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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章:再会
36/100

36.神様、ちょっとはっけよい致します


 昼間なのに星が散った。綺麗だけれどじっくり見る余裕なんてない。

[いったぁ!]

私は脳天を押さえてのた打ち回っていたが、スヤマはスヤマで耳まで真っ赤にして怒り狂っていた。

「何であんな事するのよ! 私に恥をかかせたいの!?」

[へこんだ! 絶対へこんだ! 血、血出てない!?]

「私がここまで来るのにどれだけっ……!」

[これ以上馬鹿になったらどうしよう…………]

「ちょっと、聞いているの!?」

 肩を掴まれてはっとなる。

「聞いてないじょり!」

「聞きなさいよ!」

 正直、本当に何も聞いていなかったけれど、不思議と、何々してるの!? と言われる言葉はすんなり聞こえるものだ。大事な事はなんにも聞いてないけれど!



 スヤマはお茶会の時と同じ恰好だったけれど、髪が何房か落ちている。部屋で暴れていたのだろうか。

 頭に当てていた手を恐る恐る見て、血が出ていないのを確認してから立ち上がろうとした体勢で、またスヤマが平手打ちを仕掛けてきたので華麗に避ける。目測誤って壁に激突したら、今度は壁に掛けられていた首だけの鹿が降ってきた。これは全力で避ける。今度はへこむだけでは絶対にすまない!

「うぎゃあ!」

「きゃあ!」

 死に物狂いで飛びのいたらスヤマを巻き込んでしまった。潰さないように慌てて頭を抱えて肘を床につく。その軽さにぎょっとした。頭を支えた掌に伝わるのは、ふわりと細い髪質で、飛びのいた時に感じたのは頼りなさだ。たぶん、私でもおんぶして走れる。頭も軽い。ずしりと手に乗る重さがないのだ。

 この柔らかさと華奢さは、子ども特有のものだ。昔のイヴァルを抱っこした時や、ブルドゥスに捕まった時に縁があった小さな小さな女の子を抱っこした時を思い出す。ああ、あの子は元気だろうか。両親を盗賊に殺されて、私を捕まえてミガンダ砦から帰還していたブルドゥス軍に保護された、小さな赤毛の女の子。

「子ども…………」

 思わず呟いたら、身体の下のスヤマがぎょっと身を強張らせたのが分かった。瞬時に自分の身体に視線を走らせている。……パッド? パッドなのか? そうであれ。

「十二歳」

 リリィが言ったように彼女が本当に子どもなら、どうしてこんな事をしているんだろう。思わず口から零れだした推定年齢を聞いた途端、目を吊り上げたスヤマから今度こそ平手打ちを食らった。ばっちーんとそれはいい音がする。非常に、痛い。高いところから水に飛び込んで腹打ちした時と似た痛みが頬に走る。振りかぶられたのだから当然だ。体勢が体勢なので避けられなかった。

 スヤマは私の下から這い出して、私を打った手を庇うように抱えている。そりゃあ、そっちも痛かったことだろう。渾身の力だったと思う。身を持って断言できる。だって物凄く痛かったです。



「いつ、気づいたの」

 いつまでも気づいておりませんでした、とは言えないので、笑って誤魔化してみた。しかし、打たれた頬が痺れて歪な笑みになってしまう。それが不敵な笑みに見えてしまったのか、スヤマは華奢な肩を落として壁に背を預けて俯いた。

「やっぱり黒曜なのね、あなたは……馬鹿みたいに見せておいて、その実、全て気づいていたなんて…………」

 そうです、全部お見通しです。リリィが! とも言えないので、とりあえず黙っておく。都合のいい誤解が起きてくれたようなので、黙っているのが吉である。幸いここにゼフェカはいない。偽黒曜である彼女から話を聞き出せるのは今しかないのだ。

 迂闊な事を言ってしまわないよう必死に言葉を選んでいる間、表情は自然と硬く真剣なものになる。それも、良い方向に作用してくれた。

 項垂れていたスヤマは、ぎゅっと両手を握りしめて顔を上げる。私は、固く食い縛った唇が開かれるのを待った。

「そうよ……私はドレン・ザイールの娘よ。この髪と目の所為で、お母様は不貞を疑われて自害した。あなたはもう分かっていたのでしょうね……私は、あなたが入れられていた石塔の地下で育ったわ」

