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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
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84.神様、泣くのは小さい子だけじゃありません


 目の前まで戻ってきたその姿は、もう間違えようがない。後ろ姿でも確信があったけれど、向かい合えば違えようもなく、彼はツバキだった。

 だけど、こんな顔、見たことがない。ツバキだけじゃなくて、他の誰でも見たことがない。



 ツバキは、ナイフが刺さっていない側の頬のすぐ傍に拳を叩きつけた。

「……どうして、あんたが、生きてるんだ」

 声が絞り出され、閉ざされた唇の奥からぎりりと歯が擦れ合う音がする。瞳はぎらぎらと怒りと憎しみに似た何かを漏れ出させているのに、どうしてだろう。泣きだす寸前の子どものように見えた。

「巡礼の滝から落ちたんだろ! なのになんで、なんで生きてるんだよ! ルーナも……どうしてあんただけが何も失わない! 命も、恋人も、仲間も、なんでっ!」

 逃げ出そうとしたわけじゃないのに、肩を掴まれて木に叩きつけられる。

「死ねよ! 死んでくれよ! せめてそれくらいは哀れであってくれよ!」

 痛みと衝撃で息が詰まったけれど、私よりよっぽど苦しそうなのはツバキだった。

「ツバ、キ、話を」

「どうして」

「ツバキ」

「あんたの周りの連中だけが、あんたを失わないんだ」

「話を」

 さっきまでの激情を忘れたかのように、どうしてと、虚ろな声が落ちる。小さな雫の音がして、本当に言葉が零れ落ちたのかと思った。けれど、違う。一筋の雫は、ツバキの瞳から零れ落ちた。

 どうして。

 白い息と共に世界に散る言葉が、小さな雫と落ちていく。

「イツキ様だけが、救われないんだ」


 哀哭とはきっとこういうことをいうのだと思った瞬間、両手が動いていた。咄嗟にツバキの頭を抱え込む。どうしよう、泣かせてしまった。相手が誰であれ、泣く人を見ると酷く動揺してしまう癖が治らない。幼いリリィを前に狼狽えた時から対処法が変わらない私は、全く成長できていない。それにしても、狼狽えるのは癖というのだろうか。反射? 違う? 分からない。今はどうでもいい。

 とにかく、泣き顔を見られたくないだろうと咄嗟に動いてしまったけれど、先に伝えるべきだった。腕を振り払われたら止める術がないから、急がないと駄目だ。端的に、ツバキが耳を閉ざす前に分かりやすく必要事項から!

「エマさん!」

「…………エマ様を、馴れ馴れしく呼ぶな」

 端的過ぎて伝わらなかった。さん付けなのは、本人がエマでいいと言ったところをさん付けで勘弁してもらった経緯があるので、再度の問答は勘弁してほしい。

「ツバキ」

 返事はないけれど、構わず続ける。



「生存しているは、エマさんもよ」


 抱えていた身体が突然がくりと頽れた。引きずられて尻もちをつく。

 身じろいで腕から逃れたツバキの顔は、きょとんとしていた。力の抜けた自分の足と、震える手を不思議そうに見下ろして、また私を見る。

「なに?」

 幼子のような舌っ足らずな言葉に、呂律も回らなくなっていると分かった。たった一言で、本人でさえ気づかないほど激しく動揺しているのは、それだけ張りつめていたツバキの心が見えてしまった気がして、苦しい。

 それほどまでに、彼にとって根本となる部分にエマさんがいるのだ。私の言葉が嘘であると思いもしないのか。それは信じたいからだろうか。エマさんの生存は勿論だろう。でも、それだけだろうか。人を、世界を、昔見た幸せを信じたいから、あれほど虚ろだった瞳から、こんなにも静かな涙が零れ落ちるんじゃないのだろうか。


「エマさんは、ルーナのようなお喋りの仕方が、かっこよいよ。とても、かっこよい。ルーナの解薬、調合してくれさっているよ。ツバキが、一等、お手伝い励んでくれたと申していたよ。お安く取得できる材料で作成する為に、努力致したと」

