59.神様、ちょっと開けゴマでした
ルーナと入れ替わりに、アリスちゃんと王様達は遺跡の中に戻っていった。アリスちゃんはブルドゥス出身であり、戦経験がある騎士として色んな話し合いに参加している。けれど、どうやらどっちかは必ず私達いるようにしているらしく、ルーナがいないときはアリスちゃんが、アリスちゃんがいないときはルーナが絶対傍にいるのだ。結果、アリスちゃんに相談があったらしい王様もここで土いじりである。いいのかなぁと思うけれど、その辺りの判断は私の心配など無用だろう。
「ママ――!」
「はぁ――い!」
少し離れた場所からユアンが手を振ってくれた。振りかえしている間に、アニタがユアンを引っ張ってもっと離れていく。落ち着いてルーナと話せるようにと気を使ってくれるアマリアさんだけど、その時にいつも「後は若いお二人で」と真顔で言われる。彼女と同じ年だと喜んだあれは幻だったというのか。
そしてユアン。振ってくれていた反対側の手から、バッタらしき何かが飛んで行ったのを見てしまったのだけど、言い訳はあるかな! 後、そのバッタの進行方向がこっちなのが凄く気になる!
バッタの行方を気にしている私の横で、ルーナは何かを考える顔をしていた。
「ユアンが子ども時代をやり直していると過程して」
「うん?」
「……次は反抗期か?」
「え!?」
ユアンが盗んだバイクで走り出してしまうその日がきたら、私のすることは決まっている。まずは、そのバイクをどこで手に入れたか詰問することから始めるべきだろう。……いや、いくらなんでもバイクはないな。だって免許がない。ユアンはエンジンもかけられないだろう。じゃあ馬車か。盗んだ馬車で走り出す十五のユアン。ズボンをずり下げて「うるせぇんだよ、ばばあ!」とか言ってくるのだろうか。……どうしよう。いくら想像しても「ママ、うるさい!」しか思い浮かばない。
そして、私がうるさいのはただの事実である。
ルーヴァルの人達は、現在こうやって隠れながらもガリザザ軍に攻め入って拠点を奪還しているという。特に本拠地であるここの隊は、ツバキから得た情報を元に既に十以上の拠点を奪還している。
ガリザザは皇位継承権を持っている人間が死ねば、そのまま数字が繰り上がるらしく、現在第四皇子であるディナストは元十七皇子だったというのだからその恐ろしさが分かる。
ツバキは元々十三皇女に仕えていたのだそうだ。その十三皇女は、ディナストが真っ先に攻め込んだ地方を統治していた。そして弟皇子であるディナストに攻め入られ、死んだ。
十三皇女は、ルーナが飲まされた丸薬の研究をしていた人だという。あれは元々ガリザザの皇族に伝わる秘薬だったのだそうだ。ツバキがあれを使うのはそういった繋がりがあったからだろうか。でも、解毒薬を作っていたという皇女様に仕えていたのに、それをルーナに使った。皇女様がいなくなった現在、研究を続けられなくなったというのに、それを誰よりも分かっていて、ルーナに。
ツバキとはあれ以来顔を合わせていない。色々と聞かなければいけないことはあるけれど、アリスは私とツバキを頑なに会わそうとしない。
あの石のことを、ルーヴァルの人達には話していないようだ。ならばいまどこにあるかという問いに対し、私に話すという返答だけが返ってきたという。
それでも、ツバキには会うなと、アリスは言う。私が怒っても、泣いても、ユアンが酷く動揺すると言うのだ。
だから私は一所懸命ポーカーフェイスを練習している。なのにアリスちゃんは、私の渾身の無表情を気色が悪いと一言で切り捨てた。ひどい。ならばと、にへらと笑ったら阿呆面と言われた。どうしろと。
完璧なポーカーフェイスができるようになるまで、私は別のことに精を出すことにした。当然、ルーナの記憶回復のお手伝いだ。ルーナは日本語を覚えていた。だから、二人の時はもっぱら日本語仕様で記憶にちょっかいをかけている。
[丸薬は少量ずつ減らしてみる方針になった]
[うん]
[それはともかく夢がだな]
ともかくされていい部分ではないと思うけれど、せっかくルーナが話してくれているのであえてつっこまない。それにしても、ルーナの日本語はまったく支障が出ていない。動作だって、知識だって不便していない。閉ざされてしまっているのは思い出だけなのだなと、思い知る。でも、顔には出さないでへらりと笑う。私はポーカーフェイスを極めたいい女になるのだ。
「あ、今日の夢はどんなのだった?]
