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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
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91.神様、小さな子どもが探しています

『あの、すみません。ツバキをどこかで見ませんでしたか? ツバキって僕の友達なんですけど、赤い、椿みたいな綺麗な髪をした男の子なんです。よく怖い夢を見て魘されるんです。だから、昼寝してても傍にいて起こしてあげないといけないのに、僕、目を放してしまって。手を繋いでたつもりだったのに、気が付いたらどこにもいなくて。僕が、ぼぉっとしてたから』

 イツキさんはきょろきょろと視線を彷徨わせる。

『もう、夕方になったのに、まだ帰ってこなくて。もう、ずっと帰ってこなくて。夕方なのに、もう、ご飯の時間なのに。どうしよう。ちゃんと手を握っていたはずなのに、どうしてどこにもいないんだろう……』

『……夕方?』

 外はもう真っ暗だ。イツキさんはきょとんとしてやせ細った腕で分厚いカーテンを引いた。

『ほら、今日はずっと夕焼けなんですよ。それに、夕立が酷くて…………そう、だから、ツバキが濡れてしまうから、探して、ツバキ、ツバキを見ませんでしたか? これくらいの身長の男の子なんですけど』

 遠くで爆音が響く。イツキさんは、ああ、また落ちたと困った顔になる。雷が酷くて、あの子が濡れてしまうから傘を、タオルを、お風呂の準備をと、虚ろな声でふらりと歩き出した。

「……イツキ様」

 ツバキが、再びベッドの下を覗き込んでイツキさんの腕に僅かに触れると同時に、一際大きな爆発が起こった。火の粉が天まで昇っていく。イツキさんは身体を跳ねさせてツバキの手を振り払った。その手がまるで焼けた鉄だったかのように触れた場所をぎゅうっと握りしめ、がたがた震えて悲鳴を上げる。

『いや、だ! 嫌だ、触るな! 僕に触るなぁ!』

「イツキ様!」

『近寄るな! いやだ、もう、いやだぁ! 触るな! 触らないでくれっ!』

 痩せて落ち窪んだ瞳は虚ろなのに鈍い光を放ち、折れそうな全身を使って悲痛な声で叫ぶ。誰からも距離を取ろうとして振り回した手が壁に当たってもお構いなしだ。自分の爪で肌を切り裂いても気づきもしない。

「イツキ様!」

 走り寄ったツバキにびくりと身体を竦ませ、イツキさんは背中を壁に打ち付けた。ツバキは、はっと一歩下がり、即座に膝をつく。そして、開いた掌を肩の高さで身体の横に浮かせる。

「お怪我を、されますから、どうか、イツキ様」

 額が地面に突きそうなほど下げ、ツバキはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「何も、致しません。俺は貴方に、何も、しませんから。怖いことも、痛いことも、絶対しません。貴方に差し上げるものは、貴方が俺に与えてくださったものだけと誓います。ですから、どうか、脅えないでください」

 深く頭を下げているため、首筋まで全部曝している。両手を広げ、跪き、危険はないのだと全身でイツキさんに伝えていた。

「何も致しません。何も、恐ろしいものはありません。俺が必ずお守りしますから。ですから、どうか、怖がらないでください」

 ゆっくりと、けれど必死に伝えるツバキの言葉にイツキさんの肩の力が抜けていく。落ち着いたのかと思った。けれど、顔を上げたツバキの唇はぎゅっと噛み締められている。

『…………ツバキを、探さないと』

 ぽつりと言葉が落ちて、イツキさんはよろめきながらベッドの下を探す。

 ツバキの言葉が、届かない。目の前にいるのに。ツバキを探すイツキさんが、イツキさんを待っているツバキが、目の前にいるのに。それらは全部、優しいものであったのに。

『……こんなに恐ろしい雷の音がしているのに、どうして僕は、あの子を見つけてあげられないんだろう』

 どうして、互いへ届かないのだ。



 湧き上がる言葉全てを飲み込んで、ツバキが笑顔を浮かべる。穏やかな声で、今にも泣きだしそうな顔で。

「…………イツキ様、食事にしましょう。また、痩せてしまいましたね。どうか召し上がってください。イツキ様がお好きだと仰っていたパンです。俺が、初めて貴方に作ったスープです」

 爆音が響く。

『ツバキ、どこ!? 危ないから出ておいで! いい子だから、ツバキ! どうしよう、エマ! ツバキを探して! ツバキが殺される! 嫌だ、ツバキ! 待って、嫌だ、待ってぇ! ツバキを殺さないで! お願い、ツバキ! 嫌だ、嫌だぁ!』

「イツキ様っ」

 皆が泣いている。二人とも手を伸ばして探しているのに、互いに届くものが爆音だけなんて、おかしいじゃないか。

 言葉が届かない。音は刻み込まれた恐怖としてイツキさんに届いてしまう。……言葉が、届かない?

