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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第三章:大陸
56/100

56.神様、可愛さ全部吹き飛びました

 地下なのに花の匂いが溢れ返る。花弁がお湯に大量に投入されているからだ。岩壁が剥き出しの壁と天井。ついでに湯船も床も岩だけど、お湯の中だけパラダイス。色とりどりの花弁が蝋燭の明かりの中でも鮮やかに揺れて、とってもパラダイス。

 ただし、私にだけはデストロイ。

「ふ……ふへへ…………」

 濡れた床で滑って転び、強かに打ち付けた腰を押さえる。立てない。岩は痛かった。パラダイス気分を見事に打ち砕いてくれた様は、正にデストロイ。そうして増える、お尻の蒙古斑。おかしい。蒙古斑は成長の過程で消える物なのに、どうして私は増えるのだろう。

 岩剥き出しの風呂場に、テーマパークみたいだとテンションが上がったのは仕方ない。家風呂ではなく、銭湯規模に大きなテーマパーク風呂が貸切だったのに更に上がったのも致し方ない。

 じゃあ一体何がいけなかったのだろうと、花弁浮かぶ湯船に片腕だけつっこんで考える。

 湯船いっぱいに浮かぶ色とりどりの花弁向けて、お風呂だー! と叫びながら走り出したことだろうか。それとも適当に巻いていたタオルが肌蹴たけど誰もいないからまあいいやと放置したら足に絡まったことだろうか。この隣ではルーナ達が皆でお風呂入ってるんだな、あれ? 私やっぱり仲間外れのカズキ!? とか頭を過って意識散漫になったことだろうか。設置されている石鹸が可愛かったので目移りして碌に前を見ていなかったことだろうか。

 まあ、そのどれかがいけなかったんだろうなと結論付けて、大人しく身体を洗うことから始めた。

 始めようとした。

 さあ、目の前に並びますは、赤、青、黄、緑、桃、黒、茶、水、紫からなります石鹸レンジャー。どれを使えばいいのだろう。どれでもいいのか、どれかじゃなければいけないのか。

「どれを選択すればよいのか……」

「香りが違うだけですが、個人的には黒がおすすめです」

「ならば黒よ」

「はい」

 おすすめという黒の石鹸を手に取って匂いを嗅いでみると、確かに、意外にもいい匂いだった。花というよりは果実に近い気がする。さくっといってしまった傷で地味に苦労しながら、タオルに石鹸を乗せて泡立てると、面白い事に白い泡がもこもこと出来上がっていく。それを楽しんでいた私は、ぴたりと動きを止めた。

「………………貴様はどちら様でしょう」

「……今更ですか?」

 私の後ろには、小豆色の髪を一つに纏めた女性がいた。年上だろうか。いや、でも分からない。女性は両手を捲って桶を抱えている。これは悲鳴を上げて身体を隠すところだろうか。いや、でもここは女風呂で、彼女は女性で、ついでにいうと私はお風呂を借りている身だ。

 とりあえず、あわあわになったタオルをべろんと広げて前面に張り付かせてみる。

 それについてのコメントは特になく、女性は濡れるのも構わず床に膝をつけて頭を下げた。

「これからお世話をさせて頂きます、アマリアと申します」

「これはどうぞご繊細に」

 一礼したまま微動だにしないアマリアさんに頭を下げる。

「しかし、私は全く以って一人ぼっちで大丈夫です。アマリアさんの手をご迷惑おかけせずとも、一人ぼっちです!」

 掌をさくっと切っていても、ざくっとではない。大丈夫だと主張しようと切れた掌を見せて、幸い血も止まっていると伝える。

 余計な手間をかけさせるわけにはいかないときりっと答えると、アマリアさんは一つ頷いたので、分かってくれたのだとほっとした。誰かに手伝ってもらってお風呂に入るのは非常に抵抗がある。一緒に入るのはいいけれど、洗ってもらうのはお断りしたい。

「失礼」

「突然!」

 よかったよかったと安堵していた私の手に、無造作に何かが貼りつけられた。傷口があった場所を見れば、深緑色の四角い何かが貼られている。ぶにぶにとした感触は、開いたアロエみたいだ。

