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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
77/100

77.神様、この惨劇はちょっと予想外です



「ここまでよ。今日はここで休みましょう」

 大きな木の洞の前で、ヒンネさんは荷物を下ろした。洞の中から枯れ葉や虫を掻き出して荷物を入れる。

「思ったより進んだな。これはヒンネの手柄だな」

「いやぁん、もっと褒めてもいいのよ!」

「ああ、ギニアスは知らないよな。以前、ヒンネが森で迷ったふりをしてここまで印をつけてくれたんだ。食料と水だけで出発したから、逃げだすつもりがあると思われなくて後も付けられなかったしな」

「褒めなさいよぉ!」

「縄を三本ほど用意して、一直線になるよう木に結んでいくんだ。これなら方角が分からずとも惑うことはない。ただし、時間が必要となるから、追手がかかっている状況では出来なくてなぁ」

「構いなさいよぉ!」

 ずがんと両拳を地面に叩きつけて項垂れたヒンネさんの横に下ろされる。比較的近い間隔で木があり、葉も蔦も生い茂っているから分かりづらいけれど、もう日が落ちかけているようだ。

 そして、誰かヒンネさんを構ってあげてください。




 ここまで皆とにかく急いでいて、ほとんど言葉を交わすことなく進んできた。

 皆のやり取りをぼんやりとした意識で聞いていた私は、地面に下ろされて、ずっと触れていた温もりが離れていった寂しさで目を開ける。目の前には、私を心配げに見つめるルーナがいた。その水色を見ていると気持ちが落ち着いてきて、ずっと揺れていた思考が急速に纏まっていく。そして、すぅっと背筋が冷えた。

 小屋の中での異常な記憶が蘇った瞬間、私は目の前のルーナを突き飛ばして洞から駆け出した。

「カズキ!」

 ショックを受けたルーナの声に心が痛んだけれど、振り向く余裕がない。抱きしめようとしてくる手を必死に振り払う。そして、少し離れた場所で戻した。


『きぼちわるい……においがぐるぐるずる……鼻、鼻洗いたい……』

 前にテレビで鼻うがいというのを見たことがある。へぇーと思いながらチャンネルを変えたけど、こんなにも練習しておけばよかったと後悔する日が来るとは思わなかった。

 一回吐いたらちょっとすっきりして、ルーナが渡してくれた水で口をゆすぐともっとすっきりしたけど、何かの拍子にむわっと湧き上がってくる匂いに吐き気も蘇る。



「香酔いだな。これを噛んでいるとだいぶ楽だから、頑張って齧ってくれ」

 エマさんが渡してくれた親指ほどの太さの蔦を口に入れると、グミみたいにぐにぐにして一瞬固まる。思ってた食感と違い過ぎて吐き出しそうになるけど我慢して噛んでいると、気分がすっきりしてきた。草っぽいけど野菜っぽさもあって、塩揉みしたイタドリみたいな味だ。

「香酔いが出てきたってことはだいぶ抜けたな」

 火の用意をしながら、エマさんは苦笑した。

「しかしお前、あの香はかなりきつい奴なんだぞ? 普通は夢見心地のまま何も分からなくなるんだ。それを散々動き回ったくせに、慣れてない人間特有の香酔いはしっかり出るんだなぁ。……ほんと、イツキそっくりだよ」

 遠い場所に思いを馳せたエマさんは、寂しそうに笑って首を振る。何かを振り払った後、長い髪を掻き上げてぱっと笑った。

「飯の支度が終わるまでゆっくりしていろ。ギニアスもついていてやれ。まだ吐きそうだったら全部吐かせたほうがいい。もし、再度意識が混濁し始めたらすぐに呼んでくれ」

 そう言ってご飯の用意を始めたエマさんとヒンネさんをぼんやり見ていると、吸った息の中にあの匂いが蘇ってしまった。鼻の奥と脳にこびりついて残っている匂いを早くどうにかしたくて、一所懸命蔦を噛む。

 がじがじと噛み締めていると、ふと視線を感じた。横には片膝をついたまま両手を浮かせたルーナがいる。

「どうしたの?」

「…………触って、大丈夫か?」

「酔いの帰還により、うげろっぱする可能性があるが宜しいか?」

「いいに決まってるだろ」

 吐く危険性のある人間を、前から抱きしめてくれるルーナの男前度は留まるところを知らない。


「…………ねえ、うげろっぱが何か聞いていいと思う?」

「馬に蹴られると思うがなぁ」

 そんなひそひそ話が聞こえてきたけど、聞こえないふりをした。だって、何と聞かれても答えられない。意味なんてありません。なんかこう、語呂が良かったからです!






