44.神様、少し頬っぺた伸びました
ひゅんひゅんと軽い音をたてて刃がきらきらしている。偶にびゅんっと重い音がするのは力の入れ方が違うんだろう。
私の視界の中では、髪を縛った双子が剣を交わしては喧嘩し、距離を取っては喧嘩し、踏み込んでは喧嘩し、避けては喧嘩している。
「元気溌剌いい天気ぞねぇ」
「元気と天気、どちらを喜んでいるのか分からん」
「元気溌剌じょー」
「だからどうして語尾が珍妙に彷徨うんだ」
「いいやすり」
「言いやすい、だ…………貴様の舌基準の言いやすさが分からん」
ようやく動き回れるようになったので、私はアリスちゃん達の朝の鍛錬の見学をさせてもらっている。今までは窓から外を見ているだけだったので鈍りきった身体を何とかしようと思ったのだ。
リハビリの専門的な知識なんてないし、いきなりマラソンだと体も心も折れそうだったので、ラジオ体操から始めることにした。
三人がそれぞれ鍛錬しているのを眺めながら、一人で「ちゃーんちゃらちゃちゃちゃちゃ」とBGMから始めていたら、三人にひそひそされた。歌詞があるところはちゃんと歌ったのに、更にひそひそされた。どうやら異世界の不可思議な儀式について話し合っていたらしい。「これなる行動は、老若男女、知らぬところなしじょ!」と答えておいた。
日本人なら誰でも知ってる馴染み深い音楽と行動なのに、三人には物凄く微妙な顔をされた。
柔軟したり、走ったり、剣を合わせたりと、一通りいつもの動作を終わらせたアリスちゃんは、今は私の後ろに座って普段腰に差している剣の手入れをしている。といっても、ちゃんとしたのは夜に部屋の中でしているそうなので、ただの点検だそうだ。
私達が座っているのは岩だ。アリスちゃんは貴族なのに結構大雑把である。お揃いの上着は近くの枝に引っ掛けた。大きさの違いはあるけど、うっかり間違えてアリスのを着てしまいそうだ。
[あいうえおー、かきくけこー、さしすせそー、いろはにほへとー、ちりぬるはー、なんちゃらかんちゃらー]
「…………気のせいか、最後がひどく適当に聞こえたぞ」
「事実ぞろ」
「事実なのか」
「じょ」
「…………私への返事も適当じゃないか?」
「ごめんぞ」
低くなった声に素直に謝ったら後ろ向きのまま肘で背中を小突かれた。ごめんってば。
足元で何か分からないけど白い塊運んでる蟻に見入ってました。蟻さん達が私の足がある場所まで来たので足を上げて道を作ってやる。蟻にとったら私の足を迂回するだけでも大変な距離だろう。
ちょみちょみと動いて通りすぎていく蟻にエールを送って、私は伸びをした。
「アリスちゃん」
「何だ」
アリスが剣をしまったのを確認して、その背中に凭れる。鍛えているアリスはそれしきのことではびくともしない。
「出発進行はいつ如何なる時期?」
「…………何?」
凭れていた背中が強張った。
私の翻訳に対する質問じゃないと分かっていたので、そのまま続ける。
「戦闘開始、いつ?」
「…………誰、から、聞いた?」
「ブイー……ヴィ、ヴィー」
せっかく練習したのに失敗した。ヴィー、ごめん。もっと練習しておくから許して。
アリスは私の答えを聞いて、強張らせていた力を長い溜息と一緒に抜いた。
「…………すまん。どう切り出せばいいか、分からなかった」
「理解するしてるにょ」
「…………すまん」
言いにくかったのだろう。アリスは真面目だから、言い方とかタイミングとか色々凄く悩んだと思う。やっと終わった戦争が国を割る形で始まることも、そこに私が担ぎ上げられることも、言えなかったのだ。
後頭部をアリスの背中に押し付ける。
「大丈夫。大丈夫、アリス。私、大丈夫、ありがとう」
たぶん、悪いのは、こんな事態なのに傷ついたり落ち込んで立てなくなると心配させた、私の弱さだ。
アリスの前で大泣きしてしまったあの日、たぶん、ひどく怖がらせてしまったと思う。
元とはいえ、年上の私が大泣きしたらびっくりさせたはずだ。そう思うのは、私自身泣いている人を前にしたら、たとえ相手が子どもでもひどく狼狽えてしまうからだろうか。
