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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
73/100

73.神様、少し秋の夜が強すぎます

 

 指を曲げてノックしてみると、こんこんと返ってくる感触と音に頭を抱える。

「うぉう……」

 やってしまったと項垂れる私の後ろの扉、裏口に当たる土間の扉が開いた。この家、村全体に当たることだけど、鍵がないので誰でも出入り自由だ。ルーナの肩越しに、沈みかけた夕日が見える。暗くなる前に皆が家に帰っていく。帰りを待つ家からは夕食の支度の煙が上がっていた。

 それはここも同じだ。同じなのだけど。

「ただいま」

「おかえる……」

「どうした?」

「本日の夕食が大惨事」

 昼過ぎから村の人達の手伝いに出ていたルーナが帰ってきた。靴を脱いで隅に寄せ、上着をはたいて、壁のでっぱりに引っ掛けて戻ってきたルーナが後ろから覗きこんでくる。

「ん?」

「魚頂戴したが、刺身に挑戦大惨事」

 うまく下ろせなくてぐちゃぐちゃになった。

「よって、団子として野菜スープに投擲した」

「うん」

 悲しいけれどそこまではいつも通りだ。どう使えばいいのか分からない材料は全部スープになるから、具だくさんである。

 私は、さっきまでノックしていた物体をお皿に乗せてルーナの前に差し出した。綺麗な茶色の焼き色をした、平べったいパンもどきだ。村長の奥さんに教えてもらった通り、発酵のいらない簡易パンを焼いてみた。日本語でメモを取るわけにはいかず、かといってこっちの世界の言葉を喋っている速度で書けるわけもない。そして、うろ覚えのパン作り開始となったのだ。

 結果、詰め込み学習後の頭みたいに、遊び心もそのスペースすら欠片もない、悲しいパンができあがった。がっちがちである。更に、この村ではお米みたいな物が作られていて、粉もそれを砕いたものだ。つまり、米粉パンである。それががっちがち。そう、これはパンというより煎餅である。

「スープに進水させ食事致してください……」

「香ばしくていいんじゃないか?」

 味に頓着しないルーナには大変助かるけど、大変申し訳ない。全部美味しかった、ありがとうと笑ってくれるルーナの為に、次こそはまともに美味しい料理を作りたいものだ。そう、せめて、失敗してないご飯を。誰か私に文明の利器を、インターネットを、料理の本を、クックなパッドを!


「あ!」

「どうした?」

 よそった器をテーブルに運んでくれていたルーナの前に、自信満々に一品差し出す。南瓜っぽい野菜の揚げ団子、蜂蜜で甘くしてあるからデザートだ。

「成功した!」

「よかっ……くないな。指見せろ」

 皮が硬くて包丁が滑り落ちた時に、ちょっと切った傷を目敏く見つけられる。血は止まってるし、小さく裂いた布を巻きつけてるから大丈夫なのだけど、ルーナは私の手から団子のお皿も取り上げてしまった。

「洗い物は俺がする」

「断固となって拒絶する」

「最初は?」

「ぐー!」

 じゃんけんぽん!

 突如として仕掛けられたじゃんけんに反射で乗っかる。全力で開いた私のぱーを、ぐーの拳を微塵も動かさずに指だけ跳ねあげたルーナのちょきが切り裂く。

「俺の勝ち。夕食にしよう」

 しれっと運んでいくルーナの背中を見送る。家の中なのに木枯らしが吹きぬけて行った気がするのは何故だろう。

 思い返せばじゃんけんを教えた十年前のあの日から、私はルーナに勝った覚えがない。じゃんけんというのは偶然と偶然のぶつかり合い。相手のパターンを読んだり神に祈ったりと色々手はあるけれど、基本は運、の、はずだ。

 だけど、流石の私も気づいた。ルーナとのじゃんけんは運じゃない。強運ですらない。

 絶対見てから動かしてる! 私の手が作り上げる前に出しきっているから、後出しに引っかかるかは分からないけど!

 こうなったら、次のじゃんけんは秘儀を発動させるしかない。一拳でぐーちょきぱー全出しの魔拳を!

