出会いの日
浦田智也は、キョロキョロしながら校舎を歩いていた。あちこちから、下品な笑い声や喚き声が聞こえてくる。
智也は顔をしかめながら、慎重に校舎を進んで行った。四月から二年生になったとはいえ、居心地の悪さは一向に変わってない。浜川高校において、智也は最下層に属しているからだ。
この浜川高校では極悪な不良が一番偉く、次に偉いのが悪い不良、さらに雑魚キャラの不良と続く。智也のような一般の生徒は、必然的に最下層となるのだ。ゴミ溜めと名高い浜川高校に、一般生徒でありながら入学してしまう……それは、まさに地獄である。
ようやく智也は、目指している部屋に辿り着いた。「オカルト研究会」と手書きで書かれた紙が、扉に貼られている。智也は、その扉をトントンと叩いた。
「もしもし、智也だよ。入るからね」
そう言った後、彼は扉を開けた。
部屋の中には、机と数個のパイプ椅子が並べられている。照明は暗い。机を囲むように並べられたパイプ椅子には、四人の生徒が座っていた。
「智也、遅いよ」
声を発したのは、体が大きくメガネをかけた少年だ。いかにも不満そうな表情を浮かべている。
この少年は宮崎茂人だ。体格は良く威勢もいいが、実は小心者であることを智也は知っている。
「いや、ごめんごめん。教室の掃除当番を押し付けられてさ」
頭を掻きながら、智也はパイプ椅子に座った。
ここにいるのは、五人とも一般の生徒である。オカルト研究会などという名前が付いてはいるが、誰もオカルトの研究などしてはいない。ただ単純に、皆で集まり不良たちに対する愚痴を言い合うだけの場なのだ。もっとも、他の大事な仕事もあるのだが。
普通の生徒である彼らにとって、このオカルト研究会は安全地帯のような役割を果たしている。顧問の教師である滝沢も、その点は理解していた。滝沢はほとんど顔を出さず、生徒たちに任せているのだ。
「大変だよね……我々のような一般人は、いかにして不良たちを躱していくかが、この学校で生き抜くためのコツだよ」
そう言って笑ったのは、唯一の三年生である大滝賢也だ。このオカルト研究会の会長でもある。背は高いが痩せており、気の弱そうな顔立ちをしている。
「そうですね。本当に躱し方を身に付けられるかどうか、これが差を分けますよね」
言いながら、ウンウンと頷くのは安原紀之だ。小柄で童顔であり、高校二年生には見えない。ヤッちゃんのアダ名で、皆から親しまれている。
「ヤッちゃんはいいよな……嫌われないし。俺なんか、不良たちから目を付けられて大変だよ」
そう言って、智也は苦笑する。目を付けられていると言っても、いじめを受けている訳ではない。使い走りとしてコキ使われているだけなのだが。
不意に、扉をノックする音が聞こえてきた。すると、談笑していた皆の表情が変わる。
「だ、誰だよ?」
宮崎が不安そうな声を出した。この部屋に、不良は来ないはずなのだが……シンナーか何かでおかしくなった奴が、乱入してくることは考えられる。
しかし、扉の向こうにいるのは不良ではなかった。
「すみません、オカルト研究会はここですよね? 僕は、オカルト研究会に入りたいのですが?」
聞こえてきたのは、落ち着いた声だ。こちらを威嚇するような雰囲気は、微塵も感じられない。
「ど、どうする?」
小声で囁く智也。すると、大滝が扉へと近づいて行く。
「ええと、君は?」
「はい。僕は一年生の工藤という者です。オカルト研究会の存在を知りまして、ぜひ入れていただきたいな、と……」
その言葉を聞き、大滝はほっとした表情を浮かべた。このオカルト研究会には、実のところ秘密がある。他の不良たちが、手出しを出来ない秘密が。
ところが、そのあたりの事情を知らない不良が、稀に乱入して来ることもあるのだ。だからこそ、皆で細心の注意を払っている。
もっとも、今扉の向こうにいるのは、明らかに違う人種に思えるのだが。
「うーん……すまないけと、うちはオカルト研究会ってのは名ばかりなんだ。オカルトの研究なんか、全然やってない。ただ皆で喋ってるだけなんだよ。だから――」
「分かってます。だから来たんですよ。僕のような一般人には、この学校では肩身が狭いですからね」
その言葉に、皆は顔を見合わせた。一体どういうことなのだろう。誰から、この会について聞いたのだろうか。
しかし、智也が口を開いた。
「いいんじゃないですか? このオカルト研究会も、あと二年で無くなる訳ですし」
「でもさ、変な奴だったらどうするんだよ?」
言ったのは宮崎だ。この男、体格はがっちりしている。常日頃から大きいことを言ってもいるが、メンバーの中で一番の小心者であり心配性でもある。
「お、俺はどっちでもいいよ。会長に任せます」
安原はそう言って、会長である大滝の方を見る。すると大滝は、一瞬ではあるが迷うような素振りを見せた。
だが次の瞬間、扉を開ける。
扉の向こうに立っていたのは、奇妙な少年だった。身長は百六十センチ強、日本人離れした掘りの深い顔をしている。肩幅は広くがっちりしているが、顔にはにこやかな表情を浮かべていた。
「えっと……君はオカルト研究会に入りたいの?」
うろたえながら、大滝が尋ねる。
「はい。是非とも入れていだきたいですね」
少年は落ち着き払っていた。一年生とは思えない態度だ。間近で向き合っている三年生の大滝。だが彼の方が、むしろ幼く見えるくらあだ。
「あ、あのさ……ど、どうしようか、みんな?」
目の前の少年に圧倒されたのか、大滝は口ごもりながら皆の方を向く。
「お、俺はいいと思いますよ」
