83.神様、少し考えました
叫び疲れて、最後のほうはただの呻き悲鳴になっていたそりの旅がようやく終わりを告げた頃には、私は生まれたてのカズキになっていた。足はがくがくで、何度も弾んで打ち付けて、転んでもないのにお尻が痛い。
ナクタは、まだ結構な急斜面の途中でそりを止めた。まだ滑っていけそうだなぁと思ったけど、それは素人考えだった。
先端に繋いでいた縄をぐるぐる丸めて握り、ナクタはそりを引き始める。
「こっから雪が薄いんだよ。このまま滑ったらそりが壊れちまうからな」
「成程」
「それに、もうそんな遠くないぜ。ほら、あそこ見えるか? あれがおれらの拠点だぜ」
指さされた先には、先を尖らせた丸太の筏を立たせたような柵で、ぐるりと囲まれた村があった。転々と動いているのは中で暮らす人達だろう。
結構大きいんだなぁと呑気に眺めていたら、視界の端をぞろぞろと移動する人の群れが見えて瞬きする。拠点から離れて結構な数の人が移動していた。
「あれ? 出陣早まったのか?」
「出陣?」
「ああ、近くにガリザザの小隊が荷を持って隠れてやがるって、密偵が教えてきたから、そいつらと戦う景気づけに火草取りに行ってたんだよ。なのに、何でもう出てんだろう」
「何事かあった?」
「かもな。急ぐぞ、どんくさ!」
「カズキと申すよ!」
荷物を持ってない私より、そりを背負って走り出したナクタのほうが断然早い現実に打ちのめされ、はしないけど、筋トレの決意を促すには充分だった。
ナクタの案内で、ぞろぞろと人が移動していく一段上の道に出た。それについていくのに必死だった私は、集団の中にちらりと見えた後ろ姿に思わず立ち止まった。だけど、止まらない人の流れにその頭はあっという間に見えなくなる。
「とりあえず拠点戻って話聞こうぜ」
促されているのに、足が動かない。どっどっと断続的に鳴る心臓を押さえて、もう見えないと分かっているのにまだ姿を探す。
「ナ、クタ」
「なんだよ」
「この、出陣内容、聞いても宜しいか?」
首を傾げたナクタは足で雪を払った地面にすとんっと胡坐をかいた。そして、あんま詳しく言えねぇけどと前置いて、棒で地面に何かを書き始める。
「崖に挟まれた細い道の先が、行き止まりだけどちょっと開けてんだよ。小隊はそこに隠れてやがって、そいつらが持ってる荷がちょっと重要で、奪い取るんだ」
「細き道は、危険では?」
「上も囲めるから、火矢で炙り出してから本隊で叩くんだよ」
ない頭で必死に質問を絞る。
「き、危険な兵器を、ガリザザが所持していると、聞きかじったことがあるよ」
「なんだ、知ってんのかよ。バクダン、おれも見たことある。でもあれさ、硬いから、飛ばすか上から落とすかして衝撃与えないと駄目なんだって、密偵のやつが言ってたよ。おれらが上を取るし、あんな狭い場所で飛ばしてきても壁が盾になるから平気だって」
細い道がグネグネ続いて、その先にぽっかり開いた場所があって、小隊はそこに隠れている。そこを、上から遠距離で襲って、逃げだしてきた者から本隊が叩く。上は押さえるっていうけど、全然心臓が鳴りやまないのは、あの赤い頭を見たからだろうか。それとも、私にだって分かる明らかな嘘が、そこにあるからか。
「密偵とは、赤髪の、青年?」
「……お前、知ってんのか?」
「名は!?」
一瞬で警戒を浮かばせたナクタの肩を掴んで詰め寄る。偽名だったら聞いても意味がないけど、あれが見間違いではないのだとしたら、大変なことになるかもしれない。
私の勢いに飲まれたのか、ナクタはぽろりとその名を口にした。
「ゼ、ゼフェカ」
当たってほしくないことほど当たってしまう。神様は意地悪だ。当たるなら宝くじがいいのに、どうしてこんなことばかり当たってしまうんだろう。
「停止させて!」
「お、おい、なんだよ!」
「ゼフェカは、完全なる味方とは成り得ぬ可能性が高いよ!」
