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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章:再会
24/100

24.神様、ちょっとほうれんそうは大事です

 私は冷たい床にぺたりとお尻をつけたまま、ずっとそうしていた。どれくらいそうしていたか分からないけれど、要らないと言った夕食と、お湯が入った盥が運ばれてきたので恐らく夕方は過ぎたはずだ。

 食事も湯浴みの用意も、全て兵士が行ったのでゼフェカは来なかった。

 そのことにほっとしながら、ベッドからシーツを剥ぎ取ってお湯にしっかり浸す。その間に、ぬるりと滑る袖口に指を突っ込んだ。そこには溶けてでろでろになったバターがある。ぬるぬると気持ちが悪い不快感は無視して、それを足に塗りたくる。

 私の足についている足枷は、私に合わせたオーダーメイドの品じゃない。言うなれば既製品だ。そう簡単には外れないけれど、滑りを良くして頑張れば、元々が手足小さい日本人。一応女。抜けないこともないと踏んだ予想は正解だったようだ。ちなみに私は、手足の小ささで日本人を証明するより、鼻の低さと手足の短さで証明してきた派だ。泣けるね!


[よ、いしょ!]

 すっぽーんと気持ちよく抜けたわけじゃなく、ぬるりぬるりと地味にずらして、また戻してで、ずるりと抜けた。地味だけど結果良ければ全て良し、だ。

 枕カバーで腕と足についたバターを出来る限り拭う。肺を空にするまで深い息を吐くと、唇の端がぴりりと痛んだ。指で拭うと血がついていた。さっきずっと噛み締めていたから、まあ、こんなこともあるだろう。

 泣くより、マシだ。


 口の中に血の味が残って眉を顰める。私の目の前にはトレーに乗った夕飯がある。ちょっと悩んだけれど、自分で作ったクッキーに齧り付く。敢えて硬く作ったクッキーを噛み砕くのは一苦労だったけれど、気合が入っていい。柔らかいものも好きだけど、硬い物をがしがし食べるのも大好きだ。

 夕飯には手をつけず、残りのクッキーも出来る限りポケットに詰め込む。非常食だ。夕飯は何が入ってるか分からないので、隅に寄せてしまう。見てたら食べたくなってしまうので。また前回みたいにお茶に何か混ぜられるのは勘弁だ。



 私は浸していたシーツを盥から取り出し、絞らずに頭から被る。当然水は滴り落ちてくる、というよりそのまま流れ落ちてくるが、それが目的だからいい。

 もう一度深く息を吐いて、吸う。

 手には本だ。


 Q.本とはどうやって使用する物ですか?

 A.投擲する物です。


[ピッチャー、振りかぶってぇー、投げた――!]

 天井向けて投げつけた本は見事目標に当たった。目標は大きい。何故なら、天井にぶら下がっている照明だからだ。

[もいっちょ!]

 二発目も命中し、取り付けられていた蝋燭が降ってくる。火が消える前にバターの染みついた枕カバーに移せば、あっという間に火の規模が広がっていく。後は簡単だ。周り中の本につけて回ればいい。積み上げていた本にも火をつけて回り、その本を撤去されていない本棚に放り込んでいく。

 どんどん火が回っていくのを扉の陰でしゃがみ、じっと待つ。すぐ傍で何かが弾けた音がしてびくりと腰を浮かせるけれど、まだ駄目だ。まだ、煙が薄い。

 我慢して腰を下ろす。体勢を低くしていないと、火事の煙は吸いこんだだけで意識を失う、と、テレビで見た。べちゃべちゃに濡れたシーツで口元まで覆い、ひたすら待つ。

 視界が遮られるほどの煙が部屋の中に充満してから悲鳴を上げようと考えている。だってただ火が出ているだけでは、ただ兵士に連れられて避難という形がとられるだけだ。馬鹿だって考えるのだ。

