96.神様、ちょっと真夏のホラーです
『カズキ』
もっと寝ていたかったけど、ルーナに呼ばれる方が嬉しかったから、半分以上目を閉じたまま返事を返す。
『おはようごじゃります……』
『悪い、誰か来た』
『え!?』
一気に目が覚めた。慌てて飛び起きる。すぃっと避けたルーナは流石だごめんなさい。
目を擦りながら周りを見ると、カーテンが開いていてまだ強い西日が差しこんできていた。いつの間にか全員起きていて、片膝をついたまま固唾を飲んで玄関を見つめている。
インターホン鳴っただろうか。インターホン鳴って気づかなかったなんて、ずいぶんぐっすり寝入ってしまっていたようだ。暑い日に冷房の効いた心地よい部屋でのお昼寝。住み慣れた自分の部屋で、ルーナとお昼寝。最高でした。
ピンポーン。
そんなことを考えていたらインターホンが鳴った。イツキさん以外の身体が跳ねる。声は上げなかったものの、あれはなんだと驚愕の眼で私を見た。
どうやら今のが初鳴りだったらしい。そうだ、この人達は気配を読むのに長けていた。扉の前に立っている段階で気配を察知して起きるくらい朝飯前だ。知ってた。でもびっくりした。
「一樹ー? いないのー?」
「美紗姉!」
上から二番目の姉だ。美代と名前が似てるから、美代のこと美紗って呼んじゃったことがある。ごめん、二人とも。
走って玄関を開ける。
「やっほー。私、今日早番だったから五時上がりだったんだー。あ、車はあっちのスーパーに停めてきた。んで、はい。プリーン」
ここから車で一時間くらいの所に住んでいる美紗姉は、車を停めさせてもらったお詫びとお礼を兼ねて購入したプリンをくれた。他にもちょこちょこ甘いものが入っている。遊びに来てくれる時もいつも、木村スーパーでお菓子を買ってきてくれるのだ。
「ありがとう、美紗姉。あの、それで」
「ねえ、なんかお茶頂戴。喉渇いちゃって。今日もあっついわねー」
「あ、うん」
パンプスを脱いで、ついでにストッキングも脱いだ美紗姉は、暑い暑いと胸元を開きながら自然な動作で私の横を通り過ぎた。いま何時かなと、ガスのスイッチの所に表示された時計を見ていた私は、反応が遅れる。ちなみに六時十五分だった。
「あ、ちょ、美紗姉!」
「え? なに?」
台所なんて数歩で通過してしまう。
いつもみたいに寛ごうとリビングに視線を向けた美紗姉は、ぴたりと止まって固まった。その手からするりとストッキングが落ちる。ふさりと落ちたストッキングが寂しい。
「……わあ、カオスー」
それが、美紗姉が皆と交わした最初の言葉だった。
簡単に、異世界行って帰ってきて、異世界行って帰ってきたと説明する。美紗姉は、ちょこちょこ質問をしてきたけど、後は黙って聞いてくれた。
今度は石が手元にあること。こっちでも条件が同じかは分からないけど、次の満月は五日後であること。
私も、一緒に行きたいこと。
否定も笑い飛ばすこともなく全部聞いてくれた美紗姉は、私が話し終わったのを確認して、深い深いため息を吐いた。そして、ぐるりと部屋の中を、皆を見回す。
「…………とりあえず、着替え、買ってくるわ。あんた、幾らなんでもこれあんまりでしょ。イケメン達に何してくれてんのよ」
そう言って、ふらりと立ち上がる。
「美紗姉……イケメン好きだよね」
「大好き」
暗くなってきた部屋に気付いて慌てて電気をつけたけど、美紗姉の顔色は真っ白なままだ。
「……信じて、くれるの?」
「何言ってんのこの馬鹿ついに本物の馬鹿になったかいや元々本物の馬鹿だった、とは思った」
そこまで一息で言い切った美紗姉は、苦笑して私の額を小突いた。
「あんたは馬鹿だけど、無意味に嘘つかないし、こんな心臓に悪い嘘はつかないし、嘘って分からない顔で嘘ついたり出来ないって、知ってるからね」
「美紗姉……」
「まあ、他にも理由はあるけど、何はともあれイケメンのウエストと股下測っていい? 後、肩幅。いやぁ、役得役得!」
「美紗姉!?」
