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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
63/100

63.神様、少しだけ時間をください


 ふっと意識が浮上した。泥のように眠っていたわけじゃないけど、夜中に目を覚ますなんて稀だ。

 ゆらゆら影の揺れる世界をぼんやりと見回す。普通は深夜独特の藍色の世界が広がっているけど、ここは月明かりがないから、通風孔の前に置かれている灯りが無かったら本当に真っ暗で何も見えない。


 どうして起きちゃったんだろうと、目を擦りながら首を傾げていたけれど、すぐに理由が分かった。

 二つぴったり並べているベッドの上を四つん這いで進んで、横にいたユアンを乗り越える。ベッドの上は立つより這ったほうが早い。

「ルーナ」

 アリスとユアンを起こさないように声を潜めて、でもルーナを起こせるように強めに揺さぶる。

「ルーナ、ルーナ」

 駄目だ、起きない。

 アリスとユアン、起こしたらごめん。

「ルーナ!」

 潜めていた声を張り上げる。寝起きとは思えない、自分でもちょっとびっくりするくらい大きくぱんっと張った声が出た。でも、そのおかげで水色の瞳が弾かれたようにびくりと開いてくれた。

 強張った水色がさっきの私みたいに部屋の中を彷徨って、私で止まる。

「おはよう」

 なんて言えばいいのか分からなかったから、とりあえず起床した人間に一番あてはまる挨拶を選んでへらりと笑ってみた。正解かどうかは分からないけど。

「……ああ、ごめん。うるさかっただろう」

 ルーナは汗に濡れた顔を両手で覆って俯いた。

「無言であったよ! 大丈夫!」

「…………カズキは起きただろ?」

「何気なく!」

 なんとなく起きてしまっただけで、ルーナは何も悪くないのだと必死で伝えていたら、必要以上に声が大きくなってしまっていた。ルーナは人差し指を当てて、私の音量を下げるよう伝えてくれた。



 衝立の向こうで着替えているルーナが戻ってくるまで何となく正座で待っていたら、ど真ん中で正座していた所為でユアンに蹴られた。ごめん、邪魔でした。

 ユアンに掛布をかけ直して端っこに移動したところではたと気づき、慌てて後ろを振り向く。ユアンにかけた掛布はアリスのだった。何もかぶらず壁端を向いて寂しく眠るアリスに、慌ててさっきまで私が使っていた掛布をかける。……あれ? ルーナとユアンのがどっちか分からなくなった。まあいいや。どうせ朝起きたらごっちゃ混ぜだ。主に私とユアンの所為で!

 開き直って、また衝立に視線を戻す。戻ってくるまで待っていたけど、戻ってこない。

 ルーナが魘されるのは今日が初めてじゃない。というより、よく魘される。

 明日は、出陣なのに。

 出陣といってもいきなり戦闘に入るんじゃなくて、戦闘に行くための行軍だけど、出陣に変わりはない。心配なのも、行かないでほしいのも、変わらない。言ってはいけないことだから言わないけど。

 しかし、こうも魘されていたら、体調が悪くなってもおかしくはない。

「ルーナ? 覗き魔するよ?」

 一応一言かけてからにしようと思ったら、衝立の向こうで噴き出された。

「覗き魔はやめてくれ」

 せめて普通に覗いてくれと言われたので、頭を横にして覗いてみた。こっちの世界に来たときは肩を少し越えるくらいだったのに、いつのまにか結構伸びている髪が顔面を覆って何も見えない。

「それはただの怪談だ」

 私もそう思う。これ、ただのホラーだ。



 ここは地下だから月明かりは差し込まない。灯りは、岩壁を削って作られた小さなくぼみに設置された蝋燭だけだ。その小さな灯りに下から照らされて影を作ったルーナは、もう怖くない。

 再会した時は、それは怖かった。もうとんでもなく。お前誰だと叫びだしたいほど怖かった。逃げ出したいほど、というか、逃げだしたほど怖かった。

 でも、今は全く怖くない。だって、ルーナが笑ってる。

 声を潜めて笑うルーナが眩しい。光源は小さな蝋燭一つなのに、眩しくて堪らない。

 眩しいのにずっと見ていたくて見つめていたら、ルーナと目が合った。少し困ったような笑いに変わってしまって残念だ。

「起こしてごめんな」

「欠片も問題ないよ。ルーナは睡眠できるそう?」

 明日は早いから少しでも眠れるに越したことはない。ベッドに戻ろうと促したら、ルーナはちょっと考えていた。眠れないのだろうか。だったら、何か温かい飲み物でも持ってこよう。