 自分の作戦に悦に浸っていたら、目の前の扉が勢いよく開いて兵士が雪崩れ込んできた。

「何だこれは!」

「女は無事か!?」

「これ、俺らの責任になるのか!?」

 よく考えたら、凄い匂いがしているし、煙もどこかに漏れているだろう。通風孔あるし。

 駄目だ、馬鹿は考えても馬鹿だった。


 よし、走ろう。



 狼狽えてベッドに走っていく兵士と入れ違うように走り出す。部屋に飛び込んできたのは三人。残り二人は中を覗き込むように残っていたが、鎧を着ていない分、私のほうが早い。火のついた本を二人に投げつけ、怯んだ隙に走り出す。突き当りが螺旋状の階段。ぐるぐるりと回った先が塔の出口!

 まさか部屋を出られると思っていなかったのだろう。扉に鍵がないどころか、開きっ放しだった。恐らく夕飯が運ばれてきたときのままなのだろう。不用心すぎる。ありがとう!

 うっかりもそうだが、慣れは重大な事故を招くことがあるので、初心やマニュアルは大事なのだ。でも今はありがとう!

 駆け出した空の色は暗かった。屋敷から少し離れた場所にある塔はこんな時便利だ。夜という時間も素晴らしい。騒ぎが大勢の耳に入るまで猶予が出来る。それがほんの少しでも大変ありがたい。

 私は渡り廊下を十字に通り抜けて、目的の場所を目指す。ゼフェカが常にそちら側に立っていてよく見えなかったし、慣れた人にはそこまで意識されないと思うけれど、現代日本人にはちょっと珍しいので分かりやすかった。

 目的の場所に辿りついて、私はガッツポーズをした。厩舎、発見!

 獣独特の臭いは、砦にいた頃は日常だったけど日本に戻ったら縁遠くなるから、逆にすぐ分かった。

 馬達は夜の闖入者に興味津々で視線を向けてくる。馬は噛みついてくるし、気をつけないと髪を食べられると昔ルーナに教えてもらっているので、愛想笑いをしながらも堂々と厩舎を進む。左右から私を見つめる馬の視線に、侮られないよう胸を張って歩く。馬糞で滑ったのはなかったことにして忘れよう。足元に寄せられている飼葉に馬糞を擦り付けるように歩いていく。運だ、運がついたんだ!

 でも擦り付けていこう。


 奥に並べられている馬具を掴み、一番近い馬に装着する。馬具名はいろいろ正式名称があったはずだけど覚えていない。教えてくれたルーナごめん。今度機会があったら覚える。絶対短期記憶に放り込まれるけどね!

「大変だろうけど、宜しくね」

 馬の首筋をぽんぽんと撫でた私は、颯爽と馬に飛び乗った。濡れたシーツを頭から被り、鋭い声で馬を走らせる。今になってようやく騒ぎに気付いた人々を尻目にその横を走り抜けていく。

 そして、検討をつけていた場所に門を発見し、泡を吹いて止めに来た門番を蹴散らして、そのまま屋敷を抜け出した。







[という、夢を見たんだ…………]

 わーわーと騒がしい声を遠くに聞きながら、私は馬のいなくなった厩舎でぽつんと立っていた。

 足元にはごろりと逆さまに転がった馬具がある。今更馬具名思い出した。これ、鞍だ、たぶん。鞍は重い。そして馬は大きい。自分の胸よりも高い位置にある馬の背に、重たい鞍を取り付けるのは初心者にはなかなか難しい。そもそも取り付け方も知らない。勢いのままに馬具を上に押しやれば、そのまま反対側に落ちた。その音に驚いた馬は、甲高く嘶いて走り去ってしまった。ついでに他の馬のパニックも見事に誘い、厩舎には私だけが取り残された。あっという間の犯行でした。

 どうやら馬達は見事に門を抜けたらしい。いつも通っている道を通り、広い世界に飛び出していったのだ。素晴らしい! 作戦成功だ! 