しんっと静まり返った中じゃ気まずいにも程があるから、テレビでも見て寛いでほしいという美紗姉の要望通り黙々とテレビを見ていた皆が計測されていく。青褪めても美紗姉のパワーは圧倒的だった。言葉が通じないはずなのに皆の動揺が薙ぎ倒されていく。言葉が分かるルーナとイツキさんさえ無言だった為、爛々とした美紗姉の圧倒的パワーだけが輝いていた。無言というか、何を喋ればいいか分からなかったのだと思うけど。
「じゃあ、買ってくるわ。お母さん達には私から大まかな説明先にしとくね。それと、たぶんどっかで夕飯になるから、今から予約取れるとこ探しとくわ。あんたはでかけないように。あ、皆さん食べられない物とかあるかな?」
「分かんないけど、木村スーパーのシェフの気まぐれランチは和洋中全部好評だった」
「おっけー。どこでもいいね!」
ほくほくとした笑顔で美紗姉が出かけていく。気をつけてねーと見送って、振り向いたら全員隅っこのほうにいた。ルーナだけが静かにこっちに戻ってくる。心なしかぶすっとしてる気が。あの、ごめんね。美紗姉はいいお姉ちゃんなんですよ。ただ、イケメンが大好きなだけで、あの、ほんとごめんね。怒るなら、是非とも、止められない無力な妹をですね。
ルーナは、真顔で私を見下ろした。ごくりと誰かの喉が鳴る。その内の一名は確実に私だ。
『お前は、俺にも甘えろ』
『……甘えるてた?』
『かなり』
溢れだす末っ子パワーは隠せなかったらしい。それをルーナに見られていたかと思うと、思わず赤面した。
美紗姉が帰ってくるのと、お母さん達が到着したのはほぼ同時だった。美紗姉が買ってきてくれた服を皆が着ている間、私達は台所でぎゅう詰めになっている。
イツキさんだけは、着替える前に脱衣所で髪を切っていた。成人の男性でこの髪の長さは目立つ。美容師の亜紗姉は快く引き受けてくれたけど、前髪切るように買っていた散髪用のはさみの切れ味が悪いと怒られた。そう言われましても、買ったばかりです。
家族が揃うといつもはわいこわいこと騒がしいのに、今は奇妙な沈黙が保たれていた。じゃくじゃくと、髪が切られていく音だけが響く。
リビングでは、服の着方に悩む声とかいろいろ聞こえてくるけど。イツキさん、早く戻ってあげてください。
『しかし、異界渡りの状態が以前と違うということは、石自体が変質しているということか?』
『だろうな。そうでなければ、以前カズキだけが消えたことに納得がいかない』
『……納得いくかどうかじゃないんじゃねぇの?』
『この服、イツキ様が最初に着用されていた服の構造に似てるな。なんだっけ……チ、チヤック。チアック? チアップ?』
イツキさん、早く戻ってあげてください。
チャックが未知の物体になっていくのを聞きながら、私はこっちの沈黙を打ち破ろうと努力した。
「み、美紗姉! お金払う。レシート頂戴」
「社会人舐めんな。要らないわよ」
「そういう訳にはいかないよ!」
そこまで甘えるわけにはいかない。食い下がる私の肩を、お母さんがぽんっと叩いた。
「大丈夫よ。あんた、そっち行くんだったら大学中退するんでしょ? まだ後期の学費振り込んでないから、そこから美紗に払っとくわよ」
けろっと言ったお母さんに目が丸くなる。美紗姉が大まかな説明をしてくれているらしいけど、怒られるだろうか、信じてくれるだろうか、悲しませてしまうだろうかとそわそわしていたのに、お母さんは、あら、洗濯物? と腕捲りしてお風呂場に突入していく。
「お母さん!?」
「何よ、おっきい声出して。千紗、手伝って。今日は一晩中晴れるから、今から干しときましょう」
「信じてくれるの!?」
「一樹、声が大きいわ。ちょっと寄って。お母さん、洗剤これでいい?」
千紗姉から、よいしょと洗剤を受け取ったお母さんは呆れた顔になった。
「信じるしかないでしょ」
「だって、荒唐、無稽じゃない?」
「あんたが難しい単語をっ……!」
「お母さん!?」
うっと涙ぐんだお母さんに変わり、亜紗姉が私を引っ張る。
「美紗姉が、あんたが向こうの言葉で会話してたって言ったから、皆、信じるしかなかったのよ」
「え?」
「考えてもみなさいよ。あんたが! 新しい言語を覚える、そして覚えられるなんて、何か特殊な事態があったとしか考えられないでしょ」
なーるほど!