それに、アリスは優しい。優しいから、余計に悩ませた。
「アリス、私、意外と強敵なのじょ?」
元年上として、元年下を悩ませるなんて言語道断だ。
「だから、ありがとう、大丈夫」
私、意外と強いから、アリスが私の分まで背負いこんで悩まなくていいんだよ。私の分は私が背負ってちゃんと消化するから、アリスはアリスの分だけで悩んでください。そんでもって、お互い消化できたら一緒に遊ぼうよ。それが友達ってものだ。
ぐいぐい押すように凭れて仰け反ってみる。アリスは押されるがまま俯いていき、また一つ長いため息を吐いた途端、ぐいんっと滑るように押し返してきた。
「ぐぇふ!」
力任せに押し返すんじゃなくて、私を折り畳むみたいに身体を滑らせてきたアリスに伸し掛かられて女子力皆無な呻き声が出る。
[重い重い重い!]
人の背中でブリッジしないでください。先にしたのは私だけど!
私はアリスを支えきれず前につんのめってべしゃりと潰れたのに、アリスは共倒れになる前にさっと立ち上がっていた。このやろう、親友め。
「これで意外と強いと言われても困惑ものだな、親友?」
そんな私を見下ろして、アリスは鼻で笑った。このやろう、親友め!
いーっと歯を剥き出してやろうと思ったけれど、王子様方の猿の威嚇を思い出してちょっと躊躇った私の前に手が差し出される。
「ほら」
このやろう、親友め、大好きだ!
何だか友情を深め合えたような気がしたけれど、出発がまさかの明日だと聞いた時は、思わずアリスの背をばしばし叩いてしまった。アリスも甘んじてそれを受けていたのは、自分でもちょっとと思ったのだろう。
私のことを気遣ってくれるのは大変ありがたいのですが、贅沢をいうなら心の準備をする期間を設けて頂けると更に嬉しかったです!
しかしその晩、明日のことを考えながらベッドの上をごろごろしている時に気付いた。
よく考えたら一晩は余裕がある訳だし、私の頭脳では行き当たりばったりでなるようになったほうが勢いでいける気がする。無意味にくよくよする時間がないほうがいいこともある、はずだ。
成程、私の親友頭いい!
ありがとうアリスちゃん!
私はベッドの上で隣の部屋に向けて土下座し、心地よく眠りについた。
そして、アリスちゃんのブリッジに押し潰された私を蟻が助けてくれて、二人で女王蟻がいる場所に連れて行ってもらったら、そこにはルーナがいた、という夢を見た。
目が覚めたら目の周りがかぴかぴになっていたので、頬っぺたをぱんっと叩いて気合を入れる。
[よし、がんばろー]
幸先いい夢だ。
嬉しくて抱きつこうとしたら、すいっと避けられて地面と熱烈にちゅーしたけど、たぶんいい夢だった!
でも、朝の挨拶を交わしたアリスちゃんの脇腹は突っついておいた。何となく八つ当たりです。ごめんね、アリスちゃん。
「ほら、笑いなさい。貴女の得意分野でしょう、黒曜」
「ふ、ふへへ」
「………………鉄壁の笑顔を身につけたわたくしの頬を引き攣らせるのは、流石としかいいようがないわ」
私とアリスとヴィーとカイリさん、ヴィーとカイリさんの騎士は天井が高い馬車に乗って、たくさんの人の前を通っていく。道の真ん中を兵士が行軍し、左右にはグラースとブルドゥスの旗を降る人々が歓声を上げていた。
アリスと騎士達は片手を胸に付けた礼の姿勢のままだけど、私とヴィーはそれぞれ利き手を肘より先の部分だけ揺らして手を振る。
肩や二の腕を動かして大きく振るな、けれど離れた人からも振っているのが見えるようにというヴィーの指示だ。ちらちらとヴィーの所作を盗み見て、何とか体裁を保つ。
今日のヴィーの服はドレスではない。上だけ見ればかなり豪華な軍服に見える。あちこちに装飾品はついているし、下は長いスカートだけど、上の部分は襟付きで前にボタンもあった。
カイリさんも、きらきらする留め具で止めた分厚いマントを羽織って片手を上げている。格好いいです。
私は帯が太くなった。以上! 終了!