ツバキはいろんなところに潜り込んでは、ガリザザと戦わせたり裏切ったりしていると聞いた。ここもそうだとしたら。ガリザザと戦わせて倒してもらおうとしているのなら、まだいい。でも、ついこないだまでルーヴァルに捕えられていたはずのツバキがここにいるということは、抜け出したからだろう。ルーヴァルではガリザザを倒せないと見限ったからでなければ、ディナストの命令で来ている可能性が高いはずだ。
確証はない。自分の頭に自信なんてない。
でも。
「なんだよ、お前、いてぇよ!」
「停止させて、ナクタ! バクダンは、地中に埋めても使用可能な兵器よ! 火さえ使用可能ならば、一つでも弾けさせられるのなら、連鎖で全て弾けるよ!」
「…………え?」
「地面ごと、弾けることとなるよ!」
上じゃない。下だ。上から降らせるんじゃなくて、下を吹き飛ばすのなら小さな火一つで事足りる。導火線さえ引けるなら、下から上に火が駆け上がることだって出来るから、上を取られても吹き飛ばしてしまえる。
そして、導火線は油を浸した細い縄でも十分なのだ。
ざっと青褪めたナクタの肩を掴んだ間、私も狼狽えて視線を彷徨わせる。
「ル、ルーナ。皆、いつ頃、到着する!?」
「おじじの、そり、は、大きい、から。ゆっくり降りてくる、から」
視線の先を見て、ぎょっとする。見覚えのある断崖絶壁が掌サイズに見えた。あんな遠くから来たのか。そりで凄いスピードだったからこんなに遠かっただなんて気づかなかった。
立ち上がった私の手首を掴んだ手が震えている。さっきまで元気いっぱいだったナクタが立てなくなっていた。
ルーナ、どうしよう。ルーナ。
「ま、まだ、私の意見が正解かは分からぬよ。でも、話を、伝達しないとならぬよ! 拠点へ帰還すると、このまま列に伝達すると、どちらが早い!?」
「れ、列に伝えたほうが、早い、けど、でも」
私がいきなり飛び込んでいっても、終わってから話を聞くから閉じ込めておけみたいな流れになると今までの経験で知っている。
申し訳ないけどナクタに頑張ってもらおうとその肩に手を置いて、ぎょっとなった。厚くてもこもこした服だったから分からなかったけれど、その肩は酷く薄い。
「ナ、ナクタ。年齢は幾つ?」
「な、なんだよ、急に。十三だよ」
「ナクタ、私十九よ」
「馬鹿なのに!?」
「年齢と馬鹿に如何ほどの関係が!?」
「頭領が、おれは馬鹿だから、おれより馬鹿なのは年下くらいだって!」
「年上であっても馬鹿の見本は今ここに!」
驚きすぎたのか、ナクタが立った! ナクタが立ったよ! アルプスの草原を駆け回りたい気分だ。
私はナクタの手を握って、列の先頭目指して走り出す。靴を貸してもらえてよかった。ここでも転びまくっていたら間に合わない。
「ナクタは闘病さん? に、伝達して!」
「頭領だよ! 病気にすんな、馬鹿!」
「とうりょーさんに宜しく伝言お願いします!」
この列に混ざって頭領さんまで伝えてもらう方法も考えたけど、それはナクタが無理だときっぱり言った。自分はまだ子どもだから追い返されるのがおちだ、自分が来ていた事だけ後で伝えられて終わるだろうと。
関係者のナクタでさえそうなら、私なんてもっと駄目だろう。牢屋一直線だ。
やっぱり、直接伝えるしかない。それでも信じてもらえるかは分からないけれど、バクダンの事だけでも聞いてもらえれば、判断の材料にしてもらえるはずだ。
もしも聞いてもらえなくても、ツバキさえ止められれば、なんとかなるはずだ。
「お、お前は、どうするんだよ!」
「ツバキに伝言すべきことがあるよ! それを伝言した上で、停止すべきか否かは、ツバキが知っているはずよ!」
待って、お願いだから待ってツバキ。私の考えたことが全部間違っていたらいいけど、もしも合ってしまっているのなら、お願いだから待って。エマさんがくるまで、お願いだから。
これ以上、爆弾をこの世界で使わないで。エマさんの目の前で、イツキさんの知識を使って、人を殺さないで。
「ツバキって誰だよ!」
