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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
88/100

88.神様、もう少しで終わりにしましょう


「こちらでお待ちください」

 案内兼見張りの人が、頭を下げて静かに扉を閉めた。

 扉の前で、一人ぽつんと立ち尽くす。

 花びらが浮かぶ甘い匂いのするお風呂を出たら、花びらが撒き散らされた部屋に通された。蝋燭の上には曇りガラスみたいなカバーがつけられていて光はやけに柔らかいし、私が着ている寝間着も柔らかい。

 それらを眺めて、私は静かに目を閉じた。

 無性に恥ずかしい!

 こんなセッティング要らない。勢いでぐあーっとそんな雰囲気になったあの日のようならまだよかったのに、こんな、さあどうぞ! みたいなセッティング要らない!

 恥ずかしい! 恥ずか死ねる! 恥ずかしいから寝る! 恥ずか死寝る!

 部屋の中心でどどんと存在感を主張しているベッドもあることだし、本当に寝てしまおうか。

 そこまでぐるぐる考えて、すぐに首を振る。駄目だ。それだと何の為に恥ずかしい思いを耐えてまでルーナを誘惑したのか分からない。ここでドタキャンしたら、一生後悔する。

 両拳を握りしめ決意したのはいいけれど、ここで問題が一つ。

 私はどうしているべきだろう。ベッドの上で正座? やる気あり過ぎる。ベッドの下で貞子さん? こういう場面で別の女性に成りきるのはよくない気がする。床で土下座? ある意味これが一番正解な気が。


 ベッドに座るのもなんだか躊躇われて、壁に凭れて直に床へ座る。なんとなく窓の下に座ったら、凭れた壁が寒くてお尻を引きずって横にずれていく。暖炉の火はとても小さくて、部屋の中は深々と冷え込んでいる。寒くない位置まで移動して、ようやく一息ついた。

 一人で部屋にいる間に、私なりにいろいろ考えたことをアリスに伝えてみたら、もう、この馬鹿誰か何とかしてくれという目で見られた。でも用意してくれるらしい。ありがとう、アリス。凄く頼みづらい内容でごめんね。

 私的には名案のつもりなんだけど、名案であろうが妙な案であろうが、どっちにしてもルーナにも話しておきたい。それは事に及ぶ前に話すべきか否か。ムードって大事だけど、明日の話し合いも凄く大事だ。後で話し忘れても困るし、やっぱり先に話そう。

 そう決意した時、ノックが響いた。



「はい、どんぞ」

 噛んだ。

 扉が開いて、いつもの無表情の男の人が入ってくる。そして、ぎょっとして部屋の中を見回した。

「い、いない!? いや、確かに返事が!」

「いる。どけ」

「だが!」

「……お前、部屋の中で見ているつもりか? そこまで無粋だと、いっそ酔狂だと笑うぞ」

 男の人はぐっと詰まって、もう一度部屋の中を見回す。ここにいますよと手を振ったら、再度ぎょっとされる。しかしすぐに表情を取り繕い、失礼しますと頭を下げて出て行った。

 ルーナは無造作に花を踏みながら歩いてくる。まあ、これだけ敷き詰められていたら避けるのも一苦労だ。

「気分が悪いか?」

「何事が?」

 ひょいっと覗き込んできたルーナに首を傾げて、自分の待機場所が悪かったとようやく気付いた。壁とベッドの隙間に体育座りしてたら、そりゃあ驚かれるだろう。単に窓際と窓側の壁に凭れたら寒かっただけです。すみません。

「冷えるぞ」

 伸ばされた手にお礼を言って立ち上がる。そのまますとんっとベッドに誘導されて、隣にルーナが座った。ルーナの体重でベッドが揺れた瞬間、いきなりとんでもなく恥ずかしくなる。最近ずっと抱き合って眠っているのに、まるで初めて抱きしめ合った日のようだ。



