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【競演】美し夢

作者: ましの

第五回SMD競演に参加させていただきました。

お題は「祭り」と「夕立」です。

 ごめんなさい。

 あなたを守ってあげられなくて。

 世界でたったひとり。私だけが、あなたを守れたはずなのに。

 私がもっと強ければ……。


     *


「ユウ! いつまでじめじめしてるつもり? いいかげんにしないとキノコ生えてくるわよ!」

 ミカが乱暴にドアを開ける。

 私は殻に籠もるように、ベットの上で綿毛布を頭から被った。

「……エノキだったらお味噌汁に入れて食べれる」

 小さく呟くと頭上から声が降ってきた。

「んなもん、毒に決まってんでしょ! 毒キノコ!」

「……じゃ、それ食べて死ぬ……」

「バカ言ってんじゃないの! 第一発見者、どう考えてもあたしでしょうが!」

 綿毛布がいとも簡単に取り払われる。私は中身をえぐり取られた貝のようにベットに縮こまった。

「ほら、行くわよ!」

 ミカが仁王立ちで私を見下ろしている。

「……やだ」

「ダメ。今日こそは行くの」

「……やだ」

「あんた、いつまでそうしてるつもり?」

「……気が済むまで」

「そんなこと言ってたらいつまでも気が済む訳無いでしょうが。一生を棒に振る気?」

「……妥当なバツだよね」

「あんたねえ」ミカが困ったようにベット脇に腰を下ろした。

「辛いのは分かるけど、いいかげん前を向いたら? 自分で選んだことなんだよ」

「……分かってる」

 そう言うが早いか、怠い瞼の縁から熱いものが溢れてきた。隠すように顔をシーツに押しつけようと身じろぐと、ひやりとしたやわらかな手が瞼をおおった。

 ミカの手だ。

「もう半年。あんたは全部失った。仕事も家族も恋人も。もう、十分でしょ? 子供だってあんたがそんなになることを望んでないよ」

「…………私が、殺したのに?」

 呟くと、ミカは悲しそうに体を揺らした。

「だからって、あんたが不幸になる理由にはならないわ」

 分かってる。でも、自分に罰を与えないと、心が悲鳴を上げる。痛いと泣き叫ぶ。全ては自分で選んだことなのに、後悔しか残らなかった。

 ……こんなはずじゃなかったのに。


 中絶をしてから一八六日目。

 私が強さをもっていれば、臨月にさしかかる頃だった。



「大体ね、子供より夢を取ってパリに行くような男なんて別れて当然なのよ! 今頃フランス女といちゃこらしてるわ。だから、さっさと忘れなさい!」

 薬の入ったビニール袋をブンブンと振り回しながら、ミカが言う。もう片方の手は私の手首をがっちりと掴んで放さない。

 今日は心療内科の診察日。

 だからミカは是が非でも私を連れ出した。わざわざ仕事を早引きしてまで。

「そんなことしなくて良いのに」でも、ミカは当然のように言う。「何言ってんの。今のユウ放っておけるほど、あたしは鬼じゃないわ」

 私がこんな事になるまで私たちは程良い距離感をもったルームメイトだった。

 都心の新築マンションをシェアする地方出身の独身OL。

 お互いに干渉し合わないという友達未満の関係。そんな関係が楽だったし、心地よかったりもした。

 それが、私の妊娠で大きく変わった。


 当時、私が付き合っていたのは、仕事の関係で出入りしていたアパレル専門学校の学生。学生といっても二十代半ばで脱サラしてファッションデザイナーを目指すような向こう見ずな野心家。

