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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章:再会
27/100

27.神様、ちょっと休憩入ります


 女の子は、驚愕したとでかでかと書いた顔で、私をまじまじと見つめている。動くたびに長いたっぷりとした黒髪が揺れた。そのままシャンプーのCMに出られそうなくらいきれいな髪だ。

「ゼフェカ、これ本当に黒曜なの?」

「誘拐したら、騎士ルーナがずっと俺に殺気飛ばすくらいには、本物」

「嘘でしょう……」

 呆然とした声をあげた女の子の目が、また私を向く。大きな目の中で黒が揺れる。

 見る見るうちに、その綺麗な顔を盛大に歪められていく。嫌悪感に満ちた顔になった女の子は、飛び退って私から離れた。

「臭い!」

[臭い!?]

 慌てて自分の腕のにおいを嗅いでみる。すると、生乾きの洗濯物の臭いと、ちょっと焦げの臭いと、汗の臭いと、土の匂いと、草の匂いと、胸いっぱいに獣の臭いがした。

 うん、確かに臭い!

「あ、忘れてた。俺は軽く流してから着替えたけど、あんたそのままだったね。風呂入ってこいよ…………薬塗らなきゃよかったな」

 さらりと言われたけど、ちょっと恨めしい。自分だけさっぱりしてるなんて羨ましい!

 そして、お風呂どこですか!



 お風呂は部屋の中にあった。ついでにトイレもあった。

 残念、カズキの冒険はここで終わってしまったけれど、今回ばかりはありがたい。あまり歩きたくないのだ。

 温めないよう挫いた足は縁に乗せて湯の中に浸かる。じわじわと染みこんでいく温かさに勝手に息が漏れた。

[ほへ――……]

 自分で用意しようと腕捲りしていれた気合いは必要なかった。既にお風呂の用意は整っていたからだ。誰かが入る予定だったのもしれないけど、入ってこいと言われたので遠慮しない。入れてくれた人ありがとう。

 色んな傷に染みたけれど、やっぱりお風呂に入るのは気持ちがいい。日本人だもの。頭の傷のことを考えるとあんまり洗わないほうがいいかもと思っても、しっかり髪を洗ってリンスまでつけてしまった。女の子だもの。


 花の香りが強い石鹸は、基本的にお高い品なので、泡立ちも良い。リリィとエレナさんの家でもそうだったけれど、石鹸もシャンプーもいい香りがする。

 悲しいことに、砦にいた時の石鹸は洗濯石鹸との違いがよく分からなかった。もっと悲しいことに、シャンプーは、なかった。

 がしがしになっていく髪を哀れに思った隊長が、そっと補給物資の欄にシャンプーと、更にリンスを追加してくれたことに心から感謝したものだ。ただ、何故かリンスに嵌ったのが男達だった。さらさらになったと、初めての感触に喜んでいる皆を見るのは嬉しかったのだけど、巻き込まれて無理やりつけられたルーナの髪が一番綺麗だったのは凄いと思う。そして、皆の話題に入れなかった隊長の、悲しい背中が忘れられない。しょんぼり丸まった背中の上で、きらりと光る頭部が眩しかった。


[隊長とは話せなかったけど、元気そうだったなぁ。うん、何よりだ]

 そういえば、隊長はよくルーナと喧嘩していたけど、今はどうなんだろう。喧嘩というか、ルーナが一方的に突っかかっていたようにも見えた。その様子は、反抗期の子どもみたいでちょっと可愛かったのだが、隊長にはショックだったようで、丸いつるりとした頭を撫でながらよく相談されたものである。戦闘職の人達の中では一際小柄な背中がしょんぼりと丸くなっていくのが可哀想で、励まそうとついつい長く話し込んでしまったものだ。しかし、あれだけ話し合ったにも拘らず、翌日には必ず『ルーナが、ルーナが手前をひどく凝視するので候――!』と号泣していた。思春期の少年の気持ちが分からないと、隊長と二人で散々悩んだものである。つんつんしたルーナは可愛かったけど。

 隊長がしょんぼりしていない時は、ティエン達にからかわれているルーナを温かく見守った。あの時はまだお姉さんぶっていた時期だ。それがいつのまにかルーナを好きになって、今ではすっかり大人のルーナを見上げている。時の流れとは凄いものである。

 あの頃は既にルーナが日本語を覚えてくれていたので、こっちの世界の言葉で会話したのは隊長が一番多かったかもしれない。


「それなる結末がこの様だぜぞ!」

 感謝もたくさんしているけど。

 隊長、ああ、隊長。恋愛相談にも乗ってくれた隊長。何故かその後、更にルーナにつんつんされて相談にやってきた隊長。何故かその後、更につんつんされていた隊長。

 隊長のちょっと情けないへらりとした笑顔を思い出したらもう駄目だ。ぶくぶくとお湯に沈んで顔を覆った。隊長に会いたい。

そして撫でたい。あのつるつるした形良い頭を撫でまくりたい!