『あ、あの、ルーナ!』

「……ああ」

『私なりに色々と考えたんだけどディナストは別に私が好きでも何でもなくてただ私で遊びたいだけだと思うからこっちからゲームを提案してルーナ達が来てくれるまで逃げまくろうと思うんだけどやっぱり甘いかなでも結構いける気がするんですよちょっとしか話してないけど自分が楽しめると思ったことには乗ってくるタイプな気がしてだから色々考えてアリスちゃんに話したらお前馬鹿だなって目をされてついでにお前馬鹿だなって言われたんだけど用意してくれるって言ってくれたから明日はその装備で挑もうと思って』

「カズキ」

『ちょっと動きにくいけど備えあれば憂いなしって言葉が日本にはあってね大は小を兼ねるっていうのもあるけどこの場合の大って何だろうって考えて結局分からなかったから数で押してみようって思ってそれで』

「カズキ」

 静かな声が私を呼ぶ。剣を握って硬くなった掌が触れたとは思えないほど柔らかく、頬に触れる。

「泣いていいよ」

 指先が頬を滑って目尻を撫でていく。




 ルーナは、ずるい。

 堪えているのを分かっていて、そう言うのだ。だからこれは、ずるいじゃなくて酷いのかもしれない。ルーナは酷い。好きな人の前では綺麗に、は、なれないけど、せめて普通の人の顔をしていたいという乙女心を放り投げる。乙女心と私の顔をぐしゃぐしゃにしてしまう。ああ、なんて酷いのだろう。酷い。酷過ぎる。ルーナは酷い。

 酷く、優しい。


 お風呂から出てそんなに経っていないのに、歯の根がかちかちと鳴るくらい寒い。寒くて寒くて。この震えが寒さだと、思っていたかったのに。

 震える私の手を握り、ルーナはもう一度私の名前を呼んだ。

『こ、怖い』

「……うん」

『行きたく、ない』

「……俺も、行かせたくないよ」

 ぐちゃぐちゃになった顔を隠すことも出来ない。

『こんなの、いやだぁ……!』

 嫌だ。こんなの嫌だ。

 なんで無いの。なんで、こんなことしなくていい方法が無いの。行かなくていい方法があるなら何でもするよ。

 私が逃げても自害しても、エマさん以外を殺すって言われない方法があるなら。

 何でも、するのに。




 ディナストに引き渡されたくなくて探した方法が、ディナストに引き渡されるという結論に辿りつくってどういうことなんだ。

 そう叫びたかった。でも、誰に言えるのだ。国を守るために私を犠牲にするともう決めているガリザザ兵に言う? 何の為に? 今の今まで、ルーナに会いたいという願いすら叶えてくれなかった彼らにそれを言って、それで、何になる。そんな事を言って解放してくれるくらいなら、最初から私を捕まえにはこないのに。

 ただ椅子に座って悶々としていただけの私より余程憔悴したアリスちゃんに言う? 何か手がないかと考えて考えて、そうして見つけられなかった希望に、私より打ちのめされたアリスちゃんに何を。死が救いだと思わせてしまうほど追いつめたアリスに縋りついてしまった上に、これ以上どうするの。


 頭のいい人は、私が考える何百倍もの恐ろしいことを分かっている。私が想像するより何百通りもの苦痛を想像できる。それはルーナも同じだ。そんな人達が必死に考えてくれて尚、希望が見出せなかったというのなら、もう、私にできるのは頑張ることしかないじゃないか。泣いたって、ルーナを苦しめるだけで何の解決にもならないじゃないか。

 なのに、ルーナは泣かせてくるから酷い。

 嫌だよ、ルーナ。時間が勿体ないよ。どんなに恐ろしくても、嫌でも、気持ち悪くて吐きそうでも行かなきゃならないなら、せめて今くらい楽しく過ごそうよ。優しく幸せな時間で過ごそうよ。




「俺はお前に泣いてほしいとずっと思っていたけど、泣かせたいわけじゃないんだ…………なんで、世界はお前に厳しいんだろうな。なんで、この世界の人間は、無尽蔵にお前達に甘えていけると思うんだろうな」