 香酔いが落ち着いてくると同時に空っぽの胃が要求吼えしてくる。まったく、躾けのなってない胃だ。

 あっという間に用意されたスープと、私の煎餅パンが夕食となった。スープの野菜が可愛い飾り切りだったので、この中で一番女子力が高いのはヒンネさんとなりそうだ。

「さて、落ち着いたところで、自己紹介といかないか?」

「あ、賛成ぇ~。じゃ、言いだしっぺからいきなさいよ、モーリー」

 エマさんは頷いた。

「私はエマ。ガリザザの王族に姓はないから、ただのエマだ」

「あんた王族だったの!?」

 驚愕に後ずさるヒンネさんにこっちがびっくりする。

「存じ上げなかった!?」

「あんた達知ってたの!?」

「初回訪問時に教えて頂いたよ!?」

 私達が驚き合っている横で、ああと気の抜ける声と両手がぽんっと打ち鳴らされる音がした。

「いやぁ、丸薬処理できるって信頼してもらおうと思ってな。そういや、ヒンネには言ってなかったか。すまんすまん」

「教えなさいよぉ!」

 やだ、あたしの今まで不敬すぎ!? と、ずがんと地面に拳を打ち付けたヒンネさんが悲しい。そして、掌をひらひらさせて、悪い悪いと絶対悪いと思ってない感じで謝っているエマさんは軽い。

「ほら、次はヒンネだぞ。そろそろ名前を教えてくれ」

 ぺしぺしと背中を叩かれたヒンネさんは、恨みがましい目を向けた。

「……もういいわ。不敬なんて今更よ。どうせ、こっちが気にするだけ無駄なんでしょ!?」

「まあそうだなぁ」

「気にしなさいよぉ!」

 わっと顔を覆ったヒンネさんを、早く名前~と急かすエマさん。頑張れヒンネさん。私はヒンネさんの味方です。でもエマさんの味方でもあります。そして、当然ルーナの味方です。後、このスープ凄く美味しいです。

 里芋みたいなお芋をもぐもぐ噛んでいると、やがて達観した顔になったヒンネさんが自己紹介を再開した。

「その前に、あんた達グラース出身って本当?」

「ああ」

 頬張った煎餅パンを詰まらせて悶えていた私に代わって、ルーナが返事してくれた。

 ヒンネさんは、ふぅんと意味深な笑みを零す。勿体ぶってくれている間に、ルーナが渡してくれたお茶を飲んで生き返った。スープに浸さなかったら、これ、凄い水分奪ってくる。



「聞いて驚きなさい! あたしはシャルン・ボーペルよ!」

「ボールペンさん!」

「ボーペルつってるでしょ」

「ひゃい」

 頬っぺた引っ張られた。みょんみょん頬っぺた引っ張っていたヒンネさん改めシャルンさんは、段々怪訝な顔つきになっていく。

「やだ、ちょっと、本当に知らないの!?」

「ひゃい」

「ギニアスも!?」

 ルーナはちょっと考えた。しばし待つ。ローディング中。該当データありません。

「ちょっと、嘘でしょ!? 国の政策意味ないじゃない!」

 信じられないと唸ったシャルンさんの向かいにいるルーナをちらりと見上げる。あれ? これ該当データありませんの顔じゃない。該当データはあるけど言いたくありませんの顔だ。

「政策? ヒンネ……じゃなかったな、シャルンは何をしている人間なんだ?」

「作家よ、作家! 黒曜を周知の事実にするためにって王城から依頼を受けて、王城監修の元で本を書いてる作家よ!」

 みしりとルーナが持っているスプーンが嫌な音を立てた。私も嫌な予感がしてきたよ、ルーナ。以心伝心。私達、いい夫婦になれますね。


「存在を迅速に土着させるためには、やっぱり若い世代と女性に定着しなくちゃってことで、分かりやすく全年齢読めるように書いて、それを国を挙げて広めてきたっていうのに、なんであんた知らないのよ! ギニアスだって話題作りとして知ってなきゃまずいわよ!? 後、本に因んだ小物販売も盛況で、本とそれの売上金の一部は戦争孤児の養育費に使われているから買いなさい。直接募金も出来るから、黒曜募金やってるところに直接しに行ってもいいわよ。というか、行きなさい」

 シャルンさんは、最後は真面目な顔でしめた。あの本にそんな裏話とボランティア的な意味合いがあったとは。依頼主が王城ということも初めて聞きました。いや、まだ私が想像している本とは違う可能性が僅かにでも残っている以上、希望を捨ててはいけない。

「へぇ……それは読んでみたいな。無事に帰れたら送ってくれ。ちなみに題名は?」

 ガリザザの王族なら知らなくて仕方がないので、エマさんにそう言われたシャルンさんはにこやかに頷いた。

「ええ、分かったわ。騎士ルーナと黒曜姫という本よ」

 やっぱりね――!

