ。秀樹は、ゆっくりと振り返った。

 そこにいたのは、リーゼントの髪型が特徴的な若者であった。背はやや高めで、頬はこけている。目付きは鋭く、痩せてはいるが強靭な体つきをしているのが見てとれる。そこらの不良とは、違った迫力を醸し出していた。

「ヤク、まさかお前が来るとはね。何の用だ?」

 言いながら、少年を睨み付ける秀樹。この少年は薬師寺栄太やくしじ えいたという名だが、あだ名はヤクである。とは言っても、ヤク中という訳ではない。

「おいおい、何を苛立ってんだよ。俺は、話をしに来ただけだ」

「話?」

「俺は今、トウコウ《東邦工業高校》の一年生なんだよ」

 少し恥ずかしそうに、薬師寺は言った。一方、秀樹は思わず顔をしかめる。東邦工業高校から来た、となると……これは、ただ事とは思えない。

 刑事の大下から聞いた話によれば、東邦工業の生徒八人が何者かに病院送りにされている。その現場には、なぜか浜川高校の制服のボタンが落ちていたらしいのだ。したがって、両校はいつ戦争状態になってもおかしくない状況ではある。

 もっとも、目の前にいる薬師寺の表情は穏やかなものだ。喧嘩を売りに来たようには見えないが。


 この薬師寺は中学生の時、秀樹の同級生であった。しかし二年前、傷害沙汰で鑑別所に入れられている。その後は、プッツリと交流が途絶えていた。本来なら、既に三年生のはずなのだが……どうやら、もう一度高校生をやりたくなったらしい。

 しかし、よりによって東邦工業とは。


「で、トウコウのお前がハマコウ《浜川高校》に何しに来たんだよ。宣戦布告か?」

 秀樹の言葉に、薬師寺は険しい表情でため息を吐いた。

「やっぱり、お前も知ってたのか……けどな、俺はそんな面倒くせえことには関わる気はねえ」

「じゃあ、何しに来たんだよ?」

「お前に聞きたいことがあるんだよ。ハマコウに、ウチの学校のバカ共を病院送りにしそうな奴はいるのか?」

「分からねえ。ただ、ウチのアタマの藤井は……トウコウが来るなら潰す、って言ってる。完全にやる気だぜ。ったく、面倒くさい話だよ」

 言いながら、秀樹はちらりと周囲を見回す。辺りには、浜川高校の生徒がうろうろしていた。ここでは、ちょっと話しづらい。

「ヤク、ちょっと場所を変えようぜ」




 二人は、川のほとりで腰を下ろす。薬師寺はタバコの箱を取り出し、一本咥えた。さらに、秀樹にも差し出す。

「吸うか?」

「いいよ。タバコはやめたんだ」

「そうか」

 そう言うと、薬師寺はタバコに火を点けた。

「あのなヒデ、ウチの連中は相当カッカきてるぞ。ウチのアタマの辰義タツヨシは、今ちょっと怪我で動けないらしいが……もうじき、学校に来るらしい。そうなったら、ウチの連中はハマコウを潰しに行くぞ」

「勝手にやってくれよ。俺には関係ない」

 吐き捨てるような口調で、秀樹は言った。

「はあ? お前、それでいいのか?」

「いいよ。ハマコウはバカばっかりだからな。俺も、ハマコウでアタマやってる藤井に言ったんだがな、聞く耳なしだ。向こうが来るならやってやる、の一点張りだよ」

「そうか……参ったな。俺も、こんなことには関わりたくねえんだよ。いい加減、平和な高校生活を送りてえのにな」

 そう言いながら、薬師寺は煙を吐き出した。

「ヤク、お前も随分と丸くなったな」

 思わず苦笑する秀樹。事実、この薬師寺は中学時代、手の付けられない不良だったのだ。よその学校と揉めた時は、盗んだバイクに乗って他校に殴り込んだのだ。また授業中、屋上で酒盛りをして倒れ、病院に担ぎ込まれたこともある。

 そんな薬師寺の口から、平和な高校生活という言葉が飛び出るとは。完全に予想外だ。

「俺も、いい加減バカやってる歳じゃねえからな。もうすぐで十八だぜ。高卒の資格だけは取っときたいんだよ。それに、鑑別所にぶちこまれたら……つくづく嫌になってきた。真面目に生きるのが、ある意味じゃ一番簡単だよ。一番難しいけどな」

「何を哲学者みたいなこと言ってんだよ。そんなキャラじゃねえだろうが」

 笑いながら、秀樹は薬師寺の肩を軽くこづいた。

「あのなあ、鑑別所とか行けば嫌でも考えさせられるんだよ。本物のクズを大勢見たからな。ああは成りたくねえ、心底からそう思ったよ」

 そう言う薬師寺の表情は歪んでいた。恐らく鑑別所の中で、見たくないものばかりを見せられてきたのだろう。

 秀樹は、改めて薬師寺の横顔をじっくりと見つめた。中学時代と比べると、確かに変わっている。向こう見ずな雰囲気は薄まり、代わりに思慮深さが出てきている。鑑別所という特殊な環境は、薬師寺にとってプラスの効果をもたらしたらしい。

「なあヒデ、俺はお前がハマコウにいるって聞いたから、わざわざ来てみたんだよ。もしかしたら、戦争を避けられるんじゃねえかと思ってな。でも、この様子じゃ止まりそうもないな」

