80.神様、少々とはなんだったのでしょう
「あくまで私の意見であって、イツキさんとは別人よ」
「ああ、分かってる」
私はイツキさんじゃないし、イツキさんと喋ったこともないし、イツキさんをよく知らない。でも、イツキさんの気持ちが分かるような気がすると言ったら失礼だろうか。
助けを求めるのが恥ずかしいんじゃない。ハードルが、高いのだ。
「私は、助力を乞うた際、皆に不都合が生じた場合、見合う対価を差し出せないよ。私が助力を乞うて生じた結果に見合える価値を、私は私に見出せない」
助言は乞える。寧ろ積極的に聞きたい。私では到底考えもつかない方法は大変勉強になる。
でも、助力は違う。
「…………この世界の人間がお前達に向ける感情は、損得計算で成り立っていると?」
苦しそうな声に首を振る。
違う、違うんです、エマさん。
信じてないからじゃない。疑っているからじゃない。
助けてと叫ぶのを躊躇うのは。
「助力してくれると、知っている故に、言い難いよ」
そう叫んだら、自分の身を省みず助けてくれる人がいると知っているから、言えなかった。
みんな優しい。優しくて、真面目だ。助けてと縋ったら、きっと助けてくれる。それは自惚れじゃないと、今までの皆が示してくれた。分かってる、信じてる。だから、言いたくない。
襲われた時、剣を向けられた時、私の代わりに剣を受けるのだと分かっていて、乞うていいのか。同じことになった時、助ける力も知恵も財産もないくせに、この世界で紡いできた歴史に一滴の血も混ざっていない私が返せるものは何もないくせに、私が此処にいなかったらしなくてよかった労力を、彼らに乞うていいのだろうか。助けてと凭れかかり動きを制限して、取らなくてよかったはずの時間を費やさせて、流さなくてよかった血をこの世界に流させるだけの価値が、自分にあるのだろうか。
この世界に来るまで、助けてという言葉はとても軽いものだった。
宿題忘れてた、助けて。
この荷物重い、助けて。
日常生活の些細な助けてを、互いの間でいったりきたりさせて、助けて助けてもらってを繰り返した。別に助けてもらえなくても何とかなるけど、手を貸してもらえたら助かるなぁというくらいの言葉。自分が相手に求める助けては、自分が相手に返せる助けてだった。
相手の人生どころか、命さえ危険に晒してしまう一方的な助けてに、どうしたって怖じる。たくさんの申し訳なさと、自分の助けてが齎す結果が、恐ろしくてならない。
日本で過ごした二十年弱の時間は、助けての恐怖を教えてはくれなかった。
自分の助けてに、そこまで真摯に向き合ってもらうような事態も、経験しなかった。だから、この世界でたくさんの真面目で優しい人に会って、初めて怖じた。
助けての責任の取りようがない自分に、愕然としたのだ。
せめて、助けてと縋り、その優しさに付け込んで強制的に助けてもらわないようにしたかった。この優しい人達は、助けてと伸ばされた手を叩き落とすなんてできない。その手を取った結果、自分にどれだけの不都合が伸し掛かるか分かっていても。
だから、皆が選ぶ隙を作らずに、助けて助けてと掴んで引きずりこむのだけは避けたかった。せめて選べる時間が、選択が、あってほしかった。
だって、選べないのは苦しい。選べないと、覚悟も決意も出来ないままになる。皆に背負わせたものを背負い返すことができるのならまだしも、そのどれも出来ない私が押し付けられるわけがない。
助けて助けてとむやみやたらと手を伸ばしていたら、皆がもう背負えないと思った時、その手を弾かせてしまう。伸ばさなければ、そんなこと、させなくていいんじゃないかとか、一度でも思ってしまったら、もうどうしようもなくなったしまった。
私を助けるか助けないか選べ!