 正直、女友達感覚だった隊長。今日も素敵につるりんぱでしたね!

 両手で顔を覆ってもだもだしていたら、上げていた足が滑って溺れた。鼻の奥が痛い。



 長湯してのぼせたのと、身体が温まって睡魔が再び襲撃してきたのとで、ぼんやりしたまま脱衣所に用意されていた服をもそもそ着込む。元々着ていた服はどうすればいいんだろう。ちょっと考えたけれど、結局このままでいいかという結論に達した。自分でするにしてもどうせ後になる。今はもう無理だ。眠い。

 濡れた指の包帯も外して洗濯物に重ねる。

 大欠伸しながら部屋に戻ったら、睡魔が撃墜された。あれだけ私に進軍してきた睡魔は、その一撃であっさり沈んだ。


 女の子が見慣れた服を着てくるりと回っている。たっぷりとした黒髪がシャンプーのCMみたいに広がった。

「夜会、本当にこれで出ないといけないの? 何だか男みたい」

「そのほうが、君が黒曜だと信憑性が増すよ。本当は小物も揃えたかったんだけど、流石名門アードルゲ。女でも剣の腕が立つから、それだけしか奪えなかったんだ。こっちの被害のほうがでかかったよ、正直。だから、そうしてほしいな、スヤマ」

 優しげな声に、お風呂上りだというのに鳥肌が立つ。あんた馬鹿だな呼びを希望します。でも、今はそれどころではない。

「私なるの所有着衣!」

 彼女が着ているのは、私がこっちの世界に着てきた服だ。今の私が持っている、数少ない日本の物。いや、持ってはいないけど。奪われてるけど!

 それを、モデルか女優さんかと思うくらい綺麗な女の子が着ている。

[在庫一掃セール1540円のジーンズと、タイムセール500円のTシャツと、土日目玉商品980円のカーディガン…………]

 お買い得品ゲットできたと諸手を上げて喜んだ過去が走馬灯のように蘇る。嬉しかった。楽しかった。幸せだった。それなのに……。

 俯いて、今の自分の恰好を見下ろす。紺のふんわりしたワンピースドレス。裾には白い刺繍が施され、レースやフリルも派手じゃないくらいについている。

 私は頷いた。

 こっちのほうが可愛いね!


「うわ、すげぇ笑顔」

「しかしながら、返却要求却下は閉口するぞり」

 返してもらえないのは困る。大事な物なのだ。日本を感じることのできる、大切な服なのだから。

「嫌よ、返さない」

 それまで黙っていた女の子は、私を睨み付けるような目で一歩進み出た。

「スヤマの名前も、黒曜の地位も、騎士ルーナも……全部、私の物よ。そうしてくれるってゼフェカが約束してくれた。だから、全部私の物よ。絶対返さない」

 そんなに睨まれても、困る。だって私はこの子を知らない。知らない人から敵意を向けられても困る。それに、上から下までセール品のちょっとよれた私の服を着た美少女に、睨みながら返さない宣言をされても、正直、微妙な気持ちにしかならないんだけど、どうしよう。

 結論、困った。

「まあまあ、後で迎えに来るからそれまで好きにしててよ。眠いなら寝室はあっち。服は皺になるから脱いでくれな」

「何故にして着用しやがれしたぞり……」

 どうせ脱ぐならもっと気楽な服を用意してくれたらよかったじゃないか。お風呂上りで汗ばんだ身体にこの服は、さらりとした長いキャミソールを下に着ても、着づらかったのに。

「まあ、寝るんならだけど。ああ、それと」

 何かを続けようとしたゼフェカの身体を引っ張って自分の方に向けた美少女は、不安そうな顔をしていた。

「ゼフェカ、本当に、本当に騎士ルーナと夜会に出られるの? 今までどんなに頑張っても全く話せなかったのに……」

 なんと、ルーナが誘惑されていた。衝撃の事実である。

 目の前で悲しそうな顔をする女の子、『自称スヤマ』をまじまじ見つめる。

 ばさばさ動く長い睫毛、星がきらめいていそうな大きな瞳、血管見えそうな白い肌、ぷくりとした唇。そして、全体的に小さく細い。何歳なんだろう。たぶん十代だろう、くらいしか分からない。

