5.神様、ちょっと一言物申したく存じます
娼館の朝は早い。
というより、一日中稼働しているといって過言ではない。夜は勿論、宵越しの仕事の後片付けが朝から始まる。
「カズキー、これも洗ってー」
「カズキー、あたしのワンピ知らない? あの薄紅のワンピー」
「カズキー、これボタンとれちゃったぁ」
「カズキー、ああん! これ洗っちゃったの? まだ着れたのにぃ」
様々な年齢の女性陣が、きゃあきゃあ言いながら通り過ぎていく。彼女達は今から眠るのだ。毎日お仕事お疲れ様です。でも。
「着衣着用乱れは心の臓の乱れにょろ――!」
お客さんのこない、いわゆる舞台裏だとしてもいろいろ丸出しなのはどうだろう!
繊細なレース仕立ての下着を丁寧に洗っては干して、なんとかれこれ三時間。
桶の水を変えても変えてもおっつかない。まずはブラジャー、次にパンツ、そんでもってガーター、と思えばタイツ、晩を持してキャミソール。他にもいろいろ、どう着用するかも分からない物が、ほらはよ洗えといわんばかりに鎮座している。
へーへー、洗いますよ。それが私のお仕事ですからね。仕事はきっちりやりますとも。
洗濯機を使わない洗濯には慣れている。繊細なレースを崩さないようにというのは気を使うものの、以前はむさ苦しい男共の臭い固い厚い生地の軍服やら練習着やらを洗わなくてはいけなかったことに比べたら。もう天と地。月とすっぽん。果汁100%と果汁1%の香料入り。
ここで働き始めて既に十日。
生活リズムもそれなりに掴めてきた。
最初は、娼館ということもあってちょっと色々動揺した。けれど、生活が伴った職場の裏方雑用なんて、基本的にはどこも変わらないと気づいてからは、すとんっといろんなことが楽になった気がする。
だって、世界が違っても国が違っても身分が違っても、人は食べて眠って暮らすのだ。そこに文明を混ぜ込むと、洗濯して掃除して心地よさをプラス。娯楽を交えるなら花を飾って細工物を置いたらいい。そしたらまた掃除して、ご飯を食べて、お風呂に入って寝る。
世界が違って、国が違って、文化が違っても、やってることは日本と同じだ。
それに私には一年の下地があるのだ。洗濯だって出来るし(以前と違う洗い物で、繊細さに欠けるとしてかなり訂正されたが)、料理だって出来るし(何でもかんでも大鍋にぶちこんで煮ればOK! では駄目だと修正されたが)、掃除だって出来る(とりあえず蛆さえ沸かなきゃいいし、通路は通れりゃいいんだよ! でいいわけないんだよ! で鍛え直されたが)のだ!
うん、駄目駄目だ!
そして、どうでもいい豆知識が増えた。ガーターは、パンツをはいてから着用するんじゃなくて、ガーターの次にパンツ着用だ。
男の巣窟と女の園では、色々なものが違いすぎる。まず匂いからして違う。こっちは香りで、あっちは臭いだ。
厚くて汚くて固くて臭くて代わり映えのしない軍服(ルーナのは別。寧ろ嬉しかった)と、レースの可愛くて色も種類も豊富な洗濯物は、たとえ下着でもわりと楽しかったりする。軽いし。
桶の水を捨てながら、ずっと同じ体勢で凝ってしまった身体を解そうと伸びをしていると、ここ数日で聞き慣れた声に呼ばれた。
リリィだ。
いつもと同じように左右に分けた三つ編みを揺らして、いつも忙しそうだ。けど、こうやってちょこちょこ私のことを気にかけてくれる。可愛い。
「カズキ」
「リリィ、どうしたにょろ?」
「…………カズキがどうしたの?」
小柄な身体で、今日も何本もの巻物と書類の束を抱えたリリィを見つけて、渡り廊下に駆け寄る。
「何でにょろ?」
「ぞろでは面妖だがの見解を頂戴したにょろ」
「にょろのほうが変だと思うよ?」
「え!?」
こてんと傾いた拍子に三つ編みが揺れる。これがまた可愛い。
うう、それにしても言葉って本当に難しい。
しょんぼりしている私に、リリィは、あ、と小さく声を上げて何やらごそごそとしている。どうやらポケットから何かを取り出そうとしているようだ。慌てて彼女の荷物を持つ。
う……意外と重い。巻物も書類もだけど、紙って結構重いよね。
「ありがとう。あ、あった。はい、これ」
「ん? これぞ何ぞにょ?」
「語尾がどんどん凄いことになっていくね」
リリィが取り出したのは、掌より小さめの貝だ。ホタテのような貝殻には、染料で模様が描かれている。何これ可愛い。
「塗り薬。洗い物は手が荒れるから。無くなったら言って」
荷物と交換するように渡されたけど、こんな重い荷物を自分より小さな女の子に返すのも気が引けて、少し持つことにした。
「補給援軍してやるにょろり」
「ありがとう」
「で、塗る薬、一体全体どこのどいつに補給するがいいさ?」
「…………どこから訂正したらいいか分からないけど、カズキだよ?」
私の存在を訂正!? そんな殺生な!
