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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
65/100

65.神様、少しだけだと信じていました

 戦端が開かれたと連絡が入ったのは三日前。

 ルーヴァルの国民は、国を取り戻そうとするルーヴァル軍の進行を妨げたりしない。王都の近くまで行軍は順調だったと聞いたときは安心した。順調であればあるほど、戦端が近くなると分かってはいたけれど。


 私達は、ルーナ達がいる方向を眺めることが日課になった。

 何でもないことを話しながらユアンと二人で外を眺めていると、後ろからぱたぱたと足音が聞こえてきた。

「ユアン様、ごきげんよう!」

「私もいるよ!」

 寂しい!

 ユアン限定に放たれた挨拶に激しく自己主張する。ドレスの裾を持ってちょこんと挨拶していたアニタは、そのままきゅっと回転して私を向いた。

「カズキ! 出かけませんこと!?」

「ん!?」

 小さな手が私の手を握る。目がキラキラしていて、凄く可愛い。

 そういえば、いつからおば様呼びじゃなくなったんだろう。

「物資調達班が街まで出るみたいなの! 今なら姉様もいないから、こっそりついていってお買いものしませんこと!?」

 ぴょんぴょん飛び跳ねているアニタが可愛い。うきうきしているのも可愛い。

 でも、こっそりは頂けないと思います!

「ごっそりは禁止事項だよ、アニタさぁん」

「こっそりでしてよ! ねえ、よろしいでしょう? だって、もうずっとこもりっきりですもの。ね? 少しくらい羽を伸ばしにいきましょう?」

 どうしよう。既に行く気満々だ。

 今朝まで私達と一緒にここから戦場の方向を眺めていたアニタの寂しさが爆発して、変な方向に向かってしまったようである。アマリアさんも忙しいみたいで、あまり見かけないことも大きいと思う。九歳のアニタが一人で抱えるには厳しい。だって、もう十九の私も、全然、平気でいられない。

 ロジウさんを見送った不安と遣る瀬無さを紛らわせるならそれに越したことはないんだろうけど、困った。こっそりは駄目だ。

「ごめん、アニタ。私、街でお買いものおこなったことがないよ」

「大丈夫よ。あたくしが案内してさしあげるわ。何度もいったことがあるから、任せてくれてよくってよ!」

 胸を張る様子は可愛いけれど、その何度もは許可ありとなし、どっちなのかが凄く気になる。でも、それを聞いたらもう知らないと走り去られそうだから、一先ずは置いておこう。

 腰ほどの高さしかないアニタの顔が見えるよう、膝をついて目線を合わせる。

「ごめん、アニタ。私、初めての街巡りのお買いものは、ルーナとのデートに取っておきすると決めているなので、ごめん」

 皆で出かけてもいい。でも、そこにルーナがいないとデートにならない。

 ルーナとアリスと一緒に雨の中を走り抜けた。デートしようね、買い食いもしちゃおうねと約束した。先に一人でデートに行ってしまうのは約束破りになる。ルーナは気にしないかもしれないけど、やっぱり待っていたい。

 もう一度ごめんねと謝ると、アニタはしゅんっと肩を落とした。

「それでしたら、しかたがなくってよ。淑女は約束を守るものだもの。いいわ、あたくしがカズキにつき合ってさしあげてよ! さあ、カズキ! 座りなさい!」

 要約すると、遊びなさいと言うことみたいだ。

 虫掘りか、虫投げか、剣の稽古か! と身構えたら、アニタは本を読み始めた。淑女万歳。私の基準が全く淑女ではなかっただけで、特に身構える必要はなかったようだ。

「ママ、俺向こうで遊んでる」

「はーい」

 暇だったようで、早々に逃げ出したユアンを見送る。向こうといっても、どうせそんなに広い場所じゃない。くるっと視線を回せば必ず見つかる範囲だから特に気にしないでいいのだ。

 ちょうど通路からミヴァエラ王子が現れた。彼の護衛の人達も、少し顔ぶれが違うのは、やっぱり戦闘に出た人員調整の結果なのだろうなと思う。

 二人は少し話して、ちらりとこっちを見た。なんだろうとひらひら手を振ってみたら、満面の笑顔で虫を探し始めたので、見なかったことにした。さあ、ルーナもアリスもいないこの状況で、どうすればキャッチ&リリースできるだろう!