普通に聞いたのに、ルーナは口籠った。
夢というのは、言葉通りルーナが見た夢の話だ。ルーナは最近よく夢を見るらしい。白黒なのに、ひどく鮮明な夢だと言う。夢の内容を聞いた時驚いた。だって夢の中身を私は知っていたのだ。
ルーナが見ている夢は、昔あったことだった。つまり、過去だ。だから私も知っている。
思い出を思い出せないのなら、覚えている私が記憶を刺激すればいい。ルーナが夢で見てくれているのなら、私の残念な説明だけじゃなくて映像がついている。素晴らしい。
ルーナが夢を見た日はこうやって思い出を辿ってお喋りする。隊長もティエンもイヴァルも登場して、ルーナも結構楽しそうだから私も嬉しい。最初は、声は届くのに顔が見えなかった夢の中で、人の顔が見え始めてからはもっと嬉しい。でも、私の顔はまだ見えないらしい。顔が見えず、白黒の世界の中でうるさい私の声。ルーナには心地よい眠りを提供したいのに、なんということでしょう。昔も今も、私はうるさい。
今日のルーナは何やら口籠っている。どうしたのだろう。最初に見た夢が、背中に虫を入れられて腹踊りしながら迫ってくる私だった時と同じ反応だ。さあ、過去の私は何をやらかした!
他の誰かと何かがあった可能性も無きにしも非ずだけれど、どれだ、どのやらかしだと記憶の中を引っ掻き回す。凄腕収納術でも収まりきらないくらいには、心当たりに満ち溢れている。
[…………カズキが]
[やっぱり私でしたね!]
可能性なんてなかった。百発百中で私の所為でした!
[周囲の連中が、故郷の家族の話で盛り上がっている最中にふらりと席を外して倉庫に行ったんだ。追ったら、倉庫で蹲っていた]
[ん?]
[俺は、お前が泣いてるのかと思った]
そんなことあっただろうか。起きてたら目の周りががぴがぴだったことはあったけど、自分の部屋以外で泣いたことはほとんどなかったはずだ。私が忘れてしまっているのか、今回は過去じゃなくてただの夢なのだろうか。
ちょっと考えていると、ルーナは何ともいえない顔をして私を見ていた。
[近寄ったら、鬼気迫る顔と声で、樽に向かって開けゴマと連呼していた]
[説明する権利を要求します!]
凄い覚えてる――!
物凄い勢いで手を上げて発言の許可を請うた私を、ルーナは何とも言えない目で見下ろした。
[…………ただの夢なのかと思った上で、そんな夢を見る俺の感性を疑っていたのに、事実だったのか]
心当たりしかありません。そして悩ませてごめんね、ルーナ。ルーナの感性は正常です。
お酒を飲めない私にティエンは、食糧庫から林檎を取ってきて齧ればいいと声をかけてくれた。けれど、この世界の樽は心を開いた人間にしか蓋を開かないと言われて、成程、流石異世界と納得した私の頭が悪いのだ。後、ティエンの悪戯心。
樽に心を開いてもらう言葉が思い浮かばず、扉を開くならこれしかないと連呼したのが開けゴマだ。天岩戸風に踊ってみたりもしたけれど、そこは見られてなかったのは不幸中の幸いである。一人フォークダンスに、ドジョウ掬い。結構楽しかった。
一所懸命説明して気づく。これは単に私が馬鹿であると言い募っているだけではないかと。そうと気づいてしまった途端、勢いが削がれる。いくら私でも、好きな人を前にして醜態を晒し、平然としていられる訳がない。
そろりと顔を上げて様子を窺うと、ルーナはふっと笑った。それが嬉しくてふへっと笑い返す。平然とはしていられないけれど、醜態とかどうでもいいくらい幸せだからまあいいや。
ルーナは私と目を合わせて、少し眩しそうに目を細めた。その胸元辺りで、私の頭の影が揺れている。ごめん、ルーナから見たら逆光ですね。
[ルーナ、あっち行こう。日陰のほう]
腰かけていた岩から立ち上がった私の手が掴まれた。ルーナは、変わらず少し目を細めて私を見上げている。
「こんな顔をしているんだろうって、分かるんだ」
[え?]