 けれど、私が諦めた夢を懸命に追う彼の姿は、何よりも輝いて見えた。

「絶対にパリへ行くんだ」彼がその夢を掴んだ時、私は笑顔でおめでとうを言った。

「一緒に行こう」そう言ってくれた彼に私は静かに首を振る。

「二、三年で帰ってこられるんでしょ? 私は待ってるわ。仕事もあるし」

 見送る私のお腹の中には、小さな命が宿っていた。私はそれを知って黙っていたのだ。

 彼の足かせになるのだけは嫌だったから。


 当初は産むつもりでいた。

 ハードワークのストレスに晒されながらも、懸命に小さな命を守った。

 大好きな人の子供が宿る自分の体が何よりも大切だった。

 彼が帰ってきたら、三人で暮らすんだ。

 そう願って。


 当然のように田舎の両親には大反対を受けた。

「そんな子を産んでどうする?」

「第一、日本に帰ってくる保証があるのか?」

 定職に就くどころかまだ学生の彼に、頑なに会おうとしなかった両親は吐き捨てるように言った。

 一番に理解してもらいたいはずの母も嘲笑するように彼を貶した。

 大切なものが汚されるようで、悲しかった。

「産むなら縁を切る」そう言われて、実家とは連絡を絶った。


 支えを失った私は、細い綱の上を渡るように、祈りながら日々を暮らした。

 そんな時、助けてくれたのはミカだった。

 ひどいつわりを体調が優れないせいと誤魔化していたのを見破ったのは、やはり女だからなのかもしれない。

 私が一人で「産む」ということについて、彼女は何も言わなかった。

 友達未満の関係では、そこに口を出す権利はない。

 ミカもそれを分かっていた。


 けれど、ある日。


「これ」

 つわりのせいでまともに食事も喉を通らなくなっていた私に、ミカが一枚のCDを差し出した。

『胎教クラシック集』

 彼女はばつの悪そうに顔をしかめるながら言った。

「あんた息みすぎ。もっとリラックスしないと子供に良くない」

 そう言ってプレイヤーに押し込む。

 流れてきたのは、シューベルトの『うまし夢』。幼い頃に聞いた子守歌だ。


   眠れ眠れ 可愛めぐ緑子わくご

   母君ははぎみに いだかれつ

   ここちよき  歌声に

   むすばずや  うまし夢


「一人で産むのは大変なんだよ。特に、誰の支えもないっていうのはね」

 不機嫌そうにいうミカに私は萎縮した。

「お金の心配なら大丈夫だから。それなりの蓄えはあるし、家賃も生活費もちゃんと払える。……出て行けっていうなら、出て行くけど……」

「あんた、バカ? あたしが妊婦を放り出すような冷血漢に見えるわけ? 好きなだけここにいなさいよ。っていうか、ここの契約者あんたなんだから」

「……ごめん」

「謝るのとか無し。困ったことがあるなら、なんでも良いから言って。それくらいしかしてあげられないから」

 それを聞いて涙が出た。

 一人で産むんだと躍起になって、せき止めていたものが一気に溢れ出した。

「泣かなくてもいいのに」

 困ったように笑うミカに心の底から感謝した。


 なのに、全ては悪い方へ転がっていく。


 十週目を越えた頃、胎児に異常が見つかった。

「中絶をおすすめします」

 医師にそう告げられた。

 胎児の全身がむくみ、八割はお腹の中で死んでしまう病気だ。例え生まれてきても一割以上はすぐに死ぬらしい。

 総合病院で精密検査を受けたが、結果は同じだった。

「……どうして私なの?」

 エコーで見る心臓は元気に動いているのに……。

 我慢できずに待合室でなく私の背中を、付き添ってくれたミカが慰めるように撫でる。

 その夜、私は人工妊娠中絶同意書に署名をした。配偶者の欄を空白にするわけにはいかず、ミカに頼んで彼の名前を書いてもらった。

「本当にいいの?」

 ミカは鋭い眼差しで私を見つめた。私はその視線から逃げるように俯く。

「……うん。お願い。これ以上大きくなったら、私、きっと耐えられない」

 たとえ、たった一日だけの命だとしても、産まれてきた子供を抱きたいと思った。

 けれど、そのほんのわずかな時間のために、十ヶ月を何食わぬ顔で過ごせる?