 初耳ですとは言えないし、あまりのことに言葉も出ない。

 冷たい壁と床。黴臭く、蝋燭の臭いが充満した澱んだ空気。あんなところで育った? 子どもが、あんな場所で。

「ただでさえ、庶子とは認められていたものの息子として迎え入れられることのなかったお父様は、私がいたら家を追い出されると恐れたの。だから、ずっと、あそこにいたわ……けれどある時、黒曜という存在が知れ渡った。お父様は歓喜したわ。それまで、生きているかの興味すらなかったのに、ある日突然沢山の本が運び込まれた。私に頑張って勉強しなさいと。もしもの時は、黒曜として名乗れるほどにと。文字すら読めない私に、沢山の本を」

 私が燃やした沢山の本。装飾品なんてない部屋に、無造作に詰まれた本。その光景を今でも思い出せる。私は短い間しかいなかったけれど、冷たく薄暗い、黴臭い部屋で目覚め、目に入るのは山積みの本だけの部屋。思い出すだけであの深々とした冷たさを思い出す。二度と、戻りたくないと思う場所だ。

「実物なんて一度も見たことがないのに、知識ばかりを詰め込んだ。そんな中、一つだけあった小説は、あなたと騎士ルーナの話だったわ。…………本が壊れるくらい、何度も読んだわ。何度も、何度も。お話の中でのあなたは、いつも楽しそうだった。いろんな冒険をして、いろんな場所に行くのよ。騎士ルーナに守られながら、幸せいっぱいで。何で? どうして? 私と同じ色なのに、どうしてあなたは幸せなの? 違うのに! この世界で生まれたのは私なのに、どうして別の世界のあなたが幸せで、私はあんな場所にいなければいけないのよ!」

 語尾が甲高く掠れる。子どもの、金切声。

 何と言えばいいのか分からない私を見もしない子どもは、疲れたように肩を落とした。

「ある日ね、お父様がゼフェカを連れてきたの。ゼフェカは私を黒曜にしてくれるって言った。あなたじゃないのよ、私を、黒曜にしてくれるって部屋から出してくれたわ。あの塔から出してくれたのよ」

「……ゼフェカなるの、目標をご存じ上げる?」

「ねえ、黒曜。ゼフェカはこの国の人間じゃないのよ」

 つらつらと語る子どもの言葉を邪魔しないようにそっと問いを挟んだら、綺麗に無視された。精進が足りなかったようだ。

「だって、私でさえ知っているようなことを知らないこともあったの。けれど、けれどね、この国の誰も私を塔から出してくれなかったのに、ゼフェカは出してくれたのよ。不思議ね、異国の人の方が優しいの」

 スヤマはさっきまでの激昂を忘れたように、穏やかに微笑む。その変化にぎょっとした。

「しょ、少々待機」

「戦争が終わって、鉄の需要はどんどん失われていって、嘆くお父様の前にゼフェカは現れたわ。軍人の不信を煽り、数を減らした状態でならば戦争が起こっても過去のような被害は出ないし、軍人の数が減った分、自衛で武器を作ればいいのだと。私が黒曜として戦争を止めれば、被害は本当に少なくて済むと」

「少々待機!」

「本当にうまくいくのかしらと思ったけれど、大人達はすんなり納得するの、ゼフェカは、本当に凄いのよ。ゼフェカが話してきたら、みんな協力してくれるの。お父様はゼフェカに頼りっきりになったわ。ゼフェカの言う事は全部本当だって疑いもしないの……本当に、馬鹿な人。ゼフェカは、ザイールのことも、ましてお父様のことなんてどうでもいいのに」

 幾ら止めても、少女は滔々と語りを止めない。


 私は一歩後ずさった。

 何故だろう。今まで謎だった部分がするすると解き明かされている気がするのに、嫌な汗が背筋を流れ落ち、頭の中ではBGMが鳴り響く。チャンチャンチャーン、チャンチャンチャーン、と。