 ああ、でも、ルーナが言えなくなるのは嫌だな。言いたくないけど聞きたくないわけじゃないんだよ。というか、もう、どうすればいいのか分からない。何が正しいのか何が正しくないのか。誰が悪くて誰が泣いて、何が酷くて何が悲しいのか。

 手を握られているから顔を覆うことも出来ない。ぐちゃぐちゃになった顔を見られたくなくて俯いたまま、唇を噛み締める。

「カズキ、お前には想像つかないかもしれないけど、世界には、死にたくなるだけじゃなくて、女に生まれたことや、生きていることを後悔させるような方法が沢山ある。……俺はもう、お前を失いたくはないよ。壊されるのは、嫌だよ。どんな意味でも、失いたくは、ない、のに」

 両手を握っていた手に肩を押されて後ろに倒れ込む。柔らかいベッドは私の身体を跳ねさせはせず、沈みこませるだけだった。でも、その感触を楽しむことはできない。

 ルーナの手は、私の首に回っていた。





 まだ触れているだけなのに、もう息ができないほど苦しいのは、首を絞めるその人のほうがよほど苦しそうな顔をしているからだ。

「痛いんだ、カズキ。お前がくれた人間の心が、苦しいんだ。こんなに苦しいなら、いっそ人形兵器と呼ばれていたままだったら良かったと、思うほどに」

 ルーナは、もう人形だなんて呼べるはずもない瞳を、苦しげに歪めた。

「俺が人形兵器でいられたのは、無くすものがなかったからだ。失うことを恐れるものがなければ何だって出来る。明日も命もいらないなら大抵の無茶は出来る。だけど、お前が心をくれた。お前が俺を人間にした」

「ルー、ナ」

 徐々に力が篭もっていく腕が、恐ろしいとは思えない。ただ、悲しい。悲しくて、苦しくて、恋しい。

「痛いんだ、カズキ。お前を失うくらいなら、壊されるくらいなら、いっそここで一緒に死にたいと思ってしまうくらい、痛いよ、カズキ」

 殺されるわけにはいかない。死んだら、アリス達が殺される。でも、ルーナの腕を振り払うことができない。怖くはないのだ。いっそそのほうが幸せじゃないかと、思ってしまう。怖いなら、痛いなら、苦しいなら、終わったほうがましなんじゃないかと。そうしたら、もう、何も恐れるものはないのだ。明日なんて、来なければいい。

 ここで途絶えてしまえば、ずっと、ずっと、この夜の中にいられるのだ。

 そう思うのに、それでも。

 ルーナ。

 それでも私は。



 私の首にかかったルーナの腕の肉が盛り上がり、腕の筋が浮かび上がる様が目に見えるほどの力が籠もる。

 それでも、私の呼吸は止まらない。


 ぱたりと、雨が降る。

 ぱたりぱたりと、頬に雨が降ってくる。

 水色から溢れだした雫は、水晶よりも美しかった。

「なのに俺は、お前を知らずに生きていきたかったとは、どうしても、思えないんだ」

 腕の力はルーナの中で止まり、私にまで届かない。どこまで、この人は一体どこまで優しいのか。

 身体の横に投げ出していた腕を持ち上げ、硬く強張る腕に触れる。

『ルーナ、私、死にたくない』

 二人分の涙で溺れそうだ。

『約束、したんだよ。リリィと、アリスと、皆に、死なないって。絶対、生きて、帰るって約束して、だから、諦めたく、ない。私、行ってきますって言ったんだよ。ばいばいじゃなくて、行ってきますって。だから、さよならしてないから、ただいまって、帰るんだよ』

