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蔦庵の女  作者: 砂たこ
3/9

其ノ三

「まずは、無事で良かった、喜助」


 弥太郎は、沈んだ表情の若者の肩をポンポンと叩き、湯呑みに酒を注いだ。


 泣き疲れた喜助は、荒れ果てた自宅には帰らずに、松次郎に連れられて村長の家で朝を迎えた。

 弥太郎の計らいでゆっくり休ませようと寝所を用意したが、喜助はただ焦燥したまま、眠りに落ちることができなかった。


 そんな様子を見かねて、弥太郎は帰還を祝う酒席を設けた。

 まだ日のある時間であったが、村の男達が駆けつけ、車座に集まった。喜助ら親子に何があり、このふた月余りを何処で過ごしていたのか、皆興味津々だった。


「怪我をしたと言っていたが、大丈夫なのか?」


 泣き腫らした目の下に隈を濃くした友を気遣って、隣には松次郎が座った。

 彼は振る舞われた酒杯を主賓より先に空け、髭面の頬を赤く染めている。


「……ああ。右足の脛を折っちまったが、もう歩けるから大丈夫だ」


 胡座をかいた着物の上から、喜助は右足を擦った。


「まさか。骨折が二ヶ月で治るものかね?」


 松次郎の隣の吾作が、会話を聞いて、呆れた声を上げた。


「んだ、普通、半年はかかるじゃろ」


「本当に折れたのか、喜助?」


 ザワザワと村人達が訝しんだ。苛立った喜助は、立ち上がり、着物の裾を膝までたくしあげた。


「傷痕が残っている。これでも疑うのか?!」


 露になった脛には、確かに大きな傷が付いていた。しかし、その傷は村人が見たことのない奇妙な形をしていた。

 傷は「山」の字を逆さまにしたような三股の形をしており、そこからぐるりと細い弦に似た傷が放射状に数本広がっている。

 骨折に限らず、どこをどう縫い合わせたらこんな傷痕が残るのか、目にした者達は一様に首を傾げた。


「――もういい、喜助。分かったから、座れ」


 弥太郎は、宥めるように若者の腕に触れた。


「皆も。知っての通り、この席は喜助が帰って来た祝いの宴じゃ。良いな?」


 村長の鶴の一声で、村人達の詮索は収まった。

 喜助も仕方なく腰を下ろし、気持ちを静めようと湯呑みをグイと空けた。


「遠慮せず食え」


 酒を注ぎ足しながら、弥太郎は息子を見るように優しい眼差しを向けた。

 実は彼と久兵衛は親友だった。恐らく、事の経緯を一番知りたいのは弥太郎に違いない。


 喜助はコクリと頭を下げ、膳に乗せられた魚の干物に箸を付けた。

 懐かしい顔に囲まれているのに、喜助の気持ちは重かった。

 久兵衛が帰っていなかった悲しみに飲まれているせいもあるだろうが、村人達との間に何とも言い難い距離を感じていた。

 冗談を言い合うような気の置けない仲間であったはずなのに、まるで物珍しい客人を見るかのような好奇の視線が耐えられない。


「どうだろう、喜助。気持ちが落ち着いたら、何があったのか、話してくれまいか」


 宴が進み、それぞれの膳の上が空いてきた頃合いをみて、喜助の伯父に当たる長兵衛が皆の内心を代弁した。

 村人達は、一瞬顔を見合せたが、三々五々に頷き合った。


 弥太郎が庇おうと口を開き掛けたが、それを自ら制して、喜助は「分かった」と長兵衛に視線を返した。

 隠すべきやましい何かがある訳でもない。勿体ぶれば、それだけあらぬ噂が立つやも知れない。

 喜助は湯呑みの酒を煽り、あの夜の出来事からおつたのことまで、隠さずに話した。


「不思議な話じゃ」


 最年長の源作爺さんがポツリと呟いた。

