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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第二章:奮闘
45/100

45.神様、少し信頼してもらえました

 ウルタ砦の造りは、なんだかんだでミガンダと似ていた。周りはぐるりと深い堀が囲っているし、鼠返しみたいにせり返す壁に、あっちこっちににょきにょき伸びた物見の塔。分厚い壁に直接開けられ、外側は細く内側は広く作られた弓射穴。穴は台形だったり三角だったりしているけれど、どれも先に行くほど細くなっているのは、反対側から射られにくくするためだ。


 それを覗き込んだり、梯子を登って物見の塔から下を覗きこんでいる私の首根っこをアリスちゃんが押さえてくれる。支えがある事に安心して更に身を乗り出したら、強引に引っ張り戻されてチョップの嵐を頂いた。

「そういえば、いいのか?」

「何ぞ?」

「何が、だ。飲酒はできないとおじ上に断ってなかったか?」

「重大深刻な規則違反故に、どうか内密に懇願……内密にお願いじょ」

 しーっと唇に指を当てて秘密にするようお願いしたら、ノリよく返してくれたのはユリンだけだった。

 


 砦内を上から眺めると、たくさんの人が忙しなく動いているのが見える。中には女性もいた。女性達は周辺の町や村から手伝いに来てくれているのだ。死ぬかもしれないことを覚悟している人だけが集められているという。若い女性より、ちょっと年配の方が多い。

 籠いっぱいの芋を抱えて運んでいる女性の一人がこっちに気付いて、にっこり笑ってくれた。籠を下ろしてきゃーきゃー手を振ってくれる。

「きゃー! アードルゲの若様――!」

 ちょっと年配でも、黄色い悲鳴に年は関係ない。

 うっかり手を振り返さなくてよかった。これはあれだ。前から来た人の挨拶に答えたら後ろの人にしていたパターンだ。ただでさえ恥塗れなのに、余計な恥をかく必要はない。ただでさえ恥塗れなのに…………あれ? 今更一つや二つ増えても何も問題ないんじゃなかろうか。

 アリスちゃんはひらりと手を振っただけで、大層クールだった。


 いいなぁ、私も女性とお知り合いになりたい。友達になりたい。

 寂しい思いで手摺に顎を置いて下を見ていると、年嵩の女性が豊かなお腹を揺らして私に気付いてくれた。

「黒曜様――! ご機嫌如何――!?」

「じょ――!」

 嬉しさのあまりちょっと変な返事になった。はーいって言おうとしたのだといい訳させてほしい。また余計な恥を背負ってしまった。

 けれど、女性達がどっと笑ってくれたので、まあいいや。

「黒曜様――! 今日もお元気そうで何より――!」

「みにゃさんも――!」

「なですよ、な――!」

「みなちゃんも――!」

「あれまあ! この年でそんな可愛い呼び方してもらえるなんてね!」

 やんややんやと盛り上がっている中にいる方は、どうやらミーナさんというらしい。

「ミーニャさ―ん! 本日もお元気――!?」

「は―い、元気ですよ――! 黒曜様もご機嫌麗しゅう!」

「うるわぴゅ――!」

 ぶんぶん両手を振っていると、比較的若い年齢の女性と目があった。三十歳くらいだろうか。女性は私を見てにこりと笑い、静かに頭を下げた。

 慌てて私も下げて手摺に額を強打する。痛かった。




 偵察からの定期連絡では、恐らく今日の昼頃には反乱軍が遠眼鏡で確認できる距離に来るだろうとの事だ。

 みんな出来る限りいつも通りにしようとしている。それでもどこか緊迫感が漂う。いつもより笑顔が多いのが、逆に不自然だ。

 みんな忙しそうにしているのに、特に出来ることがない私は、邪魔にならないよう端切れでアメフレ坊主を制作している。

 恐らく爆弾が使われるだろうことは作戦会議で何度も言われていた。作戦会議と言っても、騎士代表と軍士代表、そしてカイリさんとヴィーが話し合っている横に座って、意見を求められた時に答えるだけだけど。

 いま王都を占拠している反乱軍とガリザザ軍より、こちらの方が圧倒的に数は多い。けれどそれは、そちら側に属していない騎士と軍士という単純な数だけ見た結果だ。こちら側の隊は東西南北の守護伯の所に散っているだけでなく、未だ動かない人達も多い。