 ルーナの涙と私の涙が混ざり合い、頬を伝い落ちていく。

『ルーナ、私、生きていたいよ。ルーナと、生きていきたいよ。その可能性が少しでも残ってるなら、それに、縋りたい。ルーナ、私、生きて、ルーナと、ルーナ、とっ……』

 自分でも何が言いたかった分からないただの感情の羅列を、ルーナは、重ねた唇の中に全部飲み込んでしまった。







 暖炉の火が小さかった理由がようやく分かった。

 熱くて熱くて、溶けてしまいそうだ。

 触れる場所も吐き出す息も、吸いこむ空気も、全部が熱い。

「……これが十年前の続きなら、お前は消えてくれるのか」

『やだ、なぁ、ルーナ。人間は、そう簡単には消えないよ』

「瞬きの間に消えた奴が何を言う」

『私も、瞬きの間にルーナが消えて凄まじく驚いた!』

 ルーナが天井になって、そりゃあもう、心底驚いたものだ。

 その時の気持ちを思い出し、状況も忘れて握り拳で力説すれば、噴き出して笑ったルーナの汗が降ってくる。

「……そうか、お前からすれば、消えたのは俺か」

 小さく笑って降りてきた唇を重ねて、私達は夜を生きた。

 夜は、痛くて苦しくてつらくて悲しくて。愛しくて恋しくて幸せで。


 明けない夜はないのだというフレーズが、これほど恨めしいものだったとは知らなかった。






 人質十五万人の解放と引き換えに私が中に入って、その後の十五万人が解放という流れになっているそうだ。後の十五万人が解放されないんじゃないかという話もあったけど、必ず解放されるだろうと見る人のほうが多かった。ディナストは、良くも悪くも提示した条件は守るのだ。

 人質がいなくなったと同時に、連合軍が攻め入る。普通、籠城している相手を落とすには三倍以上の戦力がいると聞く。ディナストについている兵士は少ないから、三倍くらいは余裕でいると思う。それでも、どこも今までの戦いで戦力を削られた後だから、負傷兵が多い。

 今まで落とされたことのないエルサムは、堅城と呼ばれる都だ。ぐるぐる回るモンブランのような地形の上にある宮殿までの道のりは、ただでさえ罠が仕掛けやすいのに、そこに爆弾が加わったら時間がかかるのは私でも分かる。

 それでも、何の価値もない私と人質三十万を引き換えにするような馬鹿がディナストだ。私が一人いたところで盾にもならない。現に、人質を解放し終えたら連合軍はエルサムを落しにかかるのだし、ディナストだってそれは分かっているはずだ。でも、虎の子で命綱のはずの三十万を解放する。私で、遊ぶために。

 だから、それに賭ける。

 甘いのだろう。世間知らずの馬鹿娘の浅知恵だろう。それでも、何もせずに諦めるのは嫌だ。考えるのは止めない。抗うのは、止めない。最後まで何も諦めずにいようと決めていた。

 だって、帰りたい場所がある。叶えたい約束がある。

 その為なら、どれだけ無様でも足掻いてもがいて、ぐちゃぐちゃのぶさいくになっても鼻水啜って頑張るのだ。そんなでろでろの泣き顔を晒しても、この人達は絶対嗤ったりしないから。



 私の渾身の作戦を聞いたルーナは呆れながらも手伝ってくれた。最後に寒くないよう外套を巻いてもらって完成だ。ガリザザ兵によると、着飾る用意もされていたらしい。でも、なんでディナストに会いに行くのに着飾らなければならないのか、三十文字以内で説明してほしい。それ以上だと、馬鹿には理解できません。

 飾りは要らない。だって、胸元に二本、耳元に一つ。いつでも揺れてくれるお守りがあるのだ。



「剣は、どうするの?」

 両目を腫らしたユアンが、短剣を両手で抱えている。

「所持してはいかないよ」

「でも、やっぱり持っていったほうがいいよ! 剣がないと、身を守れないじゃないか!」

「だって私、扱えぬもの」

 剣を扱えない私は、剣を持っていた方がきっと危険になるだろう。誰かの剣を受け止めることも、弾き返すことも出来ないのに、武器を持っているという事実が相手を警戒させて手加減を躊躇わせる。

 使えない武器では戦えない。

 私は私の武器で行くしかない。無知は、たった一回しか使えない武器だ。一度知ってしまえば二度と無知には戻れない。

 無知だからやれる馬鹿がある。無知だから乗れる調子がある。

 玩具になれというのなら、剣より無知を携えていく。


 アリスは何も言わず私の前に立った。昨日の今日だから、ちょっと向かい合いづらい。照れを貰い事故させてごめんね、アリスちゃん。

「おい、たわけ」

「突然のたわけを頂戴致しました!」

 何故!?

