32.神様、ちょっと非常に眠たいです
リリィは難しい顔で皆にこくりと頷いた。
「事実かはまだ分からないけど、ニコクなのに誰も知らない説明にはなるかもしれない」
「ニコク?」
知らない単語は聞けるならその場で聞くようにしている。覚えられるかどうかは、また、別のお話。
リリィは、あ、と小さく声を上げた。
「そっか、カズキは知らなかったね。ニコクは、二つの黒。黒髪と黒瞳を持つ人のことだよ。後、停戦もかけて、二つの国、二国って意味もある。カズキから出来た言葉なんだよ」
「私!?」
「カズキの世界じゃ、みんな二黒なの?」
「多種多様化の色が存在するにょけど、私なるの故国ではそれなるが巨大ぞ」
「多いんだ、凄いね。見てみたい」
私が言葉になるって不思議な気分だ。それくらい、黒が揃った人は珍しいらしい。今は染める人も増えて見ただけでぎょっとされる時代ではないけれど、それでも地毛だと知られたら物珍しがられる。
ミガンダ砦でも、最初は散々おもちゃにされたものだ。目の色見せてくれと皆に言われて、眼球乾燥して大変だった。これ以上見世物にされてなるものかと、ぎゅっとつぶってその場から逃げたら盛大に壁にぶつかって気絶したのは苦い思い出だ。そりゃあ、目をつぶって走ればぶつかりますよね。思い返せば、私を警戒してつんつんと取り付く島もなかったルーナが、気を抜き始めてくれたのもあれがきっかけだった気がする。
あ、こいつ馬鹿だから平気だわ作戦の成功である。ちなみに、そんな作戦を実行していたつもりは欠片もなかった。何故だろう。ゼフェカに対して行っていた作戦は、時を超えるというのか。
「あ」
突然声を上げたリリィに皆の視線が集中する。リリィはそのどれをも無視して、くりんと私を向いた。
「忘れてた。カズキ、ご飯食べてる?」
「極小じょりん……」
返事と一緒にお腹が鳴った。キュウ……と可愛らしく鳴った私のお腹。おお、お前は女子力を手に入れたんだなと感動したら、次の瞬間ゴギュゥウウと威嚇してきた。フェイントだったようだ。
「ネイ」
「はい、お嬢様」
いつの間に用意していたのか、目の前にお茶が用意されていく。そして、ネイさんの懐から何かが取り出された。手拭いに包まれたそれを受け取って、促されるままに開くと、更に茶色っぽい紙に包まれている。それも開くと、中には平べったい半月状の餃子みたいな食べ物が入っていた。
「こうやって話す時間が取れなかったら、渡しやすいものがいいかなって。食べて」
促されるままに食べる。他に誰も食べていない状況で、みんなに見られながらの食事はちょっと気まずいけれど、お腹が威嚇してきたのでありがたく頂くことにした。
一口齧ってもぐもぐ咀嚼。正確に言うと、一口(大口で)齧って(かぶりついて)もぐもぐ(ぐもぐも)咀嚼。お腹空いてたんです。
「口に合うかな」
「美味――!」
厚めの皮がぱりっとして、中にはひき肉と野菜が濃い目に味付けされた餡が入っている。なんだこれ、凄く美味しい。こっちの世界では初めて食べる味付けだ。
気まずいとかなんのその。頬袋を作る間もなくぺろりと食べきってしまった。
「よかった」
リリィはちょっと口元を緩め、小さく笑った。凄まじく可愛かった。
ネイさんから、これまた用意されていたハンカチと受け取って、口元と手を拭く。
「猛烈な勢いで美味だったにょ! リリィ、ありがとう!」
「久しぶりに作ったけど、うまくできてよかった」
「リリィが制作してくださったのでありますかにょ!?」
「うん」
もっと味わえばよかった。あんな、飢えた猛獣ががっつくみたいに食べてしまうなんて……凄く美味しかったです!
「お母さんが東方の少数民族の出身でね、そこの伝統料理なの。お父さんも好きだったんだって」
「美味だものぞ!」
「おいしかった、のほうが可愛いとは思う」
「おいしかった!」
「よかった」
一気に満たされた気持ちだ。ただでさえ、見知った人達とさほど緊張しない人達に囲まれ、お腹まで満たされた。これはもう寝るしかないと私の身体が訴えている。威嚇してくるは、勝手に寝ようとするは、私の身体は凄く自由だ。
食べ終わるのを待っていたのか、一息ついた私に、神妙な顔をした王子様達が詰め寄ってきた。
「黒曜!」
「うはい!」
ラグビー部様は声が大きい!