急に言葉が戻って、頭が少し混乱する。
「見えないけど、カズキは多分、夢の中でもこんな顔をして笑っているんだろうなと分かるんだ。分かるのに、どうしてだろう。何故か、見えそうになると、霧散する」
ゆっくりとルーナの言葉が続く。私の混乱に合わせたというよりは、自分でも掴めないものを形にしようとしているように見えた。だって、口調がちょっと幼い。少し他人行儀な、ただただ騎士であるような喋り方じゃない。昔みたいなルーナの喋り方だ。
「夢の中で、お前が俺を呼ぶんだ。笑ってると分かる。分かるのに、見えない。何故だろうな。見えないのに、分かるんだ。見ようとすると」
[目が、覚める?]
何でだろう。心臓がどくどくする。
ルーナに掴まれている腕から伝わりそうなくらい、心臓が早鐘みたいだ。嬉しくて幸せな時のどきどきじゃない。浮かれて身体が熱くなったりしない。どくどくと心臓は血液を送り出すのに、何かを恐れるように冷え切っていく。
私の問いに頷いたルーナの視線がぶれる。逸らしたんじゃない。その手は私の手を握り、その顔は私を向いて、この目は私を見上げているのに、視線が合わない。
「思い、出せない」
私を呼ぶその声は、まるで迷子のようだった。
ルーナは頭がいい。記憶力だって抜群だ。日本語もちゃんと使えるままだ。
なのに思い出せないものがある。香の呪いとは催眠術のようなものだろうと私は思っているのだけど、それにしても妙だと思っていた。
だって、あんなに何でもかんでも覚えているルーナだ。思い出としては思い出せなくても、場面場面を記憶として思い出せてもおかしくない。現に、音や言葉は思い出せるのだ。夢という形であるにせよ、ちゃんと、会話の内容までしっかりと思い出せる。隊長の顔も、ティエンの顔も、イヴァルの顔も、言葉も、声も、思い出せる。
なのに、おかしいじゃないか。
どうして、私の顔だけ、見えないのだろう。
そんな、まるで、意図して忘れているかのように。
私の顔だけ。
私の、こと、だけ。
ぐしゃりと自分の顔が歪んだのが分かる。ぶれていた視線がはっと私を捉えた。
手を握っている方とは反対の手が、私の頬に触れる。
「ごめん。ごめん、カズキ。思い出す。絶対に思い出す。だから、頼むからそんな顔…………」
そこまで早口で言い募ったルーナは、両手を放して自分の顔を覆った。
「させているのは俺だな…………ごめん」
不安なのはルーナのほうなのに、謝らせてしまった。ごめん、ルーナ。ポーカーフェイスへたくそで本当にごめん。ちゃんとポーカーフェイス練習するから、ちょっとだけ待って。すぐに鉄壁の仮面を身に着けて、クールビューティーな女になってみせるから。
掌の付け根で唇の端をぐにぐにこね回す。ここだ。ここが強張るからいけないんだ。ちょっと気を抜けばぽろりと零れそうになる言葉も一緒に揉み砕く。
私が自分の顔をマッサージしている間、ルーナも自分の顔を覆ったまま動かなかった。
けれど、ぽつりと言葉が零れ落ちる。あまりに自然に零れ落ちたその言葉が、自分の口から溢れだしたのかと思った。
「思い出したい」
思い出して。
叫びだしたい言葉を必死に飲み込む。思い出して思い出して思い出して。お願いだから、思い出して、ルーナ。
言い募りたい。泣きついて、泣き喚いて、泣きじゃくりたい。
泣いていいって言ってくれたじゃない。泣いていいって、ルーナの隣で泣いていいって言ってくれたのに、今はルーナに抱きつく権利すらない。
でも、言えない。言ってなるものかと奥歯を噛み締めるのも本心だ。服の上から胸元を握りしめる。二本の首飾りが服の中で絡みついている。
追い打ちかけたいんじゃない。追い詰めたいんじゃない。勝ちたいんじゃない、負けたいんじゃない。
一緒にいたくて、笑ってほしくて、思い出してほしくて。
なのに、どうにもこうにも、難しい。どうしてだか、私はいつもルーナを苦しめる。
「思い出せそうなんだ。なのに、思い出そうとすると、何かが滑り落ちていく……何て言っているのかは分からないが、あの男の、声、が」
そこまでは聞いていた。けれど、そこまで聞いた瞬間、私は身を翻した。
「カズキ!?」
[聞いてくる! ルーナはユアンをお願い!]