「本来は化膿止めに使用しますが、水を弾きますのでどうぞそのままご入浴ください」

「どうぞありがとうございます」

「失礼します」

「何事を…………あれ?」

 あれよあれよという間に髪を洗われて、あれよあれよという間にいい匂いのする何かを身体に塗られて、あれよあれよという間になんかすべすべになっていた。

 一体何があったのか。気が付いたら花弁が浮かぶ湯船に浸かっていた。イリュージョン。

 呆然とお湯に浸かっていたけれど、気持ちいいのでまあいいやという気分になってきた。

「ア……アマ、……ア、アマアマ…………ア、アマルアさん」

「アマリアです」

「アマアリアさん!」

「アマリアです」

 口の中でアマリアさんの名前を練習する。その間も、アマリアさんはきちんと両手を揃えて待っていてくれた。




 お風呂場にはたくさんの椅子と石鹸があるから、ここは大浴場なのだろうか。そう聞いたら、アマリアさんはいいえと答えた。

「ここは普段使用されてはいません。ですが今回は、保護されてくる一般人の為に用意されました」

「保護」

「はい。ガリザザ第四皇子の遊戯から、です」

 つまりここはディナストのあれから避難してきた人達の為の場所だったのだ。それが、急遽予定変更になったのだろう。だって、強制参加させられる人達の代わりにガリザザの兵士が宛がわれたのだから。

 ロジウさん達は、一般人救出の為に紛れ込んでいたルーヴァルの騎士達だったと聞いた。

 

 ここは、ガリザザの侵略から逃れた王族含むルーヴァルの人達が隠れている神殿なのだそうだ。神殿といっても、ルーヴァルができる前に滅亡した国の神殿らしい。ここのことを知っているのはルーヴァルでも極一部で、当然ガリザザの人間が知るはずもなく、今も見つかっていない、らしい。

 というような話を、ツバキがぺらぺら教えてくれた。そして、私が黒曜でルーナがルーナでという話もぺらぺら喋ってくれた。それを今にも殴り掛かりそうな形相のアリスの後ろで聞いていたのだけど、とりあえず、あの場にいた方々全員から『え!? こいつ!?』の視線を頂いたと胸を張ろう。

 やっぱり私には、二度見のカズキの二つ名がふさわしい。



 他にもいろいろ聞きたいこと、聞かれなければならないことがあったけれど、私とユアンの盛大なくしゃみで皆はっと我に返った。そして、何はともあれ風呂だという、大変ありがたい流れになったのである。

 アマリアさんは、私が湯船に浸かり始めた最初は黙って壁際に立っていたけれど、溺れたりしませんよと伝えると一礼してお風呂場を出て行った。奥の方で音がするので、何か用意しているのかもしれない。

 それにしてもお風呂が気持ちいい。ちゃんと湯船に浸かったお風呂は久しぶりだ。このままご飯食べておやすみなさいの流れになってくれたら大変嬉しいけれど、それは無理なんだろうなと思う。残念だ。色々説明して、してもらってがあるはずだ。その間、うとうとしないよう頑張ろう。


 お風呂から上がったら、アマリアさんは何かよく分からない液体を身体に塗ってくれた。

「これは何物で?」

「肌の乾燥を防ぎ、滑らかに保つ乳白水です」

 何だか美人になった気分だ。

 別に乳白水を塗ってもらって顔の原型が変わるわけじゃないけど、エステみたいでテンションが上がる。エステに行ったことがないので完全に想像になるけれど、セレブな気分だ!

 この手の物の匂いが似るのか、それともルーヴァルがブルドゥスと関わりがあるからかは分からないけれど、何だかカルーラさん達を思い出して懐かしくなる。色んな匂いが混ざり合っていたけれど、お仕事明けの朝方は乳白水の匂いがいっぱいだった。カズキ、カズキと手招きされて洗濯物を抱えたまま近寄ったら、お裾分けと言って顔や首に塗ってくれた。

 一年どころか半年も経っていないのに、まるで夢のように思えてくる。

 皆に会いたい。

 不意に寂しくなる。こんな時はアリスちゃんに体当たりするに限るが、残念なことにアリスちゃんは男風呂だ。今のルーナに体当たりしたら絶対避けられるし、どっちにしてもルーナも男風呂だ。流石に男風呂に突撃するのは躊躇われる。神様によって投入されたあの経験だけで充分だ。