 そして凄く可愛いですね。この子に誘惑されて靡かないとか、ルーナは超人ではなかろうか。私なら即死だった。


 不安そうな自称スヤマの肩に手を置き、ゼフェカは優しそうに微笑んだ。鳥肌が立った。何でだろう。あんなに優しそうなのに。

「大丈夫。まあ、ちょっと条件は付けられたけど。ああ、そうだ。カズキ、さっき言ったこと訂正な」

 何故ここで私に振られたのだろう。そして、眠い。撃墜されていた私の睡魔が復活してきたようだ。ごめんね、私の睡魔。あなたは決して弱くなかった。寧ろしぶとい。

 頭がぐらぐらしてきた。

「如何なる箇所を訂正ぞりん……」

 非常に眠い。もう何でもいいからさっさと話しを終わらせてくれないだろうか。これは寝ないと駄目だ。何も考えられなくなってきた。今なら立ったまま眠れる。

「一日馬走らせて疲れねぇ人間なんているかって言ったけど、いたわ」

 それは凄いね。どこの体力お化けですか。

 そう言おうと思った私の言葉は、どんっと重たい音で揺れた扉に遮られた。

「な、何!? 襲撃!?」

 自称スヤマさん、私が言いたいことを言ってくれてありがとう。

 音は一回だけだった。ごくりと、私か自称スヤマさんが呑み込んだ唾の音が響く中、扉が開いていく。まさかとは思うけど、あれはノックだったのか。扉を一撃で粉砕させるつもりなのかと思う音だったけど。

「やべぇ、凄い怒ってる。じゃあ、俺らは撤収するから夜までごゆっくり」

「敵前逃亡私も望むじょ! 戦場放棄に私も参加じょ――!」

 誰が来たか知らないけど、一人にしないで!?

 ゼフェカは青い顔をした自称スヤマさんの肩を抱いたまま部屋を出ていく。開かれた扉の陰に二人が入ろうとしたとき、自称スヤマさんが目を見開いたのが見えた。青いのか赤いのかよく分からない顔をしている。

 その顔を見て、私は決意した。

 よし、逃げよう。


 くるりと取って返した身体に、何かが巻きついた。

「うおわぎゃぁあああ!」

 こんな時に『きゃあ!』とか可愛い悲鳴なんて出ない。腹の底から飛び出た悲鳴を恥じたりしない。そんな余裕あるわけない!

 全力で暴れようとした左手ががちりと固定された。

「折れてる手を振り回すな! 全部折る気か!」

[ルーナ!?]

 掴まれた手と腰に回された腕を振り払い、凄い勢いで身体を反転させてしまった。しかも、そのまましっかりと抱きつく。反射的に抱きついてしまった私の身体がしっかり抱き直された。

 硬い胸元に額を押しつけて、息を吸う。

[ル、ルーナ?]

「俺かどうか自信がない男に抱きつくのはやめてくれ」

[ルーナ]

「本当にやめてくれ」

[ルーナだ]

「絶対にやめてくれ」

[分かったからその話から離れてくれませんかね]

 どれだけ念を押すんですかね。押されるようなことをしてきた身としては大変申し訳ないけれど!

 硬い身体にぎゅうぎゅうと抱きつく。ルーナだ。ルーナがいる。何でかは分からないけど、ルーナがいる。一瞬夢かと思ったけど、それにしてはやけに温かいし、硬い。この硬さはルーナだ。間違いない。

「カズキ」

[ルーナだ]

「顔が見たい」

[いま顔上げたら泣く、絶対泣く]

 頬に掌が当てられて、優しい力で上を向かそうとしてくる。顔を振ることでそれを払い、胸にぐりぐりと押しつけた。

[物凄い勢いで泣くよ。大爆発ってくらい泣くよ。爆散ってくらい泣くよ]

 あれだけルーナに抱きついて泣き喚きたいと思っていたのに、いざ手が届く場所に現れると躊躇してしまう。泣かずに済むのならそれでいいんじゃないかと思ってしまう。


 つらさを分かち合わせてどうする。日本でのうのうと生きてきた私が、戦場で生きる年下の少年に自分のつらさを押し付けてどうするんだ。ああ、違う。ここはミガンダ砦じゃない。ルーナはもう子どもじゃないし、あの時と泣きたい理由は違う、はずだ。