 もう立っているだけでたわけオーラを放出するほどの領域に達したとでもいうのだろうか。

 そんなことを思っていた視界がアリスちゃんの胸で埋まる。深く抱きしめられて、思わず抱き返す。

「何時如何なる時も、お前は私の親友であり、私はお前の親友だ。何があろうと、それを忘れるな。お前がどれだけたわけで鳥頭で救いようのない馬鹿であろうがだ!」

「了解よ! 私はたわけでとる頭で救いようのなき馬鹿であるよ!」

「そこではないわ、この、たわけ――!」

 頬っぺたみょんみょんがくるかと思いきや、変化球でひょっとこだった。

 飽きさせず予測をさせない攻撃。流石アリスちゃん! アードルゲ唯一の男子!



「カズキ」

 振り向けば、ツバキを伴ったエマさんが入ってきた。

「エマさん凄まじくお綺麗よ!」

 正装なのだろうか。何枚も布を重ねているのに、肩とかは透けていて、ちょっと寒そうだ。アラビアン! インド!? なんかそんな感じ!

 でもこの格好、たぶん男性用だ。だから、可愛いよりかっこいい。

 エマさんが動くたびにちゃりちゃりしゃりしゃり音がする。目の前で止まったエマさんが拳を握りしめた。その手に包帯が巻かれていて首を傾げる。

「…………今は、謝らん」

「宜しいと思うよ?」

 そもそもエマさんは止めようとしてくれたのだから、今でも後でも謝らなくて別にいいと思いますよ!

「……私が自国の兵すら掌握できない結果を、これを、別にいいよとイツキみたいに許されるわけにはいかんからな。…………いいわけがあるか!」

 私はイツキさんではありませんが、なんかすみません! 別にいいですよと言わなくてよかった! 言ってなくても怒られたけど!

 真顔で指差された。

「顔に書いてある」

 消して頂けると嬉しいです。

 ごしごし顔を擦っている私を、エマさんが抱きしめた。

「必ず迎えに行く」

「再度のお越しを、おもち申し上げていりますよ! 更にエマさん、手の負傷は如何した?」

「え? ああ、えーと」

 彷徨った答えをツバキが引き取る。

「あんたの所に行こうとされて、塞がれた窓をこじ開け、爪を剥いでしまわれたんだ」

「エマさ――ん!?」

「刺繍然り、裁縫然り、芋の皮むき然り、細かい作業は苦手なんだ!」

 窓をこじ開ける作業は細かい分類に入るのだろうか。ルーナは壁をぶち破った訳だけど、皆頭いいのにわりと力づくである。出してと言っても聞いてくれなかったんだろうなぁと私でも分かった。ルーナは言う前にぶち破ったけど。

「エルサムへは俺とあんたが入る」

「ツバキも?」

「俺は、居所を知らせず長く離れているわけにはいかねぇんだ。その場合、イツキ様が殺される」

「おおごとよ」

「ほんとにな」

 そうか、一人じゃないのか。嬉しいのかと問われると、手放しで喜べる人選ではないけれど、まあ、一人よりは。





 そろそろ時間だと言われて外に出る。

 外には、見たことのない数の人間がいた。

 モンブランみたいな街を囲んだ、違う鎧を着た人達。街から生気のない顔でぞろぞろ吐き出されてくる人達。それらを歓声を上げて迎える人達。

 いいなぁ。私もあっち側がいいなぁと、この期に及んでまだ思う。上で決まったことに左右されて、なんとなくいつの間にか助かってるほうが、どれだけいいか。

 そんなずるいことを考えて、ルーナと手を繋いでガリザザ兵の間を歩きだす。人々の顔はそれぞれだ。無表情の人、目を伏せる人。憎悪や怒りを映した人があまりいなくて意外だった。

