『夏祀り』
星祭の夜に起きた奇跡。
彼女が最後に叶えた願いとは
神である彼女が最後に願った事とは
これは――誰よりも優しい神様の物語
『またね』そう別れを告げる幼い自分。
その言葉を聞くと、彼女は少し困った様に笑いながら、けれどどこか嬉しそうに『またね』と返事を返す。
それを現実だと受け止めるには、今の少年は大人になりすぎていて。それをただの夢だと切り捨てるには、今の少年は大人になりきれてなくて。
それは、遠い夏の日の、いつかの記憶と約束。
「今年も星祭いっしょに行こうね」
やたらと上機嫌な郁乃が僕に町のお祭り、つまり星祭に一緒に行こうと誘ってくる。
「思うんだけどさあ……星祭って言うけど、ぶっちゃけただの七夕だよね」
なんだかその誘いに正面から答えるのも恥ずかしいので話をそらしてみる僕。そのささやかな抵抗には、思いがけない答えが返ってきた。
「確かに星祭は七月七日に行われるけども、七夕のお祭りとは少し違うんだよね」
「えっ、マジかよ!? ちなみに違うってどこが?」
素直な疑問を口にする僕に
「毎年、星祭の最後に、私たちが駒山に登るのはなんでだと思う?」
と含みを持った顔で語りかけてくる。
「えっと、郁乃が登りたいからだと思ってた……」
と素直に答える僕に郁乃は少し呆れた様に答える。
「はぁ? まったく、そんな訳ないじゃない……昔の星祭には意味があったのよ」
星祭に意味があるなんて事は初耳である。
「ごめん……けど意味ってなんだ?」
「まっ、おばあちゃん曰く、もうとっくに忘れ去られた風習で、知ってる人ももうほとんど居ないって話だけどね……」
「だから意味ってなんなの?」
なんだか気になる僕に
「だーめ。教えてやんなーい」
と、意地悪気に笑う郁乃。そんなこんなで、結局星祭当日まで僕はその意味を聞くことができなかったのだった……。
その星祭、当日。
この日は、学校までもが休日となり、昼間から僕らは二人で屋台を巡った。この過程には、郁乃が浴衣に下駄という格好で来たため、僕に浴衣の感想を求めてきて、郁乃が満足する感想を僕が言うまで出発できず、知ってる限りの美辞麗句を並べるという、僕の人知れない努力がそこには有ったという事を知っておいてもらいたい……。
たこ焼き屋に、的屋に、焼き鳥屋、かき氷屋、わたあめ屋、変わったところでは占い屋ってのも有った。中学生にもなって、と最初は見栄を張っていた僕だったが、次第に楽しくなり、最終的には太陽が赤く染まる頃まで満喫してしまった。
それから、僕らは結局例の山登りに取り組んでいた。
郁乃は何故か今年からは浴衣に、下駄なんていう、山登りする気無いだろオマエ……と言う格好で来てたのだった。
「痛ったぁ……」
はぁ……。予想通りの展開になった……。
「やっぱり。下駄に浴衣なんていう格好で山に登るからだろ」下駄の鼻緒でこすれてしまったのだろう。
「日影ってば、女心が解ってないよねぇ……」
「そう言うオマエこそ山登りを解ってねえよ!」
郁乃に女心があったのに驚きだよ、そう言ったら殴られた。
「バカね。夏祭りは、浴衣に下駄でしょう!」
郁乃はカッコいい表情で馬鹿な事を言う……。
「まったく……。馬鹿な事言ってねえで。ほらよ……」
と言って背中を貸す。
「ありがとう。助かる……」
郁乃もそう言って背中におぶさる。長く幼馴染をやっているとこういった時に、話が早いので助かる。言っていなかったが、僕と郁乃はまあ、いわゆる幼馴染ってやつだ。
そこからしばらく無言の状態が続く。
その沈黙を破ったのは郁乃の
「あれ? なんかこんな事、前にも無かったっけ?」
という言葉だった。
「えっと――あれだろ? 昔、星祭の日に最初に登った日、郁乃が転んで足を怪我して俺がおぶって運んで行ったやつ」
「よくあんな小さな頃におぶれたわね……」
「確かに。昔だったら郁乃の方が力は強かったしな……」
そう言ったら背中をツネられた……。
ただ、何かを忘れてる気がする。何か大切な記憶を……。