 国に見切りをつけた。そう言って王都を離れた人達だ。彼らが動かなければ、王都奪還は難しい。

 そして、カイリさん達が何より不思議がっていたのは、どうしてこの方向を攻めてきたのかということだった。代々の守護伯が建ててきた砦は、グラース側から攻めやすい場所に建てられてきた。当然背後から攻められることは想定しておらず、グラース側から攻めにくい場所に砦はなく、撃退用の細工もされていない。そこを狙って拠点を張ればいいものを、何故馬鹿正直にこの辺りでは最も強固とされているウルタ砦を狙ったのか。カイリさん達がウルタ砦を拠点としたのは、彼等の動きがここを目指していたからだ。もしも彼らがそのまま町を目指していたのなら、躊躇いなく町の前に陣を張っただろう。

 密偵によれば、ゼフェカは王都の地下水路も掘り返しているのだという。『反乱軍』の残党狩りが名目らしいけれど、色んな箇所を強引に打ち壊しているので住人達からは不満と不信が溢れだしている。偽黒への信頼が必要な時にそんなことをしていいのだろうか。




 沖合では嵐が停滞しているようだし、その雨がこっちに来てほしい。でも、嵐はそのまま停滞していてほしい。

 アリスちゃん達は奇妙なものを見る目で見ていたけれど、テルテル坊主を説明し、引っくり返してアメフレ坊主にしたら、もっと作れと真顔で言われた。子どものおまじないでも、やらないよりはましだと。私もそう思う。


「完成!」

 四つ目のアメフレ坊主が完成して手を上げたら、ユアンに当たった。

「ご、ごめんじょ」

「俺に触るな!」

 突き飛ばされて、壁にぶつかる寸前にアリスが手を差し入れてくれた。

「あ、ありがとう、アリス。ユアン、ごめんじょ!」

「うるさい!」

「ごめんじょ――……」

 小声で言っても怒られた。これは腹話術を練習するべきかもしれない。

 心底嫌そうな顔をして、私が当たってしまった場所を払っているユアンにもう一度謝る。

「ユアン、ごめんじょ!」

「カズキ、ごめん!」

「私がごめんじょ!」

 申し訳なさそうに謝ったユリンに慌てて謝ると、ユアンが怒鳴った。

「ユリン! 女なんかに頭下げるな!」

「愚弟が迷惑かけたんだから謝るのが当然でしょう!」

「女みたいな喋り方すんなって言ってるだろ!」

 今日のユリンはユアンと同じ服装をして、化粧もしていない。動きやすいようにだろう。


 ユアンがユリンを突き飛ばし、ユリンが突き飛ばしかえす。

「何すんのよ!」

 双子の喧嘩が突如始まることは珍しくないけれど、流石に手が出るのは珍し……くもないけれど、今日のは一段と激しい気がする。しかし、アリスは腕を組んだまま止める気配がない。兄弟喧嘩には口を出さない主義のようだ。私もそうしたいけれど、喧嘩の発端を担ってしまった身としては是非とも止めたい。

「ご、ごめんじょ――!」

 胸倉を掴んで殴り合う二人を引き剥がそうと間を割って入る。

「ごめん、待機! ごめん……ま、待って待って待って!」

 強引に間を割ったらユアンの怒気が膨れ上がった。そういえば、発端は私が触ってしまった事だったと気づいたけれどもう遅い。両手で突き飛ばされて、進行方向にいたユリンに当たってしまった。一緒に倒れかけたユリンごとアリスが支えてくれた。

「女なんて大嫌いだ!」

「ごめん!」

「女なんて、みんな嘘つきだ!」

「ごめん!」

「女なんて、俺は、大っ嫌いだ!」

 ユアンは目を吊り上げて全身で怒鳴りつける。なのに、目線が合わない。

「女なんて、自分さえよければいい最低な奴ばっかだ! あんただってそうだ! あんたの男は生きてるかも分からないのに、心配するどころか、いっつもへらへらへらへら楽しそうにしやがって! 自分が助かったからそれでいいんだろ! 女なんて自分さえよければいいからな! あんたなんかを助けて死んだ騎士ルーナはかわいそうだ!」

「この、バカ野郎っ!」

 私の足元を怒鳴りつけているユアンを、ユリンが殴りつけた。

「何すんだ!」

「お前はっ……! この歳になって言っていい事と悪い事の区別もつかないのか!」

「ほんとのこと言って何が悪いんだよ!」

「このっ……!」

 もう一度振りかぶったユリンの手に慌ててしがみついて止める。

「待って! 待って、待って!」

「カズキ、放して! こいつは言っても分からないんだ!」

「少々待って! お願い故に!」

 身体全体を使ってなんとか止めると、ユリンは渋々手を下ろしてくれた。体重をかけてぶら下がる形になってしまったけれど、それでぎりぎりだった。まだ十五歳でも、鍛えている子はやっぱり力が強い。

