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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
最終章:帰還
98/100

98.神様、少しの時間を大きな再会にしてください


 泣いたら視界が悪くなって運転できなくなる。ずびっと鼻を啜ってハンドルを切った。

『……カズキさん、ちょっと、休みますか?』

『大丈夫ですよ。あまりに遅刻すると、夕飯に待にあうなくなるので、進行しましょう』

『…………はい、すみません。そこ左です』

『ぎゃおす!』


 イツキさんにナビしてもらって、ホームセンターの駐車場に停める。停めさせてもらうので何かお客さんにならなければと中に入ったら、皆の盛り上がりが本日一番だった。とりあえず、ツバキはその神棚を置いてください。アリスちゃん、わんこはね、飼えないんですよ。ルーナ? スコップはですね、確かに戦時中何よりの武器になったと聞くけど、今の日本では持ち歩いてる人そんなにいないと思うんですよ。ユアン、折り紙はですね、色んな柄があってですね、大きさもいろいろあるし、なんと金と銀だけの特別なセットもあるんですよ。そうだね、全部買っていこうね。

 私は、除菌ティッシュと折り紙を購入して車に載せた。




『少し、歩きます』

 イツキさんに先導してもらって、私達はじりじり照る中を歩き始めた。皆、帽子をかぶっている。私もお母さんから渡された日傘がなければ即死だった。帽子にするつもりだったけど、私の帽子はユアンがかぶっているのだ。

 ランドセルを背負った子ども達が、きゃあきゃあはしゃぎながら通り過ぎていく。あれ? いま小学生が帰る時間だったなら、さっきショッピングセンターで見た制服組はサボリ?

『……僕、中学生の弟がいるんですけど』

 苦しさと切なさがない交ぜになった表情で周囲を見間渡しながら、ぽつりぽつりと、イツキさんが教えてくれる。

『さっき、同じ制服の男の子達を見ました……期末試験でしょうかね。誠二も、家にいるのかもしれません』

 サボリじゃなかった。ごめんなさい、見も知らぬ少年達。嘗てはあれほど苦しんだ試験だけど、ちょっと離れるところっと忘れてしまっていた。そうか、夏休み前の期末試験か。幾ら普段勉強してなくて、どれだけ勉強苦手でも、頑張ったほうがいいよ。夏休み補習ってほんと悲しいから。私も先生も悲しかったから!

 悲しみの夏休みをしみじみ思い出し、何気なく視線を向ける。

『ならば、あの少年も試験疲れで疲労真っ最中ですかね』

 公園のベンチでぼんやり座る少年を示したら、イツキさんが真っ青になった。

『カズキ! お前イツキ様に何を!』

 瞬時に間へ割り込んできたツバキの横を、イツキさんがするりと抜ける。そして、呆然と呟いた。

「セツ……」

 そう、呼んだ。




 少年は、こんなに暑いのに日陰を探すこともなく、じりじり照りつける太陽の下でぼんやりと道路を見つめている。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 そっと声をかけてみると、ぼんやりした動きで私を振り向く。

「すみません。余計なお世話だとは思いますが、熱中症になりますよ? 日陰に入って、何か水分を――!?」

 最後まで言う前に少年が倒れた。日傘を投げ捨てて支えて叫ぶ。

「ルーナ――!」

「セツ!」

 代表して私が声をかけただけで、皆も傍にはいてくれる。走り寄ってきたルーナが誠二君を掬い取り、素早くボタンを外しながら首の脈を取った。

『恐らく逆上せたんだろうが、気になるなら医者に見せたほうがいいだろう』

「きゅ、救急車!」

 お母さんから借りた携帯で救急車を呼ぶ。熱中症は怖いのだ。それに、いつから座っていたか分からない以上、重症度も判断できない。誠二君と同じくらい真っ青になったイツキさんは、誠二君の手を握り、がたがたと震えていた。




 救急車にはイツキさんが同伴して、私達は病院名だけ聞いて後から車で追いかけた。初めてくるところだから病院も分からなくて、車を停めていたホームセンターの店員さんに聞いたら親切にも地図を広げて教えてくれた。地図は105円だった。