リリィは、私を指した指をくるりと方向を変えて掌に向けた。
「カズキが使うんだよ? 荒れるでしょ?」
「私ぞろり!?」
「ぞろり?」
「誠に私如き若輩者が、このような愛らしき造形物であるを、この手にすることができやがっていることが大丈夫!?」
「うん、カズキが大丈夫?」
なんてことだろう!
こんなに可愛くて女子力が上がりそうなものを、この世界で私が手にしていいとは!思い返せば、近場にそういったお店がなかったのもあるけれど、女子力の『˝』くらいも存在しなかったのに!
「ま、誠に私ぞの所有物となりて!?」
こくりと頷く頭が丸くて可愛い。
「使って?」
「あ、ありがとう、リリィ! 大好きにょろぞん!」
「語尾がなかったら完璧だったね」
荷物があったから抱きつけなかったけど、私の心は晴れ模様!
リリィについて部屋まで歩く間も、そわそわは隠しきれない。
「桃の香りにしてみた」
「おなご如き匂いであるで、よきことにょんぞり」
「……女の子っぽくていいね?」
「それ! それぞり!」
「いらないの混ざってる」
「ぞり!」
「そっち残しちゃったの?」
「ぞろりにょろ……」
自分の残念度合いにしょんぼりだ。
リリィの仕事部屋は、色々曲がりくねった先にある。今までも何回かこうやってお邪魔したけど一向に場所が覚えられないのは、別に私が方向音痴な訳じゃない。そもそもこの娼館は、通りから少々奥まった場所にある上に、細くうねったように通路が重なって、よく分からない。
「ありがとう」
「にょろぞん」
「どんどんかけ離れていくね」
「ぞにょ……」
あまり飾りっ気のない部屋の左側にある応接セットがあるも、テーブルどころかソファーまで書類が占拠しているところを見ると、あまり使ってないらしい。書類と巻物で埋もれているのはそこだけではなく、窓際にある仕事机も同じだ。小柄なリリィが椅子に座ると、入口側から彼女は見えなくなる。
「リリィ、質問承諾宜しくぞよね」
「いいよ?」
こてんと倒れた首がやっぱり可愛い。これ私もやってみたいな。
「リリィ、何故にして私だわよの、先輩やっぱりこいつ怪しいっすよの女の子っぽくっていいね連行しろした?」
これは最初から聞いてみたかった。
だって、言葉も不自由っていうか珍妙で、身元もはっきりしない私に声をかけてくれただけじゃなくて、寝床もご飯も仕事もくれたのだ。娼館だって聞いてびっくりしたけど、裏方仕事は本当にそれだけで、如何わしいことを強要されたりもしない。需要ないと思われてるだけだったらどうしよう!
本棚に向かっていたリリィは、一拍置くと、妙に思いつめた顔で私の前まで歩いてくる。
「カズキ……」
「何事かにょ?」
「話の内容はともかくとして、まずはいろいろ訂正しよう?」
なんともいえない顔で肩ぽんされた。
そんなに珍妙だったのか、私の言葉遣い。リリィの優しさが痛い。けど、リリィ可愛い。
私も首こてんやってみよう。
………………ごきゅりって鳴った。そういや肩凝ってた。
はっ! これが若者と年寄りの差!?
リリィは、買い物があるからと私を連れて街まで繰り出した。リリィは毎日どこかに出かけているが、私にとってはこの世界に来た日以来の外出だ。
以前は前線だったことと、ここがブルドゥスの首都で更に城下街なこともあって、印象ががらりと違う。道はしっかり整備され、色とりどりのタイルが美しい紋様を描いて埋め込まれている。
馬車はこの通りを使わない決まりがあるらしく、一本向こうの道には結構な頻度で馬車が行き来しているのが見えた。きっとタイルが割れるからだろう。街も戦場も荒野も、何でもかんでも馬が駆け抜け、馬で駆け抜けたたイメージしかないから、ちょっと驚いた。
そして、ブルドゥスの服は可愛い。グラースの服はどっちかというとカッコいい系だ。
ふんわりと生地を大目に使ったスカートとか、超可愛い。色も鮮やか……いや、これはきっとグラースもそうだったのだろう。私の周りに男しかいなかっただけで!
