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入試の日

「君は、本当にうちの高校に来るつもりかい?」


 浜川高校の国語教師である滝沢栄吉タキザワ エイキチは、目の前の生徒に尋ねる。

「ええ。いけませんか?」

 生徒は、平静な表情で聞き返してきた。周りの酷い風景にも、動じているような素振りはない。

 滝沢は首を傾げた。目の前にいるのは、掘りは深く日本人離れした顔つきではあるが……極めて真面目な態度で椅子に腰掛けている生徒だ。一見すると、この浜川高校に入学するようなタイプには見えない。

 だが目の前の生徒は、間違いなく入学したいという気持ちがあるらしい。試験を終えた後に、こうして面接を受けに来ているのだから。


 滝沢は、なおも質問を続けようとする。だが、それは突然の罵声により中断させられた。


「んだとコラァ!」

「やんのかてめえ!」


 喚きながら、お互いに襟首を掴みあっている二人の少年。どちらも、明らかに標準とは違う学生服を着ている。

 滝沢は思わず頭を抱えた。二人とも、この浜川高校に受験しにきたはずなのだ。なのに、この面接会場で喧嘩を始めるとは……もはや、猿以下の自制心しか持ち合わせていないのであろう。

 もっとも、それも仕方ないのだが。この浜川高校は、「ゴミ溜め」と揶揄されることもある最低辺の高校なのだ。偏差値は都内でも最低ランクであり、自分の名前を日本語で書ければ合格、という噂すら流れている。暴力沙汰は日常茶飯事、人殺しや薬物のような刑事事件さえ起こさなければ退学されない、とすら言われているのだ。

 高校というより、動物園といった方がふさわしい。


 喧嘩を始めた二人は、屈強な体格の教師たちにより追い出されて行った。しかし、未だに不穏な空気はあちこちに漂っている。滝沢は、ため息を吐いた。

「早く辞めてえな、こんなとこ」

 呟きながら、滝沢は面接を再開する。生徒は先ほどと同じく、にこやかな表情を保ったままだ。背筋を伸ばしたまま、パイプ椅子に座っている。周囲にいる他の生徒たちとは、まるで違う態度だ。

 滝沢は、またしても首を傾げた。資料によれば、目の前にいる生徒はメキシコと日本のハーフであるらしい。掘りの深い顔立ちも、それゆえであろう。だが、メキシコ暮らしが長かったがゆえに、日本の事情には疎いのかもしれない。ひょっとしたら、この学校の評判について何も聞かされていないまま、入学願書を出してしまったのではないだろうか?

「あのね君、分かってるのかい? 教師の立場で、こんなことを言うのもなんだが……この浜川高校は、都内でも最低辺の学校だよ。名前さえ書ければ、猿でも入学させる学校とまで言われている。ところが、君の成績は悪くない。本当に、うちに来る気かい? まあ、滑り止めのつもりなら構わないんだが」

 言いながら、改めて書類に目を通す滝沢。この生徒の名前は、ペドロ・工藤クドウ。日本人の父とメキシコ人の母との間に生まれ、中学二年までメキシコにて暮らしていたらしい。その後、両親と共に日本に移住し……梅田中学校に転入したとのことである。

 梅田中学では特に問題を起こした形跡もなく、成績も悪くなかったようだ。少なくとも、もっと上のレベルの学校も狙えたはずなのに。

 なぜ、この浜川学校を志望したのだろうか?


「滑り止めではありません。自分の能力を、この学校で試してみたいんですよ」


 ペドロは、はっきりとした口調でそう言った。中学二年までメキシコにいたとは思えない、綺麗な発音の日本語である。それに目付きや仕草などを見ると、非常に落ち着いているのだ。知的な雰囲気さえ漂わせている。

 しかし、こんな学校で何を試そうというのか。


「自分を試したい、と言ったね。うちの学校で、いったい何を試そうというんだい?」

 気がつくと、滝沢はそんな質問をしていた。目の前にいる生徒には、不思議なものを感じるのだ。身長は百六十センチ台とさほど大きくはない。しかし、内に途方もなく巨大な何かを秘めている……そんな気がするのだ。今まで、なぜ気づかなかったのだろう。