「失礼します」

 病室なので、静かに声をかける。ベッドの傍に座っていたイツキさんは、私達が入ってきたと同時に立ち上がった。

「あ、座っててください。どうでした?」

「熱中症です。幸い重症化してないので、迎えが来たら帰れるでしょうと……よかった」

「そうですか。よかったですね」

「はい……救急車って初めて乗りました。同伴者って名前書かなきゃいけないんですね。焦りました……」

「え!? …………どうしたんですか?」

「…………すみません。お名前お借りしました。ご住所も」

「あ、どうぞ」

 字は一緒ですしねとこそこそ話していると、外でばたばたと音がする。

「誠二!」

 飛び込んできた二人を見て、イツキさんの顔が苦痛に歪む。痛くて痛くて堪らないと、今にも泣き出しそうに。それを見て、分かった。ああ、彼らがイツキさんのご両親だ、と。


 きっと、お母さん達より若い。なのに、やつれて隈の消えない顔は色濃い疲労でまるでお母さん達より年上に見える。

 汗だくになり死に物狂いで病室に飛び込んできた二人は、ベッドで点滴を受けて眠る誠二君の手を握って頽れた。

「誠二、誠二っ……!」

 イツキさんのお母さんは泣いている。お父さんも、苦しくて堪らないと俯く。眠る誠二君の手を離すと失ってしまうといわんばかりに、縋りつくように握りしめていた。

 よろめいたイツキさんが壁に背をつけた音で、お父さんが初めて同室者の存在に気付いて振り向いて、ぎょっとする。色とりどりの髪色の外人が並んでいるのだ。そりゃぎょっとする。寧ろ、よく最初に気付かなかったものだ。それだけ、誠二君が心配だったのだろう。

 それでも、動揺はすぐに感謝の念へと姿を変えたらしく、イツキさんお父さんは目を潤ませて頭を下げた。

「貴方達が誠二を見つけてくださったんですか。本当に、本当にありがとうございます!」

「この子、最近全然眠れていないみたいで……先生も、疲労だと」

 鼻を啜りながらお母さんも頭を下げる。痩せて、がりがりになっていた。誠二君も、痩せて、顔色も悪くて。とても、育ち盛りの中学生の男の子に見えない。

 イツキさんにとって、長かった十年。同じくらい、彼らにも長くて長くて堪らない十か月だったのだ。

「……私、ではなくて、彼が、付き添ってくれたんです」

 皆の陰になる隅に隠れていたイツキさんを示す。イツキさんの眼が驚愕に見開かれる。非難するような、救いを求めるような、何とも言えない縋りつく視線に首を振って答えた。伝える伝えないは私が決められる問題じゃない。だけど、せめて、話す相手は私じゃなくて彼がいい。

 例えそうと知らずとも、ご家族は、彼と話がしたいのだ。



「そうですか。貴方が。本当にありがとうございました」

「誠二に代わってお礼を申し上げます。あの、宜しければお名前を」

 イツキさんは、もうそんなに長くない前髪で顔を隠そうと俯き、視線の位置を自分の足元に固定した。

「名乗る程の事じゃありません。どうか、お大事にと、お伝えください」

「そんなこと仰らないでください。是非お礼をさせて頂きたいんです」

「いえ、本当に、結構ですから…………皆様、どうか、お元気でお過ごしください。それで、本当に、充分です」

 俯いたまま部屋を出て行こうと踵を返したイツキさんがお母さんの前を通り過ぎる。取り付く島もない様子に、お父さんも残念そうに肩を落とした。

「……行きましょう、皆さん」

 反射的にイツキさんの手を握る。それでも進もうとするイツキさんと手を繋いだまま、私は一歩も動けない。

 イツキさん、本当にいいんですか。本当に、最初で最後の機会を、これで終わらせていいんですか。イツキさん、止めていいなら止めますから、お願いですから、止めてほしいって願ってください!

 身勝手にもそう願う私の後ろで、小さな呻き声が聞こえた。

「誠二!」

「目が覚めたの、誠二!」

 お父さんとお母さんがベッドに駆け寄る。気が付いた誠二君の手を握り、よかったと涙ぐむ二人を見て、イツキさんは寂しそうに微笑んだ。

『行きましょう』

「父さんっ、母さんっ、そいつ捕まえろ! 縛り上げろ! ぶん殴れ!」

 儚い微笑みが、怒声に凍りつく。

「お前、何失礼なこと言ってるんだ! お前を助けてくださった方だぞ!」

 目を覚ましたばかりだというのに、蒸気機関車の如く感情を滾らせる誠二君は、点滴が刺さっているのもお構いなしに枕を投げつけてきた。イツキさんに向けて投げられたそれは、前にいた私の顔面にクリティカルにヒットした。


「どこ行く気だ! このっ、馬鹿兄貴!」


 病室内が凍りついた。

 冷房、効きすぎじゃないだろうか。






「お前、何言って……」

 お父さんの震えた声に、誠二君はぎっ、と、強い光でイツキさんを睨み付けた。でも、前にいる私に凄く突き刺さる。

 誠二君は、点滴の棒を忌々しげに掴んで、スリッパも履かずに駆け寄ってきた。まだ無理はしないほうがいいよと伝えたかったけど、さっきまでの青白さはなんのその。暴走特急だ。機関車みたいにかっかしてる。