 若者特有の向こう見ずな所はあれど、喜助の元来の真面目さを知っているので、彼が作り話をしていないことは分かっている。


「喜助、お前はその恩人と一緒になるつもりか」


 戸惑い顔が並ぶ中、ひとり厳しい表情がある。長兵衛だ。


「……ああ、祝言を挙げるつもりで契りを交わした」


 喜助は本気だ。久兵衛がいない今、夫婦の許しを取り付ける必要も消えた。


「そのおなごは、この村に入る気はあるのか」


 一族に、どこの馬の骨とも分からない、素性の知らない女を迎える訳にはいかない。

 長兵衛が心配するのも無理はなかった。


「――分からない」


 喜助は、今自分が晒されている好奇の衆目に、おつたを晒すことは我慢ならなかった。そんなことをするくらいなら、彼女の待つ庵に戻って、ひっそりふたりきり蜜月を過ごすことの方が魅力的だ。


「何を言っとる、喜助! 嫁を娶るなら村に入れるが仕来たりぞ!」


 村で暮らしていた頃、当たり前だった慣習が、こんなにも息苦しく煩わしい楔に思えるなんて。


「俺は――おつたと暮らせるなら、どこでもいいんだ」


「何てことを……!」


 酒が回ったせいもあるのか、喜助は馬鹿正直に答えた。そんな彼を見下ろす格好で、長兵衛は仁王立ちになった。


「まあまあ、落ち着きなさい、長兵衛さん。村で暮らすも離れるも、追々相談すればよい。昨日の今日で性急に決めることもないだろう」


 弥太郎がふたりの間に割って入った。

 色に惑った甥っ子に、殴り掛からんばかりの長兵衛を周りの男達も抑えた。


「長兵衛さん、喜助は暫く家で預かる。宜しいな?」


 村長の面子を潰す訳にはいかない。長兵衛は握った拳をぐっと固くして、引き下がった。


「すまない、村長。うちのモンが厄介になります。喜助。落ち着いたら、きちんと話し合うぞ」


「……はい」


「よし。皆の者も今日の所は、このくらいにして、喜助を休ませてやってくれ」


 弥太郎は満足気に頷き、集まった男達を見渡した。


 村人が各々の家路に着いた頃には、黄金色の十六夜が夕陽と入れ替わるようにして、東の空に顔を覗かせていた。


 前夜一睡もしていなかった喜助は、用意された客間に戻ると、倒れるように布団に潜り込んだ。

 半時後に、弥太郎が風呂に誘いに来た時には、襖の外まで高鼾(いびき)が聞こえていた。

 弥太郎は、喜助が起き出すまで声を掛けないよう、家人に言い置いてやった。


-*-*-*-


 ところが翌日、丸一日経っても、喜助は目覚めなかった。

 ぐうぐうと豪快に鼾の音を響かせて、大の字に眠りこけている。

 更に日付を越えた次の朝になっても、全く様子が変わらない。


「喜助! おい、喜助?」


 流石に異変を感じた弥太郎は、心配になって身体を揺さぶった。身柄を預かった手前、責任もある。

 しかし、若者は瞼を開けず、心なしか顔色も青白く見える。


 弥太郎は、隣町まで医者を呼びに使いを送った。


 一日待って、医者が到着した。


「もう四日目になります」


 初老の医者は、弥太郎から喜助の身に起こった不思議な出来事を含め、事の次第を聞くと、眉間に皺を刻んだ。


「……確かに、奇妙な話じゃ」


 寝ている喜助の右足の傷痕を見た医者は、更に首を傾げた。


「そもそも骨折がふた月で治るとは思えぬ。この傷痕、まるで蔦のようじゃ」


 弥太郎はドキリとした。言われて見れば、蔦の葉が張り付いて弦が伸びているようにも見える。

 蔦――。

 喜助の恩人のおなごの名は、何と言ったか?奇妙な符合――『おつた』と言っていなかったか?