 今度は私がずがんと拳を地面に叩きつける番だった。

 そんな私の様子を、呆れきった目でシャルンさんが見下ろす。

「あんたそんな髪と目をしてるくせに、全く目にした事も耳にした事もないって言うの? どんな環境で生きてきたのよ」

 日本という国で、一人暮らしの女子大生という環境です。だって、どこの本屋さんにも置いてないんです。

「そろそろ書くことも尽きてきたから、心機一転して大陸を舞台に書こうと思って取材に来たのよ。お世話になった宿屋の人に巡礼の滝の話を聞いて見に行ったら、雇った護衛に荷物奪われて突き落とされたあたしを笑いたきゃ笑いなさい」

 笑えません。そして、笑うより先にやるべきことがある。

 それは、私達の自己紹介だ。

 どういう顔をすべきか分からない私の横で、無表情のルーナがスプーンを圧し折った。駄目だ、これ。自己紹介は私の役目だ。

「あの……シャーペンさん」

「シャルン・ボーペルつってるでしょ」

 重ね重ね申し訳ありません。謝罪は後ほどで宜しいでしょうか。

「カズキ・スヤマと申すます……」

「あらぁ、それがあんたの名前? 珍しい名前してるのね。グラース出身じゃなかったの? ……ん? どこかで聞いたわね」

 その質問に答える前に、こちらをお聞きください。

 私は、揃えた指先でそろりと隣を指した。

「私の婚約者で」

「あら、おめでとう」

「ルーナ・ホーネルトと申すます……」

 シャルンさんの時が止まった。

 瞬きもない。呼吸をしているかも分からないくらい微動だにしない。

 冷たい夜風が走り抜けていったのに、身震い一つない。

「ん、ちょっと寒いな」

 スプーンを銜えたままのエマさんが細い枝を何本かくべて火を強くする。ぱちぱちと生木が燃えていく。ぱちんと一際大きく爆ぜたのは木の実だろうか。

 それ以外はしんっと静まり返った空間のどこかで梟が鳴く声がする。梟見てみたいなと、そんな場合じゃないのにちょっとそわそわしてしまった。




「もうこの面子いやぁああああああああ!」

 梟の声を吹き飛ばし、絶叫したシャルンさんに私も涙目になる。

「何故にしてルーナの顔存じ上げないよ――!」

 せめてルーナの顔を知ってさえいれば、この悲劇は避けられた。その代わり、シャルンさんの名前はずっとヒンネさんだった可能性もあるけれど、どっちが悲しいかはもう分からない。

 シャルンさんはわっと両手で顔を覆った。

「初めて騎士ルーナを紹介してくれることになってた夜会で、黒曜は故郷で新しい男とよろしくやってるだろうし、君は私の娘でもどうかねと言ったおっさんを殴り飛ばして、返り血浴びてる美少女みたいな美少年を見た瞬間、一目散で逃げたしたわよ! 今でも夢に見るわよ! あの状態で、国の平和の為に貴方の黒曜を襲わせて浚わせて、会う男会う男に惚れられてる本書いてますなんて言えないわよ! 今度はあたしが死ぬわ!」

「おっさり死亡なさったの!?」

「おっさんよ、おっさん! 生きてるわよ! 精神的にあたしが死ぬのよ!」

「よかったぁ」

「よくないわよ!」

 おっさんの生存が確認されてほっとしたけれど、シャルンさんが瀕死だ。

 惨劇に大ダメージを受けたシャルンさんを慰める人がいない。どうしよう。エマさん、スープのお代わりしてる場合じゃないと思うんです。この場で一番シャルンさんと付き合い長いのはあなただと思うんです!

「お、私が剥いた芋はすぐに分かるな! 皮が残っている」

 駄目だ。お芋に夢中だ。ルーナは……あ、駄目だ。私も声をかけたくない。

 圧し折った木のスプーンを、そのままの体勢でみしみしと粉砕していく様子に、私はそっと隣を離れ、項垂れるシャルンさんの背中を叩いた。元気出してください。

「気合出してください!」

「なんの気合いよ! そもそも、王城と何度も擦り合わせて渾身の黒曜姫を作り上げたのに、元祖がこれってことに立ち直れないわよ!」

 一番の惨劇を巻き起こしたのは私でした。土下座ものである。

「…………これ?」

 低い声に慌てて振り向いたら、ルーナがいた。いや、最初からいるけど。

 火に下から照らされたルーナは、予想通りの顔をしていた。

「ぎゃあ怖い!」

「なんであんたが悲鳴あげるのよ! あげるのはあたしよ!」

「こ、こればかりは譲れぬよ!」

「譲りなさいよっ!」

 これから樹海を越えていくメンバー紹介はこれで終わった。皆が偽りの名前を脱ぎ捨て、ありのままの自分を曝け出し信頼を見せる。

 その結果がこれだ!



「……これとは、どういう意味だ?」

「そ、その顔は如何なものかと思われるよ!?」

「そ、そうよ! もっと言って黒曜!」

「私を防御壁とするも如何かと!」

 私を盾にして、ルーナの前にぐいぐい押しこむシャルンさんの足元で、エマさんはぐるぐる鍋を掻き回している。

「この芋、こうやって食べると美味いな。もうないのか?」

「その芋は足が早いからそれしか持ってこなかったわよ!」

「なんだ。残念だな……」

「もっと他に気にすべき事柄があるんじゃないの!?」

 エマさんは結構マイペースだし、シャルンさんの喉がそろそろ心配だ。

 そして、私の婚約者は世界一怖い。


 そんな風にして夕食は終わったけれど、これが波乱の旅の幕開けとなる事を、この時の私は知る由もなかった――……。


 嘘です。

 知ってた。凄い知ってた!

 寧ろ、そんな予感しかしなかった!



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