30.神様、ちょっと険悪の仲良しです
アリスに飛びついたみたいにリリィの前に走り寄ったけれど、その勢いのまま抱きつくわけにはいかずにブレーキをかける。私じゃリリィを弾き飛ばしてしまう。足は痛いけれど、凄く嬉しいからよしだ。
最近はずっと誰かを見上げるばかりだったから、視線を合わせる動作すら幸せだ。
私の前で、会場中の誰より可愛いリリィがこてんと首を傾けた。
「カズキ、無事……じゃないみたいだね」
「そうぞり!」
「それも直ってなかったね」
「ぞり!」
「悪化した?」
「ぞり……」
気持ちのままに言葉を紡げば、うっかり戻ってしまう。標準語で話していても、うっかり方言が出てしまうような感じである。誰だって話しやすい言葉の羅列ってあると思うのだ。私はそれ以前の問題だと言われたら否定はできないけれど。
「リリィ、邂逅望んでたぞろり!」
「うん、私も会いたかった」
肘まである白い手袋をはめたリリィの両手が、私の両手を取る。
「会えてよかった」
「私も同様! だがでも、リリィは何故にしてこの場に?」
「娼館燃えたから」
さらりとした返答に私も首を傾げた。ああ、リリィ可愛い。
リリィは繋いだ私の手をぎゅっと握って、くりっとした瞳で見上げてくる。可愛い。
「これを機にと悪だくみを始めるのは絶対出てくるから、ガルディグアルディアは健在だって周囲に知らしめるために顔を出した」
成程。大きい組織はいろいろ考えることが多いのだろう。それをしっかりこなしているリリィはかっこいい。
惚れ直していると、リリィが下からひょいっと覗き込んできた。
「の、名目で招待状を構えたけど、本当はカズキに会えるかなって思って。来てよかった」
「リリィ――!」
もう駄目だ。もうメロメロだ。これは惚れるなというほうが無理だろう。
思いっきり抱きしめてしまった。最後の理性で、結い上げられた髪は崩さないように気を使ったけれど、リリィのほうもぎゅうっと抱きついてくれる。
「元気そうでよかった」
「私なるは、何時如何なる状況下であっても元気溌剌いい天気!」
小さな身体を抱きしめるといい匂いがした。そうだ、これが良い匂いだ。石鹸のような、野原のような、爽やかで少し甘い香りだ。何事もやり過ぎはよくないと会場のご婦人方に伝えたい。香りなんて至近距離にいる人が気づけばいいのだ。遠距離射撃してこないでほしい。狙った人にだけ狙い撃ちしてください。全然関係のない人に誤爆しまくるのはどうかと思うのだ。
しみじみリリィのありがたさを堪能していたら、何かに肩をとんとんされた。
「俺もいるんですけどね。全く気付かれていませんけど、実は俺もいるんですよね」
「ネイさん!」
ネイさんの声がして嬉しくなる。ちなみに、リリィを抱きしめたままだから頭は上げていない。今はこの暖かさに包まれて……包んでいたい。幸せだ。ルーナに抱きしめられている時は安堵と一緒にどきどきもするので、実は一番ほっとする瞬間かもしれない。
いつもしっかりしているリリィだから、子ども扱いはあんまり出来ないけれど、実はちょっとだけ体温が高いのだ。子ども体温なのだろうけど、あまりに心地よい温度だから、実はリリィだからとかそんな理由ではなかろうかと少しだけ思っている。
「お嬢様と態度の差が激しいのが凄く気になります」
「申し訳ございません!」
「よりにもよってその言葉だけ上達著しいのも気になります」
面目ない。使う頻度が多い分、訂正される回数も増え、結果的に素晴らしい発音と相成りました。
「更に重ねるならば、わたしもいるのだけどな」
「更に重ねるならば、わたしもいるとだけ」
聞いたことがあるような無いような声に、流石に顔を上げる。
二人の男の人が椅子に座っていた。どこかで見たようなと少し考えて、得心がいった。
[書道部っぽい王子様と、ラグビー部っぽい王子様!]
成程。道理で聞いたことがあるような無いような声だと思ったわけだ。今日聞いたばかりだから耳には残っていたけど、今日しか聞いたことのない声だから意識には残らなかったという。ごめん、王子様。名前知りません。
「……黒曜は何と?」
書道部っぽい王子様がアリスにひそひそと話す。丸聞こえです、書道部様。
「黒曜の言語を解せるのは騎士ルーナだけです。私に分かるのは、どうせ碌でもないだろうという事のみです」
酷い! けど否定もできない!
