50.神様、白い輝きは少し早すぎます
「ママ――! みて、ユアンがつくったんだよ! ママ、ママ、みて!」
「ふぐっ!」
皆が出て行くと同時にユアンがベッドに突っ込んできた。全員と言われたけどユアンは普通に残った。誰も何も言わなかったので、ユアンも仲間外れ仲間だ。
どっかんと効果音が尽きそうな勢いで飛びついてきたユアンの衝撃でベッドが揺れる。後、私の頭と視界と思考も揺れた。私の頭に盛大なダメージを齎してくれた張本人は、くしゃくしゃの折り鶴らしき物を嬉しそうに握りしめて目の前に突き出している。その彼に言える言葉はこれしかない。
「ユアンはすさまじいよ、よき子どもよ」
「えへへー。ママ、いいこいいこして。ママ、ねえ、ユアンすごいでしょ?」
このきらきら輝く瞳を前に、褒めずにいられる人間などいるものか。
掛布から出たままになっていた腕を持ち上げて頭を撫でると、ユアンは照れくさそうに身を捩って笑った。
『予断は許さん状況だが、ユリンも一命を取り留めた』
部屋を出ていく前に、ユアンに聞こえないよう耳元にそう言い置いていったアリスの言葉を思い出しながら、嬉しそうに笑うユアンを見る。
「ユリンにもおしえてあげるんだよ! でも、ユリンおそいね。どこいっちゃったのかな」
嬉しい情報なのに、何も知らされていないユアンが悲しい。無邪気に微笑む彼に伝えるには、せめてユリンの容態が安定しないと難しい。
「そうだの」
「の?」
「にょ?」
「にょ」
「にょーん」
「にょにょーん!」
首を傾げながら、くすくす笑う姿が幸せそうなのが救いだ。
撫でる手に嬉しそうにすり寄ってくる様がまた可愛い。
「ママ、ママ」
「はーい」
丸い頭は、髪の毛もさらさらで気持ちいい。羨ましい。
「ママの髪、きらきらしててきれいね」
髪の毛を羨ましがっていたら、私の髪も褒められた。嬉しい。天使の輪っかがあるのだろうか。
ユアンはまるで猿の毛づくろいみたいに私の髪を選り分けて、一本摘まみ上げた。
「まっしろで、きらきらしたのがあるよ!」
白髪――!
ちょっとこれは手厳しい。めそめそせずにはいられない。十代なのに登場した白髪の存在に私は涙を飲み、抜いてくれるようユアンに頼んだ。
人生初白髪を眺めて涙していると、隣の部屋から何かが割れる音がした。
「ふざけるな!」
そう叫ぶ声が壁を貫いてきて、ユアンはびくりと震えて私のベッドに潜り込んで隠れた。ぎゅうぎゅうしがみついてくるユアンに絞られながら、私も驚いて壁を見つめる。
だって、今の声はリリィだった。
「…………ママ、いまの、リリィ?」
「その、ようよ」
リリィのあんな声、聞いたことがない。
「リリィ……?」
「ママ、ママ、リリィどうしたの? リリィおこってるの?」
不安そうにしがみついてくるユアンの頭を撫で、必死に身体を起こす。頭と視界がぐあんぐあん揺れる。上半身を起こして一旦揺れが収まるのを待ち、ベッドの横に腰掛けて再び待つ。頭痛い。後、寒い。
かたかた震えながら立ち上がる。身体は火照っているのに寒い。でも、上着が見当たらないので諦めて一歩踏み出した私に、ベッドから飛び出してきたユアンがしがみついた。不安がっているからか、そぉっと引っ付いてきてくれたおかげで吹き飛ばされずに済んだ。それどころか、支えになってくれている。ありがたい。
ユアンに引っ付いて、そろりと廊下に出る。廊下の空気がひんやり感じるのは、私の熱が高いからか、単にここが地下だからか。
自然と下がる視線の先で、自分の素足が見えた。しまった裸足だ。でも、靴もなかった気がする。いや、探せばあったのかもしれない。
身嗜みも裸足も、なんだかもうどうでもよくて、隣の部屋の前に座り込む。頭痛い。
ママと呼びかけたユアンの口に掌を重ねる。残った手は人差し指を立てて、自分の口につける。ユアンはすぐに分かってくれた。自分の人差し指も立てて、しーっと息を吐く。