私達が乗っている馬車は、天井だけじゃなく車高も結構高く作られている。馬車というより、豪華な荷台にも思えた。いや、荷馬車も馬車だけど。だって天井といっても幌みたいだ。緻密な細工が施された柱が六本、そこに綺麗なレースみたいな布が張られている。
私もちゃんと幌って言葉を知ってるんだよとアリスに胸を張ったら、せめて天蓋と言えと怒られた。
確かに、幌の馬車だったらこの状況は豪華なドナドナだ。
悲しそうな瞳で見てなるものかと、引き攣った笑顔を保った。中途半端に高さがある方が、高層ビルから下を見るより怖い気がする。
見下ろしても、まっすぐ前を見ても、たくさんの人がうごうごしているのが見えてちょっと酔いそうだ。全校集会で前に立つときより緊張する。
あれは何かの賞を取った時だった。確か工芸の授業で何かの賞用の何かを作った時のことだ。細かいことはあんまり覚えていないけれど、私の前の人達が賞状と景品を受け取り、それを片手で持って右手で校長先生と握手しているのを見ていた。いざ私の番になり、緊張しながら賞状を受け取り、さあ賞品を! 意気揚々と待っていたら私の分はまさかの広辞苑だった衝撃。片手で持って握手とかもう、何の鍛錬かと思った。
懐かしい思い出が蘇ってきたのも、この人の多さだろうか。それとも、これだけの人の視線が全部こっちに向いているからだろうか。
それとも、何だか学校で合唱したような、JでPOPなカラオケで歌ったような音楽が鳴らされているからだろうか。曲の終わりらしき箇所はてってけてーのてんてんだった。
それとも、彼等の着ている物が原因だろうか。
彼等の服の首元からぴょこりと生えている物体には見覚えがある。
[フード……]
男女ともに、服にフードがついているのが面白い。成程、あれが『黒曜プロデュース、異世界のお洒落!』か!
どうしよう。これ、日本のファッション関係者が見たら悲鳴を上げるのではなかろうか。誰の所為でもないけれど誰かに謝りたい。ごめんなさい。
でもまあ、この短期間で流行らせられるのは、比較的お手軽でお手頃価格なものだろうから気持ちは分かる。分かるけれど。
[…………えーと]
彼らの服には文字が書かれている。異世界文化浸透はフードだけでなく、文字もあったようだ。
ただし、選び抜かれた文字が問題だ。
肌荒れ
にきび
しみ
たるみ
に、これ一本!
のトレンド!
れで決ま
をチェック☆
はNG!
便秘解消!
