拷問の日
「なあ、お前はペドロのことをどう思う?」
宮崎から不意にそんなことを聞かれ、浦田智也は戸惑った。
「えっ? どう思うって言われても……」
「あいつ、何か凄いよな」
感心したような表情で、宮崎は言った。すると、安原もうんうんと頷く。
「何かさ、俺たちとは全然違うんだよね。ハーフだからかもしれないけど、価値観からして、俺たちとは真逆だよね」
彼らは、いつものようにオカルト研究会の部室で集まっていた。今は、ペドロ以外の全員が揃っている。皆でパイプ椅子に座り、マンガを読んだり菓子を食べたりしていた。
いつも通りの風景ではあるが……彼らの話題の中心は、いつもとは違う人物であった。普段なら、彼らの話は不良に対する愚痴が大半である。
しかし、今の話題の中心はペドロであった。
「ねえ、ペドロの言ってたことだけど……みんなは、どう思う?」
言いながら、智也は皆の顔を見回した。彼は、ペドロの言っていたことが未だに心に残っているのだ。
金子と伊藤は死んだ。確かに、彼らは死刑になるような罪は犯していないだろう。だが、彼らが死んでくれて良かったと思う気持ちもある。
自分は悪人なのだろうか。それとも、普通なのだろうか。
だが、智也の問いには誰も答えられなかった。いきなり仁平が騒ぎ出したからだ。
「ヒッ、ペドロ! ヒッ、ペドロ! ペドロいない! ペドロいない!」
叫びながら、左右を見回す仁平。宮崎と安原が、慌ててなだめにかかる。
「大丈夫だから、落ち着けよ」
「ペドロは、明日連れて来るから」
この仁平進一は、発達障害を抱えている。本来なら、浜川高校のような場所では不良たちの格好の餌食になりそうだが……彼の父親は、広域指定暴力団・銀星会の幹部である。教師たちは、そのことを全員知っている。また、一部の不良生徒もそのことを知っている。そのため、仁平に手を出す者はまずいない。もしいるとすれば事情を知らない一年生か、シンナーのやり過ぎでおかしくなった者だろうが。
このオカルト研究会は、今は仁平のためだけに存在しているのだ。潰れるはずだった同好会……しかし、仁平の面倒を見るという大義名分の下、皆が部屋に集まっている。
また、仁平は普段の授業にも出ていない。授業中も、オカルト研究会の部室にいる。その間は、必ず二人以上の部員が仁平の相手をする……ということになっているのだ。
智也と宮崎と安原の三人は、教師である滝沢から直々に頼まれているのだ。会長の大滝も同様である。もっとも彼らとしても、不良たちから離れていられるのはありがたい話だった。頭の悪い不良たちの相手をするより、仁平と一緒にいる方がどれだけ心が休まることか。
「ペドロは、今日は来ないみたいだね」
仁平が落ち着くと同時に、大滝が口を開いた。
「そう言えば、あいつ学校にも来てないみたいだよ」
安原の言葉に、宮崎が反応した。
「えっ、あいつ休んでたの?」
「うん。そろそろ仁平についてきちんと説明しようと思って、教室まで行ってみたんだけど、いなかったんだよ。担任の先生に聞いてみたら、今日は休みだってさ」
「休みかあ。じゃあしょうがないね」
言葉を返す智也。少し残念な気分ではある。あの男は、今までどんな生活をしてきたのだろう。じっくり聞いてみたかった。
まあ、休みなら仕方ない。別の機会にでも、聞いてみよう。
・・・
小沼秀樹は、ゆっくりと階段を上がって行った。
今は授業中のはずである。にもかかわらず、あちこちで生徒の姿を見かける。廊下で寝そべっていたり、マンガを読んでいたりしている。トイレの前を通りかかると、タバコの匂いがぷんぷんしていた。
だが、秀樹は全てを無視して進んでいく。やがて、屋上に通じるドアの前で立ち止まった。何とも面倒な話である。何故わざわざ、こんな場所でたむろするのだろうか。バカと煙は高い所を好む、という言葉は正しいらしい。
秀樹はドアを開け、屋上へと出ていった。すると、パンチパーマの生徒がジロリと睨んできた。だが、すぐにその表情は変わる。
「な、何だよ……小沼じゃねえか。一体どうしたんだよ?」
チンピラが目上の者に対するような案じ顔で、生徒は聞いてきた。
「藤井はいるか?」
「あ、ああ、いるよ」
「そうか。サンキュー」
そう言って、秀樹は進んで行った。
「おうヒデ、お前がここに来るとは珍しいな」