 まあ、その時考えようと、現実逃避もかねてアニタに視線を戻す。

「アニタ、何の本を読書しているの?」

「カズキも読むべきでしてよ!」

 きらりと光った瞳に嫌な予感がした。ずいっと突き出された本の表紙に、予感は現実となる。騎士ルーナと黒曜姫。どこまで私の前に立ちはだかるのか!

「既に読書終えますたよ……」

 一冊だけだけど。

 アニタはとても不思議そうな顔で私を見上げた。

「それで、どうしてそうなの?」

 そうなのとはどうなの?

 聞くべきか。聞かないほうが平和なのか。聞けば悲しい返事が返ってきそうなので、話を変えることにした。

「アニタは、こちらの本、好きね?」

 いつも読んでいるし、きらきらしながら私に勧めてくれる。

 アニタは、読んでいた本を抱きしめて嬉しそうに笑った。

「ええ! あたくし黒曜なんてだいっきらいでしたけれど、兄様と姉様が、会ったこともない人間を嫌ってはいけませんよと仰ってこの本をくださってから、この本がだいすきなの! ……カズキ? どうしたの?」

 変えた話の先で悲しいことになった。可愛い笑顔で頂いた大っ嫌いに貫かれた。

 いや、そもそも黒曜は黒曜石から来た通り名だから、石が嫌いとかそういう理由だ! ……ったらいいなぁ。


「お、お気にとめず……」

「あの方が心配? ……そうよね、ガリザザのまじないで記憶をうばわれた恋人だったなんて、どうしておしえてくださらなかったの! あたくし、ただの想い人だと思っていてよ!?」

 理由を聞く間もなく、更に変わった話題の先で怒られた。

 いや、なんかごめんなさい。ロジウさんとかアマリアさんに聞いているものだとばかり。それに、聞いているかどうかを聞くのもどうかなと思っていたら、まあいいやという感じになりました。

 仲間はずれにしたわけじゃないけど、結果的にそうなってしまってぷりぷり怒るアニタにへこへこ謝る。

 でも、謝っていたらすぐに許してくれた。

「いいのよ……恋人の記憶をうしなって、カズキも精いっぱいだったのよね?」

 慈愛に満ちた顔で頭を撫でられる。アニタは優しい。

 小さな手で一所懸命私を慰めようとしてくれるアニタは、にっこり笑って本を持ち上げた。

「大丈夫よ、カズキ! この本を読んで解決方法をさがしましょう! あたくしも協力してさしあげてよ!」

 アニタさん、きっとその本を開いても解決方法は載っていないし、その参考書、あまり役に立ちませんでしたよ? 

 そうは思うけど、アニタがあまりに真剣だから何も言えずに一緒にページをめくる。

「ほら、この場面とか……あ、こっちの台詞も役に立つかも知れなくってよ」

「はあ……はあ……はい……」

 次から次へと色んな案を出してくれるアニタに、言えないことが一つある。

 アニタさん。大変申し上げにくいのですが、ページめくるのが早すぎて私のなめくじ並の字を読む速度では全然読めません!



 一所懸命いろいろ考えてくれているアニタに、どうやってこのスペックの低さを伝えようか悩んでいた私は、たぶんとても悲痛な表情を浮かべていた。

「……大丈夫よ、カズキ」

 気が付いたら、アニタのほうが泣きそうな顔で私の手を握ってくれていた。

「きっと思いだしてくださるわ。だって、恋人なのですもの。ね?」

「う、うん?」

「大丈夫。きっと大丈夫。……それに、もし、もしも記憶がなくても、またあらたに思い出を作ればいいの。大丈夫よ、だって、あたくしも兄様も姉様も、みんな血なんて繋がってはいないけれど、家族になれたのだもの! だから、大丈夫よ、カズキ! ね!? 元気出して!」

「ええぇ!?」

 励ましてくれているアニタには悪いけれど、とんでもない事実をさらっと教えてくれたおかげで他のことが何も頭に入らない!