「……頑張れば、エマ様も、イツキ様も、喜んでくれたんだ」

「あ、だが、エマさん、ぬいぐるみ製法は少々独特で、恐怖なぬいぐるみを作成致していたよ」

「俺にも、作ってくださったけど、怖かった」

「イツキさん、風呂場で登場したと聞いたじょ。私なるも、風呂であったが故に、何事か関係が存在しているかもしれぬと思考致すのだれけども」

「あの石は、流水の中で反応するから、水場が共通なのはそれだと、思う」

 信じてもらおうと必死にエマさんを伝えていると、ツバキの額が肩にごつりと乗せられた。骨が当たって地味に痛い上に、結構重い。ずしりと乗ってきた重さに、ルーナは今まで随分加減して体重を乗せてくれていたんだなと分かった。

「エマ様……?」

 でも、文句を口に出すことはできない。私に伸し掛かる身体は酷く震えていた。がちがちと鳴り響く歯の音と嗚咽が聞こえてきて、どうすればいいのか分からない。

 子どもに泣かれても盛大に狼狽えるけど、大の男に泣かれると更に狼狽える。慰めるべきだろうか。いや、でも、慰め方が分からないし、何を以って慰めとするのか、何が慰めとなるのかすら分からない。私はルーナに抱きしめられると落ち着くし、人の体温は涙への特効薬だと思うけど、このもこもこの服で体温は届くのか。悩んでいる内に、地面についたお尻から私の体温が奪われていく。



 おろおろと彷徨わせた両手を、とりあえずツバキの背中と頭に当てて、視線を彷徨わせる。誰かいないかと探す私の背後から多数の足音が聞こえてきた。助かった。けれどこれは、ツバキが捕まるフラグではないだろうか。殺されたりは、しないと、信じたいけど。どうしよう、分からない。

 緩慢な動作で顔を上げたツバキの顔が迷子の子どもみたいで、慌てて裾でその頬を拭う。泣き顔なんて見られたくないだろうし、その相手は少ない方がいいと思ったからだけど、この服吸水性が悪い。服には染み込まず、広がっただけだった。なんかすみませんでした。

 裾と顔を交互に見て狼狽えていると、目の前からツバキが消えて、重さもなくなる。

 ツバキの襟元を掴み上げて後ろに投げ飛ばしたのはルーナだった。ルーナは肩で息をしながら私を見下ろして、急速に目つきを悪くする。手袋越しの指が私の頬を撫でて、そういえば切れていたと思いだした。傷が残ってお嫁にいけなくならなくてもお嫁にもらって頂けると嬉しいです。


 ルーナは、背中を木に叩きつけられて咽こんだツバキの胸倉を掴み上げ、その顔面に思いっきり拳を叩きこんだ。殴られたのは私じゃないのに、咄嗟に出てきた悲鳴を両手で口元を覆って隠す。人が本気で怒ると、親しい人でも、それがルーナでも、本当に怖い。

 唾と血を一緒に吐き捨てて口元を拭ったツバキは、口角を吊り上げる。

「……なんだよ、一発でいいのかよ?」

「カズキの前だからな。顔の原型を無くすのは後だ」

「ああ、怖い怖い。カズキ、俺から目を逸らさないでくれよ」

 さっきまでの迷子はどこに行ったのだろう。憎たらしい笑顔を浮かべてひらひらと手を振ってルーナを挑発している。でも、そのツバキの顔が強張った。強張った? 凍りついた? 違う。なんと表現すればいいのか分からない。その顔は、歓喜に見えた。驚愕に見えた。哀傷に見えた。その顔は、絶望にすら見えた。




「ツバキ」



 ナクタや頭領さん、沢山の人がいるのに、誰もいないかのようにエマさんはまっすぐ歩いてくる。その様があまりに堂々としているから、他の人が思わず道を開けてしまう。

「久しいな」

 からりと笑うエマさんを呆然と見上げていたツバキは、はっと体勢を整えて膝をついた。頭を垂れないのは、その視線がエマさんに釘付けになっているからだ。エマさんはそんなツバキの前に片膝をついて目線を合わせ、無造作にその頭に手を置いて掻き回す。

