7.神様、ちょっと色々如何いたしましょう
昔、といっても私にとっては一年くらい前、ブルドゥス軍に捕らえられたことがあった。
そこで色々あって、てんやわんやしている時、私は盛大に転んで貴族の坊ちゃまのズボンを掴み、ベルトを引きちぎってパンツ丸出しにしてしまったことがある。デフォルメはされてなかったものの、ピンク色の兎パンツだった。
可愛いですね。
それはまあ可愛い坊ちゃまで、確か御年十五であらせられた。淡い色の金髪と大きな緑の目がまあ可愛くて、まるで天使のようでした。
その天使は、十年の歳月を得てイケメンへと成長し、路地裏で壁に両手をついて私を閉じ込めている。
お坊ちゃまお坊ちゃま、そんな、お貴族様ともあろう御方が、額に青筋たてた状態で路地裏の壁なんか触っちゃ汚いですよ、ね!?
すぐ傍は興奮冷めやらない人達が騒ぎながら歩いているのに、すぐ傍の裏路地は常に日陰なので苔とちょっと泥っぽい匂いがする。
中にはこっちに気付いた人もいたのに、なまじ兎パンツが貴族なもんだから見て見ぬふりされた。
ひどい! カムバック! 飴ちゃんあげるから!
「違うぞ間違って見当違いな権利を主張するぞろ!」
「黒髪黒瞳の平々凡々で、類を見ないほど珍妙な喋り方をする女が他にいるか!」
「いないにょろ…………?」
「いないだろ」
激昂してたのになんでそこだけ真顔で返すの。微妙に傷つくじゃないか。
逃げようと必死に胸板を押すのに何これ硬い。びくともしない。中に甲冑着こんでんの!? 昔は吹けば倒れそうな儚げな美少年だったのに、何が貴方を変えてしまったの!? そのままひょろっひょろでいてくれたら、突き飛ばしてばいならっきょできたのに!
兎パンツは私の必死の抵抗をしばらく無言で見つめていた。そして、淡々と語る。
「十年前、家の為名誉の為、緊張の中訪れた初陣の地で、敵騎士の女にこれ以上ないほどの恥辱と屈辱を与えられたものでな。血反吐を吐きながら鍛えた。その甲斐あって、今があるという訳だ」
私の所為だった!
それにしても近い近い近い! 顔も身体も全部近い!
「まさか本当に貴様と再び相見える日がこようとは……あの屈辱、今でもはっきり覚えているぞ」
「てめぇが桃色兎パンツ着衣着用しやがってるは、私の責ではございませんのぞにょ!」
「今はもう履いてない!」
あ、そうなの? 似合ってたのに。そして私、この人の名前知らない。兎パンツ着用者ってことしか知らないや。
「えーあー、えーと、……後……前……違うぞりね…………前後……後日………………過去! 過去の事情はお水取ってぇーに流動させるぞりょり!」
過去のことは水に流そうよ。だって、ほら。戦争して殺し合ってた国同士が仲良くなれるんだよ! ね!? 加害者がいっても駄目!?
ですよね!
兎パンツは黙ったままびくともしない。何これ怖い。
押しても動かせないし、相手は動かないし黙ったままだし、ちょっと落ち着いてくる。すると観察する余裕が出てきた。それにしてもまあ大きくなっちゃってとか思っていたら、相手も同じことを考えていたようだ。
「…………貴様は、こんなに小さかったのか」
「兎パンツが巨大になられたのろ」
「兎パンツ言うな!」
兎パンツは禁句ワード。
「私、兎……てめぇの名を存じないであるのでだよ」
「ほお……? 私は十年間忘れたことはなかったというのに、貴様は私の名など知りもしなかった、と」
「だっててめぇは名乗り合え前に、泣いて逃亡し」
「黙れ――――――!」
真っ赤な顔で叫んだ兎パンツに、私の耳は限界を訴えてきーんとなる。
「耳元で巨大な発声は常軌を逸した行動にょろ――!」
「初対面で男のズボンを引きずり下ろした貴様にだけは言われる筋合いはない!」
「人聞き又聞き悪いこと仰るはなきようにとのことぞろり――!」
「人聞きの悪いことを言うな、だ、たわけ――!」
「人聞きの悪いことを言うな、だ、たわけ――!」
己の限界を試すかのように張り上げていた私達の声は、表通りから上がった黄色い歓声に掻き消された。
思わずそっちに視線を向けても、兎パンツが邪魔で見えない。
「視界遮る腕、ぽいしろして」
「私の腕を捨てるな! たわけ!」
邪魔なのに結局腕をどけてくれない。そんなに警戒しないでも、あれは事故だったのだ。もう兎パンツお披露目させたりしないのに。
もう履いてないらしいけど、やっぱり警戒しているらしい兎パンツは、私の両肩を掴んでるは、足の間に膝をついてるはで、私はあんまり身動きが取れない。そこまで警戒しないでもいいじゃないか……いや、でも待てよ。傷つきやすい思春期の少年の心にそこまでの傷を負わせてしまったのは私だ。そうだ、きっとトラウマになってしまったのだ!