このやるせない思いをどうしよう。リリィで癒されていたいけれど、流石に王子様の前で抱きついているのもどうかと思ってやめた。でも、正直、身分うんたらかんたらというのが今一実感が湧かない。なんかよく分からないけど偉い人、だけ分かっていたらいいかなと思ってしまう。
二人の王子様は、初めて見た時と服が変わっていた。一日に何回も着替えなきゃならないのは大変だ。あんなに装飾品じゃらじゃらしていたら余計に大変そうである。でも、よく考えるとルーナも着替えていたし、私なんかお風呂まで入ってしまった。そう考えると意外と大変じゃない気もする。大変なのはきっと、着替えを用意する人と洗濯する人だ。
ラグビー部様に手招きされたので近くまで行ってみる。示された椅子の右側に立って、どうぞと言われるのを待ってみた。面接だとこれで正しいはずだ。結果、アリスに「早く座れ、たわけ」と勧められたので座った。異世界の椅子の勧め方って斬新だ。
今まで見たこともないほどかっこいい服装と髪型になっていたネイさんは、静かに下がってカーテンの傍に立った。他の人が入ってこないよう見張っているのかもしれない。どうでもいいけど、前髪を上げたネイさんはホストみたいだ。
「さて、あまり時間はないが、まずは自己紹介といこう。わたしの名はアーガスクだ。ブルドゥスの王子をやっている」
「わたしの名はエリオス。グラースの王子である」
ラグビー部様は、いかついごつごつとした、岩! という印象の王子様だ。
書道部様は、するりとひらひらした、紙! という印象の王子様だ。
堅苦しい感じで自己紹介されると思いきや、意外と気さくな感じだ。あまり難解な言葉は解読できないし、重苦しい空気は得意ではないので嬉しい。
同じタイミングで自己紹介されて、同じタイミングで握手を求められなければ、もっと嬉しかった。
しかし、双方譲らない。ぐいぐいと二人の手が突き進んでくる。困ったので、両手で握手してみた。
「ふん、どうだ、エリオス。黒曜の右手は私を選んだのだ」
「ふん、貴様は忘れてはいまいか、アーガスク。黒曜の利き手は世にも珍しい左だ」
なんでいきなり喧嘩しているんでしょうかね。選んだも何も、私から見て右にラグビー部様、左に書道部様がいたからそのまま手を出しただけなんですが。書道部様のほうは握手というより掴み合っただけになってしまったのが申し訳ない。
「私なるは、カズキ・スヤマと宣言するぞ。職業は――……皆無?」
「わたしの方が先に握られた」
「いいや、わたしのほうだな」
「わたしだ」
「わたしである」
私の自己紹介を聞いてください。寂しい。そして、喧嘩するなら私の手を解放してからにしてもらえませんかね。
王子様二人が、互いの額がつきそうな距離でいがみ合い始めたので、掴まれた手は諦めて顔だけでリリィを振り向く。
「険悪の仲ぞり……」
「犬猿だけど、間違ってないね」
こくりと頷いたリリィが可愛い。
見ているだけで癒されていると、双方から引っ張られてつんのめる。
「黒曜!」
「うはい!」
ラグビー部様は声が大きい。
「異世界人の女から見て好ましい男を選べ!」
書道部様は口調が早い。
「恐れながら殿下。これを女と分類するのは如何なものかと……」
アリスちゃんは結構ひどい。
「失礼ながら騎士アードルゲ。何故なのか全く以って不明なのですが、一応女性なんです」
ネイさんは普通にひどい。
「カズキは可愛いよ」
リリィは天使だ。
そして、いつのまにそんな話になったんだろう。話の前後は全く聞いてなかったので分からないけれど、質問内容は分かったので答える。
「ルーナぞり!」
一気にしらっとした空気になった。聞かれたから答えたのに、何故だ。
「すまないな、黒曜。騎士ルーナが奴らの相手をしている内に話をしなければならないのだ」
「ああ、時間はあまりない。よって、作法などは気にせずともよい。手間だ」
そっちが勝手に犬猿の仲をやっていたのに、まるで私が話を長引かせていたかのような言い分である。大変遺憾だ。
今はそれどころじゃないと分かるので空気を呼んで文句は言わないまでも、視線に恨みがましさが混じるのはどうしようもない。しれっと目を逸らした王子様達のタイミングは一緒だった。実はすごく仲がいいんじゃなかろうか。
「黒曜」
「はい」
「何でもいい、あの男について情報が欲しい」
どの男かと考えるまでもない。私が知っている人は、誰もが私より知っている人がいる人ばかりだ。だから、彼らが知らなくて、私の方が何かを知っているかもしれないと思われているのは一人だけだ。
「ゼフェカは、時代が終わる、と、申していたじょ」
ぞりと言おうとして慌てて止めたら変な音になった。誰も気にしていないからまあいいや。
