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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
62/100

62.神様、少し太陽眩しいです

 心臓の音がやけに近くで聞こえる。頭の中で鳴っているんじゃないだろうか。

 何かを言わなければ。何かを言いたい。なのに、口の中が引っ付くくらいカラカラで、喉の奥に言葉が張り付いて何も出てこない。

 逸らすことも出来ずに見つめ続けたツバキの顔がぶれる。なんだと思ったら、アリスが私の腕を掴んで立ち上がっていた。そのまま引っ張られてつんのめる。せめて手を繋いでくれたらまだ普通に歩けるけど、二の腕を引っ張られるとうまく重心が取れない。

 待って、アリス。私まだ石のこととか、なんかこう、いろいろ聞いてない。そう思うのに言葉に出せない。喉に張り付いて、何でもない言葉まで出てこないのだ。

「一番聞くべきことは聞いた。これ以上はいても意味がない」

 大丈夫だって言った。大丈夫だと言って連れてきてもらったのに、なんて体たらく。

 ツバキも特に用事はないのか引き留めようとはしない。何かを、言わなければ。

「ツバキは、以前、邑上さんと私を出会わせたいと言った」

 私のこの先を彼の為に奪うと。でも、今の様子は会わせたいようには思えない。

 ツバキは少し考えるように上を見て、視線だけを私に戻した。

「壊れたあんたには興味ない。でも、壊れてないあんたは恨めしい」

「……どうすろと」

「……さあなぁ。俺にも分かんねぇよ」

 自分でも分かってない答えを問うたって意味がない。だって答えがないのだから。

 アリスは扉を二回叩いた。たぶん、外からカギがかけ直されているのだろう。がちゃんがちゃんと、重苦しい音が響く。

 壊した。壊された。私が、ルーナを? 私が、ルーナを。

 重苦しい音は、胸の中にツバキの言葉を沈めていく。人に対して壊すという言葉を使う恐ろしさと、それが私で、対象が私の大好きな人で。

 なんで? 異世界から来たから? 価値観とか感性とか、日本人だから? そうだったら、こっちの世界の人を傷つける?

 違う。違うと、思う。違うと思うのに、壊すという言葉が重すぎる。自分じゃどうしようもない所で、変えようもない場所で、大切な人を傷つけるかもしれない可能性に怖じる。


 扉が開いてアリスに引かれながら、ふと、何かに引かれるように部屋の中を振り返ってしまった。ツバキは笑っている。その笑顔に、何故か問いが口から滑り出た。

「ツバキは、邑上さんに壊された?」

 ぐるぐる言葉が回るせいで、ただでさえ鈍い思考が動かない。考えるよりも先に口に出してしまった私の問いに、ツバキは妙な顔をした。目を見開いたのに細めて、顔半分だけ奇妙に歪める。

「…………壊したのは、俺だ」

 掠れた声は、重たい鉄扉が閉まる音の向こうに消えた。




 暗い道を黙々と歩く。偶にある灯りで影が伸びても、光が届かない場所で暗闇と混ざり合ってしまう。

 二の腕を掴んでいたアリスの手はいつの間にか繋がれていて、それでも速度は緩まない。ざっざっと、重く生真面目な音に、歩幅の揃わない不恰好な音が混ざる。

 大丈夫だと言った。大丈夫だと。大丈夫だから、お願いだからアリス、振り向かないで。


 私は、ルーナと出会わないほうがよかった?

 そう聞けば、アリスはなんて答えるだろう。聞きたくないのに答えが欲しい。誰かの答えが欲しい。自分で背負うのが苦しいから、誰かが言った答えが。

 駄目だ。そんなのずるい。ずるい考えばかりがぐるぐる回る。これは逃げだ。責任の押しつけだ。そう分かるのに、ぐるぐるとまわるものが止まらない。

 ちゃんと自分で考えて、自分で結論を出して、自分で頑張らなければならない。自分で出した答えを、自分で実行して、成功しても失敗しても自分で責任を背負うべきだ。それが正しい在り方だ。人として真っ当で正しい在り方だから、そうすべきで、それが苦しいのは私がずるいからで。