藤井幸三は、屋上でしゃがみこんでいた。百八十センチを超える身長と百キロの巨体を持つ、浜川高校の不良たちのリーダー格である。恵まれた体格と並外れた凶暴さとを兼ね備え、入学当時から注目の的であった。
さらに彼の周囲には、数人の取り巻きがいる。言うまでもなく、全員がリーゼントやパンチパーマなと、不良少年の見本のような生徒ばかりである。中には、秀樹に挑発的な視線を向ける者もいた。
だが、秀樹は無視した。そんな奴らに用は無い。
「すまないが、二人きりで話したいんだ。ちょっと来てくれないか」
秀樹の言葉に、藤井は顔をしかめた。
「何だよ面倒くせえな。ここで言えよ」
秀樹は迷った。だが、藤井に動く気配はない。ここで話さなくてはならないらしい。
「一昨日、トウコウ《東邦工業高校》の奴らが八人、病院送りにされたそうだ」
「はあ? だから何だってんだよ?」
藤井は表情一つ変えていない。
「で、その現場にうちの制服のボタンが落ちてたらしいんだよ。トウコウの連中は、相当カッカ来てるらしいぜ。ひょっとしたら、うちに攻めてくるかもしれねんだよ。なあ、そんなことやりそうな奴に心当たりはあるか?」
「知らねえよ。仮にトウコウのアホ共が来やがったら、潰すだけだ。そうだろうが?」
そう言って、藤井は皆の顔を見回す。
「もちろんだよ!」
「トウコウなんざ、いつでもやってやる!」
「ぶっ飛ばしてやんよ!」
周囲からは、そんな言葉が返って来た。それを聞いた秀樹は、思わず口元を歪める。こいつらは、やはりバカだ……もっとも、想定の範囲内ではあるが。
「けどな、一応は確かめた方がいいんじゃねえのか? もしも、うちの誰かがトウコウの奴らを病院送りにしたんだとすれば――」
「で、どうするんだ? そいつをトウコウに差し出して一件落着ってか?」
そう言って、藤井は秀樹を睨み付ける。
「いや、別にそういうわけじゃねえ。ただ、その辺をはっきりさせとかねえと、筋が通らねえだろう」
「筋? んなもん知るか。理由はどうあれ、奴らが来るなら潰す。来ないなら潰さない。それだけだ」
藤井の言葉に、秀樹はやる気が失せた。ここにいるのは、どうしようもない低能ばかりだ。好きなようにすればいい。勝手に喧嘩し、勝手に陰謀に巻き込まれてくれればいいのだ。死者が出たとしても、自分のせいではない。
あの大下刑事の言う通りだった。何が起ころうと、自分の知ったことではない。ただ身を伏せて、おとなしくしていればいい。
「そうか、分かったよ。気を付けてな」
そう言って、秀樹は彼らに背を向け歩き出す。
だが、不意に一人の生徒が立ち上がった。彼はいきなり走り出し、秀樹を追い越した。
そして秀樹の前に立つ。リーゼントの頭を小刻みに振りながら、挑発的な視線を投げてくる。
「どうも、小沼さん。俺、二年の阿部っていいます。小沼さんも、いろいろ言われてるみたいですけど……俺、喧嘩なら小沼さんに負ける気がしないっスね」
そう言って、ニヤリと笑う阿部。開いた口から見える前歯は欠けていた。シンナーをやっているせいか、あるいは喧嘩のせいか。体格はいい。だが立ち方や顔つきを見るに、恐らく素人だ。
「何が言いたい?」
秀樹は不快になってきた。こうした面倒なやり取りは、なるべくならしたくはない。普段の彼なら、無視して引き上げていたはずだった。
しかし、今の秀樹は苛立っていた。
「小沼さん、聞いた話じゃ、あんた一人で八人ブッ飛ばしたんですよねえ? んなもん、嘘くさいっスよ。だから、本当のこと聞かしてくださいよ」
あくまでも挑発的な阿部。すると、誰かが声を発した。
「おい阿部! 止めとけよ!」
「いいよ。やらせろ」
そう言ったのは、藤井だった。彼は立ち上がると、ニヤニヤ笑いながら二人を見る。
「藤井さん、俺やっちゃっていいスか?」
阿部の言葉に、藤井は頷いた。
「ああ。やれるもんなら、やっちまっていいぞ」
藤井の言葉を聞いた瞬間、阿部は動いた。残忍な表情で、秀樹に殴りかかっていく。
だが、秀樹はあっさりと躱した。直後、秀樹の左足がムチのように走る――
次の瞬間、阿部は崩れ落ちていた。腹を押さえ、土下座のような体勢で倒れる。秀樹の三日月蹴りが炸裂したのだ。三日月蹴りは、前蹴りと回し蹴りの中間の軌道を描く蹴りである。しかも、爪先が突き刺さるような形で命中する。
今の場合も、阿部の鳩尾に秀樹の三日月蹴りがまともに命中していた。阿部は息がつまるような衝撃を受け、耐えきれずに悶絶したのである。