 ユアンはじとりとした薄暗い目で私を見ていた。その口は薄く開いている。たぶん、私が何か言ったら即座に怒鳴り返されるだろう。

「ユアン」

「うるせぇ! 女なんかが俺に説教するな!」

「ルーナは、生きてる」

「は?」


 ぽかんと口が開く。そうしていると凄く幼く見えた。人間、素の表情の時に本性が見えると聞いたことあるけれど、虚をつかれたように顔の力が抜けたユアンは、まるで昔のイヴァルのように幼かった。

 身体の小ささもそう思わせる一つだろう。ユリンとユアンは十五歳にしては小さめだ。


「ルーナは、生きてる。必ず、生きてる。決定して、生きてる。確定に、生きてる。……えーと…………あ! 断じて、生きてる! 誓うして、生きてる! 絶対的に、生きてる! えーと……断固生きてる!」

「うるせぇよ!」

 確かに!

 自分でもそう思ったので素直に頷く。どの言葉選びならうまく伝わるかなと考えたけれど、分からなかったので全部言ってみた。



 ユアンは怒って梯子を飛び下りて行ってしまった。ユリンが呼びとめても振り向きもしない。ユリンは盛大に舌打ちした。

「ごめん、カズキ。愚弟が本当にごめん」

「私がごめんじょ…………撫でてよい?」

「え? ……いい、けど?」

 下げられた頭が綺麗に丸かったので、触りたい気持ちが湧き上がってきて許可を貰って撫でてみる。ユリンは驚いていたけれど、すぐにふにゃりと恥ずかしそうに身を捩って笑った。

「カズキ、怒ってないの?」

「子どもは、子ども利用するつもり故に」

「………………騎士アードルゲ――」

 ヘルプが入ったアリスちゃんはしばし考えた。

「…………扱い、だ! どうだ!」

「それにょ!」

「にょはいらん! 大体、子ども扱いするつもりも意味が分からん」

 言葉は通じていたのに意味は通じなかった。


「ルーナも、イヴァルも、子ども利用……扱い、なかった故に、可能箇所では、子どもは子ども扱いしたいと、思考していた上に、ティエンよりも、お願いを受けるした」

 子どもらしくいられなかった子どもがいた。そうできない時代に生まれた子どもは、そうできない時代を生きて大人になった人達の中で戦っていた。

『ガキをガキ扱いするやり方が分かんねぇんだよなぁ』

 昔、ティエンは私にそうぼやいた。有難いことに、私は子どもらしい子ども時代を送って、子ども扱いしてもらってきた。だから、子ども扱いしてやってくれと頼まれたときは喜んで引き受けたものだ。それはもう張り切った。抱っこしようとしてルーナにチョップされてちょっと落ち着いたけど。

 ちなみに、ルーナには、最初は嫌そうにされて、次は鬱陶しがられて、次は照れくさそうにされて、最終的には『子ども扱いするな!』と怒られた。イヴァルには、最初は怖がられて、次は照れくさそうにされて、次は嬉しそうにされて、最終的には抱っこをねだられた。可愛かった。


 アリスはそういえばと口を開いた。

「……あの頃、貴様は私も子ども扱いしていたな。普通、十五歳にするか?」

「私の故国では子どもにょ」

「貴様の国の成人は幾つなんだ」

 指を二本立てる。流石に二歳とは思われないので、それだけで伝わった。

「平和だな」

「ぞり」

 成人とされる年齢は時代で変わると歴史の先生は言った。平和になればなるほど上がっていくのだと。急いで大人になる必要がないこの時代に生まれた事を恥じる必要はない。ただ、それが当たり前ではなかった時代があったのだと知っていなさいと先生は言った。

 

 子どもらしさを奪われない時代に、子どもらしく生かしてもらった。更に姉ばかりで、従兄弟も年上ばかりだった私は、いつも子ども扱いしてもらっていた。

 そんな私が、自分がしてもらってきたことを誰かに返すのは当然のことだ。

 癇癪に癇癪で返すのは年上が廃る。周りの人達が今までそうしてきてくれたように、私も誰かに返したい。返し方を多大に間違えたりもするので、そこは気を付けていきたい所存だ。