思わず飛び上がった私の両肩を書道部様が掴む。素晴らしい連携。逃げられない。仲が悪いとか絶対嘘だ。
「父王は意固地となり、我らの進言に耳を貸さない。このままでは国が割れる。永きの間、国を守護してくれていた騎士と軍士の心が離れてしまえば、最早国として成り立たぬ。どうか、黒曜から父王に何か言葉を預かれないか」
「我らの言葉は届かずとも、黒曜の言葉としてならば、何か胸を打つやもしれぬのだ」
真剣な顔をしている二人と、なんともいえない微妙な顔をしているアリスが並ぶ。その顔を見るに、散々止めてくれたのだと思う。カズキはたわけだからとか、阿呆だからそんな難しい事求められても理解できないからとか、説明してくれたはずだ。ありがとう、親友(仮)!
縋るような私の視線を受けたアリスは、神妙な顔をして首を振った。
「貴様の台詞をうまい具合に切り取って組み立ててくださると……貴様の不利になるような組み立て方はしないと誓ってくださったのだから…………まあ、頑張れ」
しかし、止められなかったんだね、親友(仮)!
皆の視線が私に集中する。とりあえず口周りに食べかすがついてないかだけは確認した。
私の言葉で親友(仮)の役に立てるなら喜んでやるけれど、そもそも私は事態を把握できていない。そんな状態で役に立つ言葉なんて言えるわけがない。しっかり把握していても役に立てるかどうか怪しいというのに。
「不可能じょりん……」
「我が身の力不足を黒曜に押し付ける形になり、誠に申し訳ない!」
「私の力が及ばないばかりに黒曜に押し付ける形となり、誠に申し訳ない!」
若干言葉は違うものの、ほとんど同じ言葉を同時に言うのはやめてください。その後、額を突きつけて威嚇しあうのはもっとやめてください。いや、寧ろ同じ言葉だったほうがまだよかった。聞き取りやすいので。私は聖徳太子さんではないので、一人の言葉だって聞きとるのは一所懸命だ。
「え――……他者の忍耐を初期より頼りにしてなるの作戦は、他者が忍耐を作戦終了行った時点で終了だぞりん……なることは、先んじて周囲周辺よりてお喋りが無きはずもございませんよりて…………ぬ――ん……」
誰かの我慢を前提とした事なんて、最初からうまくいくはずがない。だって、その誰かが我慢をやめてしまったらそこで終わってしまう
当たり前のことだ。私がすぐに思い浮かんだ考えなんて、この人達が言ってないはずがない。
「苦悶してる時の唸り声すら、徹底して可愛くないのは凄いですね」
「カズキは可愛いよ」
「はい。一周回ってだんだん可愛く思えてきました。ね、騎士アードルゲ」
「可愛いの定義を見直してくるから、少々待て」
悩む私の後ろでみんな楽しそうだ。私も混ぜて。
「恩人を仇で返却するならば、信用第一安全第一が落下したも、苦情は進言できぬぞり……なることも、先んじてお喋り体験済でありましたにょ…………」
恩を仇で返すような人間も、上層部も、国すらも、信用なんてできない。
一般人の私ですらそう思うのに、今まで国に尽くして、命も人生も懸けて戦ってきた彼らが思わないはずがない。そしてそんなこと、既に誰かが言っているはずだ。
「私の目標は、カズキみたいな大人になることだよ」
「お嬢様、お嬢様、お嬢様! お嬢様の命令ならどんなものでも従いますが、それだけは、それだけはどうか、お嬢様!」
「早まるな、ガルディグアルディア!」
思わず後ろを振り向きかけて自制する。今すぐリリィに抱きつきたいけれど、流石に王子様二人を、しかもこんな重大な話題で放っていくわけにはいかない。
「他者の想いを裏返して進軍しても、絶対平和的解決取得は不可能じょりんなどと申す事態は……既に把握済みで致すのでありにけりて…………」
駄目だ。なんて陳腐な言葉しか思い浮かばないんだろう。私の語群が少ないからだけじゃない。考え方も、知ってることも、誰もが知ってることばかりだ。みんな分かってて、みんな知ってる。そんなことしか言えない私に、国王の考えを変える言葉なんて思い浮かばない。
ぐっと唇を噛み締めたら、前に誰もいなかった。
「考え直せ、ガルディグアルディア!」
「気を確かに持て、ガルディグアルディア!」
ぐるりと回れ右をしたら、鬼気迫る顔をした男性陣四人が必死にリリィを説得している。
さて、私はどうしたらいいんだろう。ぽかんとしつつ、逆に冷静になってしまった。
人に聞いておきながらいなくなった王子様に怒ればいいんだろうか。彼らからの問いに一所懸命考える私を置き去りにして、背後でみんなわいわいしていることに寂しがればいいのか。
いや、違う!