切れ毛枝毛はもうさよな
の新色は
顔が暗く見え
自然なウェーブをキー
文字のチョイスも切り方も悲しい。女性物のファッション誌で繰り返し使われていた言葉が選抜されたらしいけれど、せめて一言ご相談頂きたかった。目をキラキラさせている麗しいお嬢さん達が、肌荒れ、の文字を背負っているのが申し訳なさすぎる。
「ねえ、黒曜」
「…………はい」
あまりの大惨事に俯きそうになった時、ヴィーに呼ばれて慌てて顔を上げる。笑顔、笑顔が大事だ。
「あの藍色の服を着ている男性、見えるかしら」
「え?」
「あの方が持っている布に書かれた言葉、可愛らしくていいわね。何という意味なの?」
ヴィーのにこやかな視線の先を辿って見つけたそれに、私は思わず呻いた。
『二の腕ぷよぷよ。腹肉たぷたぷ。太腿ぷるぷる』
こっちの皆にとって、私の言葉ってこんな風なのかなと思うと、今まで以上に申し訳なさでいっぱいになった。
微妙に耳に馴染んだ音楽を聞きながら笑顔で手を振っていたら、高校の先生のお言葉を思い出し、周りで歓声を上げている人達を野菜だと思うようにしたらあまり緊張しなくなった。
観客は野菜と思いなさいと、合唱コンクールで緊張するクラスに先生は言った。そして発表の寸前まで、スイカは野菜か果物かで白熱のバトルが繰り広げられてしまう事態となり、しっとりとした歌だったのにまるで軍歌のようだったと審査員の先生達に評される結果となった。
道を埋め尽くさんばかりに、人参、じゃがいも、玉ねぎ、南瓜、長芋、キャベツ、大根など、延々と野菜が続いていく様を想像したら自然と笑みが浮かんでくる。
どうしよう、カレー食べたくなってきた。
涎も滲んできたのは想定外だ。
それにしても、こうやって今日出発したということは、ヴィーの到着は本当にギリギリだったのだろう。それとも、到着次第出発だったのだろうか。
「そうよ、いい感じです。ここに立つ者は不安を一切外に出してはならないのです」
ヴィーは穏やかな笑顔で手を振りながら、そう言った。
「何があろうと笑顔は崩さずにいなさい。敵には精神的な弾圧を、味方には安堵を与えられますから、覚えておきなさいね」
ヴィーの笑顔が深くなる。なのに、声は淡々としていた。
割れんばかりの歓声の中でも聞こえるのは、私とヴィーの距離が近い事と、こんな中での話し方をヴィーが心得ているからだろう。
「仮令この先何があろうと、もしも隣にわたくしがいなくなったとしても、一人でここに立つことになっても、笑っていなさい。それが、民の希望として立つ者の義務です」
言われた内容に思わずヴィーを向く。すかさず前を向きなさいと注意された。
「そんな顔をしては駄目よ、黒曜。笑顔は武器です。ほら、貴女の数少ない得意分野でしょう。阿呆面なさい」
非常に難しい注文が来た。ただ笑えばいいだけでなく、阿呆面をしなければならないとは…………いつも通りですね!
にへらっと笑ってみたら、素晴らしい阿呆面ですと褒めてくれた。全然嬉しくないかと思いきや、褒められたのでそれはそれで嬉しかった。
その時、長い沿道の中うわんうわんと続いていた歓声が乱れた。
それまで黙って片手を上げていたカイリさんが分厚いマントを翻して私とヴィーの視界を覆う。何が起こったか分からず、尻もちをつかないよう枠に手をかけた私の足が何かを蹴った。
掌サイズの石だ。
何でこんな物が隣を見ると、先程までの笑顔を仕舞い込み、無表情になったヴィーがいた。
「グラースは出ていけ!」
いつの間にか静まり返った音の中、その声だけが響いた。