それに頷いて、ひたりと扉に耳をつける。何せ相手は軍士に騎士に自警団。気配に敏感そうである。
幸いと言っていいのかどうか分からないけれど、リリィの声に気を取られているらしく誰にも気づかれていない。それほど、リリィが激昂しているのだけど。
「絶対駄目。許さない。追い返せ!」
リリィが怒っている。ユアンが脅えて私にしがみついた。
リリィ、リリィ、どうしたの。リリィ。
「ガリザザにカズキは渡さない!」
聞こえてきた言葉を咀嚼して、理解するまでにちょっと時間がいった。
「……どちらにしても今はカズキを動かすことは出来ないよ。何が何でも本隊がつくまで時間を稼ぐ。ネイ、自警団全部出して」
リリィにしては随分乱暴な勢いで扉が開く。そして、張り付いていた私と目が合って、リリィは動揺を顕わに息を飲んだ。
「…………カズキ」
「は、話は盗み聞きさせて頂いたよ!」
「…………正直だね。聞かせてもらったでいいと思うよ」
リリィが困ったように眉根を下げる。それに対して私は口角を上げてへらりと笑う。
「説明、お願いしても宜しい?」
「…………嫌だ」
「そこをなんとしても」
「…………嫌だ」
床にしゃがみ込んでいる私からは、俯いて唇を噛み締めるリリィの顔を覗きこめる。下から覗きこんだら、リリィは顔を背けた。ショックを受けそうだったけど、自分の様子を見直すと、ホラーの如く髪を垂らして下から見上げていたのだ。それは逸らされるだろう。
納得して、髪を耳にかける。今更気づいたけど、頬に何か貼られていた。傷の手当てをされていたらしい。痕残らないといいなぁ。
「リーリア、お願い」
「…………それ、ずるいよ、カズキ」
「申し訳ございません!」
「そこで笑顔なのも、ずるいよ」
リリィはくしゃりと顔を歪めて私に抱きついた。いつもは温かいリリィの身体が冷たくなっている。けれど、今は私がほっかほかだからちょうどいい。
「ママ、ユアンもおんぶ」
ユアンがぺたりと私の背中に張り付いてきて、支えきれず三人で潰れた。
病は気から。
何が何でもルーナの心にくらいついてやると心を奮い立たせたのが効いたのか、純粋に薬が効いたのかは分からないが、なんとか微熱まで下がった状態で、アリスに乗せてもらった馬でかっ飛ばす事丸一日。
さらさらとしていた風がねっとりと湿り気を帯び、段々と増してくる磯の香りで海が近いことが分かる。
小高い丘の上で一団は唐突に馬を止めた。
首を傾げる間もなく響き渡る轟音に、凭れているアリスが身体を酷く強張らせる。パニックになりかけた馬を宥めながら、音が響くたびに宥める人達自身が身を竦めていた。
「ママ……」
突然走り出してもおかしくないほど脅える馬から一旦降りた私にユアンが走り寄ってくる。その手を繋いで、私は空を見上げた。眩しい眩しい太陽だ。
「ママ……あれ、なぁに?」
[…………なんだろうね]
「ママ?」
[……本当に、なんで、あるんだろうね]
太陽の横にゆらゆらと揺れる物がなければ、いっそ感動するほど美しい青空だった。
長く途切れなかったロヌスターの嵐が、突如として掻き消えた。それはまるでシャボン玉が弾けるように唐突で、嵐があった事実が信じられなくなる程綺麗さっぱり消え失せたのだという。
それに首を傾げながらも、焦らされ続けたガリザザの軍はロヌスターに上陸しようとした。
晴れ渡った空に響き渡る轟音と、あり得るはずのない景色が現れなければ。
ロヌスターを囲んで陣を組んでいるのは南の守護伯が率いる一団と、そこに散った騎士と軍士だ。だが、圧倒的に数が足りない。対するガリザザ軍は、沖に停泊している船の数だけでこちらの人数を超えているんじゃないだろうか……ちょっと盛り過ぎたけれど、それだけの船がいるのが遠眼鏡で確認できた。
嵐が留めていてくれて本当に良かった。あんなのに上陸されていたら混乱を極めたブルドゥスもグラースも、あっという間に飲み込まれていただろう。
陣の中で、皆の視線が私を見ている。その視線に焼かれながら、ヴィーの言葉が私の背を押してくれる。