「……それで、喜助はどうなんでしょう? 目を覚ますんでしょうな?」


 胸騒ぎを押さえ、弥太郎は医師を覗き込んだ。

 白くなった顎髭を撫でながら、医者はますます難しい顔で首を振った。


「すまぬが、皆目見当がつかぬ。今のところ命に別状はなさそうじゃが――このまま目覚めねば、いずれは覚悟が必要になりましょう」


「何てことだ……」


 弥太郎はガクリと項垂れた。せっかく生きて帰ったというのに。

 跡取りのいない弥太郎は、親友の忘れ形見をいずれ養子に迎えようとさえ、心密かに考えていたのだ。


「村長。力になれず、すまないの」


 医師は滋養のある食べ物や水分を飲ませることができれば、幾らか命を繋ぐことはできるだろうと言い残して、帰って行った。


 その夜、弥太郎は長兵衛を呼んだ。

 使いの者に連れられて来た長兵衛は、寝ている甥っ子を険しい顔つきで見つめた。


「こんな事になってすまない、長兵衛さん」


「あんたのせいじゃない。きっと……こうなる運命だったんだ」


 喜助の側に腰を下ろした長兵衛は、そっと甥っ子の頬を撫でた。

 触れた肌は温かい。このままゆるゆると命が消えていくなんて、悪い冗談としか思えない。


「弟(久兵衛)が、息子だけでも皆に看取られるように、あの世から還してくれたんじゃなかろうか」


 長兵衛の横顔は、悲し気だ。嫁の件での衝突も、喜助や一族のことを思っての苦言だ。

 彼の心痛を思んばかって、弥太郎はそっと肩に手を置いた。


「わたしは、まだ諦めてはおらんよ」


「ありがとう、村長。今夜は、喜助と二人にしてもらえまいか」


 振り向いた長兵衛の瞳は、酷く優しく見えた。

 それが弥太郎には、堪らなく切ない。


「布団を用意させましょう」


「いや、それには及ばぬ。ただ……こうして側にいたいのだ」


 村長の気遣いに感謝しつつ、首を振る。

 遠からず訪れる最期の時まで、ずっと見守ってやりたいのは本音だが、四六時中離れずにいることはできない。長兵衛にも家族があり、暮らしがある。

 だから、せめて今夜――長兵衛は今生の別れを送る覚悟を決めた。


「何かあれば、遠慮なく声を掛けてくだされ」


 弥太郎は、もう一度ポンと肩に触れ、静かに客間を出て行った。


 喜助の低い鼾が、沈黙の中、規則的に繰り返されている。

 その音だけが、まだ彼の命が続いていることのシグナルだ。


 しばらく喜助の顔や腕を撫でていた長兵衛だったが、やがてゴロリと畳に横になった。


 灯籠から漏れる弱い光が、天井や襖の上でゆらゆらと揺れている。


 眺めながら長兵衛は、久兵衛や喜助と過ごした過去の日々をとりとめもなく思い返していた。


-*-*-*-


 息苦しさに目を開けて、長兵衛はいつの間にか眠ってしまったのだと知った。


 見慣れない立派な天井板が飛び込み、村長の家に来ていたことをすぐに思い出した。


「――う……ぐっ……?」


 声を上げようとして、異変に気付く。喉が締め付けられて、声が出ない。


 隣の喜助の様子を見るために起き上がろうとしたが――身動きができない。


 その瞬間、長兵衛はゾッとした。


 身体中、至るところに細い紐状の何かが巻き付いているらしい。

 巻き付いて、がんじがらめにしているばかりか、皮膚のあちこちがチクチクと痛む。


「――ヒッ?!」


 薄闇で必死に目を凝らしていると、狭い視界を、植物の弦がゆっくり横切った。まるで意思を持っているかの如く、長兵衛の頬の上を這い、巻き付いてくる。

 弦には小さな吸盤が幾つも付いており、貼り付いた皮膚にプツプツと吸い付くのを感じた。


「……うぅっ! ぐうーっ!!」


 恐怖に突き動かされ、長兵衛はありったけの力を込めて叫び、身をよじった。

 そんな彼の抵抗に気付いたように、足の先から頭の端まで、一斉に弦がギュウと締め付けてきた。


「――ううーっ!!」


 締め付けると同時に、弦に付いた夥しい吸盤が長兵衛の皮膚を喰い破って刺さり込んだ。そして、流れ出た血液を一滴残さず吸い上げ始めた。


 痛みと恐怖が貫く中、長兵衛の視界は豊かに生い茂った真っ赤な蔦の葉に覆われていった。

 薄れる意識の彼方で、ワサワサと葉の擦れる音がさざ波のように響いていた。



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