「ゼフェカの偽物よ!」
「偽物!? 本物はどこだよ!」
「偽物の名前よ!」
「最初から偽名って言えよ!」
「ぎめぇ!」
「気持ち悪いヤギみたいな鳴き声すんな!」
ぎめぇ~。
列と並行してばたばたと走っている私達の姿は下からも見える。ざわざわとナクタの名前が広がっていく。
「ナクタ! お前ついてくんなって頭領に言われてんだろ!」
「ナクタ! お前またか!」
「ナクタ! 便所掃除させるぞ、馬鹿!」
普段のナクタの行動が大体読めてきた。
「それどころじゃねぇよ! ゼフェカが裏切ったぞ!」
走りながら怒鳴り返したナクタに、どっと笑い声が上がる。嫌味な笑い方じゃない。でも、まるで信じていない遊戯の一環のような笑い声だ。
「お前、新しいのが来るたびそんなこと言ってるだろ」
「今度はほんとなんだってば!」
「お前が戦士として戦いたいのは分かるけど、大人しくしとけって!」
「ほんとだって言ってるだろ! バクダンの情報が嘘だったんだってば!」
「何度も実験しただろ」
「その実験用のやつだって、あいつが持ってきたやつじゃん!」
顔を真っ赤にして怒鳴るナクタの足が止まってしまって、慌てて手を引く。嘘をついてきたわけじゃないけど、狼少年みたいな状況になっているときは何を言っても駄目だ。
しかし、ナクタの隣にいる私を見て、皆の視線が訝しげなものへと変わる。
「おい、ナクタ。そいつ誰だ」
「お前、山に行ってたんじゃなかったのか? 火草取りさぼりやがったな?」
「ジジリはどうしたんだ?」
たくさんの視線を受けて、あ、と、気づく。
使えるかもしれないものが、一つ残っていた。でも、いいのだろうか。私だけじゃなくて、エマさんの迷惑にもならないだろうか。どうしよう。この名前は大抵恐ろしい物を連れてきたけれど、何よりの身分証明という皮肉なものだ。
「人喰い森から熊と一緒に降ってきたから、オジジが連れて帰るって! こいつが、バクダンのこと嘘だって!」
あれ、でも待って。その前に。
「ナクタ。黒曜ってご存知?」
「バクダン作ったやつと同郷の女だろ? 本とか出てるやつ」
ご存知でした。喜ぶべきか、言い訳に使えなくなってがっかりすべきかは分からないけど、シャルンさん。国の政策ちゃんとうまくいってますよ! こっちでまで周知されてますよ!
それにしても、どうしよう。独り歩きしているとはいえ、自分の通称を口にしていいのかどうかの判断すらできない。
逡巡して口籠った私を、不安そうなナクタが見ている。視線を彷徨わせてツバキがいるであろう列の先を見ると、周りを岩肌に囲まれた地形があった。あそこがナクタの言っていた場所だとしたら、迷っている時間はない。
信じる信じないは彼らの自由だ。だけど、考える余地があると少しでも思ってもらえたなら、列の進行を遅れさせることができるなら。それで、いい。
「私は、カズキ・スヤマです」
エマさんは、ディナストを討つと決めた。その手から爆弾を捥ぎ取ると約束してくれた。
じゃあ、私の覚悟はなんだろう。
この世界にいることは私が選んだことじゃない。でも、ここにいるのは、こうしているのは、自分で決めたことだとルーナにも伝えた。
「貴方々が、黒曜と呼ぶ、カズキです」
ここにいると決めた以上、この名前を避けては通れないのだ。
「バクダンは、衝撃であれ、火であれ、弾けます! 地中へ埋め込むば、地面ごと弾ける兵器です! だから、お願い、進軍を、停止してくださいっ!」
爆弾と一緒に挙げられる名前が通称である私が、爆弾で人が殺されるかもしれない事態を見過ごすことは、許されない。
「頭領!」
足並みが乱れて進みが遅くなった列をどんどん追い越し、後方の確認に足を止めていた頭領さんを見つけ、ナクタが道から滑り降りて駆け寄る。
「ナクタ! ついてくるなと言っただろう!」
「おやじ! ゼフェカはどこだ!?」
「この馬鹿娘が! 遊びに行くんじゃないんだぞ!」
え? いまなんと仰いました?