物凄く納得した。何よりの説得力を誇ったのは、私の馬鹿だったのである。
私とイツキさんの頭がすっきりとしたところで、イツキさんが着替えに行く。そして、ルーナ達が出てきた。美紗姉がにんまりと笑って、私を突っつく。
「ねえねえ、一樹! あんた、そっちの世界で生きたいなんて……さては好きな人ができたわね!」
「す、好きな人!」
「お父さんうるさい。ねえ、一樹、この中にいる!? この中でどれ!?」
「この中に、お父さんの未来の息子が! あ、なんかどきどきしてきた」
赤面したお父さんが両手で頬を押さえて身悶えている。お母さんと千紗姉も脱衣所から顔を覗かせていた。
「ねえ、いるんでしょ? 白状しちゃいなさいよ!」
せっつかれて、ちらりとルーナを見る。
「えーと、ルーナと、婚約、しました」
皆が目を見開いた。
「両想いどころかそこまで行ったの!? でかした!」
「ちょっと、どの人がルーナかお母さんに教えてから盛り上がりなさい!」
お母さんが怒る。
「どれ!? どれがお父さんの息子!?」
お父さんが泣き出しそうだ。
「えーと、ルーナ、です」
私が前に押し出したルーナに、お父さんがわっと泣き出した。
「うわぁ、イケメンだ、イケメンだよぉ……。パ、パパでちゅよーとかやったほうがいい!? ねえお母さん、どう思う!?」
「子ども達が生まれた時と同じ行動取ってどうするんですか。ちょっと落ち着いてくださいよ」
お母さんに諭されて、お父さんは落ち着こうと正座する。いつもなら体育座りなのに今日は正座だ。お父さんは混乱しているのか見栄を張っているのか気になったけど、まあいつもの通りだったし、私は何より優先すべきことを伝えようと口を開いた。
「あの、皆」
皆の視線が私を向く。
「ルーナ、私よりよっぽど」
「…………初めまして。ルーナ・ホーネルトと申します」
「日本語、話せるよ」
時が、止まった。
「あんたが馬鹿なせいでいらない恥かいたわ」
美紗姉は運転しながらぷりぷり怒っている。私は助手席だ。後部座席ではアリスちゃんとユアンがシートベルトを握り締めて、流れるネオンを何かの仇みたいに睨み付けていた。
ルーナと話がしたいというお父さんとお母さんと千紗姉の強い要望により、ルーナはお父さんが運転するワゴンだ。亜紗姉は欠伸してたけどワゴンに乗り込んでいった。イツキさんは悩んだ結果、ワゴンを選んだ。ツバキが絶対イツキさんの傍を離れないので、既に四名が乗り込んでいた美紗姉の軽には乗れなかったのである。
悩んだけど、石は一応こっちの車に積んでいる。丁寧に布で包んで固定してるからたぶん発動したりしないだろうけど、万が一発動してしまったら、二台に別れてる状態だと困る。
私達はお店でご飯を食べた後、実家に戻る途中だ。今は石があるから、あの部屋に固執する必要はないと思う。それに、イツキさんもそうだったけど、私達が向こうに行った時に月は関係なかった。だから、部屋やこっちの世界に石があるとかじゃなくて、向こうの世界の石が関係していたんだろうという結論になった。たぶんだけど。
そして、私の部屋で六人は狭すぎるという結論にもなった訳で。
