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悪魔が憐れんだ男  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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22/22

エピローグ

 私は拘置所の職員に連れられ、ゆっくりと歩いて行く。これから、日本の切り裂き魔と呼ばれた男との面会が待っているのだ。

 ガラス越しとはいえ、直に会うのはこれが二度目である。

 しかし、その前に……私たちは、弁護士を介した手紙のやり取りをしている。この特殊な文通を始めてから、もう何年になるだろうか。


 日本の切り裂き魔……彼は、マスコミからそう呼ばれていた。様々なメディアは、彼をまるで怪物であるかのように報道したのだ。

 もっとも、彼のやったことが普通ではないのは間違いない。これまでに、十人以上の人間を殺している。しかも、その死体を丹念に切り刻んだ。体をバラバラにした挙げ句、四十七都道府県にばら蒔いたりもしている。まるでジグソーパズルのように。

 そんな猟奇的な事件を起こした彼であるが、その手紙の文面から得た印象は、完全に真逆である。ぎこちなさ漂う文章ではあったが、それでも自分の考えを真面目にきちんと伝えよう……手紙からは、そんな真摯な気持ちが伝わってきていた。

 私は、そんな彼に強い興味を抱いた。あらゆる手段を使い、彼のことを徹底的に調べてみたのだ。

 その結果、一つのことが判明する。




「どうも、お久し振りですね」

 そう言って、浦田智也は頭を下げる。安物のスウェットに身を包み、いかにも温厚そうな顔立ちに優しそうな眼差しだ。前に会った時よりも、少しふっくらしている。

 これが、じきに死刑になるであろう人間の姿なのだろうか。


 だが、そんなことを考えている暇はない。拘置所の面会時間は限られている。

 そのため、出来ることは一つしかない。要点のみを話し、相手の反応を見る……嘘を吐いているかどうか、判断するにはそれしかない。


「浦田さん、単刀直入に言いましょう。私はこの一ヶ月間、あなたからの手紙に書かれていたペドロという人物について、徹底的に調べてみました」

「そうですか……ありがとうございます」

 浦田はガラス板の向こう側で、深々と頭を下げる。本当に不思議な男だった。しかし浦田の正体は、日本の切り裂きジャックと呼ばれた死刑囚なのだ。

 はっきりしているだけでも、浦田は十人以上の人間を殺している。さらに、死体を切り刻んであちこちにばら蒔いたりもしたのである。人は見かけによらない、という言葉があるが、まさにこの男のためにあるような言葉だ。

 浦田のそんな姿を見た私は、自分の推理が正しいことを確信した。


「浦田さん……ペドロという人物について覚えている人間は、ほとんど居ませんでしたよ。当時、彼と同じクラスだった人たちにも聞いてみましたが、ペドロという少年に対する印象は、とても薄いんです。そういえば、そんな奴いたなあ……という程度の記憶しかないんですよ」

 私は言葉を止め、浦田の反応を見る。だが、彼は平然としていた。私の言葉に動揺している様子は無い。

 普段なら、もう少し時間をかけ丁寧に聞いていただろう。だが、今の私には時間がなかった。

「私の思っていることを言いましょう。あなたが手紙に書いていたペドロという男……それは、あなたの妄想が造り出した者です。現実のペドロとは違うんですよ」

 私の言葉を聞き、浦田の表情にかすかな変化が生じる。だが、私はそんなことに構っていられなかった。この男は、もうじき死刑を宣告されるだろう。その前に、是非とも真実を聞かねばならない。

「いいですか、あなたからの手紙によれば、ペドロという人物は強靭な肉体と高い知性とを兼ね備えた、不思議な魅力を持った怪物のごとき少年……とのことでした。しかし、そんな人物であるにもかかわらず、誰一人としてペドロのことを覚えていない。こんなことは、あり得ないんですよ」

 言いながら、私は浦田の顔をじっと見ていた。何らかの変化が表れるのではないか、と思いながら。

 ところが、浦田は表情一つ変えない。黙ったまま、私をじっと見つめている。

 その瞳には、私に対する哀れみのようなものすら浮かんでいた。


「浦田さん、お願いですから精神鑑定を受けてください。あなたは病気なんです。解離性同一性障害、いわゆる多重人格なんですよ……あなたの中には、ペドロという名のもう一つの人格があるんです。そのペドロが、全ての事件を引き起こしたんです」

 そう、ペドロなどという男は存在しないのだ。いや正確にいうなら、浦田の頭の中に存在しているペドロと、実在のペドロとは全く別である。

 私の調査によれば、浦田は幼い頃から「誰かに見られている気がする」などと、友人たちに言っていたらしい。これもまた、解離性同一性障害を病んだ者に有りがちな症状である。