私は必死の形相でリリィに詰め寄る男性陣を押しのけて、リリィの前に陣取る。そして、彼らに負けず劣らずの形相で、リリィの肩を掴んだ。
「そのような事態が発生致せば、国ぞ世界ぞ大惨事にょ――!」
「自分で言うかたわけ――!」
アリスに渾身の力で引き剥がされた。
だって、だって、リリィが、リリィが!
世界の秘宝が! 重要文化財が! 人間国宝が! 可愛いリリィが!
よりにもよって私なんかを目指してしまったら、そんな、私は一体誰に詫びればいいか分からないほどの大罪を!
「うっうっうっ……リリィ……リリィ…………」
「な、泣くな、たわけ! 大丈夫だ、カズキ! まだだ! まだガルディグアルディアは変異していない!」
「変異決行済みであるば、このような惨状では終了しないにょり――!」
思わず号泣してしまった。アリスがおろおろとしている。
「誰よりも本人が嘆いている場合、私はどうすればいいのだ」
「そんなことも思い浮かばないとは……これが王子だなど嘆かわしい」
「具体的な解決策を提示せず、他者を非難するだけの男に言われてもなんとも思わんなぁ」
「他者からの策を頼ってばかりの男に言われてもなんとも思わん」
「幾らでもほざけばよい。私は黒曜からの助言を父王に伝える用意が整ったのだ」
「ふ……それが己だけだと思うたか。これだから凡庸な男は困る」
鈍い音がしたので、恐らく額をぶつけ合ったのだろう。短い付き合いなのに見なくても分かってしまった。そして、あの台詞のどこをどう抜粋して加工すれば、優秀な皆さんの言い分を聞かなかった王様の心を動かせるというのか。
しかし、そんなことに気を回す余力はない。だって、リリィが、可愛いリリィが、私みたいになってしまったら絶望するどころの騒ぎではない。
「な、泣くな泣くな泣くな! 私はどうすればいい!?」
おいおいと嘆く私の肩に手を置いて、必死に宥めようとしているアリスちゃん。どうすればも何も、とりあえずがくがく揺さぶるのはやめたらいいと思います。せっかくのリリィの手作りが栄養になる前に帰還してしまいます。
揺れる視界の中で、リリィが腕を組んでふぅと溜息をついた。可愛い。
「私の長年の目標が、更に難易度高くなった気がする」
「お嬢様!?」
泣きそうな顔になったネイさんがリリィに詰め寄ろうとしたとき、厚手のカーテン越しに声がした。
「失礼。私です」
「入れ」
みんな流石の反応でぴたりと騒ぐのをやめた中で、ラグビー部様が許可を出した。書道部様は黙っているから、入ってきた人はブルドゥスの人なのだろう。ラグビー部様の名前も、王子様という役職……なのだろうか、も言わずに、自分の名前も言わなかったのは、会場の人への配慮だろう。壁に耳あり、障子に目ありだ。でも、それを考えると私達は随分騒ぎ過ぎた気がする。いやぁ、反省反省。
入ってきた男の人は、会場で私を見ていた人の一人だった。なんだ、ラグビー部様の部下さんだったのか。もしかしたら、ゼフェカのお仲間かと思い、特徴などを必死に覚えていたのに肩透かしを食らった気分だ。そりゃ、二国の王子様がお忍びでいるのだ。護衛がアリスちゃんだけなはずがない。そりゃあそうですよね。ちょっと考えれば分かりますよね。そのちょっとが分からないのが私である!
ちょっとでも何か役に立てないかと思って一所懸命覚えていたのに、しょんぼりだよ!