ざわりと大勢の声がうねった直後、がつんと鈍い音がして足元に石が転がってくる。アリスか騎士かは分からないけれど、誰かが弾いたのだと分かった。マントを広げたまま身体を私達に向けたカイリさんが、肩越しに見ている方向に石を投げた人物がいるのだろう。
たくさんの人が強く足を踏み出した音と何かが倒れた音がした時、カイリさんはマントを下ろした。
騎士とアリスが、私達を中心に剣を抜いて背中を向けている。
すっと動いたのはヴィーだった。その動きに合わせて私も前に進む。
そこにいたのは老人だった。老人は、痩せこけた皺だらけの手足を振り回して暴れている。取り押さえようとしている人達も、下手に手を出せば折ってしまうと思っているのか周りを囲んでなんとか落ち着かせようとしていた。
「グラースがわしの息子を殺したんだ! グラースなど滅ぼしてしまえ! グラースがブルドゥスの地を踏むなど許さんぞ! 息子が守ったこの地を穢させてなるものか!」
老人は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お前達もどうして戦わん! グラースがこの地に踏み入ったのだぞ!」
腕を振り回して叫ぶ老人は、結局自分の足に縺れて転んだ。けれどその身体のどこにそんな力があるのかと驚くほどの声量と怒気を纏わせて、こっちを睨みあげてくる。
「呪われろ!」
唾を撒き散らし、眼球が飛び出さんばかりに睨み上げながら、老人はそう言った。
「呪われろ、忌まわしきグラースの王族め!」
抜け落ちた歯の隙間が数えられるほどの大口を開けて、その言葉が吐かれる。その口が、そして、と続く。
「グラースに加護を与えた黒曜も、呪われろ!」
罵声は、初めてじゃない。
ヌアブロウは私を殺そうとしたし、スヤマもそうだ。
「呪われろ! 呪われろ、呪われろ! わしの息子を奪った奴らは、みな呪われて然るべきだ!」
見も知らない人達が私を見て喜んだ。その中には、私を嫌う人もいる。
うまくできない息を細く吐き、吸う。
「はい」
穏やかな笑顔を浮かべたヴィーはそう言った。
「わたくしがブルドゥスの方々から恨まれるのは道理。呪いも受けましょう。ですがそれは、この戦いを終えてからです」
ヴィーの手が、下にいる人達には見えないように私の手を握った。
「老人」
それまで黙っていたカイリさんが静かに口を開いた。
「貴方の息子を死なせたのは、守護伯である俺だ。正確には俺の父だが、恨む先はこの血統だ。矛先を誤るな。呪うのも俺にしておけ。領民に殺されるなら、俺も本望だ」
淡々とそう言ったカイリさんは、突然馬車を飛び下りた。結構な高さがあったけれど、危なげなく降り立つと、地面に転がる老人の為に膝とマントを地面につけて手を差し伸べた。
老人は驚いたように目を丸くする。
「だからその恨み、この世代までにしてほしい。いつの時代も当たり前のように血を吸っていた地面を知らない子ども達がいるんだ。その子ども達は、もう、十になる。今再び開かれる戦火は子ども達まで届かせはしない。必ず食い止めると約束する。だから、老人、恨むなら俺にしろ。俺達を、戦を知る最後の世代にしてくれ」
老人の目が彷徨う。恨む先が彷徨う。彷徨って、私を見た。
それにつられるように、何故か、他の人も私を見た。
行軍中の騎士達も、軍士達も、沿道を囲む周り中の視線が一斉に私を見る。野菜の暗示はとっくに解けていた。
何か言えと、言われている気がする。
背中を嫌な汗が伝い落ちていく。
強張る視線を向けた先で、アリスも同じ顔をしていた。その眼は言う。何か言え、と。いや、何も言うな!? どっち!?
[が、頑張ります!]
