31.神様、ちょっとひょっとこにございます
ひょっとこ顔から解放された私は、逆にアリスちゃんの腕を掴む。
「アリスちゃん」
「何だ」
「エレナさん方々、無事の帰還をお祈り申し上げございます?」
「貴様は語群を増やさないほうがいいと母上に進言しておこう」
アリスちゃんの言葉にネイさんが頷いていた。賢くない頭で一所懸命文を組み立てているのに。寂しい。
「母上も皆も無事だ。寧ろ、貴様の服を守れなかった事への謝罪を託されてきた。偽黒の手に渡してしまった事を私からも謝罪する。申し訳なかった」
綺麗に頭を下げたアリスちゃんの旋毛が見えて、慌てて両手と頭を小刻みに降る。エレナさん達は勿論、アリスちゃんが謝る事なんて一つもない。寧ろ私が菓子折りを片手どころか両手に山盛りで持っていき、土下座して謝罪しなければならないのだ。
土下座をこっちの言葉でどう言おうか迷った一瞬で、アリスちゃんの態勢が元に戻り、私のひょっとこも帰ってきた。
間近にアリスちゃんの真顔がある。
「もう一つ伝言を持っているのだが、聞きたいか?」
聞きたくないです。エレナさんには凄く会いたいのに、何故だかとっても聞きたくないです。
そう言いたいのに、ひょっとこ口では難しかった。後、アリスの真顔が怖い。
「『貴女には申し上げたいことが多々、それこそ山のようにありますが、実際に会って伝えたほうがよいでしょう。よって、必ず無事に会いましょう。互いの無事を喜んだ後、覚悟を決めなさい』だそうだ。大丈夫だ、あれくらいなら三時間ほどで済むだろう」
「何故が三時間!? 無事ぞ喜ぶ!? そのような故は大歓迎!」
「説教だ」
「はい、存じてた……」
ひょっとこから解放された私は、がっくりと項垂れた。どうしよう、再会が怖い。再会の喜びと説教への恐怖を量りにかけると、それは再会の喜びが勝っている。ちょびっとだけど。
「黒曜は、あのアードルゲの女傑エレオノーラに気に入られたと聞いたが、誠だったか」
「ぞけつ」
知らない単語だ。袖を引かれたので振り向くと、リリィがいた。
「女傑だよ。ええと……強くて賢い女性、みたいな意味で覚えていたらいいかな。傑物は分かる?」
「傑作な人物にょ」
「そこから微妙に怪しいですが、まあ、傑物の女性版だと思えばいいですよ」
二人にお礼を言ってラグビー部様に向き直ると、書道部様と額を突きつけあっていた。とっても仲良しですね。足が蹴りあっているとか全然見えませんよ。
ビームでも出しそうな目つきで睨みあっていた二人の王子様が、同じタイミングで勢いよく私を向いた。
「黒曜!」
「何故にして私なるを混在する!?」
思わず両手を身体の前でクロスして身を守ってしまう。なんとかレンジャーが戦うポーズみたいになってしまった。違うんです。私は戦いたいんじゃなくて身を守りたいんです。
私に詰め寄った王子様達は、同じ顔、同じタイミングでアリスを見た。
「…………アリスローク」
「…………………………………………………………………………どうして私を巻き込むのですか、ではないか、と……恐らくは」
「それぞり!」
「騎士ルーナを呼べ!」
「ルーナに再会叶うは、私とて悲願ぞ!」
私だってルーナと会いたい!
思わず叫ぶと、アリスはちょっと気まずそうな顔をした。みんなの視線がアリスに集まると、物凄く気まずそうな顔で片手を上げ、私の頭に押し付けた。そのままぐいぐいと押されて気づく。これは、かの有名な頭ポンですか。全く気付きませんでした。てっきり首を圧し折ろうとしているのかと思いました。
異世界の頭ポンって斬新だ。首痛い。
その様子を眺めていたラグビー部様は大笑いを始めた。高貴な生まれの方が大口で笑うのはありなんだろうか。ありなんだろうな。人間だし。
「人形兵器とまで言われた騎士ルーナを落としたばかりか、堅物代表と名を馳せるアリスロークまで落としたか!」
大きな声で笑って言われた言葉に驚愕してアリスを掴む。なんだかさっきから掴み掴まれてを交互に行っている気がするけれど、今はそれどころじゃない。
「ルーナとアリスちゃん落下したにょ!? どのような高低差よりて!? 負傷は!?」
慌てて怪我を確認しようとした私の両肩が、がしりと掴まれる。
「アーガスク様! お戯れにも限度があります!」
私の肩を掴んだまま、肩越しにラグビー部様に怒鳴るアリスは不敬じゃないのか。ラグビー部様は豪快に笑っているから大丈夫だとは思うけど、ルーナとアリスの怪我は大丈夫なのだろうか。
「カズキはたわけを凝縮したような女なのですから、からかわれては困ります!」
事態はよく分からないけれど、微妙にひどいことは分かった!