「あのさ……確かあの時、郁乃をおぶったは良いが、すぐに僕も疲れてへたり込んじゃったんじゃなかったっけ?」
「えっ――言われてみれば、アレからどうやって帰ったんだっけ?」
ふと浮かんだ疑問。その疑問に答える事は出来なくて。
思い出そうとすると浮かんでくるのは、その時の僕らには、大きな手。そして、凛と澄んだ鈴の音だけであった。
「鈴の音?」ふと郁乃が呟いた。
「そう、あの時鈴の音が聞こえた気がする……」
僕が思っていた事を郁乃が口に出したので、より確信を持ったが、郁乃が言ってる事はそういう意味では無かった。
「違うの。今、鈴の音が聞こえた気がして……」
鈴の音? 言われてみて耳を澄ますと、清く澄んだ様な鈴の音が聞こえる。
「なあ郁乃……」
「良いよ。行こう。どうせ歩くのは日影なんだし」
さすが。まだ何も言ってないのに、言いたい事が伝わったらしい。
やっぱ、こういう時は幼馴染って良いわ。
音の出元を探していくと、どこかの湖に出た。
「こんな湖あったっけ?」と尋ねる僕。
「あったのだよ。君たちが知らないだけで。いや、覚えていないだけでな」
そう答えたのは郁乃では無かった。
小学生の四年生辺りだろうか、髪を高い位置で一つに結びんだ白いワンピースを着た少女が立っていた。そしてその子の髪を束ねているのは、鈴の飾り(いや、さっきから少女が動くたびにリンリン音がするので本物の鈴なのだろう)が付いたリボンだった。
「きみ誰?」
もっとも単純な疑問を郁乃はその少女に問いかけた。
「私は、御子守だが、お前たちの名は何という?」
お前たちって……まっ、子供のいう事だし別にいっか……?
「僕が、九重日影。んで、こっちの俺におぶられてる姉ちゃんが、天城郁乃ってんだ」
「日影と郁乃か……。その様な名だったんだな」
照れが混じった笑顔で僕らの名前をかみしめる様に言う彼女。
「よろしくね。巫女森ちゃん」
「巫女森ちゃんねぇ……。まっ、構わんか」
けど、なんかいちいち偉そうな女の子だなぁ……。
「結局、お前たちはまたここに来てしまった訳か……」
巫女森ちゃんが続けて言った言葉に、反応したのは僕だけだった。
彼女は僕らが『また』ここに来てしまったと言ったんだ。
つまり、彼女は、僕らが前にもここに来たことがあると言った。
その事を知ってるのは、俺達二人を除く当事者である『彼女』以外に居ないのだから。
彼女は、あの約束の相手なのか? その考察を裏付けるように巫女森ちゃんは続けてこう言った。
「何はともあれ、また会えてよかった」
その表情は、とても大人びていて、僕らよりも年下の少女には見えなかった。
「また会えてって……」
そう尋ねた僕の口は、カラカラに乾いていた。
「どこかで巫女森ちゃんと、私たちって会ったことがあったっけ?」
そう尋ねる郁乃。
「なんじゃ、もう忘れてしまったのかのう?」
少しさみしそうに笑う巫女森ちゃん。
「まあ、忘れてしまっても無理はないのかのう。所詮君らは人の身、文字通り住む世界が違うのだから」
「住む世界が違うって――何様だよお前……」
「まあ、神様じゃが」
神様……? その言葉に郁乃と顔を見合わせる。お互い、必死で笑いをこらえてる表情だった。
「むう……。お前たち信じておらぬな」
不服そうな顔の巫女森ちゃん。
「じゃあアレだ。証拠に――奇跡とか見せてよ」
「よかろう。では君たちは帰り道が分からなくて困ってるんじゃないか?」
確かに。鈴の音を頼りに登ってきたせいで帰り道を見失ってしまったのだった。
「まあ、そうだけど」
「帰り道ならそこを右に曲がって十メートルぐらい進んで、また左に五メートルぐらい進むと道に出るからそこを下って行けば降りれるよ」
「それはただの道案内じゃねぇかよ!」
「うむ。では、願いを叶えてやろう」
なんか直接的なの来ちゃったよ!
「あっ、ちなみに言っとくが。願いを増やしてほしいとか無しだぞ」
定番が先に封じられてしまった!?