 この少年は、確実に大物になるだろう……滝沢は今、漠然とであるが感じていた。理屈ではなく、生き物としての本能で。


「この浜川高校で、自分という人間に果たして何が出来るだろうか、ということですね」

 迷うことなく、即答するペドロ。しかし、何とも掴みどころの無い答えだ。具体的に何をするつもりなのだろうか……滝沢は、さらに質問をしようとした。だが、そこで時間が無いことに気づく。先ほどの乱闘騒ぎのせいで、ペドロとの面接時間は大幅に減ってしまったのだ。

「あ、ごめん。次の生徒の時間なんだよ。もう、いいから」

 滝沢の言葉に、ペドロは笑みを浮かべた。

「では、失礼します」

 恭しい態度で席を立ち、ペドロは面接会場である体育館を出ていく。

 直後、滝沢は思わずため息をついた。彼の目の前に座っていたのは、パンチパーマの少年だったからだ。俗に短ランと呼ばれている短い学生服に身を包み、両足を思い切り広げた姿勢で椅子に座っている。

「うちの学校を志望した理由は?」

 滝沢が質問すると、少年は威嚇するような目で睨みつけてきた。

「ああン? シボウ?」

 志望はしなくていいから死亡してくれ、と内心で呟きながら、滝沢は面接を続けた。




 面接会場である体育館を出たペドロは、周囲を見回してみる。校舎は異様に汚く、壁には得体の知れない染みが付着している。さらに地面には、タバコの吸殻がポロポロ落ちていた。行き交う生徒たちは皆、恐ろしく薄いカバンを持ち標準とは違う学生服を着て、やたらと太いズボンを履いているのだ。むしろ、それこそが浜川高校における標準なのかもしれない。

 そんな生徒たちの中を、ペドロは何事も無かったかのように静かに歩いていく。気配を完璧に消し去り、目立たぬように学校を出ていった。


 浜川高校の敷地を出た後、ペドロはゆっくりと周りを見渡した。ここは都内ではあるが、周囲には緑が多い。さらに百メートルほど先には、大きな川が流れている。ペドロは、その川に向かい歩いていった。


 川のほとりに立ち、水面を眺めるペドロ。川岸には、大量の草が生えている。ペドロの胸の高さくらいまである草が大量に生えているのだ。もっとも川のほとりは、コンクリートで固められている部分もあるが。

 ペドロは、川に沿ってのんびりと歩いた。先ほどまでの学校の騒がしさが、嘘のように静かだ。時おり、川沿いの道路を車が通って行くのが見える。

 実にのどかな風景であった。


 ペドロは、さらに川沿いを進んでいく。すると、前方の草むらが揺れているのを見つけた。動物の仕業か、あるいは人間が草むらに潜み何かしているのだろうか。ペドロはそっと近づいて行った。


「おいおい、こいつは女子高生じゃねえぜ。確実に二十歳過ぎてるよ」

「いや、二十歳どころじゃねえぜ。下手すりゃ三十過ぎてんじゃねえのか」


 勝手なことを言いながら、草むらにしゃがみこんでエロ本を見ている二人組がいる。どちらも標準タイプではない学生服に身を包んでおり、潰れたカバンを無造作に放り出している。顔つきも似たり寄ったりだが、両者には明らかな違いがある。それは髪型だ。片方はリーゼント、もう片方は角刈りである。

 そんな二人に、ペドロは音も立てずに近づいて行った。二人のすぐ後ろに立つと、不意に声をかける。


「どうも、はじめまして。お二人は、浜川高校の方ですか?」


 その途端、二人は慌てて振り向いた。だが、目の前にいるのがたった一人であることを確認すると、二人の表情は変わる。

「ああ、そうだよ。お前、俺たちに何か用か?」

 言いながら、リーゼントの男が顔を近づけていく。鼻と鼻が触れあわんばかりの位置で、ペドロを睨み付ける。彼らのような不良生徒が、一般生徒を威嚇する時に用いる動きだ。

 だが、ペドロには怯んでいるような素振りがない。

「それは良かった。是非とも教えていただきたいことがあるんですよ。すみませんが、僕の質問に答えて下さい」

「はあ? 何言ってんの? おいノブオ、こいつ笑えるぞ」

 リーゼントの男は残忍な笑みを浮かべながら、仲間の方を向いた。するとノブオと呼ばれた角刈りの男も、好奇心を露にペドロに近づいて行く。

「ヒロシ、こいつ外人みたいな顔してるな。でも、日本語うまいぜ」

「そうだな。お前、ハーフなのか?」

 ヒロシとノブオは、ニヤニヤしながらペドロに尋ねる。

 だがペドロから返ってきた答えは、彼らの予想外のものだった。

「申し訳ないんですが、下らない質問はやめてください。僕の質問にだけ答えて下さい。時間がもったいないですから。まずは浜川高校について、知っていることを出来るだけ詳しく教えて下さい」