「飲むもの頂戴してくるから、待ってるしていて」

「待て、カズキ」

「少しそこだよ」

 だから一人で大丈夫だと言ったら、ルーナは首を振った。そして、私の足元を指さす。その先を辿って視線を下ろし、納得した。

 アリスとユアンの靴を履いている。しかも左の靴を右に、右の靴を左に履いている体たらく。靴の爪先が自由な方向に向いている。

 暗かったからでは言い訳不可能なくらい、何一つとして合っていない。

 いやぁ、失敗失敗。うへへと誤魔化し笑いを浮かべながら靴を履きかえた私の前に、ルーナの手が差し出された。これはどうも御親切にとその手を借りて立ち上がったら、そのまま繋がれた。嬉しい。

 思わず握り返したけど、よく考えたらどうして握ってもらえたのか分からない。

「カズキ、悪いけれど、少し付き合ってもらえないか?」

『はい、喜んで――!』

 首を傾げていたら夜更かしのお誘いを頂いて、これまた思わず了承してしまった。手放しで嬉しい。それに、ルーナは明日から大変なんだから眠ってもらったほうがいいとは思うけど、このまま眠って悪夢を見たら本末転倒だ。体力ごっそり持っていかれる。それだったら、少し落ち着いてからのほうがいいはずだ。その手伝いなら私でもできる。おしゃべりして気分を紛らわせたいなら果てしなく喋るし、ただ一人になりたくないだけなら私は貝になるよ!

 鼻息荒く気合を入れていたら、背後でユアンが唸った。うるさくてごめん、ユアン。とりあえず今は貝になります。

 チャックのある貝になった私は、ルーナに引かれるままに部屋を後にした。


 ここは、昼でも夜でも大して変わらない。ぽつぽつと現れる灯りだけを頼りに進んでいく。それにしても、皆どうして道が分かるのだろう。私は未だにさっぱりだ。

 階段を上がっているのは分かる。上がっていく内に予想した通り、辿りついたのは皆でよく遊ぶ場所だ。上向いてぽっかりくり抜かれたような場所からは、綺麗な空が見えている。落ちてきそうな夜空という言葉を聞いたことはあったけど、それを心からこういうことなんだなぁと思えたのは、この世界に来てからだった。

 夜は、夜露の所為か、草木の匂いが濃密になる気がする。でも、それだけじゃない匂いは空の匂いかなと言ったら、ルーナに笑われた。昔も同じことを言って笑われた。

 そして。

「そうかもな」

 そう言ってくれるのまで、同じだ。

 どうしようね、ルーナ。記憶があってもなくても、あんまり変わった気がしないんだよ。首の傾げ方とか、笑い方とか、その為の呼吸のタイミングとか。好きな所、全然変わってないんだよ。


「夢をな、見るんだ」

『うん』

「本や玩具ばかりが所狭しと転がってるのに、俺しかいない部屋に座ってるんだ」

『うん』

「あれは、俺の過去だろう?」

 繋いだ手に力を籠めてしまう。けれど当人であるルーナは、強張った様子も気負った雰囲気もないことにほっとした。

『私も、聞いた話になるけど』

「誰から?」

『ルーナから』

 ルーナから聞いた話をルーナに話す奇妙な状況に、ルーナは苦笑した。

 どうしよう。泣きたいくらい時間が穏やかだ。ルーナの雰囲気が凄く柔らかいのは夜だからだろうか。

 こんなに穏やかな進み方をする時の中では、ずっとぐるぐる回っているろくでもない考えが全部砕け散る。何だって出来ると、どこまでだって行けると、そう思ってしまう。




『ルーナのお母さんは、他の誰かにルーナを触らせるのが凄く嫌で、メイドさんとかも遠ざけて、五歳になるまで外に一歩も出たこと無かったって』

 ルーナのお父さんは凄くモテて、他にもたくさん女の人がいたらしい。その中で最初に子どもができたお母さんが正妻になって、生まれてきたルーナが男の子だったから正妻のままだったと、聞いた。お母さんは、ルーナがいなくなったら他の女の人が家に入ってくるからと、ルーナを失うのを何より恐れていたらしい。けれど、ルーナのお父さんが他の女の人の所に行くのも嫌で、傍にいられるときは常についていったから、ルーナはいつも一人だった。使用人の人達は、ルーナが生きているかどうか確認に来るだけで、声をかけたり、遊んでくれたりということはなかったそうだ。

 ルーナはいつも、窓際に座って本を読んでいたという。そんな小さな頃から絵本じゃない本ばかりを読んでいたから頭がいいのか、頭がいいから読めたのか。卵が先か鶏が先かの疑問は置いておこう。


『でも、庭が綺麗だったんだって』

「……そうだな。なんとなく、思い出せる。かなりの周期で花壇に植えられている物が変わっていくのが、唯一、面白かったような気がする」

 部屋の外を知らないルーナに、少しでも外を見せてあげたいと思った庭師さんがいたのだ。庭師さんは、既に咲かせた花をせっせと花壇に植え替えた。早い周期でたくさんの種類を入れ替えて、色んなものを見せてくれたそうだ。新しい花は、地面に名前を書いて教えてくれたという。