「んじゃ、日影、お前はあっち行っておれ」
さも当然のように言う巫女森ちゃん。
「えっ、なんでだよ?」
僕がそう言うと彼女は
「乙女の願いはいつの時代も変わらないものじゃよ」
と言って僕を向こうへ行かせる。
もう暗くなってきた森の湖のほとりを少し歩くと、なんだかボロい祠みたいなものがあったのでそこで待つことにした。
五分後ぐらいに自称神様は俺の願いを聞きに、と言うか当てに来た。
「んで、日影の願いもどうせ色恋じゃろ?」
いや、勝手に決めんなよ……。そういう事で郁乃が居ない訳か。プライベートは守りますってか。
「別に僕は、見た目小学生で、自称神様なお前に叶えて欲しい願いなんてないよ。強いて言うなら日影って名前を変えて欲しいぐらいだ」
と言う僕に
「その願いは聞き入れられんな。親御さんが考えてくれた良い名じゃないか。どうして変えたいと思うのだ?」
と聞いてくる。
「だって、日影だぜ……一生日陰者の人生とか送りそうじゃん」
そう言う僕に対し巫女森ちゃんは
「日影は、もしかして自分の名の意味をしらんのか?」と聞いてくる。
「うーん。母親が日向だから、それの対比で適当に付けただけとかじゃねえの?」
「日影とは、日の光といった意味があるのじゃよ」
「日の光……?」
「そう、日の光。日影のご母堂は、日影に誰かにとって、日の光の様な存在になって欲しかったんじゃないか」
「日の光か……。なんだか大変そうだな……」
「そうでもないかもしれんぞ。お前は、もうすでに誰かを明るく照らしているかもしれんぞ」
というなんだか意味深な言葉……。
「誰かって……誰だよ?」
「決まっておろう、郁乃は日影の事を好いておる。それは日影も気づいていない訳ではあるまい」
――ああわかってる。うすうす気付いてはいた。長い間、幼馴染てのをやってると、なんとなくはお互いの気持ちがわかってくる。僕と郁乃は小学四年生ぐらいから好き合っていたと思う。それは恋とは言えない何かだったかもしれない。だが、たしかにお互いの気持ちは『好き』。ただその一言に尽きたのである。
「お互いに好きだと解ってれば、気持って伝えなくてもいいんじゃないのか? それじゃ、ダメなのか……?」
弱気な言葉を漏らす。すると巫女森ちゃんは
「ダメに決まっておろう! 言葉とは、言葉にして初めて相手に本当に届くのだ! 言葉にしなければ伝わらないのだ……」そう言った巫女森ちゃんは今までにないとても感情的な表情だった。
「それに! 郁乃はどれほど不安だったと思う! どうして日影はただ一言、『好き』。そう言ってくれないのか! たった! たった一言だけで彼女の不安が消えるのだぞ!」
きっと、彼女には郁乃の気持ちが痛い程分かったのだろう。自分の胸の、心の痛みとしてとらえられるほど。
「……」
何も言えなくなる僕。それに、気づいたのか
「いや、すまない……つい感情的になった」
少し気まずそうに言う彼女。
「――だがしかし、思いは告げないことには、伝わらないのもまた事実。だから、神様として一つ助言をさせてもらおう」
彼女の真剣な表情に、思いに、もう疑う気持ちは起きなかった。
彼女は神様で、ずっと昔に俺たち二人を助けてくれた『彼女』である事を理解していた。
「ああ、たのむよ」
「では、まず目を閉じて自分の大切な人の顔を思い浮かべて」
僕の大切な人? そんなの郁乃にきまってる。
「次に、その大切な人と、どうなりたいか。そして、何をしたいかを考えて」
様々な考えが浮かぶ僕。一緒にいたい。つまんないことで一緒に笑って、悲しいことがあったら一緒に泣いて、いいことがあったら二人して馬鹿みたいに喜んで、時々は喧嘩してもいいけど……すぐ仲直りして
――それだけでいい。
「って言った時、一番最初に誰が浮かんだ? 好きな人とどうなりたいか、何をしたいかって言われた時何が一番最初に浮かんだ? それが、答え。たった、それだけの事。日影はどうして答えが出てるのに悩むのじゃ?」
優しい。とても優しい表情で語りかけてきた。
その言葉にハッと息を飲む僕。
僕が悩んでいたことはたった一言で解決することで。
僕が望んでいたことはたった一言で叶ってしまうもので。
必要なのは勇気だけで、他には何もいらなくて。
彼女の言葉であふれた涙を彼女に見られないように左手で目元を隠しながら答える。
「なんだかさぁ……。僕、馬鹿らしいな。こんなに簡単な事で悩んでたんだよな」
そうつぶやく僕に対し
「簡単な事ほど気づくのは大変なものなのじゃよ」
そう答えた彼女の身体は『透けていた』。
「おい……なんかお前身体が透けてるけど……」
唖然とする僕。すると彼女は、さも当たり前の事のように
「ああ……。もうそんなに居なくなってしまったか……。私は、私の身体は――じきに消えてしまうんじゃよ」
と答えた。
「おい! 消えてしまうってどういう事だよ!?」
