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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
最終章:帰還
94/100

94.神様、ちょっと懐かしい夏です

 バスタブから這い出た私とイツキさんは呆然と、重なり合った惨状を見つめる。私達に押し潰された上にぎゅうぎゅう詰めになっていた四人は、なんとか一息できる体勢に落ち着いて初めて周りを見た。

 バスタブに並ぶ、見慣れた人達のぽかん。見慣れた場所+見慣れた人達=すっごい違和感。なんだこの方程式。こんなの教科書に載っていたら放り投げる。載っていない教科書も放り投げたけど。

『……カズキ、ここは、どこだ?』

 身動ぎ一つしないルーナの問いに、ごくりと皆の喉が鳴った。

「私の家……というか、部屋」

「……カズキさん、向こうの言葉で言わないと」

『カズキの部屋? じゃあ、ここは異世界か!』

 ルーナが叫んだ。

「分かるんですか!? 日本語!?」

 イツキさんも叫んだ。

『異世界だと!?』

『カズキの部屋熱い!』

『イツキ様の世界!?』

 皆も叫んだ。

 私はそれら全てを聞きながら両手で顔を覆った。

 どうしよう、これ。

 後、ユアン君。それは仕方がない。だってこっちは七月ですよ!? 



 とりあえずお風呂場から出よう、そうしよう。

 言葉を覚えるんじゃなくて、覚えてもらう手があったなんてと、なんだかショックを受けているイツキさんが先陣を切ってお風呂場から出ようとして、ぴたりと止まる。

「カ、カズキさん! 新聞ないですか!?」

「ないです! ちょ、ちょっと待ってください!」

 慌てて靴を脱いでいるイツキさんの横で私も脱ぐ。実家ならいつもすぐ溜まって捨てるの大変なのに、一人暮らしだと新聞無くて困ることが意外とある。新聞って、下に敷いたり詰めたりするのにかなり便利だ。後、脱臭。

 靴を脱いでも、服がまずい。煤と砂と泥と、血が、ついている。

「猥褻物陳列罪警報発令!」

 回れ右して服を脱ぐ。流石にこれで部屋に突入する度胸はない。サスペンスの定番、ルミノール反応が出てしまう。

『カズキ!』

『せめて分かる言葉で予告しろ!』

「カズキさん!」

『え、ちょ、何!?』

『うわー、見たくないわー』

 後ろでごんごん音がする。回れ右をしてくれた皆の防具がぶつかり合った音だ。狭くてごめんねと謝りつつ、服を置いて、更に髪をぶんぶん振って砂を落とす。軽く跳ねて固まった泥が落ちなくなったのを確認して、長いキャミソールと下着でお風呂場を出る。バスタブでは、ルーナとアリスに目隠しされているユアンがもがいていた。


 ぺたりとフローリングの床が素足に張り付く。視界だけじゃなくて、足先から感じる懐かしい違和感に込み上げるものを振り払う。今はそれどころじゃない。1Kの私の部屋は、脱衣所の真向いがトイレ。トイレに向かって左が台所、その奥の扉の先が居住空間だ。

 私は、炊飯器と食器を乗せているレンジ台の下からゴミ袋を引っ張り出した。ちなみにレンジは、レンジ台じゃなくてツードアの冷蔵庫の上にいる。

 一枚一枚は薄いけど、重なると結構重たいゴミ袋を握り締め、額をつける。あ、コンロの側面にカレーの垂れ後が。

 お風呂場で水音と、うわっと悲鳴が上がる。どうぞ節水を心掛けて頂けると非常に嬉しいです。

 待って、お願いだから待って。考えるから。ちゃんと考えるから。だって、だって、どうしよう。こんな、一か月で一年だよ。一日で…………どれくらい?