 少女の語りを止めたいのに、彼女に呼びかける名前を知らない。スヤマは私の苗字だ。彼女の名前であるはずがない。

やけに内情を話してくれる。感情を剥き出しにして、自分の素性を恐らく包み隠さずに。嫌な予感が湧き出してくる。こういう状況、映画とかだと……。


「うどわぁ!?」

 何の前触れもなく飛び込んできた子どもを避けられたのは反射だった。身体が咄嗟に動いたのだ。考えていたら動けなかっただろう。

 勢いのまま壁に体当たりした子どもは、緩慢な動作で振り返る。その手に握られた物に、今度はこっちが引き攣った掠れ声で叫ぶ。

「何事ぞ!?」

「知られたからには、死んでもらうしかないじゃない。そうじゃないと、ゼフェカに怒られちゃう」

[ですよね! なんかそんな気がしてた! しかもひしひしと!]

「何を言ってるのか分からない、わ!」

 どこに隠していたのか、子どもが持つにはやけにごついナイフが突っ込んでくる。……本当にどこに隠していたんですか。

「ぎゃあす!」

 転がるように避ける。良くも悪くも、子どもが持つにはごついおかげで軽々扱えていないのが功を奏した。その代り、自分の中から飛び出してきた悲鳴は、女子力どころか人間力すら置き去りにしたものだった気がする。

 鈍色がゆらゆらと揺れる姿から視線が外せない。ごつい刀身は、それが触れた瞬間の痛みを容易に想像させて、まだ何もされていないのに足が竦みそうだ。

 自分が唾を飲み込んだ音がやけに響いて聞こえた。

「前にガルディグアルディアの所であなたを殺そうとしたら怒られたけど、今回の理由なら、ゼフェカも納得してくれるわ」

「以前なるもあなたですたね!」

 そういえばゼフェカもそんなことを言っていた。いろいろそれどころじゃないから綺麗に忘れていたが、そういえばそうだった。いやぁ、失敗失敗! と笑って誤魔化せない雰囲気である。

「待機! 少々しばし待機!」

「駄目よ。知られたら困ること知ったでしょ? だから、死んで」

「てめぇなるで自業自得にお喋り開始したぞりょに、殺生ぞ!?」

 確かに私はルーナ達の役に立ちたいと思っていた。武力、頭脳で役に立てないと分かっているので、せめて敵の懐にいる間に情報収集したいとは思っていた。だが、命と引き換えと言われたら全力でお断り申し上げる!

 何か武器に成りそうなものはないかと部屋の中に視線を走らせる。そして、いいものに気が付いた。

[鹿――!]

 さっき私を殺そうとしてきた鹿の置物に飛びつく。鹿は恨めしい目でごろりと床に転がっているが、この角でナイフと打ち合いできそうだ。雄鹿の角は大きく長いので、リーチもこっちの方が長い。

 私は勝利を確信した。

[重っ……!?]

 一秒で敗北も確信した。

 鹿の置物は思っていた六倍は重かった。持ち上がらない。持ち上がっても中腰だ。こっちの動きが鈍くなるだけで、特に役には立ちませんでした。



「ゼフェカはね、いろんなところに連れて行ってくれて、いろんなものを見せてくれたわ。いろんなことを教えてくれて、いっぱい、いっぱいお喋りしてくれて、いっぱい優しくしてくれたわ」

 幸せそうに微笑みながら、穏やかな声音で話す姿だけを見れば、子どもが楽しかった思い出を話す姿だ。けれど、その両手にしっかりと握られた太いナイフが異質すぎる。

「黒曜、私ね、優しくされたいの。あの本でのあなたみたいに、たくさん幸せな事があって、たくさん愛されて、皆の人気者になりたいの。それでね、ただ一人にも深く愛されたいの。あの本でのあなたみたいに、騎士ルーナに愛されたいの。その為に頑張ってるのに、どうして邪魔するの?」

「ゼフェカが何事を行っているか存じてる!? 王冠強盗し、恐喝してる! てめぇ……あ、あなた? も、他者を誤魔化ししてる。私なるの姓名を強奪して、虚偽申告してるなど、悪い行いであると、認識済みである?」