両王子様の眉間にぐっと皺が寄った。この二人は絶対仲がいいと思うのだ。
「時代が、終わる…………何を始めようとしているのだ」
「時代が、終わる…………何を始めようとしているのだ」
ステレオみたいに言うのはやめてほしい。
王子様達は、さっきより深い皺を寄せて互いを睨む。
「真似をするな!」
「真似をするな!」
いきなり喧嘩を勃発させるのもやめてほしい。
すこぶる仲が悪いけど、絶対仲がいい。額がぶつかる程の距離で睨み合う二人を、アリスが嘆息しながら止めていた。生真面目なアリスが偉い人相手にこの態度という事は、この二人はもうずっとこうなのだろう。
「アリスちゃん」
「何だ」
これはアリスに聞いていいことなのだろうか。でも、誰に聞けばいいのか分からない。
「軍士が、解体、事実?」
「……誰に聞いた?」
王子様二人に向いていた身体が私を向くのに、私は顔を上げられない。
「……ゼフェカ」
「……何を言われた」
低い声は別に私を責めているわけではないのだろう。それは分かるのに、ぐっと喉元に何かが詰まって言葉を出せない。
上げられない視界に影が落ちたと思ったら、顎を掴んで持ち上げられる。蝋燭の光に照らされて、余計に綺麗になった緑色の瞳が近い。
「な・に・を・い・わ・れ・た」
「わひゃひにょ、しぇいらっへ」
頬っぺたをにょーんと引っ張らないでください。びっくりしてぺろりと言ってしまった。引っ張られたままだったから珍妙な言葉になってしまったから、解読できないかもしれないけど。
「貴様の所為だと?」
アリスは私の頬っぺたかを解放して低い声で言った。あっさり解読されてしまった。アリスちゃんは凄い。
「はっ、馬鹿が」
「ア、アリスちゃんが、がらわりぃなぁ、おい、ぞり!」
どこぞのちんぴらのように吐き捨てたアリスちゃんにびっくりする。
「カズキ、カズキ、今のはどっちかというとカズキの方がガラ悪い台詞だよ」
「ええ!?」
ショックだ。
衝撃によろめいた私の顎が再び掴まれる。アリスは私に対して、女性に対する距離感じゃない気がする。
顎というか、頬ごと掴まれてひょっとこみたいな顔になっている私の顔を見て舌打ちされた。ひどい。
「いいか? 誇り高きブルドゥスの歴史は、貴様如きがどうこうした程度で変わらん。自惚れるな、カズキ。お前は部外者だ。この国で起きたことは全て私達のものだ。たかが一年しかいなかった上に、十年不在だった分際で、この国の歴史の責を負える身分になったつもりか? たわけ! 不届き者にも程がある!」
「つまり、カズキは何にも気にしなくていいんだよ、って事だよ」
リリィの要約が優しすぎる。いや、アリスちゃんも優しい。
二人の言葉を否定しないこの場にいる人みんなが優しい。優しすぎる。
私だって、自分がそんな大きい事をできるような人間じゃないと分かっている。それでも、気になるものは気になる。
二人はそれを分かっているのだろう。分かっているから、それぞれの言い方で私が気にしないようにしてくれているのだ。
たぶん、何を言われても自分で分かっている。私は先のことまで見通して行動できるような大層な人間じゃない。いま起こった出来事を消化するだけで精一杯で、大局を見極めて考えられもしない、普通の人間だ。
だから、戦争を止めるなんてこと、お前にそんなことできるわけないだろと言われたら、分かってると答える。お前の所為じゃないと言われても、当たり前だよと思う。
最初から分かってることを言われても、たぶん、こんなに心は軽くならない。いまこんなに安堵するのは、彼らが、私の為を思って言葉をくれるからだ。
ああ、本当に、私には勿体ないほどの縁と出会えたのだ。なんて優しい、なんて尊い縁だろう。
そして、やっぱりゼフェカと一緒にいるのはよくないと実感する。緊張は特にしないけれど、精神衛生上よろしくない人だ。あれ? もしかしてゼフェカは私のことが嫌いなのだろうか。私もゼフェカのやってることが嫌だから、別にいいけれど、この後またゼフェカの所に戻らなきゃならないのが憂鬱だ。
ゼフェカの言動に眉を顰めれば顰めるほど、リリィ達が恋しい。リリィ達といられる幸せが込み上げてくる。後、リリィが凄く可愛い。
まずい。あれだけ泣いたのに、何だかまた泣きそうだ。涙腺が緩いのは年だろうか。それは別の意味で泣けてくる。
じわりと滲んだ目尻に力を籠める。ぶさいくな顔になったのは自覚しているから、舌打ちはやめてください、アリスちゃん。
そして。
「あひひゃほう」
確かにありがたいし、得難い存在に心から感謝している。
だから、いい加減ひょっとこ顔から解放してくれませんか。
私の心からのありがとうが、物凄い勢いで台無しになった感が否めない。