 私もつれていってくれたら完璧だった。シーツだけ引っ掛けていくんじゃなくてね!


 馬に置いていかれた私は、一人置いていかれた傷心のままよろりと厩舎を出た。とりあえず人目につかない場所にいようと考えられるくらいの理性は残っていたので、厩舎の裏に回る。

 そこに、目立たない門を見つけた。恐らく馬番が利用しているのだろう。質素な門は一応錠前がついていたが、これは外から開けられないよう為の錠前なので、こちらからは簡単に開けられる。

 鍵を外し、指先でとんっと押すだけで、古い木の扉が軋んだ扉で開いていく。

[えーと……]

 予定とは全く違うけれど、私はとりあえず屋敷からの逃亡に成功した。

 現実とはこんなものである。



 私は、通りすがりの馬車に潜り込んでごとごと揺られていた。

 転んでもう走れなくなったところを親切なイケメンに拾ってもらった。


 と、いうことは一切なく、ひたすら黙々と歩いていた。別に私が豪胆な精神の持ち主という事ではない。始めは追っ手を気にして、後ろを振り返りながら早足で歩いていたのだ。だが、今はてくてくと夜道を一人歩いている。一応、舗装された道を外れ、道が見える範囲で背の高い草に紛れてはいるものの、逃亡の身の上としては堂々と歩いていると自分でも思う。けれど、走る気はない。だって、足はがくがくするし、足裏は痛い。脇腹も痛い。要は、走り疲れたのである。

 ここがどこか分からないし、元々こっちの世界に土地勘などない。

 だから、ひとまず馬が走り去っていた正反対の方角に歩いている。一応先には町らしきものが見えているので近くまで行ってみるつもりだ。そこでちらっと町の様子を見て、夜に近づくのが危なそうならどこか岩陰で夜を明かして、次の朝何食わぬ顔で町に入っていこう。この世界は、国境近辺ならともかく、内地で関とか検問とかはないはずだから身分証明などは大丈夫だろう。

 逃げている身としては、このまま宵闇に紛れて隠れなければならないのだろうが、私にはサバイバルな状況下で生き残れる知識がない。ついでにいうと、昔、砦で、こっちでは何の変哲もない虫に噛まれて足がぱんぱんに腫れ上がったことがある。何となく言い出せなくて悪化させて、ルーナにチョップ三十連発頂いた。痛かった。

 免疫力とか日本では自信がある方だったけれど、こっちでは弱いのかもしれないと思うと迂闊にほいほいと森の人になれない。オランウータンへの道のりは遠い。

 なので、とりあえず人の中に紛れようと考えた。最悪連れ戻されても、少しでも情報収集出来たら万々歳だ。


 恐らく一時間は歩いただろう。ようやく町に辿りつく。一応警戒していた追手がかかる気配はない。もしかすると、私の代理として馬に乗っていってくれたシーツのおかげで、私が馬に乗っていると思ってくれたのだろうか。シーツさん、そこ代われって思ってごめんね!


 こそこそしていたら余計怪しい。ほっかんむりなんて持っての他だ。濡れた服は歩いている内にそこそこ乾いている。だが、頭の包帯は目立つので外してしまった。動いたので今更ずきずき痛んできたし、また血が出てきたのでしばらく包帯を当てて血止めをして、その包帯はこそりと岩陰に置いてきた。あんな物持っていて、うっかり落としてしまったら面倒だ。血塗れの包帯を所持しているなんて、まるで私が殺人犯のようじゃないか。物は大事にしたいが、包帯を汚している物が悪すぎる。ただ汚れているだけなら当然洗って使うけれど、血がついている物を持ち歩くのはリスクが高すぎる。