 どことも繋がっていない手で前髪を握り潰す。ろくでもない。ろくでもない考えはやめよう。いま考えなければいけないのは、どうしたらルーナが悲しくないかだ。

 何度も息を吐く。吸って、大きく吐く。吐いた空気のほうが多くて、ちょっと頭がくらくらしてきた。でも吐く。ぐるぐる回るろくでもない思考を吐き出してしまう。あまり、身の内に抱えて育てたい感情じゃない。


「だから毒だと言っただろう」

 呆れた声でアリスが言う。まったく、仰る通りです。

 毒を食らわば皿までの精神だったけれど、あの毒、液状だったみたいで、結構皿から零れてた。

「あの男の言うことは気にするな。貴様は貴様らしくたわけのまま笑って、阿呆みたいに転んでろ」

 後半は簡単に、それこそ目を瞑っていても実行できそうだけど、前半が難しい。気にするなと言われても気になるものは気になる。いくらたわけの権化と言われた私でも、忘れられることと忘れられないことがあるのだ。

 そう言いたいけど、口に出すと零れそうで唇を噛み締める。鼻を啜ったら響くかな。響いたら気づかれるかな。アリスは、もう気づいている気がするけれど。

 だって、繋いだ手が優しい。

「こんな事態に陥らなければ、ルーナが一人で乗り越えようとしていたことだ。特にお前にだけは一生隠すつもりだっただろうな。惚れた女の前で格好つけようとしている男の努力を無駄にするな」

「……私とて、好きな人物のお役立ちしたいよ」

 ずびっと鼻を啜ったら、思ったより響いた。どうでもいいけど、泣くってどこからが泣くだろう。涙滲むくらいなら泣く一歩手前で許される気がする。涙が零れ落ちなかったらセーフだろうか。鼻水垂れたら別の意味でアウトだ。

 涙が滲んでいなくても、泣いてる人は、きっといるけれど。



 横道から伸びてきた灯りに照らされた一瞬、アリスの耳元で緑が揺れる。私の耳でも同じ色が揺れているはずだ。胸元では、ルーナとリリィがくれた首飾りが絡まって静かに揺れている。

 この世界に着の身着のままで落ちた私に、皆がくれた。目に見えるものも、見えないものも、たくさんくれた。私は、目に見えるものは何も渡せなかったし、目に見えないものなんて、それこそ面倒や厄介事しかかけてない。

 そんな私が、皆との出会えた奇跡を嬉しいと思うことは、いけないことだったのだろうか。


 アリスは一度も振り向かず、私の手を引いて前へと進む。

「貴様がウルタ砦に落ちていればどうなったんだろうな」

 考えたこともなかった問いに、少し考える。金髪美少年だったアリスちゃんがぽんっと浮かぶ。……泣いて走り去っていく姿しか思い浮かばない。

「アリスちゃんのパンツが毎時毎日大惨事よ」

「…………やめろ」

 空いたアリスの手がベルトをしっかり掴んだのが見えた。二度ある事は三度ある。アリスちゃんにはズボンガードを徹底してもらいたい。

「つまりは、そういうことだ」

「パンツ?」

「違う!」

 今の流れでパンツ以外の何があるんだろう。

 首を傾げたら、アリスは一つ咳払いした。

「お前達の出会いはお前達だから意味を持った。ルーナがそう言っただろう。だったら、信じてやれ。当人が悔やんでいないものをお前が悔やんでやるな。それこそルーナが哀れだろう」

 なんだお前、忘れたのかと聞かれて、慌てて首を振る。振ってからアリスには見えてなかったと思い出すけれど、振動で分かったのだろう。アリスは重ねて聞いてはこなかった。

 ただ手を引いて、まっすぐに前に連れていってくれる。

「石のことや国のことはひとまず忘れて、自分にとって一番大事なことに専念しろ」

 自分の実力をちゃんと見極めないと駄目だ。あっちもこっちも気になるけれど、どっちもそっちも全力でやらないとどうにもできないことばかりだ。片手間でどうにかできることじゃない上に、元々そんな器用に素晴らしい力は持ち合わせていない。