ちくしょう!
現在は、リリィに連れられて目に眩しい心に楽しい装飾品店にお邪魔している。お店の女の子達はお客さん達からいろんな装飾品を貰うけど、それは貰ったお客さんの前でだけつける決まりなんだそうだ。そういうのを一人一人覚えるのって大変だと思うけど、そうしないとお客さん同士で喧嘩になったり色々めんどくさいことになる、そうだ。
それに、まだ常連のお客さんがついていない女の子もいる。そういった子達も、毎度毎度同じ服や飾りでお店に出る訳にはいかないので、こうやって店から支給している、そうだ。
全部リリィから聞いた受け売りだ。しかも、今さっき。
髪飾りから首飾り、耳飾りから足飾りまで、つまり上から下まで取り揃えた装飾品店は、表通りに店を為す大店だ。恐ろしいのは、値札が出ていない事。どこの世界でも高級店の恐ろしさは変わらない。一庶民には身が縮みあがりますとも。
リリィは奥まった場所で店長といろいろ話している。じゃあ、それを五個とか、それはいらない、とかだ。リリィが店に現れたら、店員が奥まで店長を呼びに行く様子からして、きっとお得意様なのだろう。そりゃあ、定期的に一定数購入下さるお客様は大変ありがたい。
きらきら眩しい色とりどりの宝石を見ていると、いつの間に商談を終えたのか、リリィが横で一緒に覗き込んでいた。
「うわぁ!?」
「何か欲しいのあったの? 買おうか?」
「とんでもないぜこのやろう!?」
「前から思ってたけど、カズキ単語覚えるとき、その台詞全部覚えちゃったでしょ」
う!どこが単語か分からないときに、丸暗記してたのがばれた。
ルーナにも同じこと言われたな。
戦闘に出る皆を見送っていると、新兵さんが「情けないけど戦場に出るのが怖いから、家から送り出すみたいに言ってもらえませんか」と言ってきたときがあった。
だから、街に出た時に覚えた言葉を言ったら、新兵さんは真っ赤になるわ、周囲は大爆笑するわ、詰所の窓からルーナが飛び降りてきて雷落としていくわで大変だった。以降二度と言わせてもらえなかったけど、あれ何だったんだろう。
「リリィ、あの、一個尋ねるするだわ?」
「時々女性言葉が混じりだしたね。いいよ、何?」
「あの、女が男見送るしたぞり吐く言葉」
店員さんが耳をトントンしてる。リリィはちょっと考えた。
「女性が男性を見送るときに言う言葉?」
「そうぞり! じゃなかった、ぞり!」
「そっちじゃないよ?」
こてんが可愛い。店員さんもこてんしてる。けどそれ、反対側の耳をトントンしてるだけですよね。
「そう! えーと、『いってらっしゃいませ、あなた。浮気しちゃいやよ? 帰ってきたら子ども作りましょうね』と言うなりは、珍妙なるだわ? 言うは、怒髪天な言葉だりょ?」
結局意味を聞けずじまいだったが、街に出た時に、女性が旦那さんらしき人を家から見送る時に使っていたから、この世界では一般的な見送り言葉だと思っていたのに。
「えーと、カズキはそれ、誰に言ったの? 恋人とか伴侶?」
「はんりょ…………」
「あ、えーと、夫、夫妻または夫婦の男性側、旦那」
連ねられた言葉に知っている単語を見つけて、納得した。
「ああ、然り了承なさいました。えーと、はんりょ、異なる様がありてにょろぞんよ」
「違う人に言ったの?」
「然りなりて」
「…………もしかしてカズキ、恋人の前で違う人にそれ言ったの?」
「ええ!? リリィ、何故にして私如きが恋人の存在を仄めかしていたとご存じでいらっしゃったぞんりょろりだわさ!?」
慌てすぎて声が大きくなった。あれ? 店長さんや他の店員さん、終いには他のお客さんも耳をトントンしてらっしゃる!
違うんです! おかしいのは貴方々の耳ではなく、この私だぁ!
ちょっとしょげそう。
「えーとね、カズキ?」
ぽりぽりと頬を掻いているリリィが、一つ一つ説明してくれたおかげで、私は心の中でルーナに土下座した。
ついでに、この世界に来て初めて聞いた見送りの言葉がそれだったことについては、神様に物申したい気持ちでいっぱいだよ!
ちくしょう!