ああ、イケメンなのに、そんなトラウマを持つなんて……。
居た堪れない気持ちと、可哀相にという気持ちが溢れだし、整えられた金髪をよしよしと撫でると、物凄く嫌そうな顔をされた。
と、同時に、再び上がる黄色い歓声、というより、黄色い断末魔。
「な、なんぞろ!?」
「…………そうか、貴様本当に知らなかったのか」
腕をどけてくれない兎パンツの腕に顎を置いて表通りを眺める。さっきは男性が多かった人ごみが、今度はご婦人だらけだ。それこそ老いも若きもひしめき合い、一気に色の大洪水だ。
ご婦人方の大波の中心には、恐らく馬に乗っているのであろう位置に男の人達が見える。何かの行進だろうかと呑気に思った私の耳に、その名前が飛び込んだ。
「ルーナ様!」
自分でも分かるくらい身体が跳ねる。
「ルーナ様よ!」
「嘘!? どこ!? 見えない!」
「ルーナ様――!」
見えない。ルーナ? どこ? 本当に? ルーナ?
兎パンツに抑えられていることも忘れて身を乗り出す。女性陣の視線はまだ遠くを見ているから、あっちにルーナがいる?
私、貴方に言わなきゃいけないことがあるの。謝らなきゃいけないことも、あって。でも、何より、会いたかったって、言いたいの。ううん、言えなくてもいいから、ルーナ、会いたい。
ねえ、ルーナ、ルーナ!
「ルーナ様――! グラースの王女様とご婚約なさるのは本当ですか!?」
………………は?
「ルーナ様――! 我が国の王女様とご婚約なさるのは本当ですか!?」
………………ひ?
「ルーナ様――! 女嫌いって本当ですの――!?」
………………ふ?
「ルーナ様――! 女好きって本当ですの――!?」
………………へ?
「ルーナ様――!男色って本当ですの――!?」
ほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?
女性達の黄色い声は、一際甲高く鳴り響く。
「いや――! だったらわたくしと――!」
押し合いへし合い、せっかく綺麗に着飾ったのであろう髪もドレスもぐちゃぐちゃだ。それを必死に押しとどめようとしている兵士の姿がある。なのに女性達は自分の髪留めや手紙をどこかに投げた。
それを投げる方向にルーナがいるらしいのだけど……。
私はゆっくりと兎パンツに視線を戻す。それとは逆に、兎パンツはふいーっと視線を逸らしていく。
「…………兎パンツ」
「…………兎パンツ言うな」
[何あれ嘘でしょこっち向け――!]
「何を言っとるか分からんわ、たわけ――!」
思わず飛び出た日本語にも気づけない私は、兎パンツの両頬を両手で覆って無理矢理目線を合わせる。
「王女婚約、誠!? 何故なら王女、子どもであらせられるがであるがぞんにょろりん!?」
「グラースの王女殿下は御年十九! 我がブルドゥス国王女殿下は御年二十歳でいらっしゃる!」
「なにゆえに!?」
「十年経ってるからだ!」
「なるほどに説得!」
「納得だ、たわけ!」
なんと! 昔一回だけ砦に来ていた王女様は、まだ九歳のそれは生意気で高飛車、失礼、高貴で聡明で気高きお子様だったというのに、いつの間に十九歳に!
十年経てばそりゃ十九歳にもなるよね、九歳だった子も!
「きゃあああああ! ルーナ様――! こっち見て――!」
うわん、っと、沢山の黄色い声が重なって耳が痛い。
その視線の行き先を辿る。
後ろで一括りした濃紺の髪が見える。少しずつ近づいてくるうちに、その表情までもが鮮明に見えた。
見間違えたりしない。十年経っても、きっと五十年経ったって。
あれは、ルーナだ。
ルーナだ! ルーナがそこにいる!
ルーナだ! ルーナルーナルーナ!
ルーナが
何あれ顔怖い!
思わず兎パンツにしがみついて、全力で揺さぶる。
「瞳がご臨終致して人相悪いぜあいつ状態なして戦況は極めて不利状況報告せよだわにょ!?」
「貴様がいなくなって荒れたんだろう! 私が知るか! 式典や偶の演習で会うくらいで、喋ったことはほとんどないわ!」
だって、だって、だって! あんなに可愛かったのに十年で一体何があったの!?
凄く目つき悪いし、どっちかというといつでも笑ってた部類だったのに何あれ! 俺は笑顔なんて知らないぜみたいな顔つきになってるんですけど!? 澄んだ綺麗な水色が、なんか底なしの深さを湛えた湖みたいな雰囲気になってるんですけど!?
確かにイケメンだけど!? かっこいいけど怖いのほうが勝るんじゃないのあれ!?
[十年でほんと一体何があったの、ルーナ!?]
視線の端で行進していた濃紺が、ぴたりと止まる。
異変を感じて視線を戻すと、見開かれた水色と目が合った。
その唇が何かを言おうとぱくりと開いた瞬間。
「ふんだばらっしょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
気が付いたら逃げていた。何故か兎パンツも一緒に逃げていた。
何はともあれ、全力で逃げていた。
神様の馬鹿馬鹿馬鹿!
せっかくルーナに会えたのにこんな再会の仕方ってどうなの!? 感じたのは再会できた喜びより、ルーナ顔こわ!? っていうのはどうなの!?
あれ!? でもこれ神様の所為じゃなくて私の所為か!?
何はともあれルーナ、なんか色々ごめん!
でも、顔こわっ……!