 つまり、私の辿り着いた結論はこうだ。

 浦田は幼い頃から、解離性同一性障害を病んでいた。もう一つの人格であるペドロは悪魔的な魅力を持っており、その力を本格的に振るったのが高校生の時である。

 浜川高校・校舎立てこもり事件……その犯人である少年Aこと宮崎茂人。共犯である少年Bこと安原則之。その二人を操っていた者こそ、ペドロこと浦田智也なのだ。


 私の話を聞いた浦田は、力ない笑みを浮かべ、不意に語り始めた。

「私がなぜ、罪を犯したか……あなたに教えてあげましょう。私はね、彼を理解したかったんですよ」

「彼?」

「そうです。私はね、ペドロを理解したかった。彼は、私とはまるで違う人間だったんです……ペドロが何故あんなことをしたのか、当時の私は全く分からなかった」

 そう言うと、浦田は口元に笑みを浮かべる。

 不思議な表情だった。浦田は、私に何かを伝えようとしている。だが同時に、どこか諦めきっているような思いも感じるのだ。


「私はね、ペドロという人間を理解しようと試みてきました。様々な本を読み、ネットを用い、時には拘置所に収監されている凶悪な犯罪者と文通もしましたよ……だが、何一つ彼を理解する手助けには、なってくれませんでした」

 浦田は、淡々とした口調で語る。私の言ったことなど、まるで意に介していない。

「最終的に、私は人を殺しました。それも、何人も……人を切って切って切りまくりましたよ」

 そう言うと、浦田は悲しげな表情で首を振った。

「しかし、結局のところ僕は彼を理解できなかった。何をやっても、僕はペドロに近づくことが出来ない……僕は、いったい何なんでしょうね」

「あなたは、病気なんですよ。ペドロなんて人間は、この世に存在しないんです。少なくとも、あなたの言っているペドロは……妄想の産物なんです」

 そう言うと、私は浦田の目を見つめる。想いが届いて欲しい、と念じながら。

 だが、浦田は私など相手にしていない様子であった。下を向き、じっと座り込んでいる。その目には、感情らしきものが一切浮かんでいない。

 私は、なおも語りかけようとした。だが、拘置所の職員が立ち上がる。

「すみませんが、そろそろ時間ですので……」




 拘置所からの帰り道、私はとぼとぼと歩いていた。無駄なことに労力を費やしてしまった、という徒労感が強い。

 浦田は、紛れもなく病気なのだ。自身の頭の中で作り上げた天才的な犯罪者……そこに、彼はペドロという名前を付けた。

 そもそも、ペドロがいつから存在していたのか……恐らくは、浦田が中学生の時ではないかと思う。中学生の時、いじめられっ子であった浦田。虐待が病のきっかけになるのは珍しいことではない。

 しかも浦田の場合、それからしばらくの間、不登校になっていたらしい。自分の部屋に閉じ籠り、一歩も外に出ていなかったとのことだ。

 となると……ペドロは多重人格というよりは、イマジナリーフレンド(架空の友だち)に近いのかもしれない。自身とはまるで違う、超人的な友だち。思春期の少年には、有りがちな妄想である、

 いつの間にか浦田の中で、ペドロという人間の具体像までもが出来上がってしまったのだろう。背はさほど高くないが、頭がキレる上に高い身体能力を持ち、人心を操る術にも長けている魅力的な男。

 身体能力の方はともかく、浦田が宮崎と安原を操ることに成功したのは……彼が自室に引きこもっている間に、読み漁った様々な書物から得た知識を用いたのではないだろうか?

 そもそもペドロが、初めて外に出現したのは……浜川高校・校舎立てこもり事件ではなかったのかもしれない。

 全ての発端は、浜川高校の近くの川原にて、金子博と伊藤信雄が殺された事件から始まっていたのではないか。

 二人を殺害した犯人は、未だに見つかっていない。だがペドロ……いや、浦田智也の仕業だと考えれば、納得のいく話だ。


 私は思う……病気であろうとなかろうと、浦田は死刑になるのが当然である。彼は罪なき者を十人以上殺し、その死体を切り裂いたのだ。あるいは、切り裂いてから殺した。その罪を、病気を理由に免れていいはずはない。

 ただ、それでも……真実だけは、はっきりさせないといけないのだ。




 そんなことを考えながら、私は駅までの道を歩いていた。

 その時、私は奴を見たのだ――


 今でも不思議に思う。私はなぜ、奴に気づいたのか。いや、気づくだけでなく奴の後を付いて行った。不可解、としか言いようがない話である。


 私の目の前を、一人の男が通り過ぎて行った。

 身長はさほど大きくなく、肌の色は浅黒い。顔の造りや肌の色から判断するに、明らかに日本人ではないだろう。かといって、欧米人とも違う。見た目からは年齢を推し量れないが、若くないのは確かだ。