わあっと歓声が上がって波のように広がっていく。老人はカイリさんに支えられながら咽び泣いている。カイリさんは土で汚れた老人の手も裾も気にせず、その身体を支えて立たせた。
心臓がばくばくいっている私の横にアリスが寄ってくる。緊張しすぎで頭がふわふわしてきた。
「お前にしては上出来だ。よく思いついたな」
「…………何事を?」
アリスとヴィーの目が座っていく。
「…………お前の国の言葉で言ったことだ」
「え!?」
「…………偶然なのですね」
右にヴィー、左にアリス。
その二人が同じタイミングで深いため息を吐いた。でも、顔は笑顔。怖い。
「黒曜、顔」
まだ握っていた手を握り潰される。痛い。
「皆が見ています、笑いなさい」
慌てて阿呆面を作ると、歓声は一層膨れ上がった。
歓声に応えるために上げられたヴィーの手を真似して、私も片手を上げる。笑顔は大事、笑顔は大事。
「アリスちゃん、アリスちゃん」
「何だ」
穏やかな笑顔を浮かべたアリスちゃんは私を見ない。私も出来る限り見ないように会話を続ける。
「ドロワ・リェロとは、何ぞり」
「何だそれは…………もしかして、呪われろか?」
「それ」
「知らなかったの!?」
ヴィーの笑顔は引き攣った。
「…………知らんでいい」
「了解ぞ!」
町中を抜ければ行軍速度は一気に増した。私達は馬車から降り、ヴィーは自ら馬を駆る。私は乗れないのでアリスに同乗させてもらった。先に乗ったアリスに引っ張ってもらおうと思ったら、首根っこ掴んで引っ張り上げられた。どうもありがとうございます。首締まりました。お世話かけます。服伸びました。
そうして辿りついたのはウルタ砦だ。十年前、私が捕えられてアリスの兎パンツを露出させた、あの砦である。ここからさらに東に行けば、ミガンダ砦があるのだと思うと意識がそっちにとられそうになって慌てて戻す。
大きく頑丈な門が開かれていくとまた、割れるような、うおんっと空気を震わせる声が上がった。ここにいるのは先に待機していた軍人と騎士達なので、町で聞いたような女性や子供の声が混ざっていない分お腹にずしんとくる。
私達は馬に乗ったまま砦の中に入っていった。
「黒曜様だ」
「黒曜様……」
「あれが、黒曜様」
馬車に乗っていない分距離が近く、彼等の言葉も困惑も伝わってくる。
そうです、これが元祖黒曜です。二代目三代目とどんな黒曜が現れようと、私より「え!? こいつ!?」みたいな顔をされる黒曜は現れないでしょう!
二度見のカズキの名は伊達じゃない。私は満面の笑顔を浮かべた。
「どんじょ宜しく!」
どや顔で、舌はしっかり噛んだ。乗馬しながら喋るのって本当に危険である。
外ではカイリさんとヴィーが皆の前で演説を行っている。
私はというと、この後出て行って皆に一言欲しいと頼まれているので、その言葉の組立に忙しい。だから、そういうことは早く言ってほしいものである。
そうして、樽の上に座って考えるカズキが出来上がった。
「アリスちゃん、アリスちゃん」
「言っておくが、私は手伝わんぞ。翻訳ならしてやる」
「何故にして!?」
私の懇願をアリスは鼻で笑った。これが私の親友だ。このやろう。
「融通の利かん私が定型文のような文章を作っても意味がないだろう。好きにしろ。そうやってミガンダ砦でも居場所を得たのだろうが」
「黒曜の理想現実を打ち砕くが、宜しいか!」
「早いうちに砕いて、カズキで立場を築いておけ。お前が本物だという信頼なら、伯への信頼が築いてくださっている。伯がお前を担ぎ上げる以上、ここにいる者はお前を偽黒だと疑うことすらしないだろう。だから後は、貴様としての居場所を確保しろ。貴様が原型だというのに、あの黒曜像が気持ち悪くて堪らん……」
「殺生な! いやしかし同感!」
「普通ではないのに絶妙に訂正を入れられない喋りをするな!」
「申し訳ございません!」
頬っぺたみょーんは既に日常茶飯事どころか、挨拶に近い。みょみょーんと伸ばされながら、私は決めた。どうせ取り繕ったところで化けの皮は剥がれるのが世の常だ。どっちにしても私がかぶれるような化けの皮なんてたかが知れている。百均とかで売ってると思う。化けの皮105円!
