3.神様、ちょっとそこにぽんぽろりん
リリィに案内されたのは娼館の舞台裏だ。確かに裏方を頼んだけれど、もうなんというか、刺激が強すぎてどうしよう。
「リリィ、おかえりー!」
「ねえ、リリィ、口紅ずれちゃったぁ!」
「あ、リリィ、マニキュア新色出たんだって。うちで使ってみない?」
「リリィ、あの客今度から出入り禁止になったって?」
化粧途中のお嬢さんから、着替え途中のお姉様まで色取り取りのお嬢様方が、わっと黄色い声を上げてリリィを出迎えた。化粧途中のお嬢さんはともかく、着替え途中のお姉様。お胸ぷるんぷるん丸出しで走り寄るのはやめてくださいませんか。女である私にも刺激が強すぎます!
以前の世界ではむさ苦しい男共に囲まれていたので、ギャップが強すぎる! なんだこの女の園!
リリィはお姉様達にもみくちゃにされながら、私を示した。
「カズキ。今日から裏方に入ってもらうから、仲良くして」
鶴の一声。その一声で、それまで眼中にも入っていなかった私が、まるで部隊の主役のように全員の視線を集めた。
「言葉が安定しないから、みんな教えてあげて。男の人に習ったみたいで、男言葉になってるから」
さっきまでの姦しさが嘘のようにしんっと静まり返る。部屋の中に充満している匂いは香水だけじゃない。もちろん衣装に焚き染める香に身体につける香水もある。ありとあらゆる化粧品、飾られるためなのか贈り物なのか大量の切り花に、男とは違う女の体臭。
全てが合わさり、むわっと濃厚なまでの甘い匂いに思考が回る。
じり。
女性達の、ヒールを履いたり裸足だったり、マニキュアを塗ったり塗る途中だったりの足が、揃ったように僅かに距離を縮める。
「あ、あの、見知りおけ、する、お初お目にかかるのだぞよ。私、カズキと申し仕るそうろぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
私の悲鳴と、女性陣のまるで跳躍とも呼べる突進はほぼ同時であったで候……。
「うっ、うっ、うぅ…………」
姦しい喧噪の中で、どうして私だけは自分の袖を濡らして泣き濡れているのだ。
「ねー、カズキー。この色も似合うと思うわよ!」
目の前にばさりと放り出された、袖口とか腰回りにはたっぷりとしたフリルがついているのに、肝心なところの生地は物凄く節約された衣装を見て、私は声を張り上げた。
「既に補給物資は事足りているぞよ――!」
私の必死の懇願は、「きゃー! カズキ本当に面白―い!」という、何とも楽しそうな歓声を発生させただけである。
今の私は、今からパレードですかと問いたくなるヒラヒラの上半身に、踊り子さんでも始めるの?と問いたくなるシャラシャラの下半身。持ってる色を片っ端っから試させて!? という面白がってます、私、という顔をしたお姉さま方に塗りたくられた顔で疲れ切っている。
こうなるまでに、おっぱい大きい?あ、ふつー、とか、肌はきめ細かいよねーとか、髪の手入れの仕方教えてーとか、散々こねくり回された。
私もう、お嫁にいけない……。
涙に濡れながらそろりと顔を上げると、周りにいる皆さんも一緒に着まわして遊んでいたらしく、あられもない御姿になっていらっしゃった。それを考えれば、上下バラバラで顔お化けでも、何とかなる気もしてきた。幾ら同性であろうと、素っ裸で悠々と闊歩する度胸はまだない。
頼みの綱のリリィはいつのまにいなくなっていた。
よし、と、ぐったりした心に喝を入れる。ここは私にとって何の基盤もない場所だ。あー、今日も疲れたーと言って後は眠るだけ。そんな今まで当たり前だった行動ができる土台すらない場所。
以前がなければ、この時点で心折れていただろう。けれど今の私は一味違う。異世界体験は二度目!玄人まではいかなくても、素人さんとは違うのです!
そう、今の私は一味違う!
「おけしょーですよー」
パラパラパラ~。
もみじのようなぷっくりお手手が、私の頭にクッキーの粉を振りかけた。誰かの子どもなのだろう。まだおむつであひるさんのようになっている子どもが、満面の笑顔で私をクッキー味にしてくれた。うん、一味違うね!
「こら! 食べ物を玩具にしない! ごめんなさいね、カズキ。ほら、ごめんなさいしなさい!」
「ごめちゃ!」
元気いっぱいに両手を上げられては、へらりと笑うしかない。
よし、一味違ったところで、情報収集だ。
「あのー、小さく質疑応答宜しいぞよ?」
隣にいる綺麗な赤毛のお姉様に声をかけてみる。ちなみに反対側のお姉様は、お胸がぽんぽろりされていた。立派なお胸でございますね!
「ん? しっかしあんた、よくもまあ見事に口調が混ざったもんだねぇ」
からからと笑うお姉様は、おもむろに自分の服の中に手を突っ込み、こちらも豊満なお胸をよいしょと調整した。真っ赤な髪に純白のドレスは大変お似合いですお姉様!