「おい、兄貴」

「…………人違い、ですよ」

「俺のことセツって呼ぶ奴が、他にいるか!」

「人違いだ!」

「兄貴っ!」

 逃げようとするイツキさんの腕を掴み、誠二君が背伸びした。

「そんな、全然変わってねぇ目してくるくせに、騙せると思ってんのかよ! 俺はずっとあんたを見上げてきたんだからな!? 下から見るあんたの顔を、俺が間違えると思ってんのかよ!」

 振り払おうとする腕にしがみつく誠二君の後ろから、お父さんとお母さんも必死に手を伸ばしてイツキさんの肩を掴んだ。身体を竦めて顔を隠そうとする頬をお母さんが掴み、強引に自分に向ける。

 まじまじと見つめる瞳に、みるみる涙が膨れ上がっていく。

「本当ね……一樹だわ……どうして気づかなかったのかしら、どう見ても、一樹なのにっ……! あなた、今まで、どこに!」

 泣き崩れたお母さんごとイツキさんを抱きしめたお父さんも、人目も憚らず声を上げて泣いた。

「探した……探したんだぞ……俺はずっと、一生だって、探し続けるつもりでっ…………」

 三人に抱きしめられたイツキさんは、真っ青にがたがた震えている。抱き返すことも出来ず身体の横に落ちたままの手は、硬く握りしめられていた。

「気味が、悪くないの。どうして、そんなっ、だって、僕はもう、二十六だよ……」

 震える声で脅えるイツキさんの手に、誠二君が触れる。

「ずるいよ、兄貴。自分だけでかくなっちゃってさ」

 そうして、その腕に額をつけて涙を流す。

「…………会いたかったんだ、兄ちゃん。それだけじゃ、いけないのかよ。あんたがここにいる。それだけで、もう、後のことはどうでもいいくらい、俺達は、あんたに会いたかったんだよ」



 イツキさんの喉から嗚咽が止まらなくなったのを聞きながら、私達はそっと病室を出た。しばらく家族水入らずにしてあげよう。そう決意した私は、はっとなる。ナースステーションからカートが出発したのだ。

 検温に来た看護師さんに、どうか今は、ほんとすみません、二度手間すみません、でもどうか今は水入らずでご勘弁をと、何度も頭を下げる。ほんとすみません。

「それ、何かのコスプレ?」

 特に気を悪くしたりせず、快く頷いてくれた看護師さんの邪気の無い問いに、私は、信号機ですと答えた。ちなみに私は、停電した信号機です。







『セツっていうのは、僕があの子につけた渾名なんです』

 車に乗る前に、イツキさんはそう教えてくれた。

『昔、僕がいっちゃんって呼ばれてるのを聞いて、自分も渾名が欲しいって駄々をこねたことがあったんですよ。じゃあせいちゃんって呼んだら、同じ園に誠也君がいて、せいちゃんはもういるから駄目だって。でもお揃いがいいって言うから、イツキのツと、セイジのセを混ぜればいいかなって。……小学生なりに考えたんですよ』

 そう照れくさそうに笑うイツキさんに、ツバキがちょっと複雑そうだった。そのツバキはいま、イツキさんと一緒に私の車の後ろを走っているイツキさんちの車に同乗している。

 イツキさんのご家族も一緒に我が家へ向かっていた。どうしても明日は仕事を休めないけれど、うちの近くのホテルから出発するそうだ。誠二君もそのお父さんの車に乗って試験だけ受けて、お母さんの迎えの車でまた帰ってくるという。

 行きより二人分開いた車の後部座席では、シートを全部倒している。ユアンは楽しそうに広々と使って転がっていたけど、いつの間にか眠っていた。目新しいものばかりで疲れたのだろう。いつの間にかアリスもうとうとしては、ユアンに蹴られている。寝相ってどうやったら直るんだろうね。


『よかったな』

『ねー』

 後ろを起こさないように声量を下げて会話をする。

『……なあ、カズキ』

『はぁい?』

『イツキにはもう確認を取っているが、あの石は、どうする?』

『どう、とは?』

 あの石が何かが分からないほど、そんなに多くの心当たりはない。あの石とは、あの石だろう。今も車のトランクに入ってはいるけど、ほんのりとしか光っていない、あの石。でも、少しずつ光は強くなっていた。

『こっちに来たときにあれほど黒い個所が増えたのなら、恐らく、戻ればもう使えなくなるだろう。イツキは、その権利の一切を手放すと言った。お前があれを所持したいのなら、ずっと持っていることは可能だ』

「砕いて」

 一瞬も、迷わなかった。

『……いいのか?』

「いい。砕いて」

 誰も、二度と私達のような思いをしなくていいように。

 それは誰かの可能性を潰すかもしれない。誰かの出会いを奪うものかもしれない。

 それでも、失わなくていいものを失う必要はないのだから。




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