そんなこんなで、夜の街を実家目指してランデブー。洗濯物は、家で干すことにしてビニール袋に入れて持ち帰ることにした。アイスとプリンは皆で食べた。美味しかった。
「そりゃ馬鹿だけど、なんで私のせい?」
「だって、あんたが馬鹿だからあの人が日本語覚えたんでしょ?」
「なんで知ってるの!?」
「お姉ちゃんは何でもお見通しなんですよーっていうか、多分みんな知ってるわよ」
「皆エスパーってずるいと思う。なんで私にも遺伝しなかったの?」
「いや……お父さんは知らないかも」
「お父さんが遺伝した! じゃあ禿げないね!」
「お父さんの家系ふさふさだもんね。よかったわね。お母さんの家系もふさふさだけどね」
前を走るワゴンではどんな会話が繰り広げられているんだろう。そういえば、前に乗ってるメンバーで日本語話せないのツバキだけだ。疎外感満載だったらどうしよう。私も一緒に乗ってツバキと話していたほうが良かっただろうか。いや、でもイツキさんいるし大丈夫かな。
そんなことをぼんやり考えていると、ミラー越しに美紗姉と目が合った。
「あのさ、一樹」
「うん?」
「私達、反対してないけど、別に賛成してるわけでもないからね」
「……うん」
赤信号で停まると前の車の様子が少し見える。後部座席のイツキさんが、横に座っているツバキに何かを教えて指差していた。
「特に去年だけど、あんたずっと元気なかったでしょ。その理由が私達にもようやく分かって、だから、あんたが向こうで生きたいって言った時、ああ、やっぱりって思ったよ。去年のあんたは、何を無くしたんだろうって皆思ってた。そんなあんたを知ってるから反対しないだけで、手放しで賛成してるわけじゃないからね」
青になって動き出す。
「あんたが自分の人生を見つけたって言うんなら、例えそれが異世界でも応援はしてあげたい。でも、わざわざ余計な苦労しなくてもとは思うわよ。家族だもん」
「うん」
「信じざるを得ない条件が揃ってる状態だし、あんたはもう決めてて、時間があんまりないから、泣き叫ぶより楽しい時間を過ごしたいってなってるだけだって、忘れるんじゃないわよ」
「うん……ごめん、美紗姉」
「何が」
「迷惑、かけて」
「イケメンの面倒を見ることの何が面倒なもんですか!」
『マ、カズキ』
後ろから控えめに聞こえてきたメカジキに、慌てて振り向く。
『ユアン、どう致した? 酔った?』
『俺は平気だけど、アリスが』
『え!? アリスちゃん!?』
船で酔っていたアリスちゃんだから、車にも酔うかもしれない。船は、最終的には平気になっていたから大丈夫かと思っていたけど甘かった。しかし、アリスは酔っていなかった。いや、酔ってる!? 凄い無表情!
微動だにしないアリスに、美紗姉も慌てる。
「私の後ろの人大丈夫!? ミラーに映ってるの、真夏のホラー特集みたいになってるんだけど!? 乗せた覚えがないのにいつの間にか乗り込んでる奴だよ、これ!」
『アリスちゃん!? アリスちゃーん!?』
「ちょ、せめて瞬きするように言ってくれる!? イケメンなだけに迫力が半端ないわ! もしもーし! 死んでたら返事してください!」
沈黙が落ちた。美紗姉はぱっと笑顔になる。
「返事がない! 生きてるわよ!」
とても素敵な笑顔だった。




