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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
72/100

72.神様、少し鼻が曲がりました

「あれが話にあった森か。リリィ、見えるか?」

「良好よ」

「方位磁石も無効になるどころか、獣も寄り付かないとなると相当だな」

 村から出られない原因は、見渡す限り広がる樹海だ。方角が狂い、獣も避けて通る、別名人喰いの森。そんな名前がつくほどの人数が、森に飲まれて死んでしまったそうだ。遺体も回収しに行けないというから相当だ。外部から人は一切入ってこられない。かといって、こちらからも出ていけない。ここは秘境だ。

 神の裁定とされる滝を越えて九死に一生を得た人達は、結局この場所を出ることを諦めた。そうしてここを終の住処と定め、定住したのだという。

 村から出るためには、私達もあの森を越えて行かなければならない。

 その問題の森を眺めるルーナを見上げて、隣を歩くライさんに気付かれないよう拳を握り込む。

 気にしない、気にしたら終わる。元気が出るようにと奥さんからの優しさがもさぁと溢れた服と、上げ上げ底の靴で、立ち上がった瞬間生まれたてのカズキになった私を心配してくれたのは分かる。分かるから、気にするな。非常に居た堪れないけど、気にするな。

 村中の好奇の視線が私達を追っている中、当たり前みたいに私を抱えて歩くルーナを気にしたら、何かが終わる。次の瞬間奇声を上げて走り出す予感しかしない。せめて俵担ぎにしてくれたらまだ良かった。これがティエンなら、へいタクシー、あっちに宜しく! と言えるくらい楽しめるけど、ルーナだとなんだか非常に恥ずかしい。

 周りを子ども達がちょろちょろしながら、いいなぁ、だっこいいなぁと声を上げている。庭先で洗濯物を干している女性達が、あらあらと微笑ましい笑顔で見送ってくれ、畑仕事をしている男性達が、はははと軽快な笑い声を上げてくれる。

 怪我したり、熱出したりと切羽詰まっていない素面の状態だとこんなに恥ずかしいことだったのかと、今更知った私を誰かどうにかしてほしい。


「ギニアスは過保護だなぁ」

 短い髭を撫でるライさんの苦笑が刺さる。

「そんなに心配なら家に置いてくりゃいいのに」

 気配が読めるルーナと違い、欠片も分からない私が一人で、屋根裏に誰かいるかもしれない家にいるのは心細いどころかただのホラーだ。出来るだけ、お互い目の届く範囲にいようとしているのでその選択肢はなかった。けど、そんな事は言えないのでへらりと笑って誤魔化す。

「目を離すと、すぐに掃除や片づけをしようと動き回るからな」

「ははは! 兄も大変だなぁ!」

 一通り笑ったライさんは、ああ、そうだと、何かを思い出した顔をした。

「昨夜畑見に行ってた奴がそっちの家の前通った時、何か大きな音がしたって言ってたぞ? 何かあったか?」

「ああ、どうも屋根裏に鼠がいるみたいだったから、罠を仕掛けてみたんだが逃げられた。鼠より大きかったようだから狸かもな。巣を作られる前にどうにかしたい。トラバサミがあれば貸してもらえないか?」

「毒餌を撒いたほうがいいんじゃないか? かみさんに作ってもらおうか?」

「冬を前に毛皮も取れれば尚いいかと思ってるんだが」

 下手すると足の骨ごと粉砕する罠が仕掛けられた屋根裏に侵入できる猛者が、果たしてどれだけいるだろうか。

 毒餌を勧めるライさんと、トラバサミを譲らないルーナの、両者一歩も引かない攻防が繰り広げられる。

 私の上で。

 結局、目的の家に着くまでその攻防は続いた。私の上で。

 是非とも降ろしてください。



 目的地に着いたことでいったん停戦してほっとした。

 私達が貸してもらった家は一階建てだけど、ここは二階がある。庭も広くて、所狭しといろんなものが植わっていた。ごちゃごちゃと雑草が生えているように見えるけど、よく見たら小さなポップみたいなものがあるから、ちゃんと管理されているのだろう。