 でも、そんな日々は突然終わりを告げた。

 ルーナに弟がいたのだ。その弟が、既に騎士としての訓練を始めていると聞いたルーナのお母さんは悲鳴を上げたという。弟のお母さんは、ルーナのお母さんより身分が高かったのもこじれた原因だと、全く興味なさそうにルーナは言った。

 一番の元凶は、ルーナのお父さんが、後継ぎはいるならそれで後はどうでもいいという方針だったことだ。一歩も外に出ていないルーナの跡継ぎとしての認知度は、致命的なまでに低かった。

 ルーナのお母さんは、通常八歳から入学するはずの騎士学校に五歳のルーナを放り込んだ。休みの日は必ず帰宅するようにして、大人でも厳しい訓練を受けさせた。幸いというべきかは分からないけれど、才能があったルーナはぐんぐんと腕前を伸ばしていったので、お母さんは安心した。

 安心して、お父さんべったりに戻った矢先、亡くなった。

 死因は病だったと聞く。事故だったとも聞く。事件だったとも聞く。

 詳しい話は何も分からないまま、ルーナに関係することは、ルーナに関係ない場所で、ルーナではない人達が決めていった。


 ルーナは、学校で訃報を受け取った。

 しかし、既に葬儀は終わり、サファイル家の跡継ぎは弟となっていた。正妻になった人は、先妻の息子であるルーナを家から追放した。それが罷り通ってしまうくらい、ルーナのお父さんは家のことに全く興味がなかったのだそうだ。

 厄介事の塊とされてしまったルーナを引き取る人は誰もいなかった。孤児院にいれるという話すら出ていたという。それは、外聞が悪いからという理由で却下されたらしいけれど、外聞というならもう相当だと思う。

 大人達が揉める中、ルーナは初めて自分の家の庭に足を踏み入れた。

 だけど、ルーナがいた部屋から見える花壇に、花はもう咲いていなかったという。庭師の男は、正妻になった人が家中の使用人をすべて入れ替えた時に一緒にクビにされていた。

 その時、ルーナは初めてがっかりしたと言った。一度でいいから、いつも眺めていた庭に立ってみたかった。一度でいいから、あの庭師から直接花の名前を聞きたかった。そう思ったと。

 自分の幾末より、庭に花がなかったことにしか気になる事がなかったルーナを門の外から呼ぶ人がいた。

 それが、フセル・ホーネルト。

 ルーナに花を見せてくれた、庭師さんだった。



 庭師さんの養子になったルーナは、騎士学校の寮に戻り、卒業後はそのまま戦場に行った。だから、庭師さんと暮らしたことはないという。けれど、手紙はいつも来ていた。砦にも、毎月届いていた。

 ルーナと恋人になった日、会わせたい人がいると、私に教えてくれた。

 その時に、昔の話も教えてくれた。

 どうして人形兵器だなんて呼ばれていたかの理由として教えてくれたのだけど、歯をぶつけ合う事故じゃないキスにいっぱいいっぱいだった私としては、庭師さんありがとうという感想しか思い浮かばなかった。

 それからは、手紙も読ませてくれた。異様に可愛らしい便箋は彼の奥さんの趣味で、ちょっと笑ってしまった。返事で私のことを書いたのか、今度連れてきなさい、忙しくても連れてきなさい、どうでもいいから連れてきなさいと書かれていて、これまた笑った。



【猫も犬も、幼い頃に人の手が触れていない動物は、一生人に懐かない】

 昔、ルーナは無表情でそう言った。確かに、その頃のルーナは自分から誰かに触れることはなかったし、ティエンが肩を組もうとしてもひらりと避けていた。それを考えると、私がいなくなっていた間に荒れたという十年間は、ある意味随分人間らしい荒れ方だったのかもしれない。良い事かは分からないけど、そう思う。


 いまルーナは、私と繋いだままの手を軽く持ち上げた。

「俺は、人に触れるのが苦手だったようなんだけどな?」

 ちょっと茶化すように言われて、私はへらりと笑って盛大に目を逸らした。

「…………その反応が返ってくるとは思わなかった」

 理由を聞こうと待機しているルーナに、私は逸らした目線を彷徨わせて、夜空に固定した。わあ、星が綺麗!

 駄目か。観念しよう。

『…………転んで、転がって、落ちて、滑って、飛んで、沈んでいく私を助けてくれている内に、どうでもよくなったそうです』

「……………………」

 なんか、高尚な理由とか輝かしくも尊い思い出ではなくて本当に申し訳ない。一応言い訳させてもらうなら、ゴム底じゃない靴を履き慣れていなかったというのを上げさせてもらおうと思う。今はさすがにそこまで盛大に転がってはいかない、はずだ。



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