 そう決めたはいいけれど、問題は、実際にその時が来て咄嗟に魔拳を繰り出せるかだ。今度練習しておこう。




 特大煎餅はルーナに割ってもらって、具だくさんのスープに無理やり浸して食べる。圧倒的に水気が足りない。

「今日は、何事を行ってきたの?」

「ん? 山豚を狩ってきた」

「ヤマブタ」

 聞き慣れない単語だ。復唱した私に、ルーナは揃えた指をちょいちょいと動かした。その合図に掌をひっくり返して差し出す。

 ゆっくりと掌に文字が書かれる。くすぐったくて思わず口元が緩む。

「明日切り分けた肉が分配されるから、料理の仕方聞いてくるな」

 猪でしたか。確かに、山にいる豚っぽいものだ。

 猪は、猪鍋とか聞いたことがある。けど、そのままじゃ食べ慣れてない人には臭いとも聞いた。水菜とかなんかそれ系の野菜と煮るといいとテレビで見た気がするけど、どうだったかな。

 それにしても、ルーナの頭の中にしまわれている和訳辞書を私の頭にもインストールしてもらえないかな。検索機能もばっちりだ。まあ、そんな素晴らしい辞書も、私の頭に入る段階でエラーが出て残念なことになりそうな予感しかしない。


 洗い物してくれているルーナを眺めながら、洗濯物を畳む。このもさぁとした服は洗うのも大変だったけど、乾かすのはもっと大変で、更に畳むのまで面倒ときた。というか、畳めない。そのままかけるしかなさそうだ。スカート部分引き千切りたい。

「今年は実りが多かったから、冬支度は困らないらしいぞ。薪割りと手伝いで結構な食料と交換してもらえたしな」

「それはご安心をね」

「ああ、そうだ。リリィが今日作った堅パン、日持ちしそうだし作り置いてもいいかもな。冬に毎日作るの大変だろ? 俺も手伝うから、今度纏めて作らないか?」

「え!? ぐ、偶然の一品故に、製法が……」



 洗い物を終えたルーナは、今度は土間との段差に腰掛けて何をか作り始めた。洗濯物を抱えて後ろから覗きこむ。

「何物を作成中?」

「罠。狸獲れたら、リリィの首巻き作ろう。きっと温かいぞ」

 天井がみしりと家鳴りしたのは気のせいだろうか。いま天井にいる存在が首巻になったら、きっと凄いホラーだ。想像してしまってひくりと頬が引き攣ったけど、ルーナが楽しそうですぐに綻ぶ。ルーナ、物作るの好きなんだな。次はどんなの作ろうかと考えている姿が子どもみたいで可愛い。

「じゃあ、ちょっと仕掛けてくるな」

「はーい」

 わざわざ上に向かって宣言して、ルーナが屋根裏に上がっていく。その間に、着替えとタオルだけ選り分けて、残りの洗濯物をしまう。

 しまい終えてリビングに戻ってくると、ルーナが裏口の前で待っていた。

「別に中にいていいんだぞ?」

「別に、ギニアスが先に入室しても宜しいのよ!」

「入浴」

「にゅーよーく」

 よしと笑ってくれて嬉しい。そして、言葉チェックがありがたい。今度アリスちゃんと会えた時、見違えたと驚かせたいのだ。

「せめて上着取ってこい。外はもう結構冷えるぞ」

「はーい!」

 ちょこちょこ入る言葉チェックを受けながら、家の裏に回る。途中で薪置き場から薪も取ってきた。

 土間はルーナが厚手のカーペットを敷いてくれたから靴下で大丈夫だけど、流石に外は上げ上げ底の出番だ。ぐらぐら揺れながら薪を持ったルーナの腕を掴む。見上げた顔の近さはまだ慣れなくて、ルーナもそうなのか、お互いちょっと照れくさい。


 ルーナが手際よく薪を放り込み、火をつけている横で一緒にしゃがみ込む。靴が高すぎて火元まで遠いけど、火を煽る段階になったらやらせてもらう。本当は火をつけるところからやってみたいけど、どうにも火打ち石が上手く使えない。今までは火を移させてもらっていたから、練習してないつけがここで出た。料理に使っている火は、朝ルーナがつけてくれた火をランプに移したのを使っている。

 竹みたいな筒を吹いて風を送り込んでいる横で、ルーナがうちわみたいな物で風を送っている。最初はすぐ酸欠になっていたけど、今は加減を覚えて、少し経ってから酸欠になるレベルに成長した。