 その庭にひょいっと入っていったライさんは、扉をノックするかと思いきや、そのまま裏に回ってしまった。

「おーい! モーリー、来たぞぉ!」

 大声がチャイム変わりのようだ。

 裏で何か話し声が聞こえて、ぱたぱたと足音が回ってくる。

「ああ、来たか。待ってたぞ」

 ひょっこり顔を出したのは、褐色の肌に紫色の髪をしたあの美女だった。髪の色が違うけど、洞窟で最初に会った第一村人に間違いない。だって美人だ。年はたぶん私より年上だと思うけど、目鼻立ちはっきりした美人さんで、うっかり見惚れそうになる。睫毛凄い。

 美女は、たっぷりとした長い髪を適当に結い上げて、ぴんぴこ跳ねた髪を気にせず玄関の扉を開けてくれた。扉の向こうには所狭しと積み上げられた箱や瓶が凄い。

「散らかっていて悪いけど、適当に座ってくれ。ライ、案内頼んで悪かったな。茶でも飲んでいくか? 礼にこの前の酒持っていってくれ」

「新入りを案内して礼をもらっちゃ立つ瀬がないぜ。いいさ、気にすんな。ゆっくり診てやれ。ギニアスとリリィも後でな」

 ひらりと片手を上げて帰っていくライさんに頭を下げる。

 ライさんは一回振り向いてにっかりと笑って、畑のほうに歩いていった。



「さて、と。ま、とりあえず入れ」

 私とルーナは、モーリーさんの家に入ってすぐに鼻を押さえる羽目になった。

「あ、まずい! 焦げた!」

 凄まじい臭いが目にも染みて立ち止まった私達の横を、モーリーさんが駆け抜けていく。奥で大きな音がしたと思ったら、小さな鉄鍋を片手で振りながら戻ってきた。

「煎ってたの忘れてた……」

 真っ黒焦げのそれが臭気の原因だと嗅がなくても分かって、二人で鼻を押さえて後ずさる。凄い臭いだ。いったい何を煎って、何を焦がしたらこんな臭いになるのか。まさかとは思うけど、それ、ルーナの薬になる何かではないですよね?

 心なしか引き攣ったルーナの頬に、私の頬も引き攣る。

 しかし、その時間は長くは続かなかった。二階から凄い音が下りてきたのだ。

「モーリー!? なんか焦がした!?」

「悪い、マーカス。煎りすぎた」

 二階から降りてきた小柄な男の人は、うへぇと顔の前で手を振りながら慌てて窓を開け放っていく。たくさん積み上げられた瓶や箱を倒さないよう、間をすり抜けていく様子はまるで猫みたいだ。

「ちょっとマイハニー! よりにもよってそれ焦がす!? これ、ちょっとした襲撃だよ!?」

「悪い。だからもう一回取ってきてくれ」

「ええええええええええええ!?」

 家中の窓を開け終えたマーカスと呼ばれた男の人は、そこでようやく私とルーナに気付いた。ぱたぱたと服をはたいて皺を伸ばし、顎の下に手を付ける。

「やあ、話は聞いてるよ! 君達が新入りだね! 俺の名前はマーカス! この美人の夫さ! ね、マイハニー!」

「マイダーリン、愛してるからもう一回宜しく」

 モーリーさん、にべもない。

 がっくりと項垂れたマーカスさんは、机に顎を乗せてぶぅぶぅ文句を言った。

「それ、どうしてもいるのぉ?」

「いる」

 するりと近寄ってきた美人の奥さんに目を輝かせたマーカスさんの横を、モーリーさんはこれまたするりと通り過ぎて行った。そして、その机の引き出しから透明な瓶を取り出す。その中には、ふやけたか何かで形が崩れてはいるものの、見慣れた丸薬が入っていた。

「ギニアスといったな? 見せてもらった丸薬調べたけど、お前、厄介な奴に目をつけられただろ。これは王族でも滅多に手に入れられないような、最古の製法で作った丸薬だぞ。いったいどこの令嬢に所望されてこんなの飲まされたんだ」