そう考えるのが傲慢だと分かっている。分かっているけれど、一度助けての恐怖が思い浮かんでしまったら、振り払い方が分からない。
助けて。
助けて。
助けて。
その結果を背負うことはできないけれど、私を助けて。
この世界で私が発する助けての言葉が、わがままと呼ぶことすらおこがましいほどの要求であること、助けるかどうか選んでと口を紡ぐこと。そのどちらも厭わしいことだと気づいてしまったら、にっちもさっちもいかなくなる。何も持たないという事実が齎すものが、心許なさではなく、苦しさだなんて知らなかった。
誰かに恐ろしい目に合わされるより、助けを求めたことによって大事な人達に持ち込む驚異のほうが、何倍だって恐ろしいなんて、知らなかったのだ。
空を覆う木の隙間から落ちてくる雪が視界の端を掠めて、しんっと静まり返った中で、染み渡るようなため息が聞こえた。
「カズキ、お前、そんなくだらないこと悩んで助けを求めてこなかったのか?」
呆れきったルーナの声に、慌てて振り向く。
「く、くらだない」
「くだらない。俺達に助けを求めてこないのは、元の世界に誰とも比べようのないほど頼りになる人間がいるからかと、十年間嫉妬していた俺に謝罪を要求したい気分だ」
「くだならいことではなきにしても、何が何やらごめん!」
思わず詰め寄ったら、今度はエマさんから同じ単語が飛び出す。
「まさかイツキもそんなくだらないことで悩んで……いや、それっぽい。凄くそれっぽいぞ! イツキはまさしくそんな感じだ! ありがとうカズキ! 十年来の謎が解けた!」
「わ、私と同意見であるかは定かではなきにしても、くだないらと言われるば、ムラカミさん号泣致すと思われるよ!?」
またぐるりと元の方向向いたら、きらきらした目のエマさんに両手を握ってお礼を言われた。ぶんぶんと私の手を振った後、すっきりしたと言わんばかりの満面の笑顔で洞に向かって走っていく背中を呆然と見送る。その肩を掴まれて、三度ぐるりと向きが変わった。
「くだらないだろ」
「それほどまでに!?」
「俺達だって別に誰彼構わず命懸けたりしない。お前が思うほど、誰も彼もお人好しじゃないぞ、カズキ。寧ろ、割り切って切り捨てるのは俺達の方が得意だ。ちゃんと選んでるよ。最初から、選んでる。お前を失うくらいなら、お前を泣かせるくらいなら、死にかける方がましだから俺達は手を伸ばしてるんだ。そうして何か不都合が生じたとしても、それをお前に背負わせるほど柔じゃない」
そこまで言ったルーナが屈む動作を見せた。それを目で追った時には、膝裏から掬い取られて視界が上がる。
「と、言える立場だから言わせてもらうぞ」
「どういうことな意味? そして、何故にして担ぎ上げるの」
私を抱き上げたルーナの肩に手を置いて見下ろす。
「お前の悩みはくだらないと、今は言える立場だからな」
「立場」
「ただ、俺がお前の世界に何の後ろ盾もなく落とされて、お前の世話になっていたら言えない」
ルーナは、さっきまでシャルンさん達が座っていたたき火の傍にある石に座った。その膝の上に下ろされて、マントの中にしまいこまれる。マントの隙間からたき火に木をくべた手が背中に回った。
「そんなこと気にするなと言える人間が言えばいい類のことだと、俺は思う。だから、悩むなら、気に病む前に言ってくれ。そうじゃないと、くだらないと一蹴も出来ない」
「ルーナ、意味が難解よ」
「難しいことは言ってないつもりだけどな……そうだな…………とりあえず、遠慮とか気が引けることがあったら片っ端から俺に言ってくれ。俺は人の心が読めないから、言ってくれないと分からないんだ」
心が読めないのは皆そうだよなぁと思いながら、ルーナが言っていることを自分なりに噛み砕いて考える。難しいことは言ってないつもりだと言ったけど、普通に難しい気がするのは私が馬鹿だからか。
「…………とどのつまり」
「ああ」
「ルーナがニホンに訪れた際、私がくらだないと言えばよいということで宜しいか?」
「違わないけど大幅に違う気がするのは何故だろうな」
馬鹿に説明する為にルーナが悩んでいる。国語辞書さえ読み込むルーナでも、馬鹿に説明するのは骨が折れるようだ。私の馬鹿は、天才を超えるし、秀才も超える。
「要は、謝る必要も気に病む必要もないことだと、俺に言う機会を与えてくれということだ」
気にしなくていいよと言わせてほしいということだろうか。それなら私にも一つ心当たりがあった。なかなか言うチャンスがなくてここまで来てしまったけれど、一回ちゃんと言いたかったことがあるのだ。
「私も、一つ言いたいよ」
「ん?」
「ルーナも、リリィも、アリスちゃんも、エマさんも、隊長達も、皆、この世界で起こった事態を私に謝罪するけれども、私とて、この世界にいるは私の意見ではなくとも、いま、この場にいるは私の意見だから、謝罪は不要よと、伝言したかった」
「意見というより意思だな。つまり、この世界こんなのばっかりでごめんなと謝らない代わりに、カズキは俺に助けを求めてくれるんだな?」
そんな話でしたか? 確かハードルから始まったはずなのに、何がどうなってこんな結論に? ハードルは一体どこに?