 その言葉を聞いた途端、二人の顔つきが変わった。

「んだと? てめえ、誰に向かってンな口利いてんだよ!」

 喚きながら、ペドロの襟首を掴むヒロシ。だが、その瞬間にヒロシの表情が変わった。

「な、何だこいつ……」

 襟首を掴んだままの姿勢で、呆然とした表情になるヒロシ。

 ペドロの襟首を掴んだ瞬間、ヒロシの手に伝わってきたのだ……目の前にいるのは普通の人間ではない、という情報が。


 次の瞬間、ヒロシは悲鳴を上げ、その場で前のめりに倒れる。ペドロは彼の腕を掴んだのだ。そして、何かをした……ように見えた。何をしたのかは、全く分からなかったが。

 一つはっきりしているのは、ペドロが何かをした直後、ヒロシの右腕があり得ない方向に曲がっていたことだ――


「時間には限りがあります。さっさと教えてくれませんか。浜川高校の現在のリーダー格は誰です?」

 あまりにも無機質な、ペドロの声が聞こえた。だが、ヒロシは腕を押さえて倒れている。その口からは、呻き声しか聞こえない。

 すると、ペドロは足を上げた。

 呻いているヒロシの首めがけ、自身の足裏を降り下ろす――

 何かが砕けるような音が響き、ヒロシの呻き声が止まった。その首は、不自然な形で曲がっている。生きている人間には、あり得ない状態だ。

 一方、その横で立っているノブオには、何が起きたのか理解できていなかった。彼にはペドロを止めることも、その場から逃げることも出来なかった。ノブオの目の前で起きた出来事は、彼の理解できる範疇を遥かに超えていたのだ。

 ノブオは呆けたような表情で、その場に立ち尽くしている。今の彼には、目の前にいる者から恐怖を感じ取ることすら出来なかったのだ。ヘビに睨まれたカエルのように、思考能力を失い木偶人形と化している。

 そんなノブオに向かい、ペドロは穏やかな表情で口を開いた。

「申し訳ないですが、僕はそろそろ帰りたいんです。早く質問に答えて下さい。あなたの知っていることを全て」


 ・・・


「おいおい、何なんだよこりゃあ……とんでもねえなあ」

 刑事の大下俊樹オオシタ トシキは、思わず顔をしかめていた。

 浜川高校から一キロほど離れた川原に、二人の少年の死体が横たわっていた。発見したのは、散歩をしていた近所の老人だ。朝の六時に、川原にて犬の散歩していたら死体を発見し、慌てて通報したとのことである。

 被害者の二人は、金子博カネコ ヒロシ伊藤信雄イトウ ノブオ。浜川高校の生徒であり、喧嘩やタバコや恐喝などで何度か補導歴があった。そんな二人の遺体は全裸で、胸のところには「浜川高校潰す」と下手くそな字で書かれている。ご丁寧にも、油性のマジックによるものだった。


「こりゃあ、不良同士の揉め事でしょうかね?」

 若い刑事が、大下に尋ねた。だが、大下はかぶりを振る。

「そんな訳ねえだろ。見ろよ、この首の折れ方。こんな真似が出来るのは、プロレスラーくらいだろう。たかが不良高校生が、こんな真似は出来やしないぜ。しかも妙なことに……こいつら、ほとんど抵抗してないんだよな」

 言いながら、大下は死体指差す。

「こいつらには、防御創らしきものが無い。つまり、両方ともに抵抗すら出来ないうちに、一発でやられたんだよ。まあ、こっちは別のようだがな」

 そう言って、大下は金子を顎でしゃくる。

「この金子博は、ご丁寧にも腕をへし折られた挙げ句に首の骨を潰されてる。そして、この伊藤信雄は一発で首を折られてる。こんなの、並の人間に出来ることじゃないぜ。ヤクザだって、ここまで見事な芸当は出来やしねえよ」

「そうですか。いったい、どんな奴がやったんでしょうね……」

 呟くように言った若い刑事に、大下は顔をしかめて見せた。

「俺も二十年近く刑事やってるがな、こんなのは初めて見るな。はっきり言って、人間の仕業とは思えねえよ」







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