「まあ、綺麗な顔してるからねぇ。薬使ってでも傍にいて欲しいっていう御令嬢が出てきても不思議じゃないねぇ。リリィちゃん、モテるお兄ちゃん持つと大変だねぇ」

 ルーナを眺めてしみじみ頷くマーカスさんに同意する。

「ギニアスはお綺麗なすまし顔が素敵にかっこうよいので、大変よ」

「…………褒めてる? けなしてる?」

 全身全霊で褒めてます。



「ツバキに」

 私とマーカスさんからの賛美を無視して、ルーナはモーリーさんの質問に答えた。

 モーリーさんの大きな目がぱちりと動く。

「ツバキ?」

「ハニー、知ってる名前?」

 ひょいっと覗き込んできたマーカスさんの鼻を摘まんで、モーリーさんは肩を竦めた。

「いや? 珍しい名前だなと思って。男か女か分かりゃしない」

「確かになぁ。どこの部族だろうな」

 鼻を摘まんだ指にちゅっと軽い口づけを落として、マーカスさんは背伸びした。

「さぁて、愛しい奥様からの指示だ。ちゃちゃっと取ってきますか。十分で戻るよ、マイハニー」

「ああ、悪いな、マイダーリン」

「いいえ、待っててね」

 ウインクしたマーカスさんが軽快に飛び出していった瞬間、モーリーさんは家中の窓を閉め始めた。

「おい、手伝え。十分って言ったところを見ると、七分ほどで戻ってくるぞ。ギニアス、お前気配には敏いな?」

「ああ」

「じゃあ、頼む。あいつが戻ってきたら合図をくれ。私もそれなりには読めるが、やはり戦闘職には敵わん。後、リリィ」

 突然振られて、慌てて手を上げて返事をする。

「はい!」

「お、元気でいいな。じゃあ、お前はそこの上着を羽織れ。窓を閉めた言い訳に使わせてもらうぞ。お前は寒い。いいな」

「私は極寒で凍死寸前よ!」

「私の家は凄まじい環境だな!」

 ははっと軽い笑い声を上げてくれただけで、睫毛と髪と胸が揺れて、一気に部屋の中が華やかになる。ただ、臭いが凄いまま窓が閉まって嗅覚は死んだ。



 家中の窓を閉め終えたモーリーさんは早足で私達の傍に戻ると、何かを調合しながら話し始めた。あれがルーナの薬のようだ。

「時間がないから単刀直入に言うぞ。この村は閉ざされている。それは人喰い森に囲まれているからだけじゃない。万が一でもあの森を越えて生還する者が現れれば、村の存在が明るみに出てしまう。だから、誰もこの村を出られないようにしているんだ」

「女の衣装が奇妙なのもそれが理由か」

「なんだ、気づいてたのか」

 二人だけで分かり合っていないで、是非私にも説明してほしい。けど、時間がない中、馬鹿に割いてもらうのは勿体ないので後でルーナに聞こう。私は、わさぁとしたスカートを持ち上げて、上げ上げ底の靴に視線を落とした。

「それ、私がマーカスと結婚するまで履いていたのと同じくらいの高さだな」

 極められた上げ上げ底靴の先輩がこんなところにいたとは。

「三世代くらい外の血が混ざっていない奴と結婚しないと、靴はそのままで服も面倒なままだ。結婚したら結婚相手に見張り役が移行するから、家の中を見張られることは無くなるぞ。まあ、女は結婚して子どもが出来れば、一応は幸せに暮らせる。見ての通り、のどかで食い物には困らない村だからな」

 ぴくりとルーナの眉が動く。

「女が逃げ出さないように囲い込むのは分かった。だが、男はどうした?」

「この村の女を娶らされる。懐柔されない者は墓場行きだ。普段着も寝間着も動きづらいように作られているし、靴はああだ。女はそう簡単には逃げだせない。だが、私は、ずっとここにいるわけにはいかないんだ。帰って、やることがある」

 モーリーさんは、長い睫毛でも隠れきれないほど大きく強烈な瞳で、まっすぐに私達を見た。


「お前達が外の世界に未練が無く、この村に骨を埋めるつもりなら忘れてくれ。だが、もしそうではないのなら、協力してはくれないだろうか。私は、帰らなければならないし、帰りたいんだっ」


 ぎりりと音を立てたのは、握りしめた拳か、噛み締めた唇か。

「……最近は水の流れが変わったせいか、ほとんど生きて流れ着かない。一年前の一人を除いて、本当に久しぶりの生存者なんだ」

「生きて出ようとする人間は、他に一人しかいないのか?」

「いない。最初はいたかもしれないけど、もう既に村で十年、二十年過ごしている連中ばかりだ。この村では絶対に外部の人間同士で子どもを作らせない。村人との間に子ができ、憂いなく穏やかな日々を過ごしていく内に、その全てを捨てて行こうという気持ちが萎えるんだろうな……リリィも、その口か?」