絶対買わない。
「アリスちゃん、アリスちゃん」
「何だ」
「懇願しても宜しいか?」
「……頼むから普通に願ってくれ。願う……お願いが妥当か? お願いだ、お願い」
「おめえがいい!」
「突如変貌を遂げさせるな――!」
これからお願いする相手の噴火させてしまった私は、誠意を見せようと慌てて腰を九十度に折るお辞儀を試みた。
その結果、凄い勢いで頭突きをかましてしまって二人で悶絶する。
「ご、ごめんぞり……」
「この、たわけっ……」
私は頭を、アリスは顎を押さえて身悶える。ほんとごめん。
「ごめんの上乗せで、金貸してくれよ、お願い懇願、申し訳ございません!」
「は?」
反対側から騎士さんが開けてくれた扉が、自動扉みたいに開いていく。
広がるのはたくさんの人が整列している景色だ。こういう時、制服の意味がよく分かる。同じ服を着た人達が揃うと、彼等が同じものに属していると強く感じるのだ。
一寸の乱れなく列を成す人達の前にただ歩いて出ていくだけで、歩き方を忘れそうなほど緊張する。いま私、歩き方変じゃない? どんな表情してる? 歩幅おかしくない? なんか早くない? いや、遅い? 手はもっと振ったほうがいいかな、それとも身体の横に垂らすだけ?
普段は全く気にも留めない、意識すらしたことがないような些細なことが気になる。終いには指の角度まで気になってきた。
アリスが隣を一緒に歩いてくれなかったら、即座に回れ右して逃亡を試みただろう。
ヴィーとカイリさんが並んでいる斜め後ろにでもこっそり控えようとしたら、二人は真ん中を開けてくれた。そこに行けということですね、ありがとう、嬉しくないです。
逃げ道を失った私は、からっからになった口の中で何度もつばを飲み込み、そこに並んだ。
ここにはマイクなんてない。いくらしんっと静まり返っているとはいえ、自分だけの声でこの人数に言葉を届けなければいけないのだ。声が震えていては駄目、息を吸い損ねても駄目。落ち着け落ち着けと、自分に何度も言い聞かせる。緊張すると喉とかその奥が引き攣って吐きそうになる。
ちらりとヴィーを見たら、声には出さず口を動かしていた。
『貴女の、得意分野でしょう?』
穏やかというには少し意地悪な、僅かに皮肉気に口角を上げたヴィーに応える。
笑顔で。
「はじめまして、カズキ・スヤマです」
発音はこの際捨てる。さっきアリスちゃんにきちんと翻訳してもらった言葉を何度も何度も頭の中で繰り返す。長い文章は駄目だ。短く端的に、私らしく!
「この戦いが、終われば、一杯、やりましょう! 私の、奢りです!」
先頭の方にいる人達の顔はよく見える。鳩が豆鉄砲喰らったような顔だ。
それらがじわじわ崩れて、ゆっくりと口角が上がっていく。
「黒曜様、私は二杯がいいです」
「俺は三杯でお願いします!」
「一杯は少なすぎますよ!」
友達間でお金のやり取りはしたくない派だけど、手持ちがないのでアリスに借金を申し込んだ身の上だ。この人数に奢りきるためには、これ以上増やすと破産する!
アリス曰く、経費で出してもらえると思うとの事だけど、正確ではないので節約できるところはさせてもらえるとありがたい。
「い、一杯と半分!」
「せこい! もうひと声!」
「い、一杯の半分と半分!?」
「減った! 減りましたよ、黒曜様!」
「え!? い、一杯が半分!?」
「増えたけど当初よりは減っています!」
「に、にぱい!」
「おお!」
ちょっと噛んだ。
「を、半分!」
「結局一杯!」
競りの結果、一杯で手を打ってもらえることになった。
大歓声に両手を上げて答え、やり遂げた気持ちでアリスを見上げたら、片手で顔を覆って呻いている。
「如何したにょ?」
「…………気にするな」
「了解ぞ!」
「少しは気にしろ、たわけ――!」
アリスが気にするなと言ったのに、殺生な!
アリスちゃんに怒られていると、どっと笑い声が上がる。
「頑張れ、アードルゲ!」
「黒曜様、そこで蹴りですよ、蹴り!」
ここに来るまでの緊張感は最早どこにもない。
やんややんやと響く笑い声に包まれながら、私はアリスちゃんに抓られた頬っぺたをそのままに視線だけを遠くに向けた。
あっちには王都がある。軍はそこからやってくる。
三百年間悲願だった終戦が叶って十年。
戦火で人が死ぬという、酷く当たり前で、酷い理不尽が、再び始まるのだ。