「ええ」

 子どもは、微笑みを浮かべて頷いた。

「でも、誰も私を助けてくれなかった。ずっとあんな場所にいた私を、誰も出してはくれなかった。だから私は、自分で頑張ることにしたのよ…………あなたには分からないわ。黒い目で、黒い髪なのに、私と同じ経験してないあなたに、何が分かるのよ!」

 身を切るような叫び声だ。

 向こうでそんなこと言われたら、分かりませんよ、超能力者じゃあるまいしって返したかもしれない。でも、いま求められている返事はそういう事じゃない。そもそも、返事を求められているのかも分からないけれど、このままじゃ駄目だという事は分かる。

 誰も子どもを諭さなかった。それどころか率先してこの道に引きずり込んだのだとしたら、この子も被害者だ。やっていい事と悪いことがある。それを教えてもらえなかった子どもが犯している罪を納得させるなんて、私には無理だ。言葉が達者でも、無理だろう。

「あなたと同様なる体験を行っておらずなら、何事も進言してはならないならば、あなたは、私のみならず、どちらなるともお喋り不可ぞ!」

「うるさい!」

 全身を使ったような怒声だった。身体全体が膨れ上がったように思えるほど、掠れた金切声なのに重い。

 子どもの血走った目が真正面から、私を射殺さんばかりに睨み付けている。

「やっと、やっと私がいられる場所を見つけたのに、どうして今更現れるのよっ! 一回消えたじゃない! 一回投げ出したのなら、もうずっと消えていてよ!」

 投げ出したんじゃない、逃げたんじゃない。消えたのは事実だけれど、私はルーナもこの世界も失いたくなんてなかった。そう言いたかったけれど、そんな余裕ありはしない。

 叫びながらナイフが振りかぶられる。しかし、小さな手では、やはりごついナイフを扱いきれない。少女の手から抜けたナイフは、勢いのまま私に向かって飛んできた。少女の踏込ばかり気にしていたせいで反応が遅れる。ナイフは私の肩を掠めて壁に突き刺さった。意外と壁が薄いのか、半分も刀身が埋まる。壁が薄いのか、ナイフの切れ味が凄いのか、どっちだろう。



「いっ……!」

 肩を何かが裂いていった痛みと熱さが走る。傷口を見なければならないと思うけれど、見た瞬間凄く痛くなりそうで躊躇してしまう。しかし、そんなことを考える時間もなかった。

 自分の手からすっぽ抜けたナイフを呆然と見ていた少女は、空っぽになった掌を二、三度開いては閉じ、血走った目でナイフめがけて飛び掛かってきた。


 ナイフを渡すわけにはいかない。けれど、死に物狂いと表現するのがふさわしい勢いと形相で飛び掛かってくる相手に対し、怪我をさせないよう防戦するのはどうしたらいいのだ。私はじりじり焼ける肩と、ぐるぐる回る思考を持て余した。髪を振り乱して走ってくる少女がやけにスローモーションで視界には映る。映るのに、どうしたいいのか分からない。

 たぶん、本気で弾こうと思えば何とかなる。だって私は大人で、彼女は子どもだ。大人の本気で抑え込めない訳はない。蹴ったり殴ったりすれば、恐らく彼女の身体は吹き飛ぶだろう。けれど、どうしたって躊躇する。だって、私は大人で、彼女は子どもだ。

 子どもは守られるべきだ。無論、悪いことをしたら叱らなければならないが、これは叱るんじゃない。私の力が足りないから、彼女に怪我をさせないで抑え込むことが出来ないのだ。ルーナなら、アリスちゃんなら、自分も怪我しないで、彼女にも怪我をさせないで解決できるのに。

 ぐるぐる混乱した私は、思わず両手を広げて叫んだ。


[だ、だばぁあああああああああああああ!]

 特に意味のない気合いの声を上げ、私は渾身の張り手を繰り出した。

「ちょ、な、なに!?」

[張り手張り手張り手張り手張り手!]

「い、いたっ! 痛い、ちょ、なんなの!?」

[張り手張り手張り手張り手張り手張り手張り手張り手張り手!]

 渾身といっても相手も後ずさりして避けるから、当たったとしてもぺちべちと微妙な感じだけれど、他に何も思い浮かばない!