「嫌いな状態は、発言してにょ」

 実はひっそり憧れていた年上の立場だったが、周りにほとんど年下がいなかったので今一加減が分からない。十五歳が思春期真っ盛りの一番難しい年頃だという事も分かってはいる。イヴァルなら喜んだこともルーナは怒ったりと、なかなか難しかった。

 あの頃は。子ども扱いしていた相手を好きになった自分が信じられなかったし、好きになってもらえた時はちょっと複雑だったのは内緒だ。

 だからこそ、いま、泣いてほしいとルーナが言ってくれた時は、驚いたし、嬉しかった。本当に、幸せだったのだ。



 ユリンは少し俯いて、照れくさそうに笑った。

「…………嫌じゃないから、いいよ」

 そう言って髪を梳いていた私の手を両手で握って止める。あれ? やっぱり嫌だった!? と慌てて手を引こうとしたら、ぎゅっと握られた。

「ユアンは別にカズキが嫌いなわけじゃないんだ。女の人が嫌いでもなくて……嫌いなのは…………俺達を産んだ人なんだ」

「え?」

 ユリンの瞳が仄暗く光り、さっきのユアンそっくりな色を揺らす。



「俺達はさ、この国で生まれたんじゃないんだ。父親は知らない。物心ついた時は既にあの人と三人暮らしだった。あの人は、外ではいつもにこにこしてて、穏やかで、愛情深い人に見えた。双子だからと眉を寄せられても、それでも自分の大切な子どもなのと微笑んだ。俺達が転ぶととても心配してくれて、頭を何度も撫でて、手を繋いでくれた。けれど、家に帰った途端今までつないでいた手を振り払って、俺達を何度もぶった。ぶって、蹴って、よくも恥をかかせたなって怒鳴りつけた。産むんじゃなかったって、なんで自分ばっかりこんな目にって、いつも怒ってた。怒るか、泣くか、自分を憐れむか、そればかりだった。外では、ママはあなた達が大好きよって口癖みたいに言ってたのに、家に帰ったら殴りつけるんだ。もう、訳が分からなくって、俺達は、自分を憐れんでいるあの人が、いつその矛先を俺達にぶつけてくるか、そればっかり考えてた。俺はさ、あの人が俺達を愛してないんだって知ってた。あの人は自分が一番大事なんだって。……違うな、自分しか大事じゃなかった。二番も三番もなくって、一番である自分だけが大事なんだ。でも、ユアンはいっつも、ママ、ママって泣いてた。ママ、どうしてって。ママ、ママって。いつか家の中でも外みたいに愛してもらえるって信じて、いつもママ、ママ、って…………」


 手には痛いほど力が入っている。

 私の手が握り潰されそうなほど力を込めているその手は、震えていた。


「ある日、町にサーカスが来たんだ。移動サーカスが来て、あの人は俺達をそれに連れて行ってくれた。ユアンは外ではあの人が優しくなるから外に出るのが大好きで、それで、サーカスが楽しくて、もう、上機嫌だった。今でも覚えてる。一輪車で細い綱を渡るんだ。高い高い場所から飛び降りて、高く跳ねて、まるで魔法みたいだった。それで、あの日は、家に帰っても、あの人は笑ってたんだ。初めて、家の中でも外みたいに穏やかで、俺達の頭を撫でた。ユアンはぼろぼろ泣いて、ママ、ママ、だいすきって、あの人に抱きついたら、あの人はママもよって抱き返した。食事も、抜かれなかっただけじゃなくて、ちゃんと、温かいものを作ってくれた。あんなにおいしいもの、初めて食べた。夜は、テーブルの下でコートにくるまるんじゃなくて、あの人のベッドに一緒に入れてくれた。温かかった。びっくりするくらい温かかった。あの人は俺達を抱きしめて眠った。ユアンはもうずっと泣きっぱなしで、でもにこにこしてて、これからはママ、ずっとこうしてくれるのかなって、ママ、ユアンたちのことすきだってって、ママ、ママ、ユアンたちもママのことだいすきだよって、ママ、ママって。これからは、いっぱいたのしいことしようねって、いっぱいいっぱいうれしくなって、いっぱいいっぱい、しあわせになろうねって。ママと、ユリンとユアンで、いっぱいしあわせになろうねって、ずっと言ってた」


 俯いたユリンが震えていて、咄嗟にその頭を掴んで抱きしめた。ユリンの震える手はそのまま背に回って、ぎゅっと背中を握った途端、膝から崩れ落ちた。引きずられるように私も膝をつく。