「あのー、えー……グラースと戦争終わるしやがった時ぞろ数えるして、現在、幾年月経過されたし?」
「は? ちょっと待ちな! 解読するから! えーと……ちょいと、あんた分かったかい?」
お姉様がお胸ぽんぽろりんのお姉様の肩を叩くと、お胸ぽんぽろりんのお姉様は、ふーーと水煙管を吐き出しながら妖艶に笑った。
「あたしを誰だと思ってるんだい」
おお! お胸ぽんぽろりんお姉様素敵!
お姉様はふふんっと鼻で笑って、たっぷりとした髪をかき上げた。
「最初から聞いてなかったに決まってるじゃないか」
ええ――!?
「だと思ったよ。ほら、あんた、もう一度言ってあげな。あんたらも! 新入りの解読手伝っておやり!」
赤髪お姉様の腹の底から出たような声に、周りにいた女性陣が自分の作業を中断して寄ってきた。あの、そんな皆々様のお邪魔をするつもりはないんですが!?
「ほら」
皆さんにじっと見つめられ、お姉様に促される。え、私この衆人環視の中、へんてこ言葉披露して情報収集しなきゃ駄目なの?え?なにそれ泣ける。
少し悩んだけど、うじうじ言っても仕方がないので腹を決めた。私はまだ状況把握すら全然できないのに、情報を得る機会を自ら失ってなるものか!そして彼は皆はどうなったっていうか何処にいるのっていうか今はほんとに十年後!?
「えっと、グラースの戦争終わるしたぞろ数えちまった現在、経過日数は如何ほどなり?」
しんっと場が静まり返った。しかもなんか皆さんお互い耳を寄せ合ってひそひそなさってる!なにこれ悲しい!寂しい!
ひとりぼっちで皆さんの反応を待っていると、結論が出たのか赤毛のお姉様が先頭に出てきた。そして、まろやかな笑顔で私の肩に手を置き。
「ググレカス」
ふぁ!?
「分からない、ごめんねって意味のカルーラの故郷の言葉だよ」
いつの間にか戻ってきていたリリィが教えてくれて、一気に体の力が抜ける。まさかこの世界で某先生に御世話になる事を推奨されるとは思わなかったから頭の中が真っ白になってしまった。
私の横に椅子を引っ張ってきたリリィは、巻物みたいなのを開きながら、横の書類にサインをし始める。お仕事ですか。私は今さっきあなたのおかげで無職じゃなくなりました。ありがとう!
「十年」
「え?」
「グラースとの戦争が終わって、十年だよ。今度平和祈念の儀もある」
かりかりと羽ペンでサインを続けるリリィの言葉を反芻して、咀嚼して、ごくんと飲み込むまで約十秒。飲み込んで頭の中で栄養になり始めると同時に、私は思いっきり抱きついた。
「リリィ好む! 私、リリィ大柄に好む!」
「…………大好き?」
「そうぞよ! 大好きぞろ!」
思わず抱きついてはしゃいでしまったが、リリィは淡々としたものだ。でも、こてんと首を傾ける動作が可愛い。
「あの、大変遺憾ではありやがるが、ご教授願っちまいたいぞろ」
「いいよ。何教えてほしいの?」
羽ペンをインク瓶に刺してサインを続けるリリィに、カルーラさんは呆れと驚きを混ぜた声を上げた。
「リリィ、あんた、よく分かるねー」
「私思っちまう、同様に!」
「あんたが感心してどうすんのさ」
ぺしんと私の額を叩いたカルーラさんを、女の子がくすくす笑いながら指差す。
「姉さんだって、今の分かってるじゃーん」
次いでほんとほんとと笑い声が上がった。そういやあっさり返事を返してくれたなーと思って視線を戻す。お姉様は、ふんっと鼻を鳴らした。
「前後の流れが分かりゃ、そりゃあね。それくらいできなきゃ、この仕事はやってられないだろ」
なるほど、それもそうだ。コミュニケーション能力がなければ客商売は難しい。言語力がないと更に難しいがな!
「で、カズキは何を聞きたいの?」
そうでした。
リリィに促されて、ずっと口に出せなかった名前を舌に乗せようとして、やっぱり一拍を要した。
誰にも話せなかった。誰にも話さなかった彼の名前。ひとり言でさえ口に出すことは出来なかった。一度呼んでしまえば崩れ落ちてしまうと分かっていたからだ。
会えないと分かっているのに、会いたかった。会いたいのに会えないと分かっている自分の物分かりの良さが、一番、嫌いだ。
「ルーナ……ルーナ・ホーネルト」
十年。十年だよ、ルーナ。だとすれば、貴方はもう二五歳。私よりも年上になっちゃったの? 私より小さかった身長も、高くなりましたか? 私より細かった腰も、私より細かった足も、私より太くなりましたか? 太くなりましたよね? 未だに私のほうが太いとかありませんよね?
ルーナ、ルーナ、ルーナ。
どんな大人になったの? どんな声で喋るの? 今何をしているの?
私のことを、忘れてませんか? 私のことはもう、過去になっていますか?
好きな人は、いるんですか?
私にとっての十ヶ月で、貴方は随分先にいってしまった。私にはどうしようもないところで、貴方は大人になってしまった。
その世界に、私はまだ存在しているのだろうか。
私は、縋るように言葉を発した。
「ルーナ・ホーネルト、存じ上げる人物存在するぞろ?」
……今一シリアスで締まらなかった気がするのは、私の気の所為じゃないはずだ。