エマさんからの質問を受けていたはずなのに、私はどうしてルーナのマントの中で抱きしめられているんだろう。
始まりのエマさんは、すっきりとした笑顔で洞に飛び込んだ。
「よし! シャルン、寝るぞ! 来い!」
「散々待たせた挙句、そんな気迫滾らせて戻ってこないでくれるかしら!? これから抱き合って眠る相手に色気出せとは言わないから、せめて気合いも出さないでよ!」
「すやぁ……」
「眠るのはやっ!」
閉じた幕の向こうでシャルンさんが大変そうだけど、こっちはこっちでどうしよう。ルーナと向かい合って抱きしめられたままだ。
ルーナの足の上にいる分、座高がいつもより高くなってルーナの顔が近い。私は、忘れていたことを思いだしてはっとなった。そうだ、朝のキスの分を後で照れようと思っていたのに、これでは照れ貯金が満額になってしまう。
「ルーナ!」
「ん?」
「恥を分散してくるので、別箇で着席希望するよ!」
「よく分からないけど、何の為に二人ずつに分けたと思ってるんだ、お前は。別れて座ったら暖取りの意味がないだろう。それと、少しだけ静かに。仮眠組がいるからな」
慌てて自分の口を押える。そぉっと振り向いたら、洞のほうからぐぉーと鼾が二人分。よかった、起こしていない。二人とも寝つきがいいのもあるだろうけど、疲れているのだろう。
静かに静かにと自分に言い聞かせて、ルーナの耳元に唇を寄せて声を潜める。
「ルーナがキス多々しかけてくるので、恥ずかしきを消化しきれぬ故に、悶える時間を要求し」
瞬きの一瞬で、耳が口になっていた。ルーナは、もしも騎士を首になったらマジシャンになったらいいと思う。後、温かいとゆでダコは大分差があると思う。
「は、恥ずかしき悶えるので、待機して!」
慌ててルーナの口を両手で押さえて、寝てる二人の邪魔はしないようひそひそと話す。あの鼾具合からすると大丈夫そうだけど、声はかなり通ってしまうから気をつけよう。
口元を押さえた私の両手を片手で少しずらしたルーナが俯いてきて、また頭突きかと反射で目を閉じたら、こつりと額が当たっただけだった。
「そうは言っても、やっと触れられるんだ。もう少し付き合ってくれ」
「もう少々とは?」
「……後、百年くらい」
少々の定義を要求したい!
今までは一緒にいられなかった隙間隙間だったから、一緒にいられる喜びとルーナ大好きという気持ちだけだった。だけど、あの村でも思ったけど、一先ず安全な日々の中で冷静にこうしている、どうにもこうにも恥ずかしい。
恥ずかしいけど嬉しくて、幸せだけど恥ずかしい!
嫌では全くもってないけれど、なんというかこう……休憩が欲しい。
「ルーナ、私は恥ずかしきを鎮静化目指すために、休憩時間を挟みこんでほしいよっ」
潜めた声で必死に訴えたのに、ルーナは何だか楽しそうだ。
「カズキ、首まで赤いぞ」
「ルーナ!」
首筋を撫でられて、くすぐったいやら恥ずかしいやら熱いやら。自分から抱きつくのは大好きだけど、ルーナに動かれると大変恥ずかしい! せめて間を開けてくれたら落ち着けるのに、次から次へと畳み掛けてくるルーナをどうすればいいんだろう。今日は一日が長いのに、夜明け前から体力を奪われると困る。私は今日、散々滑って転ぶ予定なのに。
既に熱湯に浸かっているのに更に炙られて、煮立つ頭で必死に考える。
「ル、ルーナ」
「ん?」
私がこの世界にいるのは、私が選んだことじゃない。
でも、私が此処にいるのは、自分で選んだ結果だ。
そしてルーナも、選んで手を差し出してくれると言うのなら。
「た」
「た?」
ごくりとつばを飲み込んで、息を吸う。
どうしたって躊躇ってきた言葉があった。どっちを選んでも傲慢で、ずるい選択肢があった。
それを口に出せと言うのなら、最初は、ルーナがいい。傷つくのもねだるのも、巻き込むのも。凭れて、縋って、重荷になるだけにはならないよう頑張りたい。けど、甘えるなら、ルーナにする。
「カズキ?」
「…………………………助けて、ください」
ルーナが息を飲んだのが分かった。いろんな意味で心臓がどくどくと忙しく鳴いている。動きを止めたルーナの膝を跨いで座った状態でずっといるのは、色んな意味で厳しい。やっぱりいったん離れようと身動ぎしたら、腰に手が回ってがっちり抱きこまれた。苦しい。
私の肩に額を置いたルーナは、長い長い息を吐いた。
「お前、それは、ずるいだろ」
「ルーナが待ってを受理してくださるないから!」
「助けを求めてくれるのはいい。念願叶ったというか、望むところだ。それはいいんだけどな。お前、よりにもよって……ずるいだろ」
回った腕にぎゅうぎゅう力が篭もって、痛くはないけど苦しい。こんなに苦しいのに痛くないのは凄いと思う。コツでもあるのだろうか。それはともかくとして苦しい。
「ル、ルーナ、苦しい」
「…………俺も苦しい」
「私は締め付けをおこなってはおらぬよ!?」
「いや、俺より酷い」
「え!? ごめん!」
慌てて両手を広げて掌も開く。立ち上がれないけれど足も開いているから締めつけてはないはずだ。これでルーナは苦しくないはずだと思ったけれど、腕による支えが無くなった私は更に苦しくなった。
ルーナはそのまま動かない。苦しいと言っても息ができないほどじゃないので、私もしばらくその体勢のまま待機してみる。ただ、広げていた両手が寒くなったので、そぉっとお互いの胸の間に確保したら、凄く温かかった。