『笑顔よ』
分かってる、分かってるよ、ヴィー。ありがとう。
私は笑顔を浮かべて、しっかりと地面を踏みしめて皆の前を歩いた。
案内された部屋に入り、まずは今日もつるりと輝く人と再会を喜ぶ。
「ギニアス隊長!」
「カズキ、互いに命あることが喜ばしいぞ」
少しやつれた隊長は、それでも目尻に皺を寄せて喜んでくれる。両手をぎゅっと握りしめて視線を合わせ、私はへらりと笑った。
しかし、再会を喜び合う時間はあまりない。
今まであえて視界に入れずにいた、どっかりと椅子に座る人物に顔を向ける。ワインレッド色の髪を揺らして、彼はひょいっと親しげに手を上げた。
「よお、カズキ。満身創痍だな」
「…………ゼフェカ」
「ツバキだってぇの」
見たことのない服を着たツバキに私達の冷たい視線が投げられるが、彼はちっとも気にしないらしい。上半身は何枚か色の違う布を重ねて編んだような服で、腰から下は色んな飾りのついた帯から垂らした長い布で覆っている。ちょっと、インドとかエジプトとかモンゴルとか、なんかその辺りっぽい服装のような気がするけど、詳しくは知らないので何とも言えない。とりあえず、刺繍が凄いのは分かった。
ツバキは、両手を横にしたまま平行に重ねた不思議な礼をした。
「ガリザザ帝国第四皇子ディナスト様の遣いとして参った私に、返答を頂けますか?」
黒曜様、と、吊り上げた口角でそう言ったツバキが腹立たしい。
「あの子どもを置き去りに致した、どちらの口が申すの」
ヒューハ達が抜け、一部、英霊が眠る石碑の前で自害、した、ヌアブロウの一団は城を捨ててここロヌスターに逃げ込んだ。城にツバキの姿はなく、城にはただ一人、担ぎ上げられた少女が残された。
彼女の父親であるドレン・ザイールは北の国境を超えようとしたところを北の守護伯に捕らえられたという。彼はそうして全てを白状した。スヤマと名乗る彼女は、生まれてからずっと幽閉されていた齢十二の女の子だと。
利用するだけ利用して、用が無くなれば置き去りだ。ツバキも、ドレン・ザイールも、勝手にも程がある。
ツバキはさっきの畏まった体勢をすぐに崩して、ひょいっと肩を竦めた。
「俺も彼女も、お互いの利益の為に手を結んだんだ。あいつは黒曜として城にいたい、俺はブルドゥスを混乱させたい。俺は別にあいつを裏切ってはいないぞ。寧ろ献身的に協力してきたさ」
悪びれず笑顔さえ浮かべているツバキに怒りを浮かべるべきだろう。
だけど、握りしめた掌に力を込めてそれを流す。彼女は、王都に戻ってくるエレナさんに預けられると聞いた。たぶん、ツバキに連れていかれるよりそっちの方がいい。
誰の罪がどう裁かれるのか、そもそも、何をどう罪とするのか。何も決まっていない。罪の在り処がどこになるか、罪の発端を何と定めるのか。全てこれから決まっていくのだ。
罪を裁くか、元凶を罪とするか。何を元凶とするか、それは個人か制度か個のない多数か。
時間がいる。見てみぬふりをされてきた問題が噴出したいま、どうあったって混乱する。どれだけ皆が頑張っても、次から次へと絡まっていく。
だから、時間が、必要なのだ。
「ツバキ」
出来るだけ高圧的に、アリスに翻訳してもらった台詞を紡ぐ。
「私、ブルドゥスもグラースも損なわせるのは、嫌。故に、ガリザザに、行ってあげる」
やっと、私に出来ることを見つけた。
今まで蓋をされてきた見たくないものを開けて、率先して泥の中に飛び込んで前に進もうとしている人達がいる。その彼らの見る景色の中にいま、ガリザザは要らない。いつか対峙しなければならないかもしれないけど、いまは誰もが手一杯だ。
ガリザザは嵐で足止めを食い過ぎた。幾ら大砲があろうとも、各地に散った兵が終結すれば、泥試合では済まなくなる。
だが、長く危険な航海を得て手ぶらでは帰れない。
だから、黒曜を連れて帰る。
この部屋の中にいるガリザザの人間はツバキだけじゃない。