「カズキは優しいね」
「カズキは易しいですね」
何故だろう。微妙なニュアンスの違いを感じる。それが何かは分からないけれど、ネイさんの台詞に含みを感じた。そして、結局、怪我は大丈夫なんですかね。それとアリスちゃんは、私を解放してから怒鳴って頂けませんかね。
どうすればいいのか分からないから、とりあえず目の前のアリスちゃんに怪我がなさそうな事を視線で確認する。動きにおかしいところはないからたぶん大丈夫だと思うけど、チャンスがあればルーナも確認したい。
人形兵器というのは、昔のルーナの渾名だ。人形のように表情も感情もないのに、凄まじく強く美しい少年騎士兵だったから、そう呼ばされていたそうだ。そのルーナが、集団で襲いくるゴキブリにパニックになった私に、大根もどきで殴られていたなんていったい誰が思うだろう。本当に申し訳なかった。再度あんなことになったら、躊躇なく同じことを繰り返す自信がある。あれはいけない。理性も思考も全て無意味となる。
他にもいろいろやらかしたのに、ルーナはよく私を好きになってくれたものだと今でも思う。これはもう、異世界七不思議に入っていいはずだ。トップに燦然と輝く。次いで、何で私はあっちにこっちに世界を飛んでいるのかの謎がランクインしていたりする。
そんな私の肩に、どことなく楽しそうな顔をした書道部様の手がぽんっと置かれた。
「黒曜、貴女と話をしてみたいと長らく願っていたが、不可能かと諦めていた。今はこのような状況だが、いつか場を用意しよう。騎士ルーナも、ガルディグアルディアも、女傑エレオノーラも、皆招き、盛大な無礼講で宴をしよう。きっと楽しい時となろう」
その場を思い浮かべたのか、柔らかく細められた瞳につられる。私の乏しい想像力では、豪勢な美しい景色はうまく思い浮かべることができない。さっき壁の花……草かな! をやっていた夜会の雰囲気ではなく、中庭のような青空の下で飲めや歌えやの大騒ぎしか思い浮かばないのはきっと、ミガンダ砦での暮らしが影響しているのだろう。でも、楽しそうなのは分かる。この王子様なら、堅苦しいことは言わないと思うから、最低限のマナーさえ守っていればうるさく言われないのではないだろうか。
いつか、そんな時が来るのだろうか。ミガンダ砦の皆もいるといいな。
楽しそうな未来を夢想していると、書道部様に手が置かれている肩とは反対に、ラグビー部様の手がどしりと置かれた。
「その宴はわたしが仕切ろう」
「わたしが提案したのだが、やれやれ、これだから人の手柄を横取りせぬと手柄を立てられぬ凡俗は」
「やれやれ、未だ絵に描いたパン程の構想もない段階で、既に手柄を立てたつもりでいる凡俗は言う事が違うな」
「宴はわたしが開く!」
「わたしだ!」
私の頭の上でがつんと鈍い音がした。王子様の額が激突したのだ。
どうして私を挟むのだろう。迷惑すぎる。
「いつか!」
「この騒乱が終われば!」
「宴を!」
「するのだ!」
そして、人の頭上でフラグを建てるのは是非ともやめて頂きたい。心底やめて頂きたい。
心の底からと書いて、心底だ!