 結構遠い場所に、見慣れた鎧が並んでいるのが見える。遠いから確実にそうだとはいえないけれど、あれはルーヴァルだ。もっと近づけば、もしかすると見知った人を見つけられるかもしれないけど、あいにく目指す先はモンブランだ。モンブラン食べたい。

 ガリザザ兵の間を黙々と歩いていると、酷く不思議そうなナクタが頭領さんとシャルンさんに挟まれている前を通った。

「なあ、カズキ、どこいくんだ? そっちじゃねぇだろ? なあ、おかしくねぇか? なんで? お前ら何でなんにも言わねぇんだ? なあ、こんなの、おかしいんじゃねぇのか? なあ、親父、シャルン、なんで? 人の所為にするなって、大人がおれらに教えてるんじゃねぇのかよ。なのに、なんで? なんでこいつら、全部カズキの所為みたいにしてるんだよ。なんで、それなのになんで、てめぇが傷ついたみたいな顔してるんだよ!?」


 いろんな感情が渦を巻く。誰かの弱さが、誰かの強さが、全部混ざって混沌とした雰囲気が出来上がった。こうなると分かっていた人も、なんでこうなったのか分からない人も、感情を制御できず叩きつけるだけの人も、全部放り出して逃げた人も、何も放り出せず立ち止まった人も、憎まれる人も、憎まれ役を引き受けた人も、こうならないよう努力していた人も、こうなるよう走っていた人も、誰かに愛される人も、誰かを愛す人も。

 その全てを合わせて、世界と呼ぶ。


 この世界は、強制的に進化させられてしまった。

 本来なら、誰かが概念を思いつき、それを現実に出来るか思い浮かべ、実際に試して。

 そうして進むはずだった過程を飛び越して、爆弾という結果だけが与えられてしまった。

 歩き始めたばかりの幼子でも戦士を殺せる兵器。そんなの思いつきもしなかった人達に、結果だけぽんっと与えられたそれは、まるで魔法だ。現実感を伴わない凶悪な兵器。そんなものあるわけがないと笑っている間に飲み込まれ、世界は混乱を極めた。

 これは進化だった。けれど、概念すらなかった世界には早すぎた。いつか誰かが思い浮かべ、そんなの出来ないと言われつつも浸透させていったのなら何かは変わったのかもしれない。その結果、似たようなことになったのだとしても、この世界で完結する問題だったのだ。

 核を考えた人がいた。作った人がいた。使った人がいた。使う人々がいる。

 それは、あの世界を生きてきた人達が選んできた結果で、正しいか間違っているかの論争でさえ自分達のものだ。

 だけど、この世界は違う。

 爆弾が持ち込まれた。バクダンを使った人がいた。バクダンを使う人がいる。

 世界は、誰の覚悟もなく、強制的に進化した。正しいか間違っているか、世界が責任を判じる前に現れて、使われてしまった。過程を得なかった進化の混乱を、責める場所が分かりやすかったから、余計に誰も考えなくなった。自分達の所為ではない、だって世界すら違う人間が持ち込んだ。せめてこの世界で生まれた兵器であったのなら、もっと自分達の事として考えられたのだろうか。自らに降りかかる悲劇としてだけじゃなくて、それを知った自分達がこれからどう向き合っていくかまで考えなければならないものだと。あれはただの災厄ではない。自然災害が齎す現象ではない。持ち込んだ人間をどうこうしたところで、最早バクダンは消えてなくならず、この世界に現れてしまったのだ。

 だけど、いつかは気づくだろう。一段落した後に、これからどうすると考える日は必ずやってくる。どうやったって明日は来るのだ。生きている限り、明日は続くのだ。

 バクダンを知った世界でどうやって生きていくのか、考えなきゃいけない時は、絶対にやってくる。あれはただの物だ。幾ら魔法のように突如のこの世界に現れたからといって、自然発生するものじゃない。自然が齎す脅威じゃない。人が齎す、禍だ。