 聞いていいの!? 駄目なの!? これは教えてくれたのか、それともつい喋っちゃっただけなのか!


 道理で、ロジウさんを見送っていたアマリアさんとアニタの祈り方が違ったわけだと、今更気が付いた。喋り方だって、みんな違う。それらは男女の違いだったり、性格の違いだったりだと思っていた。

 わたわたしていた私が気が付いた時、周囲も騒がしかった。

 そんなまさか、他の皆さんも初耳で!?



 いつの間にか人がどっと増えている。その中にアマリアさんもいた。アマリアさん達は壁の前に膝をつき、壁の一部を外して遠眼鏡を差し込んだ。王子様の周りにも人が集まって、何か話している。

 どうしよう。聞いていいんだろうか。

 話しかけていい雰囲気じゃなかったので様子を見ていたら、視線に気づいたアマリアさんが足音を立てずに近づいてきてくれた。私も踏み出して近寄る。

「ガリザザ軍が」

 そこまで聞いた瞬間、世界が揺れた。

 聞きたくもないのに聞き覚えのある爆音が響き、真っ黒の煙が昇り、空を覆い始める。

 悲鳴を上げたアニタと震えるユアンに抱きつかれて尻もちをつく。反射的に抱き返して見上げたアマリアさんは、いつも通りだった。

「攻めてきました」

 何事もなかったかのように会話を続けられた。はい、凄く攻められてます。

 確かにこの周辺はガリザザ軍が屯していると聞いたけれど、いきなり戦場になる状態だなんて知らなかった。パニックになりそうだけど、アマリアさんがあまりにいつも通りだから、驚いている私がおかしい気分になってくる。


 震える二人の頭を抱えている私に手を貸そうとして、手が空いていないことに気付いたアマリアさんは困った顔をした。困った顔をする場所はここじゃない気がする。その後ろで黙々と上がる黒煙の方だと思います。

 私の視線の先を辿ったアマリアさんは、頷いた。

 すみません! 何に頷いたのか分かりません!


「大丈夫です」

「はあ」

 確かに、凄く大丈夫な気がする。

「この遺跡内にいることは元々知られていますし、偶にああやって入口を作ろうとバクダンを使ってくるのです」

「は、はあ」

「基本的に、入口は壊されれば水に沈むように作られています。水の中であの兵器は使えませんし、それでも強行突破されるようなら、その隙に移動すればいいだけです。奴らが地下に辿りつくまでの罠を突破できるとは思えませんが、まあ、いつものことです」

「はあ」

 成程。どかんどかん爆発音がしているけれど、ここにいる人に取ったらいつもの光景らしい。確かにみんな落ち着いている。遠眼鏡で破壊されている場所と状況を確認してはいるけれど、誰も走ってはいないくらいのんびりだ。

「カズキ様がいらっしゃった際は、この数倍は派手でした」

 それはどうもご迷惑を!


 ユアンとアニタは震えているけれど、それは仕方がない。だってユアンは爆弾で子どもに戻ってしまい、アニタは本当にまだ子どもだ。

 破壊の意味では大丈夫だそうだけど、二人はここにいないほうがいいと思う。火薬の臭いが充満して、煙いのもある。

「ユアン、アニタ、部屋に帰還しよう?」

 爆発音に紛れてしまわないよう、ちょっと大きめの声で伝えると、二人はこくこくと頷いた。

 いったん離れてもらって立ち上がる時、さっとアマリアさんが手を貸してくれた。どうやらさっきからタイミングを見計らっていたらしい。ありがたく借りた手で立ち上がる。

 お尻をはたこうとしたら、アマリアさんがはたいてくれて飛び上がった。どうもありがとうございます結構です!




「ルーヴァルの残党共!」

 爆音がやんだと思ったら、おじさんの声が響く。

「貴様らがそこにいるのは分かっているのだ!」

 大丈夫です、おじさん。アマリアさん達は分かられているのを分かってます!