 ……ダメ。出来ない。

 私は、そんなに強くない……。

 それなら、胎動を感じる前に……。

 この子の存在を大きく感じる前に……。


 サインをし終えるとミカが言った。

「彼にこの事言わなくていいの?」

「……言ったって、意味無いじゃない?」

 泣き笑いで答える。


 ……だって、産まれてこないんだもん。


     *


「『めぐみ』って名前にしたっかなたな」

 赤く染まる夕空に向かって呟くと、私は『うまし夢』を小さく口ずさんだ。


   眠れ眠れ 慈愛めぐみあつき

   母君の 袖のうち

   もすがら 月さえて

   が夢を まもりなん


「男の子だったらどうするのよ?」

「……『めぐむ』」

「ふーん。良い名前じゃん」

 ミカが小さく笑った。


 中絶後、罪の意識からかひどい鬱症状が出た。

 夜も眠れず食事も出来ず、泣き暮らす毎日。仕事を辞めて引きこもるようになった。

 みるみる痩せていく私を見て、ミカが強引に心療内科へ連れていってくれたのは、桜の咲く頃だった。

 それから月に一度、ミカは固く閉ざした殻の中から私を引きずり出す。


「夕飯、焼きそばでい?」

「……別にいらない」

「いらないとか言うな! 虚しくなる!」

「……作ってくれるのは、食べてるし」

「まあ、それだけが救いよね」

「……手抜き?」

「作ってもらっといてそれはないでしょうが! 駅向こうで縁日やってるから夕飯そこでゲットしてこうと思って」

「……手抜き」

「うっさいなあ! たまには良いでしょ。少しは賑やかなところに行くのも悪くないよ」

 そう言って、ミカはぐいぐいと私の腕を引っ張る。

 私はされるがまま、やる気のない足取りで彼女の後に付いていった。



 夕暮れに沈む商店街には屋台が建ち並んでいた。

 照明が近づいてくる闇を照らし出して、通りがぼんやりと輝いている。

 ベビーカステラに見入る小学生くらいの女の子を横目に過ぎると、男の子たちがリンゴ飴にかじりつきながら走っていく。

 活気のある呼び込みの向こうに、霞むように鳴るお囃子。

 夢の中のような儚く賑やかな時間。

 そこは、まるで現実から隔絶された空間だった。

「……何の縁日?」

 周囲のざわめきに負けないように、ミカの耳元で囁いた?