「ああ。ありゃあ止まらないな。ウチのアタマの藤井も、その取り巻きもバカばかりだ。一応、俺も犯人を探すよう進言はしてみたんだよ。ところが、聞く耳もたずだ」

「そうか……なあヒデ、俺も病院送りにされた連中に話を聞いてみたんだよ。そしたら、相手は一人だったって言ってた」

「一人、か……ウチに、そこまでの奴はいたかな」

 秀樹は、自身の記憶を探ってみた。もっとも学校の不良連中の詳しい情報など、今となってはほとんど知らない。

 それでも、一人で八人を病院送りにするような奴は……一人しか思い当たらない。

「そんなこと出来そうなの、アタマの藤井くらいしかいないぜ」

 そう、秀樹の見る限り……浜川高校にいるのは、基本的に雑魚ばかりだ。あらゆる努力を避けて通り、流されるままに生きてきた者が大半である。でなければ、もう少しまともな学校に行っているはずだ。

 勉強もスポーツも最低点……しかも彼らは「俺はまるで努力しないから成績が悪いんだよ」というセリフを免罪符として使う。そんな人間だから、喧嘩も中途半端にしか出来ない。

 したがって、一人で八人を病院送りに出来るような凄腕などいないはずだ。


「そうか。もう一つ、気になることがあるんだよ。やられた連中だがな、言ってることがバラバラなんだよ。でかい奴にやられたとか、ちっこい奴にやられたとか」

「いや、そんなもんだろ。いきなり不意打ちなんて食らったら、相手がどんな奴だったかなんて把握できないぜ」

 答える秀樹。そう、人間の記憶など曖昧なものだ。特に犯罪のような想定外の事態に遭遇した場合、被害者の記憶は当てにはならない。

 犯罪者を捕らえてみれば、目撃者の証言とは全く違った人相の持ち主だった……それは、珍しいことではないのだ。

「ああ、そうらしいな。でも、一つ気になることがあるんだよ。病院送りにされた奴だけどよ、みんな一発でやられてるんだよな」

「一発、か」

「ああ。熊殺しのウィリーが暴れたんじゃねえか、てくらい凄かったらしい」

 冗談めいた口調の薬師寺。秀樹は、思わずプッと吹き出していた。熊殺しのウィリーとは、当時話題になっていた空手家である。二メートルを超す長身と百キロを超す体格で、映画にも出演していた。

「ウィリーが相手なら、みんな殺されてたぜ。ただ、一つはっきりしたよ」

「ん? 何がだ?」

 尋ねる薬師寺に、秀樹は顔を歪めながら答える。

「そんなこと出来る奴は……俺の知る限り、ウチの学校にはいねえ」

「そっか。ったく、どこの誰がやったんだろうな。人騒がせな奴だぜ」

「分からん。ただ、俺は関わる気はねえよ。ヤク、お前も関わるな。こんなアホな喧嘩に首を突っ込んでも、何も得しねえし」

 そう言うと、秀樹は立ち上がった。

「ヤク、せっかく来てもらったのに悪いけどな、俺は今からバイトなんだよ。今度、お互い暇な時にゆっくり話そうや」

「ああ、バイトなのか。すまなかったな」

 のんびりした口調で言うと、薬師寺はタバコを一本取り出した。

「俺は、こいつを吸い終わったら帰るよ」

「そうか。また今度、暇な時に会おうぜ」

 秀樹はそう言って、足早に去って行った。実のところ、バイトは遅刻することになってしまう可能性が高いのだ。急がないといけない。


 後に秀樹は、この時の自身の行動を後悔することとなる……。


 ・・・


 薬師寺はのんびりとタバコを吸いながら、川面を見つめていた。


「すみませんが、高校生の喫煙は法律で禁止されていますよ」


 不意に、背後から声が聞こえてきた。薬師寺は面倒くさそうに振り返る。これは警官ではない。恐らくは補導員か、あるいは世話好きな近所の人間であろう。それにしては声が若いが。

 だが、そこにいたのは……外国人のような顔の少年であった。迷彩柄のトレーナーを着て、落ち着いた様子で薬師寺を見ている。

 薬師寺は、思わず首を傾げた。彼は、おとなしく言いなりになるようなタイプには見えないはずだ。

 この少年は、自分が怖くないのだろうか?


「ああ、分かったよ。すまねえな。すぐ帰るから」

 言いながら、薬師寺はタバコを捨てて立ち上がった。ここで喧嘩などヤる気にはなれない。見れば、相手は外人のようでもある。日本のことが、今一つ分かっていないのかもしれない。

 だが、事はそう簡単にはいかなかった。

「あなたは、東邦工業高校の方ですよね?」

 顔に似合わず、少年の口から出るのは流暢な日本語であった。薬師寺は思わず首を傾げる。

「あ、ああ。そうだよ。よく知ってるなあ」

 薬師寺から返ってきた言葉に、少年はニヤリと笑った。

「それは、素晴らしい話ですね」

 そう言うと、少年はゆっくりと近づいて来る。一方の薬師寺はポカンとしたまま、少年を見つめていた。

 次の瞬間、薬師寺の背中に冷たいものが走る。その時になって、彼はやっと理解したのだ。目の前にいるのが、普通の人間ではないことに。薬師寺は、半ば本能の命ずるまま身構える。

 しかし、何もかもが遅かった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