 ちょっと、計算できなかった。

 携帯は置いてきた。電卓は持ってない。パソコンだ。パソコンつけて……。

 関節が固まったみたいにうまく動かない。どっ、どっと心臓が鳴っている。駄目だ、しっかりしろ。しっかり、しろ。

 ビニール臭い袋から顔を離し、よしっと気合いを入れてお風呂場に戻った。



『これなるの中に、洗濯必須な服を纏め上げてください。靴はこちらに陳列致してよ』

 半透明のごみ袋を数枚引き抜き、それらは床に敷き詰める。後は全部纏めて渡したら、全員固まった。

『カズキ……これ、クラゲ?』

『生物では無きよ、ユアン。袋。びにーる袋』

『びにゅーる?』

『びにーるよ』

 あんまりびよんびよんしたらすぐ破れるよ。それは安い分、薄いのです。分厚いのはゴミがたくさん入るけど、その分高いし枚数も入ってないのだ。

 まじまじと眺めている皆を急かして、とりあえず装備を全部外してもらう。危険はないからとイツキさんと一緒に説き伏せて、武器も全部並べてもらう。

 ……脱衣所が埋まった。皆、外に見えない武器を持ち過ぎである。

 圧巻の武器を見下ろしていたイツキさんが服を脱いだ時、どこんと重たい音がした。

「いっ……!」

『イツキ様!?』

 足を押さえて飛び上がったイツキさんの足元にしゃがみ込んだツバキに、狭い脱衣所で追突事故が広がっていく。狭くて本当にごめん。

『これ……』

「え?」

 呆然とした声で持ち上げられたのは、半分以上点滅が消えた、あの石だった。




 瓶は置いてきて自分だけ渡ってきたらしい石は、とりあえず水場から離そうと窓際に干してきた。点滅が消えた場所は電球が切れたみたいに真っ黒だ。点滅の光も酷く弱い。でも、こっちは水に浸けて条件を揃えたら光り出す可能性が高いそうだ。他の石もそうだったらしい。


 そして、問題はこれからだ。

 防具を外し、汚れた上着を脱いでもらってもまだ悩む。泥だらけ煤だらけ何かは判断をつけたくない黒い染みだらけ。

 いや、汚れは致し方ない。だって大規模な戦闘の後だ。皆が死に物狂いで助けに来てくれたのだから、それに対してどうのこうのいうつもりはない。ないのだけど、一人ならともかく、この人数がこの惨状で台所を通って部屋に行くと、大惨事掃除大変が勃発する。

『しょ、少々待機!』

 皆を脱衣所に押しとどめ、部屋に走り込んでパソコンをつける。起動している間にそわそわ待ち、ようこそを経てぱっと変わった画面の右下に視線を滑らせた。

「………………え」

 日付は、私が向こうに行った日のままだ。時間は三時過ぎ。時間だけが数時間過ぎているけれど、日付は変わっていない。何度も確認して見間違いではないと確かめる。

「前と、違う」

 以前は伸びた髪も何故か向こうに行く前と同じ長さになっていた。だけど、今回は向こうで切られて伸びたあの髪のままだ。それに、以前はあれだけ引っ付いていたルーナは置いてきたのに、今回は全員揃ってこっちに来てしまっている。

 以前と違う。それを念頭に置かなくてはいけないようだ。違う違うと比べられるほど経験してないけど。

「一年、経って、ない?」

 いつの間にか後ろから覗きこんでいたイツキさんが、呆然と呟いた。

「僕が、いなくなって、一年、経ってない」

 イツキさんの言葉が止まる。そして、表情も動かなくなった。震える両手で顔を覆い、長い髪をぐしゃりと握りしめる。

「帰れ、ない。こんなんじゃ、会えないっ……」

 泣き崩れたイツキさんに駆け寄ろうとしているツバキは、そこから動くなとでも言われたらしく、ただのスライドドアしかないそこで足踏みしている。酷く切羽詰まった顔で、そのドアさえ閉まっていないそこに結界でもあるかのようだ。



 しんっと静まり返った部屋の中で、私は自分の頬をばしんと叩いた。ぎょっとした視線が集まる。私だ。私が考えなくてどうする。だって、ここの部屋主だ。皆お客様だ。おもてなしは部屋主の仕事だ。