 パンツと短いキャミソールみたいな状態で、アマリアさんが色々塗ってくれる。部屋の中に沈黙が落ちた。黙々とお仕事をこなしていく姿はかっこいい。

「アマリアさんはお幾つですよ?」

「十九歳です」

「同じよ! お揃いよ!」

「はい」

 会話終了。

 女性にいきなり年齢を聞いたのがいけなかったのかもしれない。申し訳ないことをした。次は無難に好きな食べ物を聞こうとしたら、アマリアさんがいきなり短剣を抜いた。一体どこに持っていたのかという疑問はともかく、何やら入口が騒がしい。

 脱衣所の入り口の扉が壊されんばかりの勢いで開き、中に飛び込んできたのは上半身裸のユアンだった。よく見たら下はタオルだけど、私はそれどころじゃない。

「ア、アマリアさん、待ってぇ!」

 腰を低くして迎撃態勢になったアマリアさんに慌てて縋りつく。触り慣れたこの硬さ、これは筋肉だ。その私を、慣れた衝撃が襲った。

「ママ――!」

 とりあえず吹っ飛んで、なんとか体勢を立て直そうと努力する。なんでユアンがここにいるんだろう。女風呂に入れる年齢は過ぎてしまっているとどうやって説得しようか考えていたけれど、すぐにそんな場合じゃないと気づく。



 ユアンは震えていた。

 濡れた髪からぼたぼたと水を落とし、それと同じくらい涙をいっぱいに溜めた顔を上げる。

「ママ、ママは、ユアンとユリンのママだよね!?」

 咄嗟に返事ができなかった私に、ユアンはぐしゃりと顔を歪めた。

「ママ……? あいつの言うことうそだよね? あいつがうそつきなんだよね? ママは、にせものじゃないよね? ねえ、ママ、うんって言って? ねえ、ママ、おねがい、うんって言って!」

「ユ、ユアン待って、ユアン! あいつとはどいつ!? ツバキ!?」

 一体男風呂で何があったのか。ユアンは必死の形相で私に言い募る。

「ママ、おねがい、ママ、やだ、おいてかないで、ママ! ママはユアンとユリンのママだよね!? うそなんかじゃないよね!? ママ、ママはユアンのこときらいじゃないよね!? ママ、ユアンのこと、め、めいわくだって、きらいだって、ちがうよね!? ねえ、ママ、おねがい、いっしょにいて、いなくならないで、やだ、ママ、やだ、やだぁ!」

 必死に縋っているのに、まるで溺れていくようだ。縋れば縋るほど溺れていく。私は藁のつもりはないけれど、ユアンは溺れないようにと必死に溺れていく。

「ユアン、落ち着く! ユアン!」

「ママ、やだ、ママ! おいてかないで、ユアンをおいていかないで。ママ、ユリンはどこ!? ねえ、ママ、なんでユリンはいないの!? ママはママでしょ!? ねえ、ママ!」

 言葉が届かない。だって、今のユアンには聞く耳がないのだ。私に問うているのに、私の答えを聞く耳がない。本当に溺れている人みたいだ。助けて助けてともがいて、助けの手を弾いてしまう。

 水泳の授業で先生は言った。溺れている人は無我夢中になって何も分からなくなる。ただ助けてほしいと、それだけで頭がいっぱいになってしまっているから、助けに行ったら引きずり込まれて一緒に溺れてしまう。

 だから、先生は言った。


 入口の方で大きな音がして、ばたばたと誰かが走り込んでくる。



『絶対に、一人で助けに行ってはいけませんよ』



「入るぞ!」

「無事か!?」


 私の上で泣きじゃくるユアンの肩越しに、お風呂上りなのに青褪めたルーナとアリスが駆け込んできた。ユアンと同じくタオル一枚かと思いきや、二人はかろうじてズボンは穿いている。アリスちゃんがぴょんぴょんしているのは、ズボン穿きながら走ってきたからだ。濡れた足に無理やり穿こうとすると引っかかる。

 一人じゃユアンを落ち着かせられなくても、三人なら何とかなるはずだ。もしかしたらアマリアさんも手伝ってくれるかもしれない。三人寄れば文殊の知恵。四人寄れば…………何かの知恵!