[はっけよいのこったのこったのこったのこったのこった!]

「ちょ、まっ、なに!?」

 蟹股になってずんずん部屋の隅まで追いやっていく内に、私はどんどん冷静になっていく。何故なら、連続張り手で二の腕がぷるぷるしてきたからだ。まずい、これ、エネルギー切れで技終わる! そして痛い! 凄く痛い! 痛すぎて痺れて逆に痛くないような気がするくらい痛い! 

 張り手の威力もどんどん落ちていくけれど、幸いにも私以上に混乱した少女は気づいていない。このチャンスに畳み掛けるように相手を説得できないものか!

「い、いずれ、尋常に勝負!」

「今しなさいよ!」

 畳み掛けるどころか、戦闘意欲を再燃焼させてしまった。張り手の勢いで勝負を申し込んでしまった私が悪い。言葉選びって本当に大切だ。

 土俵書いてのこったのこった勝負は駄目だろうか。今なら腕相撲でも負けそうなほど腕がぷるぷるしてるけど。何なら指相撲でも足相撲でも紙相撲でいいから、とにかくナイフだけは勘弁してください!

[もう腕が無理――!]

「何言ってるのか分からないけれど、とにかく、ちょ、もうこの訳が分からないの止めなさいよ――!」

「…………何やってんの?」

 突然現れた第三者の声に、私も少女も同じタイミングでそっちを見る。部屋の入り口では、扉を開けたままの体勢で呆れた顔をしているゼフェカがいた。

 部屋の隅に少女を追いやり、張り手を食らわす十九歳女。

 女は、かっとなってやった、他に思い浮かばなかった等と供述しており、容疑を認めている模様です。




 ゼフェカは、壁に刺さったナイフを見て、蟹股で腰を落として張り手を繰り出した体勢のままの私を見た。

「ゼフェカ……」

「ああ、はいはい。大体分かった。スヤマに怪我はない?」

「うん……」

「だったらいいよ」

この声音に、私はやっぱり鳥肌が立つ。だって、本当に優しい人は、あんな、優しく見せようと細心の注意を払った喋り方をしない。優しさとは滲みだすものだ。そして、受け手が感じるものだ。優しい優しいと煌々と光りながら押し出してくるものではないと、思う。

「わ、私がお父様の娘だって、十二歳だって知られてて、だから!」

「え? 嘘? なんで?」

 くるりと私を向いたゼフェカにどや顔しておく。リリィは凄いんです。

 答えはしない私の渾身のどや顔に、あ、めんどくさいって顔をされた。

「まあいいか……。ナイフで襲いかかられて? で、あんたの反撃は?」

「私なるの故国では、伝統由緒正しく…………手……手……[張り手……]」

 しこ踏んだら足も腕も、何だかもう全部が痛かったけれど、頑張って張り手のポーズをしたら呆れた目で見られた。そんな、張り手をこっちの言葉で見つけられなかった私を責めないでください。

 本当は一瞬、子どもは抱きしめて育てるといった標語が浮かんで思わず両手を広げたけれど、抱きしめたら死ぬと気づいて張り手になった。気づいてよかった。

「……あんたの故郷は本当に平和なんだなぁ。普通、ナイフ奪って反撃だろ。なんでそんな珍妙体勢なんだ」

 失礼な。私がやってるから珍妙に見えるだけど、お相撲さんの張り手は強烈なんだよ! 受けたことないけど!

 壁に刺さったナイフを引き抜き、くるくると布で包んだゼフェカは私の肩を覗き込んだ。

「うわ、痛そう」

 やめてください。せっかく忘れてるんだからあえて思い出せないでほしい。腕を何かが伝い落ちる感触が消えないのは、明らかに血だ。見た瞬間痛さに泣き出しそうな予感がする。