しんと静まり返る屋上。周囲の者たちは、何が起きたのか把握しきれずにいる。だが、不意に笑い声が響いた。
笑い声の主は藤井だ。藤井はゲラゲラ笑いながら、おもむろに阿部の首根っこを掴む。
「おい阿部、イキがってんじゃねえぞ。お前なんか、ヒデに比べりゃクソ雑魚なんだよ。よく覚えとけ」
言いながら、藤井は片手で阿部を引きずっていく。一方、秀樹は振り向きもせずに立ち去って行った。もう、こんな連中がどうなろうが知ったことではない。
自分は、じっと頭を下げてガードを固め大人しくしている。火の粉がかからないように。秀樹は、冷めた表情で屋上から降りて行った。
・・・
大滝は、軽い足取りで電車を降りた。定期を駅員に見せ、改札を通過する。
彼の自宅は、大崎山駅から歩いて十分くらいの距離にある。この周辺は人通りが少なく、車もほとんど走っていない。都内とは思えないような静けさである。
そんな中、大滝はいつもの通り、自宅への道をのんびりと歩いていた。
だが突然、背後から何者かが迫る。次の瞬間、大滝の首に何かが巻き付いてきた。
一瞬の後、大滝の意識は闇に沈んだ。
「大滝さん、申し訳ないですね。あの中では、あなたがもっとも適任だったんですよ。まあ、命までは奪わないから安心してください……って、聞こえてないんですよね」
ペドロは、淡々とした口調で語る。彼の目線の先には、両手両足を縛られた大滝がいた。
ペドロと大滝……彼ら二人は今、人里離れた場所の廃屋にいた。大滝は縛られた状態で、梁から逆さ吊りにされている。彼は恐怖のあまり、小刻みに震えながら首を動かしていた。
だが、それも仕方ないだろう。大滝は目隠しをされ、耳には大音量の音楽が流れるヘッドホンが付けられている。ご丁寧にも、外れないようガムテープでぐるぐる巻きにされていた。
さらに口には、穴の空いたピンポン玉が猿轡のような形で詰め込まれている。こちらも、外れないようガムテープで固定されている。
大滝は今、体の自由を奪われ、視覚と聴覚を遮断されているのだ……この恐怖は、普通の人間に耐えられるものではない。
「さて、時間には限りがあります。余計なお喋りはこれくらいにして、手早く終わらせましょう」
そう言うと、ペドロは大滝を見つめる。
次の瞬間、大滝の腹に右のボディフックを放った――
悲鳴を上げる大滝。だが、ペドロの表情は変わらない。
「とりあえず、肋骨が折れましたね。だが、まだ終わりではありませんよ。殺す方が、よっぽど簡単なんですがねえ」
そう言うと、ペドロは左のローキックを放つ。その蹴りは、逆さ吊りにされている大滝の左腕に炸裂した――
骨の砕けるような音、そして大滝のうめき声が響く。もっとも、大滝には自身の声は聞こえていないのだが。
一方、ペドロは間を置いた。その顔には、感情らしきものは浮かんでいない。実験の経過を見守る学者のような表情で、大滝の様子を見ている。
少しの間を置いた後、ペドロは素手による攻撃を再開した。拳や足による打撃を、タイミングをずらしながら加え続ける。その威力は完璧なまでに加減されていた。大滝の意識を飛ばすことなく、肉体をきっちり痛めつける……大滝にとって地獄のような苦しみだ。
大滝は呻き続けた。時には助けを求めて大声で叫ぶ。ペドロの執拗な暴力から逃れようと、逆さ吊りの状態から必死で体を動かす。
だが、大滝が何をしようと何の意味もなかった。ペドロの執拗な暴力は、止まる気配がない。
しかも、そのタイミングは一定ではない。いきなり止まったかと思うと、数秒後ないしは数十秒後にまた再開される。その上、大滝は視覚と聴覚とが塞がれているのだ。いつ来るか予測できない暴力が、延々と繰り返される……その恐怖は、筆舌に尽くしがたい。
訓練を受けたプロの兵士ですら音を上げる拷問に、普通の高校生である大滝が耐えられるはずが無かった。彼の体と心は、徐々に破壊されていく――
ようやく、ペドロの暴力は終わった。彼は大滝の縄を解き、床に下ろす。もっとも、目隠しは付けたままである。
大滝は酷い有り様であった。両腕と両足は、折られているのが服の上からでも分かる。しかも、暴行の途中で失禁してしまったらしく、糞尿の嫌な匂いがたちこめていた。
だが、ペドロは眉ひとつ動かさない。大滝の首根っこを掴み、片手で引きずっていく。
大滝の体をボロ布でくるみ、いとも簡単に担ぎ上げる。
そのまま、外に出て行った。