「別に、どうという事はない。神として私を存在させているのは人々の信じる心だったんじゃ。それが少なくなったここ何年かは、身体が保てなくなって来ておったんじゃ。昔はもう少し身体も大きかったのじゃよ? 今風に言うと……ぐらまらす? な体型だったのだぞ。お前さんたちをおぶって家に送ってふもとまで送ってあげた事もあった。もっとも当の二人は覚えて無かったみたいじゃがの」
わざとらしい傷ついた表情を作り、いかにもといった感じで非難がましく俺を見る巫女森。
「くだらない事言ってんじゃねーよ! 消えちゃうんだろ! 嫌じゃねーのかよ!」
その問いには、ハッキリとした表情で
「嫌だよ? お前たちに会うまでは、このまま消えてもいいかな、そう思ってたのじゃ。だけど、お前たちに再び会ってからは――。でも、それでも、消えちゃうのはしょうがない……。誰も私を、御子守を覚えていないなら――」
「俺たちは……俺たちがいるだろよ! 信じるよ! 俺は信じる! 郁乃だってお前を信じるから! 頼むから消えないでくれよ……」
最後の方は声にならない声だった。
「日影、お前は優しい奴じゃの。だから、だからこそ、そんなお前たちには、友人として接して欲しいのじゃよ」
こんな、こんな優しい神様が消えてしまうなんてあっていいはずがない! 頬を自然と流れた涙が伝う。
そんな僕を見て「頼むから――頼むから、そんな悲しそうな顔をしないでおくれ」
今度は、困った様に巫女森は笑う。様々な思いを抱えながら尚笑う。
「そろそろ……時間の様だ……」
巫女森の身体はもう向こう側がはっきりと、透けて見えるようになっていた。
「消えちゃうんだな……」
「消えるのではない、昇るのだ。本来私は、とうに人として死んだ身……とっくに天に昇ってるはずだったんじゃがのう……別れはつらいがさよならだ。郁乃に宜しくな……」
「またな……」
大きくなった今の僕は、その言葉の重みをかみしめながら使う。
そうすると巫女森は少し困った様に笑いながら、けれど嬉しそうに
「またね」
と返事を返す。
「そうだ。消える前に言っておくが、私の名前は、巫女森ではなく、『御子』を『守る』で御子守様だからな。まぁ、いいか。神としての私の名など。神としては、私は忘れられてしまった。だから、友達としての私は忘れないでね……。お願いじゃ」
そう言うと、彼女はいっそう薄らいでいき、最後には消えていった。その願いはおそらく、神となった御子守様が初めて他者に願ったことなのだろう。
「忘れない! 忘れないから約束しろ! 必ずまた会おうって!」
この言葉は彼女が消え去った空間に虚しく響いた。巫女森には届いたかわからない。だが、郁乃には届いたらしい……。
「どうしたの日影? ぎゃーぎゃーわめいて」
僕の声が聞こえたのか、足を少しかばいながら郁乃が僕の様子を見に来た。僕が泣いている事に気付いた郁乃は、何も聞かずに
「そろそろ帰ろうか」
とだけ言った。
そこからしばらく無言の状態が続く。その沈黙を破ったのは今度は僕だった。
「なあ、郁乃。ずっと昔に僕らをおぶってくれたのは巫女森なんだそうだ」
僕の声以外は、僕の足音と、虫の音だけしか聞こえない。
「うん」
返した郁乃の言葉は短いが、きっといろいろな感情が込められている、それが解るほどには一緒に過ごしてきた。小さな頃からずーっと。
「それとな、いままで言えなかった言葉があるんだ」
「うん」
答えた郁乃の表情は、おぶって居るのでわからなかった。
「好きだよ。郁乃。すんげー好きだ。これからも俺の隣に居てくれないか?」
「ねぇ……。私日影が思っているよりもずっとずるい女だよ? 嫉妬深いよ。わがままだし、それに優しくもない。そんな日影に見せて無い嫌な所が沢山あるよ。それでも私を――そんな女でも好きでいてくれる?」
それはきっと郁乃の本当の気持ちなのだろう。いままで感じてきた不安でもあるのだろう。だから僕は答える。自信を持って
「一生好きでいる。約束だ」と。
帰り道、郁乃を、おぶりながら僕は何年も前から思っていた言葉を、思いを伝えた。
今宵、星祭の夜、僕ら二人の願いはかなった。
これから少し季節が廻った頃、僕らが居た学校ではある噂が流行っていた。
曰く、星祭の夜に二人で駒山に登り御子守様に会って告白するとその恋は必ず成就すると。
曰く、御子守様は身分違いの恋に苦しみ、池に身投げした巫女を高名な僧が祠に祀ったのであると。
曰く、御子守様は、元は水神様として祀られていたが、子供を守護する優しい神様でもあったと。
曰く、時より駒山から、凛と澄んだ鈴の音が聞こえてくると。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
イラストは過去に高校の部誌に載せた時に、この作品を読んだ先輩の友人から描いていただいたものを使用させていただいてます。