 今こそ、私が向こうで心配しなくてよかった衣食住の恩を返す時が来たのである。不安で不安で堪らなかったとき、私の心配を言葉と己の馬鹿だけにしてくれた皆へ、黒曜とか祭り上げられた幻想じゃなくて私自身が返せるのだ。

 まず、すること。

『皆、怪我は!?』

 怪我の有無の確認からだ。ぱっと見でろでろでも実は大怪我をしているということが……既にでろでろの場合はどうしよう。大怪我している人がいたら、保険証どうしよう。




 幸い全員軽症で、よかったと胸を撫で下ろした私とイツキさんは、くらったら怪我どころじゃなくて即死だったからなとしれっと言ってのけたルーナ達に頭を抱えた。怪我の程度は家でどうにかできる範囲だとは思う。ただ、如何せん治療道具がない。あるのは消毒液と絆創膏くらいだ。

 傷口を消毒する前に清潔にもしなければいけない。着替えだ。着替えがいる。今は七月、夏真っ盛りだ。冬服のように一式揃えなくていいのはありがたいけど、何はともあれ最低でも下着一式はいる。パンツとシャツ、パンツとシャツとぶつぶつ呟く。

 財布は向こうだ。カードの類も一切合財向こうで、携帯も向こう。でも、いま私の部屋には、もしもの時の為の現金五万がある。

 これは一人暮らしする際のお母さんの教えだ。

 五万。五万あれば、何かあってスーツだの喪服だの一式を急遽揃えなくちゃいけなくなった時でも何とかなる。残った分をお財布に収める余裕だってある。飛行機で飛んでかなきゃいけない時でも焦らなくていい。だから、絶対に手持ちに現金で五万は構えておきなさい。そう言って、大学一年生の春に五万をくれた。幸いそんな事態に陥ることなく今日まで大事にしまってきたそれを、使う時が来たのだ。ちなみに、修学旅行の時は制服の裏に一万を縫いつけてくれた。備えあれば憂いなし。あんたは馬鹿だけど、ちゃんと備えてさえいれば馬鹿でもなんとかなるから安心しなさいと言っていた。ありがとうお母さん。おかげで馬鹿でもなんとかなりそうです! お金って大事! お母さんの知恵袋って凄く偉大!

 歩いていける範囲にショッピングセンターないのが痛いけど、コンビニならある。コンビニにも男性用の下着やら何やら売っていたはずだ。高いけど。

 私はクローゼットを開け、中に敷いている消臭紙の下から五万円を取りだし、ぎゅっと握りしめた。ついでに着替えも取り出してお風呂場に戻る。

 方針は、決まった。

『お風呂に入るよ!』

『何故だ!』

 洗濯機を開けて中を覗き込んでいたアリスちゃんが吼える。

『母に救助を申し立ててくる故に、伝達してくるからよ!』

 方針、家に助力を乞う! 以上!

 私一人の手に負える問題じゃない。助けて、お母さんの知恵袋!

 携帯がない以上、外に出て連絡を取ってこなければならない。でも、こんなでろでろで出かけられないのである。

『一番風呂ごめん。だが、私が外出している合間に、皆、順序入浴してぞ!』

『僕が入り方を教えます』

 イツキさんより憔悴してみえるツバキを見かねたのか、無理やり笑顔を浮かべて脱衣所に戻ってきたイツキさんが片手を上げた。 




 でろでろのメンバーで飛び込んだバスタブが悲惨なことになっている。バスマジックリンクリンを噴射して猛スピードで磨く。床は足で擦りまくった。ちょっと待って。すぐ掃除してすぐ汚れ落として、すぐ電話してくるから。