「でかくなったな。驚いたぞ」

 ぐしゃぐしゃと髪を乱していたエマさんは、何の反応もないツバキに苦笑した。

「どうした? 遅くなったから怒っているのか? 遅刻にも程があるよなぁ」

「エマ、様」

「イツキも怒っているかな? 怒らせると怖いんだよなぁ、あいつ。怖いから、一緒に怒られに行ってくれないか? な、頼むよ、ツバキ」

「俺、は」

 悪戯っ子みたいに笑うエマさんを前に、ツバキの顔がぐしゃりと歪み、額を地面に擦りつけた。エマさんの顔を見られないというより、姿を見せたくないみたいに小さく縮こまる。

「俺、はっ……!」

 戦慄く唇から絞り出された声に、エマさんは縮こまった背に覆いかぶさり抱きしめた。

「私が至らず、お前に苦境を強いた。お前が犯したものを罪と呼ぶのなら、それは私が負うべきものだ。……すまなかった、ツバキ。待たせて、本当にすまない。よく、務めてくれた。イツキを守ってくれてありがとう、ツバキ…………いい子だ。お前は本当にいい子だよ」

 ツバキが小さな子どもに見える。地面に額をつけ、小さく縮こまる様は脅えきった子どもだ。

 ただ喜ぶには時が経ち過ぎていて、ただ嬉しいと叫ぶにはツバキの手は血に汚れ過ぎている。だけど、ただ嫌わないでと叫ぶには、幸福過ぎたのだろう。地面に擦りつけたまま漏れる嗚咽は、悲しみも歓喜も入交り、七年間の感情全てが漏れ出していく。

 どうして私だけが失わない。どうして私だけが何も失くさないでいられるのだと、ツバキは私を責めた。エマさんは、彼らが失くした、失くしたくなかった存在そのものだ。

 堪えて堪えて漏れ出した嗚咽だけが響く。けれど、途切れ途切れの嗚咽は、泣き叫ぶ彼の声だった。



 しばらくして、ツバキはようやく顔を上げた。背を擦り続けたエマさんの手を両手で握り、ぎゅっと唇を噛み締める。

「エマ様、ガリザザはもう、立ち行かなくなっています」

「何?」

「……違う。あいつは、ディナストは、始めから立ち行かせる気などなかったんだ。お願いします、エマ様。どうかお戻りください。あいつはイツキ様を手放さない。イツキ様を奪ったまま、世界を巻き添えにして、消えるつもりです。…………お願いします、助けて、ください。俺にはもう、どうしたらいいか分からないんですっ……お願いします、エマ様、お願い、です」

 イツキ様を、助けて。


 縋りつくツバキを抱きとめたまま、呆然と言葉を反芻したエマさんは、すぐにそれを振り払った。

「ああ、一緒に、帰ろう。……あの日々はもう戻らないかもしれない。だが、それでも、帰ろうツバキ。一緒に、イツキを迎えに行こう。一緒に、イツキの所に帰ろう」


 

 この世界で、きっと誰より近しい人の歴史が目の前の二人だった。この世界で、私とイツキさんはたった二人の異界人だ。同じ歴史を持つ、同じ国で育ったイツキさん。この世界では、誰より血が近いだろう人。

 だけど、彼の歴史を私は知らない。目の前の二人が、彼がこの世界で築いた歴史で、絆だ。誰より近しい人を、誰より知っている人達。もしかしたら、私が彼らと知り合っていたのかもしれない。そう考えるときがある。