ラグビー部様の前で即座に膝をついた体格のいい人は、おそらく騎士だろう。その男の人は、やや早口で言った。
「すぐにお戻りください! 王と軍部が決裂しました! グラースもです!」
「何だと!?」
重そうな椅子を蹴倒して立ち上がったラグビー部様と、同じ動きをしても椅子が倒れなかった書道部様が騎士に詰め寄る。
「そのような会談の予定など聞いていないぞ!」
「我々もです! 否、恐らくはほとんどの者が! 大将軍が突然の謁見を申し入れ、王が許しを!」
「大将軍は何と!」
騎士はぐっと唇を噛み締めた。
「最早軍士の不信感は留まるを知らぬ。その軍部を抱えてゆくか、手放すかと選択を迫り……」
「王は、手放すと!?」
無言で下がった頭が返事だ。
眩暈が起こったのか、ふらついた書道部様の身体を片手で押さえたラグビー部様も、残った片手で目頭を押さえた。
「騎士も黙っていないぞ……国が、割れる…………父上っ!」
絞り出すような、叩きつけるような声が響く。唸るような声は怒りの塊に思えたのに、悲しみにも聞こえた。
静まり返った空気の中で最初に動いたのは、書道部様だった。支えられていた腕を軽く叩き、体制を整え、長い息を吐く。
「分かった。すぐに向かう。お前も……損な役回りだな。ブルドゥスの騎士よ」
跪いていた騎士の人は一度大きく瞬きをして、ゆっくりとかぶりを振った。
「……いいえ、いいえ、エリオス様。勿体ないお言葉です。私は今の時代を生きることが、貴方々と同じ時代を生きていることが誇らしくてならないのです」
「……そうか」
ぐっと何かを飲み込んだ書道部様は、長い長い息を吐き出した。そうして前を見たそこに、さっきまで見せていた狼狽はどこにもない。
「いつまで呆けている、アーガスク。私の騎士達もそろそろ痺れを切らしているぞ」
狼狽が消えたついでに、さっきラグビー部様の腕を軽く叩いた時に見せた優しさや感謝の念的な何かも消え去っていた。くいっと吊り上った口角と皮肉気な声音に、ラグビー部様の口角もぐっと吊り上る。
「……ふん。真っ先によろめいた貧弱なものに言われる筋合いはないが、不本意ながら、話す時間も惜しいな。黒曜!」
「うはい!」
だから、いきなり大声で話を振るのはやめてほしい。
反射的に気をつけの態勢になった私の肩を豪快に叩いたラグビー部様は、よしっと何かに気合いを入れた。何故、私を巻き込むんですかね。
「楽しい時間であった! 感謝する! この騒動が終わればゆっくり話をしよう!」
「不本意ながら同感だ。いつか平和になった暁には宴をしよう!」
いつの間にか会場で私を見ていた人達が揃っている。その人達を引き連れ、マントを颯爽と翻して、壁だと思っていた場所に開いた穴から消えていく王子様に言いたい。凄く言いたい。
だから、フラグを立てるのはやめてくださいとですね!
後に続こうとした騎士の人は、くるりと私を振り返り、綺麗な礼をした。
「お会いできて光栄です、黒曜様。泥試合だった戦に終わりというきっかけをくださったこと、我ら一同心より感謝しております」
「は、い」
「再度、見える幸運を祈っております!」
もう一度深く頭を下げた騎士は、マントを翻して颯爽と穴に消えていった。
大変な事になった、と、いうことは分かった。心臓がどきどきしているのに、何がどう大変かまで思考が回らない。だって、大変なのだ。遠い遠い世界の事だと思っていたことが、目の前で起きている。遠くて、違う場所での事件みたいに、知らない間に始まってて、大変だなー、誰か何とかしてくれないかなーとか思っている内に、なんとなく終わってる。本来ならその規模の話だ。なのに、まるで手が届きそうな場所で事件が見える。見えるのに、手なんて届くはずもない世界の話で。
頭脳も力も地位も権力も、もしかしたら関わる権利すらない私に出来ることは、ただ、心臓をどきどきさせることだけだ。
何にもできない。話の全容を詳しく聞くことすらできないでいるのに、後世で『歴史が動いた瞬間!』みたいな特集が組まれそうな事態が目の前で起こっていく。
私は、事態の全容を詳しく聞いていない。仕事でも、家族でもない私が、どこまで突っ込んで聞いていいか分からないからだ。聞いたところで何もできないからでもある。