 シャワー全開で流しながら、そうだとイツキさんを振り向く。

「イツキさん、私、男兄弟がいなくて今一分からないんですが」

「はい?」

「皆のパンツとシャツのサイズ、Mですか? Lですか? たぶんSじゃないとは思うんですけど、うち、お父さんしか男の人いないからよく分からないです」

「ああ、えーと」

 じぃっと皆を見つめて、イツキさんも首をひねる。

『ええと……ツバキ、ちょっと脱いで。寧ろ皆さん脱いでもらえますか』

 冬服では分からなかったようだ。

「とりあえずLだと間違いはないんじゃないかなぁと。ユアン君はMでも充分そうで………………予告して入ってもらえませんか」

 曇りプラスチック扉の向こうから恨みがましい声が聞こえてきた。すみません。どうせシャワー噴射するならもう浴びちゃえばいいんじゃないかなと。

 ぐわーっとお風呂場を洗い、ついでに頭を洗って、身体も洗う。皆が後ろを向いてくれている脱衣所に手を伸ばし、タオルと着替えを引っ張り込む。中で着替えると濡れるけど、脱衣所で着替えるわけにもいかないから仕方ない。身体が乾く前に無理やり服をかぶる。急がないと駄目だ。

 お母さんが夕飯の買い物行く前に連絡しないと怒られる。夕飯用意した後にこっち来てと言ったら、絶対怒られる。

 わしわしと髪を拭きながらお風呂場を飛び出す。

『遅刻して申し訳ございませ凄まじく暑い!』

 脱衣所すっごい暑い!

 むわっとした湯気が充満して、シャンプーの匂いが沸き立つ。

 慌てて部屋に駆け戻り冷房を入れる。すっかり忘れていた。ごめんなさい、文明の利器! 愛してる!

 脱衣所に走って戻り、洗面台に引っ掛けてあるドライヤーを引っ掴んで炊飯器のコンセントを奪う。台所にどかりと胡坐を組んでスイッチいれた瞬間、イツキさん以外が戦闘態勢に入って怖かった。予告しなかった私も悪いけど、問答無用で短剣を引き抜いた三人は正座してください。私、武器は全部置いてくださいと言った気がするんです。その短剣、床に並べてたのじゃないですね。さあ、どこから出した。素直に全部出したユアンを見習ってほしい。そのユアンはいま、クールにしたドライヤーの風を気持ちよさそうに受けている。ユアン、二番風呂いってらっしゃいませ。


 鞄に、封筒に入ったお金と、あんた馬鹿だから絶対携帯壊すから、アドレスは絶対紙にも書いておきなさいと渡されたアドレス帳を入れる。ありがとう、お姉ちゃんの知恵!

 靴を履いて、とんとんと確かめる。今まで履き慣れていたゴム底に違和感があった。今度はこっちで転びそうだ。アスファルトで転ぶとダメージが桁違いだから、気をつけよう。

『着替えを買いものしてくるので、それまで何物か纏っていてよ』

『俺は、ついていかないほうがいいんだな』

『ルーナ、着替えが無きよ。大丈夫、平気よ。外出は、非常に安全地帯だから』

 靴を履いて、玄関すぐ横の脱衣所を覗き込む。イツキさんがユアンにシャワーの使い方を教えていて、残りのメンバーも真剣に聞いている。ルーナも聞いたほうがいいと思う。

「イツキさん! 部屋にあるものは何でも使ってもらって大丈夫ですから! Tシャツとか、フリーサイズのあるんでクローゼットから引っ張り出してください! ゴムのスカートとかだったら全員着れるかもしれません!」

「あ、はい!」

 ズボン系は無理だろうけど、スカートだったらウエストフリーなら何とかなるかもしれない。ズボン……ユアンだったらいけるかもしれない。まあ、何はともあれ下着だ。

「後、パソコンも、大丈夫ですから」

「……すみません。ありがとうございます」

 一瞬詰まったイツキさんは、わざわざ振り返って頭を下げてくれる。私もそれに礼を返して、むあっと熱気渦巻くアスファルトの街に踏み出した。



 雪が音を吸いこんで、深々と閉じていく夜を知っている。

 凍えそうな寒さの中で、全ての命の象徴のような温度を知っている。その温度に抱かれて眠る心地よさを知っている。

 だけど、灰色の熱さに焼かれるこの場所が、涙が出るほど恋しかった自分も、知っているのだ。


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