「さあね。この辺神社やらお寺やらやたらとあるから。あ! 牛串だって! おいしそー! ワッフルとかある! あっちは磯辺焼き!」

 ミカはさっそく屋台を物色している。相変わらず手首を掴まれたままなので、あちこちと連れ回される私の身にもなって欲しい。

「……焼きそばは?」

「それだけじゃ足りん!」

 興奮気味のミカはチョコバナナへ突進していく。その姿は子供のようだ。

 不意に一組のカップルが目に入った。

 一つのかき氷を二人でつつきながら、穏やかな笑顔を浮かべている。どこにでもあるような、ありふれた光景。その女性の無意識の動作にハッとして立ち止まった。

「ユウ?」

 ミカが不思議そうに振り返る。

「ちょ! どうしたの? なに泣いてんのよ!」

 単調だったはずの心がかき乱されて、溜まらずに涙が溢れていた。

 我を張るように首を振るが、ミカはすぐに悟って強引に私の手を引いた。

「ごめん。あたしの不注意。こんな所にいるなんて思わなかった」

 ミカは小さなお堂の下に私を座らせる。

「……妊婦なんて、どこにでもいるし」

 今しがた見た光景は、どうにも私の心を乱して涙が止まらない。

 大きくふくらんだお腹をやさしく撫でる姿。

 自分のぺたんこなお腹を見て、さらに涙が溢れてくる。

「帰る?」

 背中をさすりながらミカが聞いた。

「……焼きそば、食べるんでしょ? 待ってるから、買っておいでよ」

 その言葉にミカは躊躇した。

「待ってるって、一人で大丈夫なの? 帰ろう。夕飯なら、作れば良いし」

「いいの。行ってきて!」

 叫ぶように言った。

 ミカの優しさは本当に嬉しいけれど、今は自分がいたたまれなくなるだけだった。

 一瞬考えてミカは言った。

「分かった。すぐ戻ってくるから、ここを動かないでよ」

 くるりと踵を返すと人混みの中に消えた。



 心が、体が、えぐり取られるような痛みが襲う。

 同時に、激しい空虚に取り憑かれた。

 欠けた、空っぽの入れ物。

 それが、今の私。

 愛おしく温かいもので満たされていたはずなのに、今はもう、何も無い。

 空洞を埋めるように、必死で自分の腕を抱く。

 けれど、満たされるはずもない。

「ごめんね」

 絞り出すように何度も言った。

 許しなどどこにもないのに。


 気付くと激しい雨が降っていた。

 黒く重い雲におおわれた空から大きな雨粒が打つように降っている。

 飛沫が冷たく私を濡らす。

 人通りの少なくなったとおりに、小さな子供の声が響いた。

「ママー! ママー!」

 迷子だろうか、濡れた白い浴衣に赤い兵児帯を締めた女の子が雨に濡れながら泣いていた。

 急な夕立に、母親とはぐれてしまったらしい。

 独りぼっちで取り残されたように泣いている。


 ……私と同じ。


 そんなことを思って見ていると、向こうも私に気が付いたようでそろそろと近づいてきた。

「ママ?」

 濡れそぼった黒い髪に切れ長の大きな瞳が不安げに見上げる。

 どこか見覚えのある目元に戸惑う。

「……迷子なの?」

 聞こうと口を開こうとした途端、少女は安心したように笑みを漏らし、私の足に縋りついた。

「ママ!」

 母親と間違えているようだ。

 私は怯えた。

「……違うよ。ママじゃないよ」

「ママだもん!」

 三歳くらいだろうか。舌っ足らずな言葉が愛らしい。

 けれど、それは私に鋭く突き刺さる。

 溢れそうになる涙を飲み込んで、着ていたパーカーをタオル代わりに少女に被せる。

「雨が上がったら一緒にママを探してあげるから」

 だからお願い。私をママだなんて呼ばないで。

 それなのに、

「ママのにおい、だいすき」

 少女は私のパーカーに顔を埋めて嬉しそうに言い放つ。

 やめてよ!

 叫びたいのを必死で堪えて、どうにかほほえむ。

「お名前は?」

 すると少女は悲しそうに首をかしげた。名前など、無いとでも言うように。

 その時、不思議と私の口をついて出た言葉があった。

「……『めぐみ』?」

 雨音に掻き消されそうな小さな呟きに、少女はあどけない笑みを漏らした。

「めぐみ! ママがつけてくれたの!」

 まさか。ただの偶然だ。

「……めぐみちゃん? 雨が止んだらママを探しに行こうね」

 そう言うと、少女は嫌々をするように首を振った。

「めぐみはママといるの! ママのそばにいるの!」

「……だから、私はママじゃないの!」

 イライラとして怒鳴る。すると少女の目に大粒の涙が浮かんだ。

「ママだもん! めぐみのママだもん! めぐみはママと、いっしょにいたいんだもん! ママにあいたかったんだもん!」

 何を、言ってるの、この子……?

 薄気味悪さも相まって、私は少女から背を向けるように離れた。

「ママはめぐみがきらいなの?」

 背中越しに、少女が言う。

「めぐみはママがだいすきだよ」

 明るい声が耳に突き刺さる。

 拒絶するように耳をふさいだ。

 何なんだ、これは。夢? 幻覚?


 ……この子は、一体誰?


 恐る恐る振り返る。

 切れ長の瞳。丸みを帯びた鼻。

 面影が、彼と重なる。

 まさか……。


「あなたは、誰?」


 少女は不思議そうに真っ直ぐ私を見返す。

「めぐみは、ママのこどもだよ」

 それ以外に答えはないと言うようにはっきりと言った。

「めぐみがいなくなって、ママが、まいにちないてるから、めぐみ、ママに『なかないで』っていいにきたの」

「嘘! そんな訳無い!」

 激しく首を振って否定した。

 けれど少女は畳みかけるようになおも言う。

「ママのおなかのなか、すごくあったかくて、しあわせだったよ。めぐみ、ママをえらんで、よかったっておもったの! ちょっとしかいられなかったけど、すっごくすっごく、しあわせだったよ! ママのおうた、もっといっぱいききたかったよ」