 だが、何より異様なのは……その全身から、野獣のような雰囲気を漂わせていた点である。


 あの男のことを言葉で説明しようとする時……私は、己がいかに無能であるかを思い知らされるのだ。私が扱い得る言葉では、あの男から受ける印象を語ることなど出来ない。

 こんな言葉を使うのは、ライターとしては恥なのだろうが……それでも、私は言わざるを得ない。

 怪物、と。


 男は、ゆっくりと歩いていく。一方、その時の私がどんな表情をしていたのかは分からない。

 確かなのは、私が男の後を付いて行ったことだけだった。


 男は、駅前の商店街を歩いていく。周りは古びた雰囲気を醸し出しており、まだ夕方だというのにシャッターが閉まったままの店も少なくない。

 さらに、通りからは奇妙な匂いがしていた。恐らく、死に逝く町に共通の匂いであろう。道行く人たちの顔にも活気がない。

 全体的に、淀んだ空気が漂っている。この町にいると、こちらの気分も沈んでしまいそうだ。


 そんな商店街を、男は歩いていく……早からず遅からず、といった速さで。私は、その男の後を付いていく。

 だが、不意に男は立ち止まった。

 こちらを向き、ニヤリと笑う。


「やあ、はじめまして。浦田智也さんは、元気でしたか?」


 その言葉を聞いた瞬間、私の体は硬直していた。この男は、私が浦田と面会していたことを知っているのか?

 どうやって知った?


「今度、浦田さんと会った時には、こう伝えてください。俺は今も、あなたのことを友だちだと思っている……とね」

 男は、確かにそう言った。見た目は外国人ではあるが、その口から出る言葉は流暢な日本語である。しかも落ち着いた、深みのある声だ。プロの声優の朗読を聞いているかのような安心感さえ受ける……。

 男は軽く会釈し、向きを変え歩き出した。その時、私はようやく我に返る。

「ま、待ってください!」

 言いながら、私は男の後を追った。そして、男の腕を掴む。

「あなたは、いったい誰なんですか?」

 私は、そう尋ねた。だが次の瞬間、私の手は不思議な感覚に襲われる。静電気のような何かを感じたのだ……彼の体に触れただけで恐怖を覚え、私は慌てて腕を引っ込めた。

 一方、男はニヤリと笑った。

「俺が誰だか、あなたはもう分かっているはずですよ……浦田さんに、よろしくとお伝えください」

 そう言うと、男は去って行った。




 それから一週間後、私は再び拘置所へと向かった。浦田智也と、再び面会するためである。


「また来たんですか?」

 浦田智也は、露骨に面倒くさそうな表情を浮かべていた。前回とは、完全に真逆の態度である。私の来訪を歓迎していないのは明らかだった。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。


「浦田さん、私は先日、奇妙な外国人に会いました」

 私がそう切り出したとたん、浦田の表情が一変した。先ほどまでは、死んだ魚のような目をしていたのに……今では、その瞳孔が開いているのが分かる。

 そんな浦田に、私は語った。

「その男は私に向かい、あなたに伝言を……と言っていました。実に流暢な日本語でしたよ――」

「伝言? どんな……どんな内容ですか!?」

 私の言葉を遮り、焦った様子で聞いてくる浦田。こんな状況にもかかわらず、私は苦笑せざるを得なかった。私の発した僅かな言葉だけで、浦田は男が誰であるか察したのだ。

 そんな彼の目には、喜びと不安、期待や緊張……様々なものが入り混じっていた、複雑な感情が浮かんでいた。

 そんな浦田に、私はいわれた言葉を伝えた。


「彼はこう言いました。今も、あなたを友だちだと思っている……と」


 その時、信じられないことが起きた。

 浦田の顔から、一切の感情が消え去ったのだ。しかし、それはほんの一瞬であった。

 直後、浦田の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。彼は嗚咽を洩らしながら、両手で顔を覆ってしまったのだ……。


「良かった……本当に良かった」


 浦田の口から、かろうじて聞き取ることが出来たのは、その言葉だけだった。彼はずっと、私の目の前で泣き続けていた……。




 その日は、時間が無くなり面会は終了となる。

 だが翌日、私はとんでもないニュースを聞くこととなる。

 浦田智也が、拘置所で自殺したのだ……。


 浦田は服を紐代わりにし、窓に結びつけ自ら首を吊ったのだという。部屋のノートには「私は今も、彼の友人だ」とだけ書かれていたという。




 私は思うのだ……もし、この世に悪魔というものが実在するなら、それはペドロではないのか。

 蛾が飛ぶ時に燐粉を撒き散らすが如く、彼は出現した場所に災いをもたらす。そう、ペドロこそが本物の悪魔なのだ。悪魔には理由など必要ない。我々が食事をするのと同じ感覚で、人間を次々と破滅させていく……。


 しかし、悪魔であるはずのペドロが唯一見せた憐れみの感情……それこそが、浦田への伝言だったのかもしれない。


(今も、あなたを友だちだと思っている)


 心を闇に支配されていた浦田にとって、この言葉だけが唯一の救いとなったのではないか……。







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