「失礼」

 アマリアさんの揃えられた掌が、とんっと軽い動作でユアンの首に当たったと同時にユアンの目がぐるりと回った。怖い。どさりと降ってきた全体重に潰されて、ぐえっと変な声が出た。

 ユアンは完全に気を失っている。三人寄った結果、四人目の手刀が解決した。知恵って素晴らしいけれど、とっても重いものだ。そして、アマリアさんかっこいい。

「落ち着かせる必要があると判断しましたので、勝手を致しました。申し訳ありません」

 深々と下げられた頭に、アリスが慌てて手を振る。

「いや、感謝します。こちらこそ止められず申し訳ない」

 丁寧で大人な謝罪を黙って見上げていたけれど、そろそろ助けてくれたら嬉しい。

 どうしようかなと思いながら、とりあえずユアンの濡れた髪を絞っていると、大きなタオルが渡された。ルーナが傍に合ったタオルを渡してくれたらしい。

「ありがとう」

「……そうじゃない」

 ありがたく受け取って、わしゃわしゃとユアンの頭を拭いていたらため息をつかれてタオルとユアンを取り上げられた。身軽になった身体の上にタオルが降ってくる。

「巻いたほうがいい」

 確かに、私はパンツだった。髪を拭いて湿ったタオルをちゃっちゃと腰に巻く。お見苦しいものをお見せしました。

「ユアンはどうしたこ……と…………」

「ああ、ちょっとな。ルーヴァルの王子が勘違いを…………どうした?」

 ユアンを椅子の上に下ろしてタオルの巻を直していたルーナが、私を見て怪訝な顔をする。その声に振り向いたアリスも妙な顔をしていた。



 どうしたのと、聞けない。私はいまどんな顔をしているのだろう。私の視線はルーナに糊付けされたみたいに引っ付いている。その視線を辿ったアリスがはっとなった。

「カズキ、私はユアンを部屋に連れていく。……お手数ですが、案内して頂けますか」

「は…………畏まりました」

 私をちらりと見たアマリアさんは、静かに一礼してユアンを抱き上げたアリスの為に扉を開ける。

「待て、アリスローク。俺は」

「その格好のカズキの相手を私にさせるつもりか。勘弁してくれ。記憶が戻ったお前に殺されるだろうが! ユアンのことは私に任せろ、カズキは頼んだ! ではな!」

 アリスは凄い勢いで背中を向けて出て行った。残されたルーナは、困ったように視線を逸らしたまま濡れた髪を掻き上げる。



「……とにかく、お互い服を着よう」

「……痛かった?」

「え?」

 上着を着ていない剥き出しの上半身には、それがはっきりと残っていた。当たり前だ。消えるはずがない。だって、あんなに、血が。

 外では服装をほとんど乱すことのない騎士だからこそ、肌は白い。その白い肌の上、肩から腰まで斜めに走る大きな傷跡がある。あの時、ヌアブロウに斬られた傷痕だ。

 もう血は出ていない。でも、傷痕はまだこんなにも太い。細く薄くなんてなっていないのだ。傷痕の色は肉の色に近い赤茶色で、周りは爛れたように引き攣っている。

 痛かった? なんて、聞いた自分の馬鹿さ加減に吐き気がする。痛くなかったはずはない。痛かったに決まってる。あの時ルーナはどれだけ痛かっただろう。どれだけ苦しかっただろう。怪我した私をずっと抱いて走ってくれたルーナに、私は何もできなかった。守るどころか、傍にいることすらできず、ルーナは爪を全部剥がされて記憶を失った。


 私の視線の先を辿ったルーナは目を瞬かせて、もう一度私を見る。その水色が、知らない人間を無感情に見下ろしていた時とは違う色で、無性に泣きたくなった。

 ルーナは少し考えて、軽く両手を広げた。

「触るか?」

「え?」

「痛くない。だから、触って確かめてみろ」

 動けずにいると、ルーナの手が動いた。私の手に触れる前に一瞬だけ躊躇って、ゆっくりと握る。その手に引かれて、胸板に手をつけた。

 恐る恐る指で触れた傷痕はつるりとしていた。ここだけ皮膚が新しいからだ。皮膚との繋ぎ目はぼこぼこしているけれど、その一つ一つがやっぱりつるりとしている。肩口から胸の間を通って、脇腹を通り越し、腰骨の近くで止まっていた。