威嚇しあう王子様をアリスが苦労して引き剥がし、話し合いを続行した。
「軍部のことは、遺憾ではあるが、我々で王に進言しているのだが……。事は軍士だけでは済まない。軍士と共に戦ってきた騎士達も、国に対し不信感を抱いている。騎士と軍士が対立している国もあるらしいが、ブルドゥスもグラースも、彼らの信頼が国を作ったというのに父王は……」
ラグビー部様が深くため息をついた。
「遺憾ではあるが、わたしの父王もブルドゥスの王と同じく、変化を嫌う性質がある」
「大変遺憾ではあるが、わたしの父王も、ただ戦争に負けない政治だけをしていれば良かった時代から抜け出せない。先を見ず、相手国に向けられていた不満の矛先が己に向かうのが怖いのだ」
「多大に遺憾ではあるが、わたしの父王も、軍部を蔑にする危険性が見えていない」
「最大限に遺憾ながら、わたしの父王も、軍部が敵に回るなどと考えてもいないのだ。今まで尽くしてくれたのだから、これからもそうだろうと疑ってもいない」
遺憾なのは、大変、多大に、最大限に分かったから、そろそろ前口上にスキップ機能つけて頂けませんか。スタートボタンでいいですか? それとも〇ボタンですか?
「わたしも出来うる限りの手は打つ」
「わたしも出来うる限りの手は打つ」
二人の王子様は同じようにため息をついた。本当に仲がいい。
「はあ」
私の返事はこれしかない。だって、そんなこと私に言われてもというのが正直な感想だ。
「黒曜とルーナには本当に悪いと思っている。だが、このまま耐えてほしい」
成程、そう繋がるのか。
私はこくりと頷いた。あ、今のちょっとリリィっぽい。
「最大限努力致す」
頑張って語尾は切った。収まりが悪くてもぞもぞするけれど、ネイさんが後ろでおおっと声を上げている。私だってやればできるんです。
「黒曜は老将軍みたいだな」
「わたしが思ったことだな」
「口に出したわたしの勝ちだ」
「このような些末事で勝敗を競うなど、これだから器の小さい男は」
老将軍扱いされて傷心の私の前で、突如喧嘩を始めるのはやめてもらえますかね。見た目は正反対だと思ったけれど、両王子様の中身は一緒だ。
口に出したら巻き込まれそうなので、私は固く口を噤む。
「ねえ、カズキ」
「はい、リリィ!」
固く噤んでも、リリィに呼ばれれば開く。リリィが呼べば、天岩戸だって簡単に開くと思う。
小さな手が、ふわりと私の頭の包帯に触れた。
「この怪我は、あいつらにやられたの?」
「大変多大に私の所為! 極小にゼフェカ」
「貴様という奴は……」
呻いたアリスに、いい笑顔を返す。痛い者を見る目で返された。
リリィはこくりと頷いた。
「分かった。じゃあ、敵だね。カズキは怪我しないように気をつけて」
「はい」
極小でも敵判定なら、大半私の所為じゃなかったらどうなっていたんだろう。じっと見ていると、こてんと首が傾いた。
「徹底的に潰すね」
「リリィ、可愛い!」
言ってることは凄かったけど、可愛かったからすべて許された。
王子様達は険悪で仲良しに、色々話し合っている。ここで話していいのかという内容も含まれている気がした。リリィ達は信頼されているのだろうけれど、私はどういう扱いなんだろうか。リリィ達が何も言わないから大丈夫だろう認定なのか、こいつ馬鹿だから大丈夫だろう認定なのか。おかしい。その作戦はゼフェカに対してやっていたのに、どうしてこんなところで成功しているんだ。
確か、偉い人とかはこっちから話しかけちゃいけなかったように思う。映画とか漫画とかの知識だけれど……今更のような気がする。それに、こっちから話しかけるネタも特にないので、話しかけられた時以外はリリィと話す。至福である。
「カズキは偽黒と話した?」
「極小に」
「そっか」
彼女とは話したと言うほど会話もできなかった。そもそも、まともに話せる時間もない。今日は本当に長い一日だ。また眠たくなってきた。
片手で隠して小さく欠伸をする。
「き、貴様が淑女のような行動を!」
「そのようにまでに驚愕致すなくとも……」
慄くほど驚かなくてもいいんじゃないでしょうか、アリスちゃん。