智也は、思わず声を出していた。すると、他の者たちも慌てて頷く。
「い、いいと思うよ」
「そうだね」
「べ、別にいいんじゃないかな」
反対する者はいなかった。ただし、一人だけ無言を貫く者がいたのだが、誰も彼の意見を聞こうとはしていなかった。
「じゃ、じゃあ決まりでいいかな。ところで君は、工藤くんだよね?」
大滝の問いに、少年はニッコリ微笑んだ。
「はい、ペドロ工藤です」
そう言って、ペドロは頭を下げる。
不思議な空気が漂っていた。その場にいた五人の生徒は、そのペドロという名の少年に何も言えなかったのだ。じっと黙ったまま、ペドロを見つめている。ペドロの発している空気は、明らかに異質なものだ。具体的には説明できない。だが、確実に普通ではない何か。ある人は、それをオーラと呼ぶかもしれない。またある者は、それを妖気と呼ぶのかもしれなかった。
そんな中、ペドロは室内に入り扉を閉める。あまりにも自然な態度であった。まるで、以前からそうしていたかのように。
「では皆さん、よろしくお願いします」
再度、頭を下げるペドロ。その時、ようやく智也が口を開いた。
「き、君はハーフなの?」
「ええ。日本人の父とメキシコ人の母がいます。中学二年までは、メキシコに住んでいました」
「ああ、そうなんだ」
そう言って、智也は笑った……だが、左右非対称のひきつった笑顔になっている。つられて他の者たちも笑ったが、智也と同じく、ひきつった笑顔になっていた。
だが、ペドロは平然としている。彼らの作り笑顔を気にしている様子はない。ニコニコしながら、パイプ椅子に腰かける。
「さて、皆さん。若輩者である僕に、色々と教えていただけませんか?」
そう言って、皆の顔を見回す。その時、それまで声を発しなかった仁平進一が、いきなり喋り出したのだ。
「ヒッ、教えて! ヒッ、教えて!」
仁平は、堰を切ったかのようにペドロに話しかけていく。その場の空気は凍りついた。仁平は特殊な生徒なのだ。ペドロに、それを説明しなくてはならない――
だが、ペドロは笑みを浮かべている。そして手を伸ばし、仁平に触れたのだ。優しく、額を撫でる……すると、仁平は口を閉じた。ニコニコしながら、ペドロをじっと見つめている。
唖然として、二人を眺める他のメンバーたち。この仁平が、初対面の人間に気の許すなど、有り得ない話なのだが……。
・・・
その男は、黒いパーカーを着ていた。フードを目深に被り、駅前の繁華街を歩いている。
時刻は、既に午後十時を過ぎている。にもかかわらず、町には様々な人種が蠢いていた。そんな中、パーカーの男は脇目も振らず歩いていく。
やがて、パーカーの男は立ち止まった。
陸橋の下の空き地に、数人の少年たちが集まっている。タバコを吸いながら大声で喋り、ゲラゲラ笑い……中には、空き缶を咥えている者もいる。シンナーを吸っているようだ。
パーカーの男は、周囲を見回した。通行人はいない。事前の調査によれば、ここは東邦工業高校……通称・トウコウの不良たちの溜まり場だという。下手にうろうろしていると、不良たちにどんな目に遭わされるか分からないのだ。したがって、この周辺を通る物好きはいない。
だが、パーカーの男は違っていた。彼は他に人がいないことを確認すると、すたすたと歩いていく。
不良たちは、近づいて来るパーカーの男にすぐに気づいた。自分たちの仲間でないのは、一目瞭然である。見たところ、体格はさほど大きくない。しかも一人だ。いったい何者なのだろうか。
「お前、誰だよ?」
一人の少年が、鋭い声を発した。だが、パーカーの男は無言のまま、どんどん近づいて来る。
少年たちは、タバコを投げ捨てて立ち上がった。その目には、残忍な光が宿っている。今夜は全員、退屈しきっていた。そんな時、こちらに歩いて来る一人の男がいる。バカなのか、よほどのお人好しなのかは不明だが、いずれにしても遊び道具にはなりそうだ。暇潰しに、狼の群れに迷い込んで来た羊をいたぶる……そんな気分になっていたのだ。
彼らは気づいていなかった。目の前にいるのは、羊の皮を被った悪魔であることに。
「おい、おめえ何なんだよ? 俺たちに何か用か?」
一人の少年が、ニヤニヤ笑いながら顔を近づけていく。体格では、パーカーの男を遥かに上回っている。喧嘩においても、絶大の自信を持っているのだろう。
だが、その自信は一瞬で崩れ去った――
「トウコウは潰す」
パーカーの男が口にしたのは、その言葉だけだった。次の瞬間、男は動く。目の前にいる少年の顔面に、稲妻のような速さの掌底打ちを見舞った――
少年は、その一撃で崩れ落ちた。まるでピストルで撃ち殺されたかのように、バタリと倒れたのだ。
場の空気は、一瞬にして凍りついた。他の少年たちは、完全に硬直している。何が起きたのか、まだ把握しきれていないのだ。
しかし、パーカーの男はお構い無しに動く。獲物に食らいつく肉食獣のように、男は襲いかかる。素早い動きと強力な技で、他の者たちを次々と倒していった――
そして数分後。
顎を砕かれ、脳震盪を起こさせられ、内臓を破裂され……十人近い少年たちは皆、空き地に倒れていた。彼らは倒された今も、何が起きたのか完全には分かっていないのだろう。
一方、パーカーの男は立ったまま、周囲をゆっくりと見回す。これだけのことをやってのけたにもかかわらず、呼吸は乱れていなかった。
やがてパーカーの男は、ポケットから何かを取り出した。
小銭くらいの大きさの何かを、地面に置く。
そして、何事も無かったかのように去って行った。