「まあ、後で手当てしてやるよ。なあ、カズキ。あんた王子様達に入れ知恵した?」

 ゼフェカはあっさり話題を変えた。私の願いを聞き届けたというよりは、単に自分の用事を尊重しただけのように思えるけれど、乗る。

「そのような高度な技術、私に出来ると思うたか!」

「すげぇ! こんなすげぇ覇気で自分の役立たなさを語る奴初めて見た! っていうか、いつ会ったんだよ」

「王子様々、どのような?」

「無視かよ」

 無視するのは悪いことだけれど、ゼフェカに対してはちっとも心が痛まない。

私は、神妙な顔で頷いた。

「蒸すぞり」

「……あんた、真面目な顔してるときは大抵間違うよな」

 そここそ無視してください。



 ゼフェカは窓際まで歩いていって、ちょっと下を覗きこんだ。

「今まではくそまじめに王に進言してたけど、今回からちょっと手法変えたみたいでよ。口を揃えて黒曜から叱られたって言うんだよ。『王はそんな誰でも分かるようなことが分からないはずがない。全てご存じの上で、王子達では考えもつかないようなそれは素晴らしい案があるだけだ。もっと王を信じなさい』って諭されたってさ」

 私が思いつくようなことは誰でも思いつくし、そんなこと他の誰かが既に言ってるしと悩んだ覚えはあるけれど、そんなことを言った覚えは欠片もない上に、もしかしなくてもその半音上げたような喋り方をした場所は私の真似なのだろうか。ゼフェカ、物まねへたくそですね。やーいやーい、ゼフェカの物まねへたっぴー。……自分で言っといてなんだけど、へたっぴーのぴーって何なんだろう。万引きGメンのGと同じくらい謎だ。

 私の心の中での罵倒を知る由もないゼフェカは、おかしそうに窓枠を叩く。

「そしたらさ、あんだけ頑なだった王二人が、神妙な顔で頷いたんだとさ! 『そのことに気付いた時初めて、王子達にこの件を任せられる』ってさ! ぜってぇ違うだろ! 俺もう腹痛くってさ」

「私なるの故郷には、押しても否なら引きずり落とせという格言が存在するじょ」

「…………あんたの故郷は平和なの物騒なの、どっちなの」

「…………引き倒せ?」

「訂正しても変わらないというね」

 ひょいっと肩を竦められた。まあいいや。

 押しても駄目なら引いてみろの戦法で王子様達が王様を説得できたのなら何よりだ。基本的に全部私と関係ないところで進んでいくからよく分からないけれど、これで少し前進だろうかとほっとする。

 安堵したら痛みが鮮明になってきた。せっかく逸れていた意識が肩に集中する。じりじりと焼けるように痛む傷を掌で押さえこむと、ぬるりと滑った。とても、まずい気がする。傷口は焼けるように痛むのに、手足の先は冷たくなっていく。

 細い息を長く吐いて痛みを散らす。一回痛いと口に出すと、痛い痛いと泣きじゃくってしまいそうだ。 

 別のことを考えようとしていた私は、遠くから聞こえる音に気が付いた。なんだか騒がしい。最初は風の音かと思っていたのに、わーわーとした声はだんだん怒声へと変わっていく。

 何だろうと他人事みたいに思っていたら、この世界では聞こえるはずのない音と共に、世界が揺れた。

「え……?」

 驚いて窓に近寄ろうとした私の前に少女が立ちはだかる。俯いて顔が見えない。声が聞こえず聞き返すと、緩慢な動作で顔を上げた少女は、歪んだ笑みを浮かべた。

「これからは、あなたが偽物になるのよ」

 意味を聞き返そうとした私の目は、限界まで見開かれる。だって、少女の肩越しに見える窓から、おかしいものが見えたのだ。


 こんなものあるはずがない。だって、この世界にはなかった物なのに。



「きゃ!」

 少女を押しのけて、走り寄った窓に張り付く。この部屋は都が見渡せるくらい高い位置にある。その都が、燃えていた。それだけでも驚愕に値するのに、あちこちで上がるものがある。おかしい。なんであんなものが、この世界で舞い上がるんだ。



 私はあれを見たことがあった。でも、実際に見たことはない。でも、よく見たのだ。ドラマで、映画で、テレビの中で。

 地面から膨れ上がるものは粉塵で、そして、さっき世界を揺らしたのは、爆音だ。地震がないからあれだけ地下道が広がっている国で、城が揺れる。揺らしているのが自然ではなく人だからだ。

 窓から顔を出した瞬間、左側から爆音が響いた。城の内側から凄まじい音と爆風が轟き、もうもうと煙が噴き出している。

[ばく、だん?]