アリスちゃんは一気に老け込んだみたいに、どっと疲労感を漂わせている。
王様とは立派な人なんだろうなとか凄い人なんだろうなと、勝手に思っていた。一般人の私とは遠い人で、全然違う人で、国なんて大きなものを支えられる人なんだろうと、何故か思い込んでいた。けれど王子様達の話を聞くと、まるで、自分の地位にしがみつくただのおっさんのようにしか思えなくなってしまい、困る。会ったこともない……ほとんど、会ったこともない人だし、全く知らない人だから、他の人の意見だけでそんなこと決めつけちゃいけないとは思う。私では考えもつかないような大変な苦労があるとも思う。
けれど、私ですら天を仰いでしまいそうな方法を選択してしまったのは、まずいというのは分かる。そしてその選択で、私の大切な人達が苦しむのだ。
軍部はどこにいくんだろう。軍士は、ティエンは、いなくなってしまうのだろうか。ああ、嫌だ。そんなのは、嫌だ。皆が仲違いするのは嫌だ。それが彼らの所為じゃないのは、もっと、どうしようもなく嫌だ。
頭がぐらぐらしてきた。
イヴァルが泣いている声がする。意見の食い違いで騎士と軍士が喧嘩をしていたのを見たイヴァルは、怖いと泣いた。
一般的に軍士は庶民の出であることが多く、騎士は貴族の出であることが多い。けれど、前線に出てくる騎士達は、後継ぎではなく、『捨てられた』と本人達が申告するような扱いをされている人も多かった。身分や家柄関係なく前線にいた、アリスちゃんのような人が特殊なのだ。
戦場で戦ってきた人達は、そこにしかいられなかった。そうとしか生きられなかった人が、もういらないからと放り出されて、どうやって生きていけというのだろう。ティエンだってもう三十歳を越えている。手に職となる技術もない男の人達に、何をして働いていけというのか。その人達へのケアも何もなく、もういらないからと放り出されたら、誰だって怒る。それが、命も人生もかけて守ってきた相手からの言葉だったら、憎悪となってもおかしくない。
騎士だって、次は我が身かもしれない。それに、ずっと一緒に戦ってきた人達がそんな扱いを受けて怒らないはずがない。そして騎士も複雑だ。ほとんどの人が前線にいた軍士と違い、騎士は前線にいなかった人達がいるのだ。お城や、国内を守っていた人達だ。その人達だって複雑だろう。
イヴァルにとって、砦の皆が家族のようなものだった。その皆が仲違いしているのは、幼い彼にとって凄まじい恐怖だったはずだ。事態が落ち着いて、また皆で飲み交わせるようになるまで、一旦落ち着いていたはずのイヴァルのおねしょは続いた。
幼い彼の泣き声が頭の中をぐわんぐわんと回る。
『カズキさん、カズキさん』
イヴァルが泣いている。家からの手紙がないと、戦争はいつ終わるのだと、ずっと一緒にいてほしいと、誰もいなくならないでほしいと。
『カズキさん、カズキさん』
イヴァルが泣いている。戦争が終わったら、普通の子どもみたいなことがしてみたいと。思いっきりかけっこがしたい、同年代の子どもと遊びたい、勉強だってしたい、家族と一緒にご飯が食べたい、家族と一緒に眠ってみたい。
『カズキさん、カズキさん』
イヴァルが泣いている。
手を繋いで、頭を撫でて。一緒にお風呂入って、一緒にご飯食べて、一緒に眠って。一緒にお話しして、一緒に笑って、一緒に、一緒に。
一緒じゃなくてもいいから、いなくならないで。誰もいなくならないで。
イヴァルは、そう言って泣いていた。
ごめん、ごめんね、イヴァル。いなくなってごめん。何も出来なくてごめん。役立たずでごめん。ただ心臓どきどきさせるしかできなくて、本当にごめん。
幼い子どもの声が泣き喚く。ぐるぐる回る思考に合わせるように、視界まで回ってきた。
あれだけ眠たかったのに、睡魔より強烈な衝動と覚醒が点滅して交互に現れる。でも、これは睡魔だ。
「カズキ!」
三人分の声が重なる。これはまずいと膝を突こうとしたのに、視界は一気に白くなった。
断じて気絶ではない。これはただ、睡眠をとっているだけである。ぶつ切りに強制睡眠をとらされても疲労は取れないし、寧ろ溜っていくんだなと、この世界に来て初めて知りました。ちょっと賢くなった気分です。重ねて言います。これは睡眠です。
だから、みんな、そんな顔しなくていいよ。