自分の耳を疑って、ナクタをまじまじと見つめる。もこもこした服で体型が分からない。おれって言っているからてっきり男の子かと思いきや、女の子だったとは思いもよらなかった。先入観で判断して申し訳ありませんでした。
「バクダンは、地面に埋めたって使えるって! 衝撃がなくても、火さえつけば、一個弾ければその衝撃で全部弾けるから、地面に埋まっていたらこっちが壊滅するって!」
「なに?」
意気込んで叫んでいた内はこっちにも会話が聞こえていたけれど、一呼吸おいて至近距離で話し始めた内容は届かなくなった。けれど、頭領さんが聞く耳を持ってくれたみたいでほっとする。ナクタが私を指さして何かを言っていて、きっと私が黒曜だとかそういうことを伝えているのだと思う。だって、頭領さんが私を二度見した。二度見の黒曜は健在です。あれ? 違う、三度見……四度、五度! そんなに意外ですか。新記録どうでもありがとうございます!
でも、頭領さん達の傍を何度見しても、目立つ赤髪を見つけられないのが不安を煽る。
私とナクタが走ってきた道の先はどんどん上がっていって、これが壁を作っていくのだろう。下の道はもう大分細くなっていて、既にこの辺りに仕掛けられていてもおかしくないと気づいてぞっとする。
「ツバキ!」
そんなに遠くには行っていないはずだ。そう信じて声を張り上げる。
「ツバキ! どちら!? ツバキ! ツバキ!」
走りながら叫んだ視界の先で、目立つ色がちらりと雪景色の中に見えた。
「ツバキ!」
少しだけ道をずれ、森の中に入りこむ。けれど、さっきまで走っていた道沿いに走っていく。ちらちらと木の隙間に見える背中に確信する。振り向かなくたって分かった。嬉しくはないけど、この世界で意外と付き合いが多いほうだった。
「お、おい。どうしたんだ、ゼフェカ?」
木々の合間にぽつぽつと男の人がいて、走り抜けるツバキにぎょっとした顔をする。たぶん、彼らが「上を取るから大丈夫」の人達なんだろう。
その誰にも返事をせず、ツバキは止まらない。
「ツバキを、停止させてください! ツバキ、停止して、ツバキ!」
「お前誰だ!?」
カズキです、馬鹿です、黒曜です!
そのどれでもいいけど、そのどれでも彼らにとっては知らない人間だ。一応今まで仲間として潜り込んでいたツバキよりも、私を優先してくれるはずがない。説明している間に逃げられる。そう焦った私の前で男の人が目を見開いた。そして、信じられないと後ろを振り向きながら頽れる。その首に刺さった細い針のようなものを受けた他の人も、膝をついていく。
「う……」
苦しそうな呻き声にほっとしてしまう。よかった、生きてる。
ツバキは逃げているのだろうか。それとも、仕掛けを作動させにいっているのだとしたら、どうしよう。
ただでさえ走って乱れた息が冷たい空気を吸い込んで肺を焼く。走りながらだと喋れない。一瞬だけ躊躇ったけれど、結局足を止める。荒くなった息で膨らみきれない肺を精一杯膨らませて息を吸う。
「ツバキ! 皆、生存してる! だから、ツバキ、話をっ」
そこまで言った瞬間、顔の横に何かが突き刺さった。ぴりっと痛みが走る。皮くらいは切れたかもしれない。
でも、構わない。ツバキが足を止めた。
仮令、私にナイフを投げつける為だとしても。