 バクダンを脅える恐怖の象徴としてではなく、ただの物として捉える為には、人の心に考える余裕がいる。脅かされている真っ最中にそんなことを考えられる人は少ない。

 そして、目に見える分かりやすい終幕は、もうそこに見えている。




 ぞろぞろと吐き出されてくる人の列が途切れた。

 ぽっかりと開いた大きな門の奥にディナストがいる。その隣には、ヌアブロウもいた。ずいぶん久しぶりだ。もう忘れてましたと言いたいけど、ルーナを斬ったあの人をそう簡単には忘れられなかった。

『ねえ、ルーナ』

「ああ」

『イツキさんを助けて、私も助かって、全部一段落したらね』

 繋いだ手に力を籠めると、それより少し強い力で握り返してくれた。

『神様とか、岩で砕ける荒波とか、なんか色々に向かって、ばかやろーって怒鳴る気がする』

「既に充分怒鳴る資格があり過ぎるけどな」

 立ち止まった私達に焦れたのか、外壁の前に立つ兵士が黒曜を引き渡せと指示を飛ばしてくる。

「……おい、行くぞ」

「了解よ」

 静かに促してきたツバキに頷いて、ようやくルーナを見上げた。見たら離れ難くなるから、ぶれないよう前だけ見ていたけど、やっぱり勿体なかったかもしれない。ずっと見ていればよかった。いや、でも、見てたら泣きそうだからやめといて正解か。

 まっすぐに見下ろす水色の瞳は、やっぱりどう見たって人形の眼には見えない。ガラス玉なんかじゃない。もっと光を放つ、人間の宝石だ。

『頑張ってきます!』

「すぐ行く」

『うん!』

 ぎゅっと握りしめた手を支えに、触れるだけのキスを交わす。

『行ってきます』

「……すぐに迎えに行くから、絶対に帰ってこい」

『お任せあれ!』

 立ち止まったルーナから後ろ向いて下がりながらも、手は離れない。届かなくなる最後の最後まで、指先は触れたままだった。


 たくさんの視線の中を黙々と門まで歩く。日本では得るはずのなかった経験だ。だけど、もうすっかり慣れっこです。私、アイドルだって目指せるかもしれないよ! だって、こんなにたくさんの人の前を歩けるんだよ! とか胸を張っていたら、震えていた足が調子に乗るなと怒ってきた。普通にすっ転んだ。べしゃりと顔面からいった。

「…………おい」

「一人で立ち上がられるよ」

 貸してくれようとしたツバキの手を断って立ち上がり、三歩で再び転んだ。べしゃりとすっ転んだ体勢のまま思う。転ぶにしても、なんというかこう、儚げとか可憐な転び方ってあると思うのだ。何が悲しくて全身を使った躍動感ある転び方を、この大多数の前に曝さなければならないのか。

 門に辿りつくまでにもう一回転んだけれど、その先でディナストは待たされたことを怒るでも不満げにしているわけでもなかった。心底楽しそうに笑っている。

「生きていたとは面白いなぁ、黒曜。あのまま死んでいれば楽であっただろうに」

「生存致しているほうが、楽しいよ」

「ふうん?」

 顔立ちはエマさんに似ている。やっぱり姉弟なんだ。性格は、顔が似ていると思うことすら申し訳なく思うほど似てないけど。

「次の排出の用意で一旦閉める。恋人と別れを惜しむなら今の内だぞ?」

 ちゃんと行ってきますもしたし、別れなら昨夜散々惜しんだ。嘘です。明け方まで惜しみました。朝食食べてても惜しみました。

 でも見る。

 大きな扉がゆっくりと締まっていく。まっすぐこっちを見ているルーナに、ちょっとだけ持ち上げた掌をひらひらと振った私の腰が掴まれる。なんだと思う間もなく顎も掴まれ、思いっきり上げられた。

「な!?」

 押しのけようとしてもびくともしない。えげつない笑顔を浮かべたディナストの唇が重なると同時に、門が閉まる音がした。




 咄嗟に唇を引っ込め、ディナストに噛みつかれたのは口の回りだけだからセーフだ!

 入れ歯を外したお婆ちゃんみたいな口になったけど、セーフだから問題ない!

 ただし、顔面的にはアウトだった気がする。




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