私だって欠伸やくしゃみするときは手で覆うくらいの常識はある。両手がふさがってるときは、顔を背けるだけで許してほしい。咳をしているときはマスクをする咳エチケットだって完璧だ! ……この世界でマスクってあるんだろうか。三角巾で鼻と口元を覆って掃除をしたことはあるけれど、マスクは見たことがない。つまり、この世界では咳をする人はみんなあれをつけて歩くのか! 見た目的には凄く怪しいかもしれない。
風邪が流行ったときの街並みを想像している私の横で、リリィも何かを考え込んでいた。あ、リリィの旋毛右巻きだ。可愛い。耳の後ろに黒子がある。可愛い。
「リリィ、如何致したぞり?」
「うん……」
リリィは考え込んでいる。可愛い。
何を見ても可愛い。初孫を持ったお婆ちゃんはこんな気持ちなんだろうか。
「ガルディグアルディア、どうしたのだ」
「ガルディグアルディア、どうしたのだ」
考え込むリリィの様子に同じタイミングで気づいた王子様達が、同じタイミングで声をかけてきた。額を突きつけあってメンチ切るのは勘弁してください。歯を出して「ああん?」みたいな顔もやめてください。テレビで見た猿の威嚇を思い出した。
「もしかしたら、娘かもしれない」
「ええ!? 何時如何なるときに誕生日!?」
「私の子どもじゃないよ? ドレン・ザイールの娘かなって」
「申し訳ございません」
そんなはずはないと分かっていてもびっくりしてしまった。お相手は誰なんだと考えてしまったのだ。大好きなリリィが結婚する相手は、絶対かっこいい人じゃないと。いや、かっこよくなくていいから優しい人じゃないと。優しいは絶対条件だけど、リリィをとっても大事にしてくれる人じゃないと。大事にしてくれるのは基本条件だけど、リリィを何より大好きに思ってくれる人じゃないと。かっこよかったら尚いいな。
一人で慄いた後、黙々と条件を積み重ねる私を冷めた目で見つめたアリスが、難しい顔をする。
「ドレン・ザイールに子はいないはずだ」
「ああ、確か……終戦より二年前だったか。奥方と子は初産で亡くなったと聞いた覚えがあるな」
書道部様が記憶を辿る。
そうだったのか。奥さんと子どもさんを一遍に亡くした金歯にはお悔やみ申し上げる。同情に似た気持ちが湧き上がってきた。同情と思いたくないのは、彼にされたことが許せないからだ。
皆の視線がリリィに集中する。
「昔、店に来てたドレン・ザイールと会ったことがあるんだけど、その時に、自分の娘も私くらいだから是非とも仲良くしてほしいって言われたことがある」
「ああ、そういえばそうですね。随分昔の事ですが、女達への態度が悪くて、すぐに出禁にしてしまいましたし。次期ガルディグアルディア当主との繋がりが欲しいと見え見えの態度でしたね。確か、俺が『お嬢様に墓に入れと申されますか?』と聞いたら、ひどく慌てて『生きていればの話ですとも』って…………生きてるんですかね?」
皆の視線が一斉に私を見た。何故、私を見る。私だって衝撃の事実だ。みんな以上に訳が分からないんですが。
え? 終戦が十年前で、そこから二年前の訃報だから、十二? 十二歳? あれで!?
私が可哀想になる素敵バディだったのに、十二歳!? 小学六年生!?
「何故にして!」
激しく項垂れる私の言葉に、書道部様の同意が続く。
「ああ、何故だ。何故、存在を秘匿する必要があった?」
その何故ではなかったけれど、それも気になるポイントだ。寧ろそっちの方が重要なポイントなのだろう。それは分かる。分かるのだけど。
「成程……少々大人びてはいるが、骨格は華奢な印象を受けたのはそれ故か」
「少々!?」
「確かに、若干大人びてはいるものの、全体的に不均等だと思ったのはそれ故か」
「若干!?」
異世界の基準って分からない!
「カズキ、カズキ」
がくりと項垂れた私の裾が引かれる。泣きべそをかきそうな顔で視線を向けると、リリィがこくりと頷いた。
「まだ憶測だから、そうとは限らない。それに」
そこで一度言葉を切ったリリィは、凛と言った。
「個人差だよ」
「はいっ」
リリィの凄さは可愛いだけじゃない。
凄く、かっこいいのである。