 ふんっと鼻を鳴らしたアリスは、それまで一定のペースで引いていた手を引っ張った。自然とつんのめったら避けられる。殺生な。

「また戦争だ」

 横に逸れて目の前から消えた背中を通り過ぎ、二歩ほどけんけんして顔を上げたら、いつの間にか前が開けていた。一気に眩しくなった世界に目が痛くなって、ぎゅっと瞑る。

「だが、何があろうと、ルーナは必ずお前の元に返してやる」

 だから、と続く声に促されて目を開けた。


 柔らかい陽光の下で、ルーナとユアンが遊んでいる。きっと剣の稽古だろうけど、斬りかかったユアンの剣を受けもせずひらりひらりと避けるルーナは、まるで踊っているみたいだ。もうっ、もう! と頬を膨らませて地団太を踏むユアンを見るルーナの瞳は柔らかい。

 ふと顔を上げたルーナと目が合う。空の色よりもずっと澄んだ水色が一度瞬いた。太陽を背負っているのはルーナなのに、水色は眩しそうに細まっていく。私の後ろは暗い洞窟で、ルーナのほうがよほど眩しい。だからだ。息ができないくらい胸がぎゅっと締まるのは。


「頑張れ、親友」


 アリスが押してくれた勢いのまま走り出す。

『好きだよ、カズキ』

 血の味のするキスをして、ルーナは言った。

『みんな今のカズキを愛した。忘れるな。お前だから、俺達の出会いは意味を持ったんだ』

 そう、言ってくれた。

 ルーナが見せてくれなかった傷がある。ルーナが教えてくれなかった悲しみがある。

 私はルーナを傷つけた。ルーナを悲しませて、苦しませて、十年経った今も癒えない傷をつけた。もしかしたら、私は、ルーナと会わないほうがよかったのかもしれない。

 それでも。

『お前に会えたその事実だけで、俺は一生、幸福でいられる』

 そう言ってくれたルーナの言葉を信じたい。

 私と出会えて幸せだと言ってくれたルーナを信じたい。

 私の所為だと泣き喚き、ルーナから離れるのは、お前なんかと出会わなければよかったとルーナに言われてからでも遅くはないはずだ。


「ルーナ――!」


 徐行せずに突っ込んだ私にルーナは慌てて両手を広げた。ルーナが記憶を失ってからずっと、どこかでしていた遠慮を全部捨て去る。体当たりに近い勢いのまま、私も両手を思いっきり広げ、ルーナの胸に抱きつく。本当は首に齧り付きたいところだけど、この勢いのままだとルーナの顎に頭突きをかます未来しか思い浮かばない。

 右足を一歩後ろに下げることで転倒を免れたルーナは、目を丸くして私を見下ろしていた。ちょっと幼いその表情が、昔みたいで可愛い。

「な、なんだ?」

 初めて笑ってくれた時は嬉しかったなぁ。

 初めて手を繋いでくれた時は嬉しかったなぁ。

 初めて好きだと言ってくれた時は嬉しかったなぁ。

 初めて泣いてしまった時、狼狽えながら上着を脱いで頭からかぶせて、ついでに樽もかぶせて隠してくれた時は笑ったなぁ。何か音がすると思ったら、外からこっそり空気穴開けてくれてた時は楽しかったなぁ。

「ルーナ!」

 馬鹿やったら呆れられたなぁ。

 美味しいねって笑ったなぁ。

 何もない所で三回転するくらい盛大に転んだらびっくりされたなぁ。

 目が合ったら笑ったなぁ。


 そのどれもがルーナにとったら傷になってしまったのかもしれない。

 けれど、やっぱり思い出してほしい。私には全部大事で、ルーナもそう思ってくれていると、信じたい。そう言ってくれたルーナの言葉を信じたい。


 見上げる水色がぶれる。ルーナの中の私がぶれる。

 それでもいいよ。ぶれなくなるまで何度だって言うから。何度だって追いかけるから。

 もし、思い出せなくても。もしも、一生思い出せなくても。


「好きだよ、ルーナ! 大好き!」


 私も一生変わらないよ。変わらないで、一緒に待つよ。今度は一緒にルーナを待つから。

 いつか気が向いたら、怖くなくなったら、つらくなくなったその時。

 戻ってきてくれたら。

 

 嬉しいなぁと、思うんだよ。




 昔、豪華な温室で育った子どもがいたと聞いた。温室で育ちながら、人の手に触れられることなく、温もりを知らない子どもがいたと聞く。

 その子どもの名は、ルーナ・サファイルだと、聞いた。


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