 どうして? この世界の戦争は、剣と、ナイフと、弓矢と、槍だったのに。火は、矢を燃やしながら飛んできただけだったのに。投石機が岩を飛ばしてはきたけれど、あんなもの、なかったのに。

 花火すらなかった。火薬なんて、なかったのに。

[なんで、爆弾なんかっ……]

「やっぱり、あんたは知ってたか」

 私の肩越しに同じ景色を覗き込んだゼフェカに掴みかかろうしたけれど、窓枠を掴んでいた自分の手が血で滑った。しかし、そんなことを構っていられない。

[なんで!]

「あんたの故郷は平和なの? 物騒なの? どっちなんだ?」

「ゼフェカ!」

 詰め寄った私に、ゼフェカは器用に片頬だけ歪めた。

「それ、もうやめてくれる? 適当につけた名前だからさ」

「ゼフェカ! 何故にしてバクダン! ゼフェカ!」

「やめろっつったのに、聞きゃしねぇ」

 あちこちで爆発音が響き渡る。世界が揺れて、耳がおかしくなりそうだ。

「俺の名前はな、ツバキっていうんだ。名前がない俺に、あの人がつけてくれた俺の誇りだ」

「……ツバキ?」

「俺の髪さ、ほんとはワインみたいな色なんだぜ」

 青い髪を一つまみして揺らすゼフェカが、振動でぶれる。

私は、この世界では馴染のない、けれど耳にはしっくりと溶けこむ響きを反芻する。

 椿、だ。

「花……何故にして、ゼフェカが、その名前」

「俺がつけてって頼んだんだ。あの人と似た響きにしてくれた時は嬉しかったなぁ……ああ、でも、あんたとも最後の響きが似てる。何? あんたの世界じゃそういう名前が一般的なの?」

 噴煙が窓の外から町を隠す。なのに、私はそんな大事に意識が回らない。

 もう一人、いた? この世界に私と同じ人が、他にもいた?

「スヤマじゃねぇけど、俺もあんたが恨めしい。羨ましいのか、恨めしいのか分からねぇけど、やっぱり恨めしいんだろうな。なあ、カズキ。どうしてだろうな。同じように戦火で荒れる世界に落ちたあんたとあの人。なのに、どうしてこうも違う? 俺の主は、身を守るために知識を曝すしかなかった。そうして、爆弾が使われていく光景に心を病んだ。あんたと同じ世界から来た…………とても、優しい人だったから」

 私が二回もこの世界に現れたのなら、他の誰かだって現れていてもおかしくはない。考えたら分かったはずなのに。だって私は、この世界で聞くはずのない単語を聞いていたじゃないか。

 ルーズソックスなんて物が、一文字も違えずあっちの言葉で存在していると聞いた時に気付くべきだったのだ。ロドリゲスに動揺している場合ではなかったのである。

 カエリタイ。

 あの言葉は、その人の言葉だったのだろうか。

「もう、あの人は俺さえ分からない。同じ場所から来た人間と会えば何か変わるかって思ったけど、平和そうなあんた見てたら腹立ってさぁ。会わすべきか今でも悩んでる。けど、あんたと会ってる奴ら見てたら、やっぱり会わせてみたくなった」

 いつも茶化すように揺れていた瞳が、怖いほどの強さで私を見る。眼球が動かないのに、中心が震えるほどの力が瞳に篭っていた。

「あんたのこれからを、あの人の為に奪うぞ」

 離れてと言いたいのに喉がひりついている。代わりに絞り出されたのは別のことだった。

「そ、ちらなる人の、名は?」

「…………ムラカミ・イツキ様だ。知ってるか?」

 ムラカミ・イツキ。

 姓名の順番を聞いて間違いないと分かってしまう。日本人だ。世界だけでなく、国ですら同郷の人の名前だ。ムラカミは、村上だろうか。名前は酷く耳に馴染む。けれど、知らない人だ。