「リリィ、顔真っ黒」

 顔面煤だらけになるのは未だに変化がない。同じように筒を使って拭いても汚れ一つないルーナの顔を見る。うん、今日も素敵ですね。

 軽い笑い声を上げて顔を擦ってくれていたルーナは、駆け抜けていった冷たい夜風にちょっと目を細めた。

「もういい頃合いだと思うから入ってこい」

「偶には、ギニアスより一番湯の入浴行わない?」

「外にいるリリィが心配で風呂どころじゃないから、即行出てくるぞ?」

「一番湯行って参るます!」

 勢いよく立ちあが、ろうとして、はたと気づいてそろりと動きを変える。転ぶ。

 冷える外で山狩りしてきた人に火の番をさせて頂く一番風呂。外から聞こえるゆっくり入れの声。急いで入っていたのに、なんだかんだと話しかけてくる声に答えていたら、気がつけばまったり入ってしまっている事実。

 今日も負けたとしょぼくれながら壁伝いにそろそろと進むも、途中で、火の番で残るルーナを振り向いた。

「こ、これで終了したと思うな! 覚えるてやがれ――!」

 明日こそはルーナに一番風呂を使わせてやる! 

 びしりと指さして宣言した私の声に合わせるように、どこかで聞こえる犬の遠吠え。同時に私の頭の中を流れる、負け犬の遠吠えのテロップ。これでは完全にチンピラの捨て台詞だ。何か付け足そう。

 じりじり扉の前まで移動して、開けた段階でもう一回振り返る。

「ギ、ギニアスの男前――!」

「ありがとう?」

「どういたすまして!」

 急いで扉を閉めてお風呂場まで駆け込んで気づく。私は一体何が言いたかったんだろうと考えながらお風呂場に入ると、小窓から声が入ってくる。

「湯加減どうだ?」

「良好よ」

 急いで逃亡した先は結局壁一枚隔てた場所だという状況に、私は冷静になった。冷静になれば思考もクリアだ。そうして出た結論は一つ。

 ルーナは今日も格好いい。



 ルーナはいつも、火の始末を終わらせてからお風呂に入る。冷める前にさっと入るだけのルーナに、偶にはゆっくり浸かってほしいと思うのに、なかなか勝てない。じゃんけんが駄目、捨て台詞も駄目。指相撲も腕相撲も足相撲も駄目だった。さあ、私がルーナに勝てるものはこの世に存在するのか!

 これが騎士ルーナと黒曜姫の黒曜なら、ウインク一つで相手をメロメロにさせて言うことを聞かせてしまう。色気という名の武器だったけど、あれは色気というより魔術の領域の気がする。目が合うと動悸が激しくなって眩暈がして、終いには気絶してしまう。……毒ガスかな!


 モーリーさんという名のエマさんと出会ってもう十日。あれ以降、特に進展はない。というより、進展させようがないのだ。

 薬の経過を見るという名目で、ほぼ毎日のように家を訪ねてはいるけれど、マーカスさんがぴったり張り付いている。なんやかんやと理由をつけてマーカスさんが出ていくと、必ず村人の誰かが訪ねてくるのだ。おかげで、身のある話は全くできていない。

 やっぱり見張られているんだなと実感できるタイミングに、彼らの人好きのする笑顔が恐ろしくて気持ち悪くなった。でも、笑って誤魔化せなら、私だってお家芸であり国民芸。どの顔も同じ仮面のように見え始めた笑みを向けられても、相手をお客様だと思えば何とかなる。スマイルゼロ円! 

 いらっしゃいませお客様! 本日も屋根裏にはルーナ特製の罠が張られておりますので、またのお越しを心よりお待ち申し上げておりません!






 最初に寝ていた部屋に、隣の部屋にあったベッドを二人で引きずってきて寝室にした。流石に同じベッドで寝るのは問題かなと話し合った結果だ。ルーナは椅子でいいと言っていたけど、断固としてベッド移動を強行した。

 そのベッドに腰掛けて、生乾きだった髪にタオルを押し付ける。


 最初は、薬の包み紙にメモがあった。次は、もらった飴の包み紙にメモがあった。次は、薬の中にメモがあった。でも、それから何もない。恐らくマーカスさんの監視が厳しくなって何も出来なくなったんだろうとルーナが言っていた。

 一通目には【旅支度】と書かれていた。二通目には【リリィの靴は任せろ】。三通目は【機会を待】で途切れていた。慌てて書いたんだろう。返事を渡せないでいるまま、今に至る。けれど最後が機会を待てだったから、大人しく待つことにして、こっそり旅の用意は始めた。