「やめてよ。やめて! そんな訳無い! 私が殺したのに! 幸せであるはずがない!」

 頭を振る私の手に、少女がそっと触れた。

 柔らかくて温かい、小さな手。

「しあわせだったよ。ママが、まもってくれたから」

「守ってなんかない! 私が殺したのよ! 私が、弱かったから……!」

「ううん。ママは、まもってくれた。めぐみのこと、いっぱい、いっぱい、まもってくれた。ひとりぼっちになっても、めぐみを、まもってくれた」

 そう言うと、私に縋りつくように抱きつく。

「ごめんね、ママ。ひとりぼっちにさせて、ごめんね」

 その言葉に、堪えていた涙が溢れ出す。

 堪らずに、壊れそうなほど小さな体をきつく抱きしめた。

「……ごめんなさい。あなたは、なにも悪くないの。私のせいなの。……私が弱かったから」

 小さく確かな温もりに、涙はいっそう溢れる。

 激しかった雨音はいつのまにか止み、薄く西日が射している。

 しっとりと濡れた世界は、鮮やかな茜色に染まって輝いた。

「めぐみ、ずっとママのそばにいるよ。ママが、だいすきだから」

「私も、あなたが大好きよ。ずっと一緒にいたかった……!」

「ねえ、ママ。おうたをうたって? やさしいおうた」

 少女は腕の中で眠そうにあくびをした。

 とろんとした目を、愛おしく撫でる。

 触れることなど、決して出来るはずもなかった我が子に、今、触れている。


 これは、きっと幸せな夢なんだ。


 私は乞われるままに、子守歌を口ずさんだ。


   眠れ眠れ 可愛めぐ緑子わくご

   母君ははぎみに いだかれつ

   ここちよき  歌声に

   むすばずや  うまし夢


「めぐみ、ずっとまってるから、パパといっしょに、むかえにきてね」


 眠りに落ちる寸前、少女はやわらかな笑みを浮かべて呟いた。


     *


「ユウ! ユウ!」

 ミカの声が聞こえる。

 目を開けると、瞼に留まっていた涙がポロポロと流れ出た。

 焦点の合わない視界で、ミカを見上げる。

「……ミカ……。私、あの子に会ったの……。迎えに来てって……、ずっと待ってるって……」

「夢でも見たの?」

「夢……?」

 ミカの声に、意識が覚醒する。

 周囲のざわめき。

 ぼんやりと光る通り。

 焼きそばの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 私は、迫る現実に小さく落胆した。

 ……やっぱり、夢だったんだ。

 けれど、抱きしめた小さな温もりは、確かにこの手に残っている。

「今日、地蔵盆なんだって。通りで子供が多いわけだ」

「地蔵盆?」

「知らない? 東京では珍しいみたいだけど、要は子供のお祭りよ。お地蔵さんは子供の守り神だからね。水子の供養も兼ねてお参りしてく? それとも、もう会ってきたようだから必要ない?」

 その言葉に、私は驚いた。ミカは確信を持った笑みを浮かべている。

「ここのお堂、水子地蔵が祀られてるんだって。()()()人もいるみたいよ。あんたは、会えた?」

「……うん」

 うなずくと、さして気にもしていないというようにミカは私の顔をのぞき込んだ。

「そう。なんか、すっきりした顔してる。憑き物が落ちたみたい」

「……きっと、憑いてたのは、私自身の怨念」

「だろうね。あんたの子があんたを祟るわけがないし。誰よりも、守ろうとしてたからね。子供も、それはちゃんと分かってるよ」

「あれ?」支えられて立ち上がると、ミカが声を上げた。

「パーカー濡れてるじゃん。どうしたの?」

 その言葉に、心臓が大きく跳ね上がる。


 夢……じゃ、ない……?


「雨……降ってた」

 呟くと、ミカが怪訝な顔をする。

「は? 降ってないよ。全くの晴天。降水確率ゼロパーセント。暑いったらないわ。やってらんない」

 ぼやくミカを後目にお堂を振り返る。

 何の変哲のない、木造の小さなお堂。

 その向こうに、白い浴衣の裾がひらめいた。


『ママ、だあいすき』


 耳の奥で少女の声が聞こえた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしいストーリーをありがとうございました。 良い時代になったものですね。 繰り返し読みたいのでシェアさせて頂きます。
[良い点] 中絶という決断への罪悪感に苛まれるユウの様子と、純粋にユウの愛情をお腹の中で感じ母を救いに来ためぐみの思いが伝わってくるところです。 [一言] 初めまして、太ましき猫と申します。 ユウ…
2014/10/11 21:32 退会済み
管理
[一言] 哀しいような怖いようなお話ですね。 気負いなく、淡々と綴って、ラストに持っていくところがうまいとおもいました。
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