 顔が見えないので推定おじさんに向かって、心の中で言い返す。

 壁が腰くらいの高さの場所もあるので、ちょっと覗けば見えるだろうけど、特に見たくもないので背中を向ける。いまはとにかく、ユアンとアニタを音の聞こえない場所に連れていってあげないと。

 震える二人の背中をさすりながら、足を進めようとしたとき、その言葉が響いた。


「ディナスト皇子は黒曜をご所望である! 黒曜さえ渡せば、貴様らは見逃してやる!」


 一瞬身体を強張らせたけれど、アマリアさん達は特に何の反応も示さない。中には肩を竦めている人もいた。その様子に、おじさんの言葉を選択肢に入れている人がいないと分かってほっとする。一瞬でも強張ってしまった自分を反省しよう。本当にすみませんでした。

「黒曜?」

 大きな瞳を丸くして、アニタが私を見上げる。

「誰が?」

 アニタの震えは止まっていた。

「カズキが?」

 小さな唇が、きょとんと、私の名前を呼んだ。




「黒曜?」






「え…………?」


 呆然とした声を上げたのは、後ろに傾いでいく私じゃなくて、私を突き飛ばした子どもだった。



 世界がやけにゆっくりに見える。

 こんな時は世界がスローモーションに見えると聞くけれど、本当にそうなんだと考える余裕があるくらい時間の流れがなだらかだ。

 皆の視線が一斉にこっちを向いて、何かを叫びながら走りだす。

 それを見て、またアニタに視線を戻した。いろんなことを考える時間の余裕はあるのに、身体はちっとも動かない。

 アニタは呆然と私を見て、ぐしゃりと顔を歪めた。

「ちが、まっ、ちがうの、カズキ、カズキ」

 必死に伸ばされる小さな両手は、私を手繰り寄せようとしていた。

 でも、届かない。

 たぶんそれでよかった。彼女の身体はとても小さいから、よしんば掴めても、一緒に落ちてしまう。

「まっ、て……いや……」

 向き合ったままのアニタが遠ざかる。絶望を形にしたなら、きっとこんな顔をしていた。九歳の女の子がするにはあまりに不釣合いなその顔に、胸の中にすとんと落ちたのは謝罪だった。

 ああ、そうか。

 びっくりしたんだね。ごめんね、教えてなかった私が悪いね。びっくりさせちゃってごめん、アニタ。

 だから。



「いやぁああああああああああああああああ!」



 だから、そんなに泣かなくていいんだよ。






 さっきまでのスローモーションに比べ、落ち始めたら一瞬だった。固く目を瞑ったと同時に地面に叩きつけられる。

 息が詰まり、痛む身体中を確認するのも怖くて身動き一つできない。

 はっ、はっ、と、小刻みな自分の呼吸だけが聞こえる。そこに心臓の音が控えめに混ざりはじめた時、ようやくおかしいと気が付いた。落ちた瞬間、身体が跳ねた気がする。それに、あんな高さから落ちたなら生きているはずがない。こんなこと考えられる余裕なんてあるはずがない。痛みなんて感じる間もなく死んでいるはずだ。

「う…………」

 吐息がかかる距離で聞こえた呻き声に飛び起きる。誰かの腕が私の身体を滑り落ち、ぱたりと落ちた。いつもはきちりと結われていた小豆色の髪が広がって、彼女の顔を隠している。

「アマリアさん!」

 私を抱きかかえていたアマリアさんのおかげで、こうして生きているんだと思ったら、心臓が急激に動き始めた。

「ア、アマリアさん、アマリアさん!」

 動かしていいのかも分からず、ただ呼ぶことしかできなかった私の耳に、もう一度小さな呻き声が聞こえた。よかった、生きてる。

 身体中の力が抜けた。

 力が抜けて私の手もぱたりと落ちる。その感触にようやく気が付いた。これは幌の上だ。荷台の上にぱんっと張られた幌のおかげで助かったのだ。

 でも、この幌は。


 そこまで考えた瞬間、足を掴まれた。ぎょっとする間もなく引きずり落とされる。落下の距離は大したことなかったのに、さっきの恐怖で身が竦んでしまう。地面に叩きつけられたと思ったら、髪を掴まれて顔が上がる。ぶちぶちと鳴った音は、髪が引き千切れた音だろうか。