一人じゃ遺跡の中を歩けないけれど、今ならまだアリス達に追いつけるはずだ。
私は呼び止める声を無視して走る。予想通り、少し走ったらアリス達の背中に追いつけた。この先はうねうねと枝分かれしている道も、ここまでなら一本道なのもありがたい。
足音を響かせて走り込んできた私に驚いて振り返ったアリスの元に、転がるように、というより、転んで辿りついた。
足元をさっと鼠らしきものが走り抜けたのがまずかった。そこが急な階段だったのはもっとまずかった。結果、勢いのまま何回か前転して、アリスの前に到達する。びっくりだ。
べたんと尻もちをついて座り込んだ私を、アリス達が見下ろす。
何が起こったか理解できなくてぽかんと座り込んだ私の頬を、アリスは両手でがしりと掴んだ。がっちり固定されて身動ぎ一つできない。
「首は!? 折ってないな!?」
「ぶ、無事」
「たわけ!」
無事を告げるとチョップが降った。痛い
「このっ、たわけたわけたわけたわけたわけたわけ――!」
「も、もう、もう、も、もう、も、も、申しわわわ、ごめごめごめ、ごめ――!」
謝ろうとしたけれど、何発も連続で繰り出されるチョップでラップみたいになった。ごめんYO―とかやっている余裕はない。
打ち付けた痛みは驚きの後にやってくる。痛い個所はじわじわと広がりをみせていくけれど、幸い大したことはなさそうだ。
「勘弁してくれよ……」
すわ曲者かと、抜かれかけていたロジウさんの剣が静かにしまわれる。私にはロジウさんに謝る余裕もない。
「アリス!」
「なんだ!」
「付き合って!」
「どこへだ!」
「ツバキの元!」
ぴたりとアリスの動きが止まった。太陽の光が遠くなり、薄暗くなった中でも分かるほど、眉間に皺が寄ったのが見える。
「なに?」
「会議終了するまで待機している。その後、お願い、付き合って。鉄仮面は未熟だけれど、お願い、アリス」
「…………何かあったのか?」
「何事があったか分からないから、問い質す。ツバキがルーナに何事を行ったか、問い質す!」
ツバキの目的とか、石のこととか、ムラカミさんのこととか、聞かなきゃいけないことはたくさんある。けど、いま聞きたいことは一つだけだ。
止められたら一人で行くつもりと見抜かれたのか、アリスは嘆息して指を私の額に当てた。そのまま突かれると思いきや、まさかのデコピンが叩きこまれる。痛い!
額を押さえて悶える私を見下ろしながら、アリスはふんっと鼻を鳴らした。
「会議が終わるまで待っていろ。何なら、隣室で会議を聞いているか?」
それはお断りしたい。絶対寝る。
両腕を使って全力でばってんを作ってお断り申し上げたら、ばってんが完成するより早くチョップが繰り出された。騎士の凄技をこんなところで使わないで頂きたい。
「……だが、まあ、私を呼びに来た点だけは評価してやる。たわけ」
評価されてもたわけである。でも、点だけであろうと評価してもらえたので、勢いのまま一人で行かなくてよかった。ツバキがどこにいるのか知らないし、知っていても一人で辿りつけないけど、一人で行かなくて本当によかった。
それらを口に出さない程度の分別はある。そっと心の内にしまって顔を上げると、何故か半眼のアリスがいた。何故ばれた。
「たわけ!」
ついでとばかりにチョップの追加も頂いた。
痛かった。