 分からない。もうぐちゃぐちゃだ。泣きたいけど泣きたくない。泣くのならルーナの前にしようと思っていたのに、どうしよう。

 今は、ルーナの前でだけは泣きたくない。


 大切なんだ。

 大切だから、笑ってほしい。笑った顔を見たい。笑った顔を見てほしい。

 私のつらさも悲しさも、この子に与えるべきじゃない。私の弱さを背負わせてどうするんだ。私は年上なのに。違う、ルーナはもう大人だ。分かっている。でも、ルーナに悲しい思いなんてさせたくないのは、彼が大人でも子どもでも変わらない。

 だって、ルーナが大好きなんだ。


「爆散は困る、が」

 顔を上げたくないのに、ルーナは膝をついてしまった。そうされると立っている私の顔を覗きこめる。だったら更にその下に潜ってやろうとした私の顔が掴まれた。

 澄んだ水色がまっすぐに私を見ている。人生の中で最も綺麗だと思う物を選べと言われたら、私は迷わずこの瞳を選ぶ。

「泣くのは甘えじゃない。弱さでもない。泣くことを自分に許せるなら、それは強さだ」

 綺麗な瞳を持つ人が、綺麗な顔で笑った。

「それを俺に教えてくれたのはお前だろう」

 カズキ。

 優しい声が私の名前を呼ぶ。膝をつき、私の両手を包んだルーナは、その手に唇を落とした。澄んだ水色がまっすぐに私を見上げる。ああ、なんて綺麗な晴れの色。

「仮令弱さであっても背負わせてほしい。昔は、カズキが俺の弱さを背負ってくれた。頽れたら支えてくれた。カズキにそうできる権利を俺にくれないか。そうできる相手に、俺を選んでくれないか。ごめんな、カズキ。俺が弱かったから、そうやって頑張ってくれてたんだよな。でも、今なら大丈夫だから。カズキが倒れてもちゃんと支えて歩けるから。やっと追いついた。だから、今度は俺にお前を守らせてくれないか」

 顔がぐしゃぐしゃになるのが自分でも分かる。たぶん、私は今、物凄くぶさいくだ。

 それなのにルーナは、何か大切なものを見るみたいに私を見上げている。私も、こんな瞳を出来ていたらいいなと思う。こんな目で、大切な人を見ていたい。


「泣いてくれて、ありがとう」

[ぞ、ぞんなの、わだじのぜりふだがら!]

 息ができない。身体の奥から涙としゃくり上げる衝動が湧き上がってくる。ポンプで押し出されたみたいに泣きだした私の頭に手を回して、肩まで誘導してくれたルーナに甘えて思いっきり首に抱きついた。

 漫画やテレビみたいに綺麗に泣く方法なんて知らない。湧き上がる衝動のままに、全部ぐちゃぐちゃに泣き明かす。

 私のぐずぐずになった不明瞭な視界の中に、すっきりとしたルーナの首筋が見えた瞬間、涙腺が暴発した。

[がみが、がみがない――!]

 三つ編みしたいなと思っていた長い髪が根元からばっさりなくなっていた。どうりで今まで腕に当たっていた、男なのにつるりとした綺麗な髪の感触がなかったわけだ。

「いや、髪はある」

[ぐび――!]

「首もある」

[ない――!]

「あるから」


 別に、ルーナが髪を切ったからといって泣き喚くほど悲しいわけじゃない。けれど、もう何に対して泣けばいいのか分からなかった私は、しばらくそのネタで泣き喚いた。もっと他に泣き喚く箇所はいっぱいあったのに、どうしてそれだったのかは後になっても分からない。

[あだば――!]

「頭もある」

[だいぢょーみだいになっだら、づるづるざぜで――!]

「……お前、隊長と仲良すぎだからな。お前も隊長も、同性の友達感覚ってなんだ。女友達なのか? 男友達なのか? どっちなんだ?」

[ルーナ、ずぎ、だいずぎ――!]

 ぎゅうぎゅう抱きついていた身体がやんわり引き剥がされる。

「俺も好きだよ。ずっと……カズキが好きだよ」

 本日二回目に重なった唇は、私の所為で物凄くしょっぱかった。




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