「痛くない。今は寧ろ……くすぐったい」

「ご、ごめん」

 何度も指で往復していたら、そりゃあくすぐったいだろう。慌てて離した手をルーナが掴んだ。手を引かれて肩がルーナの方を向く。

「お前だって、傷がある」

 躊躇うように撫でられた場所には、一本の線がある。痕が薄くなる薬を塗らないかとカイルさんは何度も言ってくれたけれど断った。

 だって、ルーナが縫ってくれたんだ。出来る限り痛みがないように細心の注意を払ってくれた。出来る限り早く済むように額に汗を浮かべて必死になって縫ってくれた。

 ルーナが、いなくなる前に、私の怪我を手当てしてくれた痕だ。だから、消したくなかった。消えてしまわないでほしかった。


 その傷にルーナが触れる。生きているルーナが触れている。

「本当よ。くすぐったい」

 かさついた指が、触れるか触れないかの距離を何度も往復していくから、思わず笑ってしまう。掻きたいような、自分で触って感触を消すのが勿体ないような、胸の中までくすぐったい気分だ。

 ふへっと変な笑いが漏れると、ふっと小さな吐息が降ってきた。

 視線を上げると、ルーナが笑っていた。目尻がちょっと下がって優しい目になる、私の大好きな笑い方だ。

「な? くすぐったいだろ?」

 ルーナが笑ってる。ルーナが、私を見て、私と話して、笑ってくれた。

 泣きたい。けど、笑いたい。ルーナが笑ってくれたのに、私が返すのは泣き顔なんて嫌だ。


『どうか、カズキにとってもそういう人がいますように』


 ありがとう、リリィ。

 ちゃんといるよ。私にも、そういう人ちゃんといてくれるよ。

 それはリリィもそうだし、アリスもそうだし、ユアンもそうだし、ヴィーも、エレナさんも、皆そうだ。誰かが私の言動で笑ってくれたら、こんなに嬉しいことはない。

 その皆に言って回りたい。

 ルーナが笑ってくれたよ。私と話して、笑ってくれたんだよ。



「…………ルーナ」

 どこまで近づいていいのか分からなかった。嫌われるのが怖かった。

 でも、だからといって遠いままなのが一番嫌だ。


 ぎゅっと両手でタオルを握って、勢いよく顔を上げる。

「好きです! 友達よりてお願いします!」

 私にできる精一杯の告白に、ルーナは面食らった顔をした。可愛い。目が大きくなるとちょっと幼くなって昔を思い出す。でも、懐かしがる余裕はなかった。心臓がどこどこうるさい。

「…………ごめん」

 断られた。待って、ルーナ、私諦められないっていうか諦める算段が全くつかないというか算段ってこういうときに使う言葉だっけ日本語さえ怪しいよどうしようどこまでだって喰らいつくつもりだけど断わられた相手にどこまでだったら喰らいついてもストーカーじゃないのか既にストーカーだったらどうしたらいいのかな通報かなどうしようお巡りさん私です。

 ぶわっと頭の中を流れていった思考の末路は、パトカーに乗り込む私だった。間違えた、馬車だ、馬車にするべきだと、呆然としたままイメージを修正していた私の手をルーナが取った。手錠ですか?

「俺から言うべきだった」

「……囚人ですか」

「…………何でだ?」

 鉄馬車の中で揺られる自分を想像したけれど、どうやら違うらしい。よかった。

「記憶を無くした俺が馴れ馴れしくするのはどうかと思ったし、無くしても特に問題がないと思っていた。それでいいと思っていたが……カズキ、俺の無くしたお前との記憶を、教えてくれないか」

 ルーナの言葉を頭の中で咀嚼して、繋がれた手を見て、顔を見て、もう一回手を見た辺りでようやく理解できて、慌てて握り返す。

「ど、どこまでだって生々しくて大丈夫よ! どんどん多大に生々しくお願いします!」

「馴れ馴れしく頼む。それと、そろそろ服を着たいし、何より着てほしい」

 自然に視線を逸らして壁を見たルーナに、そういえば下着だったと思い出す。

 今さらだけど、ここが可愛らしさの見せ所かもしれない。

 私は胸の前でばってんを作り、すぅっと息を吸った。きゃあ、だ。きゃあーと可愛くいこう。

「へぶし!」

 しかし、飛び出したのはくしゃみで、飛び出て消えたのが可愛らしさだ。鼻水が垂れた。

 可愛らしさは諦めて、大人しく服を着たほうがよさそうである。



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