 でも、私はさっき彼と会話をした。とても短い、自己紹介を。

 それに気づいた瞬間、二人の間に躍り出る。

『邑上さん! 須山です! 私、須山一樹といいます!』

 目の前に片手を差し出す。さっきと同じ行動をした私に、イツキさんの目はぱちりと瞬いた。

『あの、ご飯一緒に食べませんか! 私、今日の夕飯誘って頂いたのを凄い楽しみにしてきました! ご相伴に預かります! お、おばんでやんす! こんばんは! お邪魔します!』

 空気を読んだ私のお腹が盛大に歌い出す。

 イツキさんはぽかんとして、私の顔とお腹を交互に見る。

『あ、え…………どう、ぞ?』

 言葉が届いている。言葉を音じゃなくて言葉として聞き取っている。

 イツキさんが言葉として認識できていないのは、こっちの世界の言葉だ。言葉を認識できなくなるほど、つらいことがあったのだ。彼にとって自分を壊すものでしかなくなってしまうような、反射的に閉ざしてしまうほどの言葉を聞いたのだ。

 彼を呼ぶ声も、優しい言葉も届かなくなってしまうことが、あったのだ。



 でも、彼が言葉として発している言葉なら、届いた。普段どれだけ意識していなくても、今までどれだけ意識してこなくても。生まれて育った国の言葉は捨てられない。無意識だからこそ消えない、私達の言葉。どれだけ化学が発達して、どれだけ星の反対側が近くなろうとも、海に囲まれ閉ざされた、私達の国の言葉。

『あの、邑上さん』

『は、い』

『イツキさんとお呼びしても構いませんか?』

『ええ、どうぞ?』

 爆音が上がる、帳が下りるように色を失っていくイツキさんを覗き込み、声を張り上げる。

『じゃあ、是非私もカズキと呼んでください! イツキさんとおんなじ字を書くんですよ! 一に樹木の樹でカズキです! いっつも男の子と間違われるんですよ!』

『そ、れは、そうかもですね。女の子だと、珍しい名前ですね』

 見て、私を見て! この、どこからどう見ても日本人だと分かる平らな私の顔を見てください! 燃え上がり夜空を隠す炎じゃなくて、見たって面白くもなんともない顔をどうぞご覧ください! 世界を震わす爆音じゃなくて、この毒にも薬にもならない世間話をお楽しみください!

『ですよね! お父さんが息子が欲しかったけど、うち四人姉妹なんですよ! それでせめて名前だけでも男の子に! って、息子につけたかった名前を私につけたんですよ!』

『四人とも女の子って、凄いですね』

 がんがん畳み掛けていく。女が三人そろって姦しい。私は一人でやかましい!

 意識が外に逸れる前に、畳み掛けて畳み掛けて畳み掛ける。

 お腹の加勢も手伝って、私はイツキさんと並んで夕食に辿りつくことができた。最初にしたことは、果実水の一気飲みである。お風呂上りの畳み掛け。喉がからからになっていた。



 さっきの爆音が大きかったから、ディナストが目を覚ましていないか確認してくると素早く飛び出していったツバキが作ってくれた夕食を頂く。食べたことないはずなのにどこか懐かしい、大衆の味がした。凄く食べやすい。

『それで、私があまりに点数取れないんで、先生が泣く泣く、名前書いてたら三十点! って特別企画でテストしてくれたんですよ! そしたら私、急ぎ過ぎて、一樹の樹をですね、右っ側も木にしちゃってですね。赤点頂きました!』

『それ、意味ないじゃないですか』

『先生の号泣も頂きました!』

『そりゃそうですよ』

 ふはっとイツキさんが噴き出し、破顔した。あははと声を上げて身体を揺らし、私の先生泣かせの歴史を聞いている。イツキさんがこうやって笑ってくれるなら、私の残念な成績達も報われるというものだ。先生には本当に申し訳ないことしたと思っております。高校卒業まで、めげず諦めず投げ出さず、最後まで面倒見てくださったことを、本当に感謝している。先生の、お前真面目にやってるのになぁという、悲痛に満ち満ちた言葉は一生忘れません。

『でも、僕も昔しちゃったことがあります。急いでる時に画数多いと焦っちゃいますよね』

『ですよねぇ』

『後、クラス替えとかすると名前読んでもらえないんですよね。僕はカズキって呼ばれるんですよ』

『私は、性別書かれてる名簿だったら悩まれました。イチキとか、イツキとか。書かれてないのだったら、迷わずカズキ君でした!』

『あはは! ですよね!』

 笑いすぎたイツキさんが目尻に浮かんだ涙を拭っていると、ツバキが部屋に滑り込んでくる。音を立てずに戻ってきたツバキにイツキさんは気づかなかった。痛くなったらしいお腹を押さえて身体を震わせている。