 一々動作が乱暴だと感じるのは、実際乱暴なのもあるだろうけど、こっちの意思を全く反映させるつもりがないからだ。

「黒曜か!?」

 さっきのおじさんの声だ。

 腕を捻り上げられ、髪を掴んで引きずり上げられてからようやく近づいてきたらしい。そこまでしなくても、大したことは出来ないのに。


 おじさんは、おじさんだった。推定おじさんじゃなく、おじさんだ。その手が伸びてきて、思わず首を竦める。

 放して、触らないで。

 そう叫ぼうと息を吸い込んだところで、頭から何かをぶっかけられた。思いっきり咽て、地上で溺れる。

 妙な臭いがする水を桶一杯にかぶせられた。執拗に髪を擦られているから、たぶん、染料落としの何かだろう。

「どうだ!? 地毛か!?」

「落ちません!」

「皇子に知らせを!」

 ほぉっと、周り中から息が漏れた。それは感嘆の吐息じゃない。

 心からの安堵だ。

「これで、首が繋がった……」

 へなへなと崩れ落ちる人さえいた。その人達の首が繋がったおかげで、私の首は皮一枚になった。


 どうしよう。どうしたらいい?

 待ってると言ったのに。二人を待ってるって言ったのに。どうしてこんな。

 アマリアさん。誰か、アマリアさんの手当を。お願い、誰か。アマリアさんを。


 息が吸えない。はっはっと、小刻みな呼吸しかできなくなる。怖い、嫌だ、痛い。嫌だ、どうしよう、どうしたらいい。待っていたい。嫌だ、こんなの。待って。待っていたい。二人をここで、帰りを。どこにも行きたくない。約束したのに。待ってるって。嫌だ、行くのなら、どんなにも怖くても、ルーナ達がいる場所がいいのに。

 どこを見ても私を見下ろすガリザザ軍の男しかない。怖い。嫌だ。私を見下ろす囲いで、空も見えない。

 ぐるぐる回り始めた世界の中で、それは聞こえた。

 安堵の吐息が溢れていたから、こんな状態の私の耳にも届いたのだ。

 唇を噛み締める。駄目だ。まだ、やらなきゃいけないことがある。恐怖の中に逃げ込んで思考を放棄するより、大事なことが残っている。

「ユアン!」

 放せと叫ぶユアンの声がぴたりと止まった。

「大丈夫! 私は平気! 大丈夫! だから、喧嘩するは禁止よ! お願い、お願いだから、私の分量まで、ルーナとアリスを待っていて!」

 アニタを怒ったら駄目だよ。

 私の分まで、約束を守って。

 お願いだから、無事に戻ってくる二人を迎えて。

 よかった、お疲れ様、待ってた、嬉しいって、頑張ってきた二人を迎えて。

「嫌だ! 嫌だ、なんで……!」

 ありがとう、ユアンを押さえてくれている人。見えないから誰か分からないけど、ありがとう。


 手加減なしに縛り上げられて、物みたいに立たされる。

 気を失っているアマリアさんを、普通に縛って、普通に馬車にいれたことに安堵する。よかった。これでアマリアさんまで放り投げたらそれこそ許せない。

 暴れなかったら手荒いことはされないのかもしれない。

 でも、まだ、せめてもう少し。ユアンと。

 どんなに踏ん張っても引きずられていく。馬車に放り込まれる前に、思いっきり息を吸う。

「お願い、ユアン! ルーナとアリスを、待っていて!」

「なんでいつも!」

 突き飛ばされて顔から落ちる。

 痛みを無視して跳ね起きても間に合わない。扉が閉められていく。


「助けてって言ってくれないんだよっ……!」


 扉が閉められる寸前に滑り込んできた声に応える術は、もう、なかった。


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