 食料は、意外なほど回してもらえている。村を出ていけないよう小出しにされるかと思ったけれど、冬籠り前にしてもたくさんもらった。食料が少ないと村での生活に不安を持たれるからだろうとルーナが言っていた。


 後ろ向きにベッドに倒れ込み、天井を見上げる。

 ツバキ、エマさんが生きていたよ。ディナストを呼び捨てにしていたツバキが、エマ様と呼んでいた人がここにいるよと伝えたら、ツバキはどうするだろう。

 そして、イツキさん。私がこの世界で出会えた人があなたに繋がったらいいと思っていた。けれど、あなたの出会いがいま、私に繋がっている。あなたがこの世界で出会えた人が、出会ってすぐの私に好印象を抱いてくれた。髪と目の色が同じだったという理由だけで、信用したいと言ってくれた。

 あなたが築いてくれた絆です。あなたが培ってくれた信用です。あなたが齎した縁がいま、私達に道をくれています。

 そう伝えられる日は来るのだろうか。



 お風呂から上がったルーナが部屋に入ってくる。両腕を交差させて瞳の上に乗せたまま、口を開く。

「現在、大丈夫?」

 ルーナが動きを止めたのが分かった。

『……どうした?』

 覗きこんでくる気配がする。瞳を閉じていても影が落ちたくらいは分かるのだ。

 顔を見られたくなくて横に転がって背を向ける。

『私は、この村が怖い、し、気味が悪いと、思う。ルーナ以外と結婚したいとか、この村に残りたいとか、は、一切、思ってない』

『ああ』

『ごめん、ルーナ。こんな時に何言ってんだ馬鹿って、怒って、ください』

『……カズキ?』

 ごめん、こんな時に甘えてごめん。

 怒らせるくらいなら言わなきゃいいのに、ごめんね、ルーナ。思ってるだけなら困らせることもないのに、甘えてごめん。伝えてごめん。

 帰りたい気持ちに嘘はない。アリスちゃん達に会いたい気持ちは変わらない。

 だけど、ごめん。

『私、ずっと、こんな風にルーナと暮らしたかった』

 一緒に死なせかけた結果得られたこの時間がもうちょっと続けばいいとすら、思ってしまった。





 声が震える。ルーナの顔が見られない。

 小さな衣擦れの音がして、交差した腕に少し湿った指が触れた。びくりと跳ねてしまったのはルーナが怖かったからじゃない。ただ、何を言われても泣き出してしまいそうな自分が情けなかったからだ。

 ルーナはやんわりと力を籠めて私の腕を解き、顔の横に両手をついた。

『怒るわけ、ないだろう。そう思ってもらえて、凄く、光栄だ』

 そう言ってくれたルーナの声は震えて、唇が重なる寸前に見えた顔は今にも泣き出しそうだった。優しいのに掻き抱くような手に抱きしめられる。

『頼むから、そんな、そんなどうしようもないほど当たり前の願いを、謝らないでくれ』

 もう一度重なった口づけは深くて、どうしようもないほど幸せで、どうしようもないほど温かかった。





 次の日の朝、ルーナに抱きしめられた状態で目が覚めた私は、両手で顔を覆って身悶えた。秋の夜って怖い。弱音がぼろぼろ出てくる。秋の夜長に敗北した私が眠るまで抱きしめてくれていたルーナは、眠っても抱きしめてくれていたらしい。腕から出られない。今日も朝からかっこいいですね。髭がちょっと生えてて可愛いです。でも、あんまり生えてませんね。アリスちゃんもそうだったけど、ちょみちょみしか生えてなくて、それも可愛いですね。

 その寝顔を見て、私は決意した。私は朝からハイテンションになれるくらい、朝はわりと強いタイプだ。是非、夜にもそのテンションを引き継ごう。朝にも負けず、昼にも負けず、夜にも深夜にも負けず、テンション高い女に、私はなりたい。否、なってみせる! 記憶の中でもうるさい私は、一日中うるさい女になるのだ!

 しかし、その時の私は、夜だと弱音を吐きやすいと気づいたルーナが全力で甘やかしにくるなんて夢にも思わなかった。

 更に、対抗策として心を籠めて語った、切なく泣ける屈指の名作ごんぎつねやら忠犬ハチ公の話が、最後にごんが鬼が島に行って打出の小槌で大きくなり、ハチが月に帰って美しい白鳥になってガラスの靴を履いて王子様と結婚した辺りで、一体何をしていたのか分からなくなるなんて、知る由もなかった。



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