「……存じ、ない」

「だろうな。それでも、あんたはこの世界で最もあの人と近しい」

 ゼフェカの目が落ちてくる。視線が呼吸を奪うほど強くぎらつく。この視線から逃れるべきだと思うのに、外したら飲み込まれるような気もする。

 逸らすこともにらむことも出来ずに見上げ続けていた私の視界の端で扉が開いた。これは引き戸じゃなかったはずなのに、留め具ごと部屋の中に倒れ込んでくる。そして、見知った二人も雪崩れ込んできた。ルーナと、アリスだ。

「貴様――!」

「うお!?」

 凄い形相で斬りかかってきたアリスに、慌ててゼフェカが剣を抜いた。……ゼフェカじゃなかったらしいけれど、ゼフェカで名乗ってゼフェカで覚えたのだからゼフェカでいいじゃないか。

「どっから沸いた!?」

「貴様、よくもっ!」

「見張り! 何やってた!」

 息を継ぐ暇もない剣に、喋る余裕があるゼフェカに舌打ちしたい。いいぞ、アリスちゃん、やれ! そこだ! と応援したいけれど、言葉が出ない。なんだか視界もぐるぐる回っている。ふらついて足元に視界を落とせば、何だか黒っぽい水溜りが出来ていて滑った。そのまま倒れかけた身体が強く引っ張られて横っ飛び状態で抱きこまれる。

「カズキ!」

 ルーナに手を引かれて、肩に走った激痛に思わず呻く。はっと私を見たルーナは、それでも勢いを止めず、流れるように私を肩に担ぎあげた。

[待って! ルーナ待って!]

 まだ聞かなきゃならないことがある。聞いてもどうにもならないかもしれないけれど、それでも聞かなければならないことがたくさんあるのに。

「駄目だ!」

 そのまま走り出そうとしたルーナを必死に止めるけれど、すっぱり断られた。

「待って!」

 ルーナの背に、今度は少女の声が突き刺さる。

「どうして!? 逃げる場所なんて、どこにもないのに! どうしてその人なの! 私といたほうが絶対得するのに! その人といても、この先には何にもないのよ!」

 どういう意味なのだろう。逃げるって、何で? どこに? アリスも逃げるの? ここはアリスの国なのに? 何もない先ってどこ? 何?

 次から次へと疑問が湧き上がるけれど、誰も不思議そうな顔はしていない。恐らく、この中で事態が呑み込めていないのは私だけだ。しかし聞ける雰囲気でもない。

「私、ちゃんと黒曜になれる! 目も髪も同じ色だし、その人みたいに馬鹿っぽくしてほしいならちゃんとできるわ!」

 必死に縋りつくような声で叫ぶ少女に問いたい。馬鹿っぽいってなんですかね、馬鹿っぽいって。私は馬鹿っぽいんじゃなくて馬鹿なんです! と、胸を張って言える雰囲気でもなさそうだ。私だって空気くらい読める。そして吸える。ついでに吐ける。

 ルーナは振り向かない。少女に背を向けたままだ。

「俺達の出会いはカズキだから意味を成した。それ以外の誰と出会っても、俺には無意味なものだった」

 担ぎ上げられた私だけが少女を向いている。少女は、泣きそうな顔でルーナの背中を見つめながら、肩に乗っかっている私を射殺さんばかりに睨んでいた。とても、器用です。

「アリスローク!」

「分かっている!」

 飛び跳ねて間合いを取ったゼフェカを追い立てるように薙ぎ払った剣を仕舞う間も惜しいというように、その勢いのまま回れ右したアリスと私を担いだままのルーナは、窓に突撃した。

[え、ちょ、ま、ここ何階!?]

「六階だ!」

 返事ありがとうルーナ! でも、全然嬉しくない数字でした!

「やめろ! 死ぬならお前らだけで死ね!」

 血相を変えたゼフェカが走り出したけれど、ルーナ達の足は止まらない。

「誰が死ぬかっ!」

 ルーナとアリスの声が重なった。

 一切速度を緩めずに窓に体当たりする直前、身体がぐるりと回されてルーナのマントの中に包まれる。ガラスが当たらないようにだろう。硬い腕に深く抱きこまれたまま、ガラスが割れる音が全身に響いた。


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