「……でも、目が覚めたら、俺達は檻にはいってた。かたくてさむくてくさかった。となりの檻には、手足がみじかい人がはいってた。その向こうの人は、両目の眼球が飛びだしかけてた。その人達が、かわいそうにって言うんだ。今日からはお前達も俺らの仲間入りだって。なに言ってるのか分からなくて俺達は抱きあってた。それで、指さされた先を見たら、あの人がにこにこ笑ってた。にこにこ、見たことがないほど幸せそうに笑って、団長から支払われたお金を数えてた。ユアンが、ママ、ママって喉から血が出るほど叫んだのに、あの人は一度も俺達を見ないで、ずっとお金を数えてた。それからは地獄みたいだった。顔以外はさんざん鞭打たれたし、芸ができなかったら飯抜きは当たり前だったし、出てきても残飯ばっかだった。俺達がいたのは、明るく楽しいのは表だけで、裏では金持ち相手に人間を見世物にしたくそみたいな見世物小屋だった。団長は金さえもらえば何でもした。何でもさせた。俺達は物よりひどい扱いで貸し出された。ユアンは笑わなくなった。喋らなくなった。いつも親指吸って、俺の手を握ってた。でも、ある日、サーカスはここにきた。戦争が終わって国境付近が危険じゃなくなったから、新しい稼ぎ場所だって思ったんだろうね。いつもみたいに表のサーカスが終わって、裏の見世物小屋に集まってきた貴族の中にカイリ様とカイル様がいたんだ。俺達はいつも、とにかく引き離されないように抱き合ってた。団長も、そっくりなのが並んでいるから意味があるって俺達をいつも一緒にさせてた。カイリ様とカイル様は俺達を見て、自分達も双子だがここで見世物にするのか? って団長に聞いた。団長がえって言った。え、って、すごく不思議そうな声を上げたのが、なんでか、今でも凄く耳に残ってる。その後、いつの間にかサーカスを取り囲んでた隊がサーカスを打ち壊してたの、覚えてる。それを、俺らは抱き合ったまま見てた。団長がいつもの俺達みたいに檻に入れられてるのを見てた俺達を、隊の人が抱き上げてくれようとしたんだけど、俺達は引き離されるって思って、獣よりひどく抵抗しちゃったんだ。そしたら、カイリ様が俺達を二人一緒に抱き上げてくれた。それで、それでね、大丈夫だって、もう大丈夫だって言ったんだ。カイル様も、大丈夫だよって、カイリは優秀な僕の兄だからって、だから、もう大丈夫だよって、言ったんだ」


 淡々と、感情が削ぎ落されたように語っていたユリンの声に感情が戻る。

 冷たかった手にも血が巡っていくのか温もりが戻ってきた。


「ねえ、カズキ、お願い。ユアンに優しくしてあげて。ユアンが怒っても、怒らないであげて。ごめん、でも、ユアンに優しくしてあげて。お願い……ユアンは、本当は、俺なんかよりずっと甘えたなんだ。甘えたで、優しくって、仲良いのが好きなんだ。お願い、ユアンと楽しいことしてあげて。ユアンを幸せにしてあげて。ユアンを笑わせてあげて。ユアンから、あの人を取りあげてあげて。あの人は、ユアンには要らない。俺はもうとっくに捨てたけど、ユアンは、まだ、バカみたいに持ってるんだ。あの人を持ったまま、あの人を見てる。バカだ、あいつ。俺達にはもう、あの人は要らないのに」

 何と言えばいいのか分からない。うんともいいえとも言えない。どの言葉も軽すぎる。どんな言葉も無責任だ。

 でも、ユリンはきっと私を信頼してくれた。だから、彼等にとってとても大切な話をしてくれたのだ。今までユアンに突き飛ばされても罵られても、ユアンを嗜めるだけでその理由を教えなかったユリンが、私に話してくれたのだ。

 無責任な言葉だけは返せない。

「……私の限度の限り、努力、致す、よ」

 必死に言葉を探したのに、結局ありきたりな言葉しか言えなかった。

 


 自分の不甲斐なさに落ち込みそうになっていると、突然大きな音がした。鐘を力の限り打ち付ける音だ。

ユリンはぱっと私から離れて、いつもみたいに快活な笑顔を浮かべた。

「…………始まるか」

 アリスは遠眼鏡から目を放し、私に渡す。アリスが使っていたピントのまま私も遠眼鏡を覗き込む。遠くには狼煙が上がっている。その狼煙の根元には蟻の群れがぞろりぞろりと動いていた。

 でも、分かっている。あれは蟻なんかじゃない。

 人間だ。

 


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