 呆然として言葉を出せなかった私に、モーリーさんは疲れた目を向けた。期待しているのに、期待するのに疲れた人間の眼だ。

 そして、その口とはどの口ですか。つまり、ここだと、戦争もなくて黒曜と呼ばれることもなく、穏やかに毎日を暮らすことだけを考えられる。でも、ルーナ以外と結婚して、ルーナも誰かと結婚して、それで、リリィともアリスちゃんとも、皆と二度と会えないと。

 ようやく追い付いてきた理解に、ぱかりと口が開く。

「こ、困るます! 私はルー、ギニアスと結婚する口です!」

「誰だ、ルーギニアス」

「リリ、リーリアとも、確実な再会を約束した口です!」

「リ多過ぎだろ、リリリーリア」

 突っ込んでくるモーリーさんの眼に、じんわりと光が戻っている。形良い唇は笑いをこらえるように震えていた。

「つまり?」

「確実に帰還する口です」

 冗談じゃない。寝言は寝て言えとは正にこういう場面で使われる言葉だと思う。前にそう啖呵を切ったエレナさんはとてもかっこよかった。



「巡礼の滝から落とされた者は、外の世界に嫌気がさした人間も少なくなかったが、お前達はそれでも帰りたいか?」

「約束をした人々がいるよ。確実に帰還すると約束した人々が、いっぱい、いるよ」

 身を乗り出した私の手を両手で握り、モーリーさんは深い息を吐いた。

「ギニアスは?」

「ここに残る要素が欠片も見当たらない」

「…………うん、そうか。リリィの脈からしても嘘はついてないな。凄く速いぞ」

 手を繋いでくれたと思っていたら、嘘発見器されていたらしい。確かに指が親指の付け根辺りを押さえている。これぞ手動嘘発見器。今度やり方教えてください。

「ですが、でも、モーリーさん」

「うん?」

「私どもを、即座に信頼して宜しいか?」

 嘘発見器以外でも信頼できる物を提示しなくていいのだろうか。いや、それはモーリーさんも同じだけど。

 モーリーさんは困ったような顔をした。

「そうなんだがな……それ地毛で、目も地色だろう?」

「如何にも」

 私の髪と目の色がどうしたんだろうと首を傾げると、モーリーさんは苦笑して、握っていた手に力を籠める。

「私はどうにもその色に弱くてな。信用するならお前がいいと思ってしまったんだよ」

 笑ってくれて構わないぞと言われても、笑う場所が分からない。う、うへへ? と疑問形で笑うと、モーリーさんはきょとんとした後、破顔した。


 良く分からないけど、モーリーさんが笑ってくれて嬉しくなっている私の肩にルーナの手が乗ったと思ったら、少し大きな声で言った。

「大丈夫か、リリィ、気分が悪いのか?」

「え?」

 いきなりなんだろうと聞き返す間もなく、しっかりとした弾力に顔を押し付けられる。モーリーさんに抱きしめられたと気づいたと同時に、明るい声が部屋に戻ってきた。

「たっだいまぁ、愛しのハニー! って、何その羨ましい状況! リリィ、俺と交代しない!?」

「うるさい、ダーリン。大丈夫だ、リリィ。お前の兄さんの薬は、私が必ず抜いてやる。だから安心しろ。もう大丈夫だ。な? だから、泣かなくていいんだよ」

 泣いてないけど空気を読んで鼻を啜ったら、さっきの強烈な臭いをもろに吸い込んだ。そういえば、あの元凶である鍋を持ってたのはモーリーさんだった。思いっきり噎せた私を慌てて引き剥がしたモーリーさんが耳元でささやいた言葉を、思わず復唱しそうになって根性で押しとどめる。そして、強引に別の形で繋げた。

「し、真実に?」

「ああ。この薬には、ちょっとばかり詳しくてね。だから、大丈夫だよ、リリィ」

 その顔をまじまじと見つめ返して、私は秘儀を発動して笑って誤魔化した。変じゃないかな。ちゃんと笑えてるかな。ちゃんと、マーカスさんを誤魔化せてるかな。

 頭の中でさっきの台詞が何度も蘇る。何度も、何度も、蘇る度に荒くなりそうな息を、咳で誤魔化して、私は笑った。



【私はエマ。ガリザザの、元第十三皇女だ】




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