彼らの目が私を量る。こんな女に価値があるのかと。こんな物を連れ帰ったところで手ぶらと変わらないのではないか。
だから、私は笑う。ちょっと勢いつけすぎてどや顔になったような気もするけれど、まあいいや。
ゆったりと人差し指を窓に向ける。
「空を、落下させようか?」
弾かれたように皆の視線が空に向けられた。
そこに浮かぶのは、ここにあるはずのない物。
聳え立つビル群だ。
ぐるりと景色が変わり映し出されたのは飛行機が飛び立つその瞬間だった。一拍遅れて轟音が鳴り響く。ごおごおと、鉄の塊が空に飛び立つその音が、この世界に響き渡る。
この世界にあるはずのない景色。聞こえるはずのない音。
それがいま、ロヌスターの空を覆っていた。
おお、と恐れるような慄きが部屋を見たし、私を見る目が今度は化け物みたいになった。
それにも、当然どや顔で返しておいた。
「おい、やめろ。人が必死で探してやっと見つけた物を勝手に使うな」
いつになく真剣な顔をして、少し早口になったツバキに笑顔と視線だけを返す。下手に喋るよりよっぽど効果的らしく、ツバキは舌打ちした。
「俺は散々探したんだぜ。あんたらをここに連れてきた、あの石を。あんたが現れた道の地下水路、痕跡でもないかとミガンダまで探した。まさか海まで流れ着いてるなんて思うかよ。…………あんたは、あれを使いこなせるのか?」
「ツバキには、関係なきことよ」
渾身の笑顔を張り付けて、そう言い切る。
「……余計なことしやがったら、ルーナに薬渡さねぇぞ」
「ツバキも、余計なこと、しやがらないほうが宜しいよ」
その手の中にちらつかされる丸薬を見て、思わず殴りつけたくなる。
それは、大陸で使われている麻薬のようなものだ。飲んでも高揚感などは得られないのに、切れると平衡感覚を失って立つことも叶わなくなり、水も食事もとれなくなり、最後には衰弱死してしまうという、悪魔みたいな薬だ。捕えた人間を逃がさないようにする、鎖よりも卑怯な手段だ。
人差し指の先程の小さな丸薬。これがないと、今のルーナは生きていけない。
こんなもの薬じゃない。ただの毒だ。
「ルーナなぁ……ああも面倒だなんて思わねぇじゃん。ヌアブロウに記憶消してほしいって言われたからさ、せっかく死にかけで弱ってるから効きやすいと思って香で弄ってみたけど効かねぇし、かといってちょっと拷問したら弱ってるから一回本当に死ぬし。スヤマが泣くから必死に蘇生させたらさせたで、やっぱり香効かねぇし。もう手間にも程がある。香の大国の名が泣くわ」
本当にめんどくさそうに肩を竦める軽口が吐くには、内容が釣り合わない。
怒鳴り出さないよう奥歯を噛み締める。
そんな私をひょいっと指さして、ツバキは笑った。
「あんたをあっちに帰してやれる方法があるぜって言ったら、ようやく心揺れたみたいでやっとまじないかかったんだよ。さすが黒曜様、あんたのおかげだ。……まあ、あんたのことを忘れさせようとしたら自分含めて全部忘れたのは予想外だったけどな」
視界が真っ赤に点滅する。ちかちかと切れかけの電球みたいに光りながら何かが焼き切れていく。高熱が出ていた時より熱い。この熱さで、大事なものを燃やせるほど、制御も出来ない熱が暴走していく。
ああ、激怒ってこういうことだ。
指の関節が軋む程握りしめていた拳が、拳のまま包み込まれた。身体の陰で他からは見えないけれど、アリスの手が私の拳を握り込んでいる。
アリス、意外と手が大きいね。そんな関係ないことが頭に浮かんで、そんなことを考えられる自分に、少し安堵した。
「ツバキ」
怒りを全部顔面への力にする。
怒ったって、人は笑える。笑おうと思えば、どんな場面でだって笑える。
そして、笑顔は武器にだってなるのだ。
視線を向けた先で空の景色がぐるぐると変わっていく。
「私、怒ると、それなりに、恐ろしいよ」
「…………ああ、そうかい。俺もだよ」
口角を吊り上げたツバキに、私も同じ顔を返した。