 ルーナが私を見たから、なんとなく隣を見たら誰もいない。ナクタを見たら逸らされた。困って彷徨わせた視線は、立ち尽くす集団の中で一人だけ頬を掻いていた人に止まる。

「……で、だ。俺はとりあえず、あんたらを牢に入れるくらいは許されてもいいよな?」

 ゼフェカに壊滅させられそうになった頭領さんは、引き攣る頬でそう言った。

 私とルーナは無言で頷く。かなりの温情だと思います。






 かつ丼食べたい。

 ばぁんと掌で机を叩いた頭領さんと向かい合った私は、無性に食べたくなったどんぶり飯を思い浮かべていた。でも親子丼も捨てがたい。いやいや待て、他人丼もいいな。趣向を変えて麺類なんてどうだろう。ああ、愛しのラーメン。寒い時に食べるとまた格別で。おうどんも素敵だな。お蕎麦も……年越し蕎麦、こっちじゃ食べられないなぁ。

「お、潰れた。悪いな、小娘。一人ずつ話聞いてたら遅くなっちまった」

 外が寒いから、暖を求めて入ってくる虫を潰した頭領さんは、その手を自分の服でごしごしこすった。洗濯する人が怒るに、ジジリさん達が取ってきた火草一枚。木屑塗れで洗うのが面倒な分を頂いたのだ。賭けられるものを他に持ってない。なんなら火草二枚で。

「私が最後尾ですか?」

「おう。あんたが一番馬鹿そうだったからな!」

 なんという慧眼。この人は人を見る目がある。天才じゃなかろうか。

 一人ずつ分けられた部屋で待機している間に、皆の取り調べは終わっていたらしい。他の人から入手する情報量を考えると、何時間も一人待機になったのは仕方がないことだ。八割がた居眠りしていたので、別に全然退屈しなかったんだからね!

 ちょっと、寂しかっただけである。


 私に聞かれたことは、皆との関係とか、今まであった大まかな流れとかその程度だった。他の人の話の裏付けというか、相違がないかだけ調べられて終わったのは、真偽のほどは先の面子で散々確かめられているのだろう。

 一応、大まかにこの場所の説明をしてくれた。ここはガリザザに追い立てられた部族が集まる拠点の一つで、あちこちにあるらしい。それで、ちょこまかとガリザザ軍の拠点を襲撃したり、嫌がらせしているのだそうだ。たぶん柔らかく言ってくれたんだろうなと思っていたら、その内容が腐った卵投げつけたり、通る道を水で濡らして泥道にしたりとかだったから、本当に嫌がらせだった。

 まあ、深くは聞くまいと質問を考える。他の人にも説明しているだろうことを重ねて聞くのは申し訳ないのだけど、一番不思議だったことだけ聞いておこう。質問はないかと聞かれて、ありませんと答えたら駄目なのだ。一つは質問を用意しておけと先生が言っていた。

「あの、何故にして私達を信ずるてくださった?」

「似顔絵があったからな」

 あっさり答えた頭領さんが片手を上げたら、後ろにいた人が箱から二枚の紙を出してきた。

「いま、周辺国で手を組んでガリザザ包囲網を張ってる。ルーヴァルとも繋がってる訳だが、ルーヴァルがそれぞれの頭に向けて、こいつらを見つけたら保護してほしいと要望だしてきてな。これは美化しすぎだろうと思ったら、ほんとだったときて驚いたぜ」

 差し出された紙には、リアルなルーナが描かれていた。凄い、そっくりだ。でも、実際のルーナはもっともっとかっこいいと思いますよ! リアルーナにはしゃいでいる私の横で、まじまじともう一枚の紙を見つめた頭領さんは、憐れむような顔で私を見る。

「こっちはもっと美化してやれよと思ったら、美化してたんだなぁ」

 描いてくれた人も、頭領さんも、なんかすみません。絵の中の二割増しになった私を見て、なんだか申し訳なくなった。リアルーナはこんなに絵になるのに、なんかほんとすみませんでした!



 簡単な取り調べが終わった頃、ノックがして男の人が入ってくる。軽く頭を下げて挨拶したら会釈してくれた。

「頭領」

「おう」

「頭領が許可だしたあの二人、収拾つかないんすけど」

「あちゃー」

 頭領さんは、額をべちりと叩いて呻く。首を傾げて続きを待っていた私に告げられた言葉に、椅子を蹴倒して立ち上がる。膝打った。痛かった。


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