 同じようにお腹の辺りに手を添えていたツバキは、呆然とその姿に目を奪われていた。

「笑ってる……イツキ様が、笑ってる」

 ぼろりと零れ落ちた涙に、椅子を蹴倒して立ち上がる。

「泣き虫――!?」

「う、うるさい!」

 慌てて両手を広げて駆けだすと、腕で真っ赤な顔を隠したツバキに避けられた。そのまま壁に激突した私の足元に何かが転がっている。蹴飛ばしてしまっただろうか。なんだろうと視線を落として、思わず真顔になった。

 人生に教科書も参考書もない。チェック項目があって、これは用意しましたか、これは解決しましたかとか、そんな物はないのだ。ないのだから自分で覚えていなければならないけど、流石私だ。完全に忘れていたわけじゃなくても、七割がた忘れていました。それどころじゃなかったともいう。



 足元でごろりと転がる、掌サイズの、石。

 全体像は二等辺三角形。黒ずんだ部分以外はLEDのように点滅している、石。

 私とイツキさんを、こっちの世界に連れてきた、石。

 石を見て、ツバキを見て、石を見て、ツバキを見る。

 ツバキ、説明を求めます。


 もう一度石を見てツバキを見たら、ツバキは私なんか見ていなかった。石を拾おうとしゃがみこんだ体勢のまま固まっている。ツバキの目の前では、心配そうに屈みこんだイツキさんがいた。

『どうしたんですか? どこか痛いですか? えっと、ど、どうしよう。あの、これ、使ってください』

「イツキ、様」

『え!? あ、あの、きゅ、救急車呼びましょうか!? どこか痛いんですか!?』

 しゃがみこんで嗚咽を殺すツバキを前にして、イツキさんがおろおろしている。目の前の人が誰だか分かっていない。でも、誰かが泣いているのは認識していて、泣いている人がいるからハンカチ貸して、救急車呼ぼうと一所懸命携帯を探している。流れるように、当たり前のように、泣いている誰かに手を貸すこの人を、エマさんもツバキも好きになったんだろう。

 呼んではもらえない。分かってはもらえない。でも、ぼろぼろ涙を零すツバキの前に屈みこむイツキさんがいるだけで、彼は息も出来ないほど泣いている。今は外が少し落ちついているからかもしれない。こんなのは今だけで、意識が向こうに持っていかれたらまた悲しい悲鳴を上げるのだろう。

 それでも。嬉しいと思う心は止められないのだ。


 ツバキは、震える手で伸ばされた手を掴み、額をつける。

「この世界が貴方を滅ぼそうとして、貴方がそれを受け入れてしまうのだとしても、俺が抗う。抗ってみせる。……世界が貴方を拒んでも、俺には貴方が必要です」

 再び響いた爆音に言葉が溶けていく。イツキさんの瞳がぼやけ、目の前で彼を思う人を捉えられない。この世界の音が、言葉が、彼の正気を浚っていく。

 けれど、音が鳴る前から繋いでいた手は、今度は振り払われなかった。

『ツバキを、探さない、と』

 ふらりと視線が彷徨う。

「ですが、貴方が望むのなら、俺は、絶対に貴方を帰してみせます」

『エマ、ツバキを見つけてあげて。お願い、誰か、ツバキを。お願い、誰か、誰か』

「この石のことは、エマ様にも、伝えていません。他の誰にも、海に沈んだとだけ伝えました。……貴方を帰せると知れば、あの方はきっと躊躇う。躊躇った自分を許せない。だから、全部、俺の独断です。誰に責められても、誰に罵られてもいい。イツキ様、貴方だけは絶対に、元の世界に帰してみせます」

『ツバキを、助けて』

 世界に鳴り響く爆音。空まで覆い尽くす噴煙。

 寂れ、閑散とした、皇都の宮殿。荒れ果てる寸前、滅びの象徴のような宮殿の片隅で、かろうじて保たれた生活空間。世界の滅びが集約したかのような場所で、閉ざされてしまった二人の言葉が擦れ違う。思い合っているはずなのに交し合えない。痛みと苦痛に弾かれてしまう。それでも捨てられないのだ。ここは、捨てられず、されど願い切ることも出来ない絶望の中で何年間も過ごした二人が閉ざされる場所。



 そんな場所に立つ私は、ごくりとつばを飲み込んだ。

 ああ、どうか二人とも。




 私の存在も思い出して頂けると、凄く嬉しいです。





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