 それに、今が冬じゃなくてよかった。冬だったら寒さで凍えるし、服も上着がなくては目立つだろう。脱出するのに上着まで確保できない。

 町は思ったよりも大きかった。もっとこう、田舎の雰囲気を予想していたが、近づけば近づくほど自分の予想が間違っていたと知る。

 意外にも帝都に近い雰囲気だ。建物は大きくしっかりしているし、街並みは大店と呼ぶのにふさわしい店が軒を連ねている。酒場以外の店も開いていて、この世界では珍しく夜でも明るい。夜だというのに人の往来が結構ある。その様子に安心して足を踏み入れることにした。

 ふんだんに使用されたランプや照明で、この街はとても明るい。

 足元で大きな影が揺れるのに気付いて上を見上げると、大きな横断幕が揺れていた。

[暗いな……えーと……]

 流石に高い位置にあるものまでカバーできる光量ではない。何か書いてあるので目を細めて頑張って見つめる。

[て、てつ、の、まち、ば、ばる、ばるま、へ、よう、よう、ようこ、そ。て、てつ、てつ……鉄? 鉄の、街、鉄の街バルマへようこそ、かな?]

 二つ名かっこいい。私も欲しい。

 アリスちゃんはパンツだね。パンツのアリス! いじめだね! ごめんね、アリスちゃん!

 エレナさんは黒炭のエレナとかどうだろう。あ、かっこいい!

 ルーナは、イケメンルーナとかどうだろう。あ、駄目だ。これ、ただの事実だ!

 可愛いリリィ!

 ただの事実だ!


 二つ名を考えながら道の左側を歩く。大きな道が何本か並んでいるようだけど、よく見るとやっていないお店も多かった。ただ閉まっているだけなら夜だからかなと思ったけれど、看板が外れていたり、窓から見える中ががらんどうだったりと、ちょっと寂れた商店街を思い出す。

 鉄の街という二つ名なので、てっきり鉄筋コンクリートみたいな建物があるかと思いきや、別にそんなことはなかった。建物自体は横にも縦にも立派だけど、他の所と変わらない気がする。骨組みに使ってるのかもしれないけど、透視能力はないので分からない。

[私も二つ名欲しいなぁ……よく言われてることくっつければいいのかな。えーと、珍妙なカズキ! …………寂しい。えーと、たわけのカズキ! …………お前馬鹿だろカズキ!]

 ぴたりと立ち止まり、しばし瞑想。何だか悲しい風が通りすぎていく。

[私、碌なことしてなかった!]

 いやぁ、失敗失敗。いい二つ名がつくようにこれから頑張ろう。

 人間、目標があるのはいいことだ。うんうんと頷いていると、変な音が聞こえてきた。地響きのようなズドドドドという音がだんだん近づいてくる。

 非常食のクッキーを頬張ろうとしていた矢先に何事だろう。

 ポケットから取り出したクッキーを齧りながら音のする方向を見た私の身体は、反対方向に強く引っ張られた。

[うどぁ!?]

 叫んだ拍子にクッキーが落ちる。なんて勿体ない! いや、まだ大丈夫だ。三秒ルール発動だ!

 必死にクッキーを拾おうとしている私の身体は一歩も前に進まない。それどころか、さっと口周りも塞がれた。そこまでして私にクッキーを食べさせないようにするとは、何者だ!

 必死に暴れている私の視界がぐるりと回る。あれ、何だかこの体勢、前にもあったぞ。

 でも、相手が違う。あの時はアリスちゃんだったのに、今はある意味最も会いたくない人物だった。

「な、何故にして存在するぞり!?」

「こっちの台詞だよ!」

 ゼフェカはいつもの軽い調子とは違い、額に汗まで浮かべて荒い息をしている。

「何で、本物か!? どうやってここに!?」

「て、てめぇに教育する理屈はないにょろ!」

「あ、本物だわ」

 一瞬で真顔になるのはやめてほしい。アリスを思い出して会いたくなった。アリスちゃん、あなたは今どんなパンツを穿いていますか……?

 アリスちゃんのパンツに思いを馳せている場合ではないと気づき、慌てて逃げようともがいても、がっしり掴まれて身動きが取れない。そのままずりずりと暗闇に運ばれる。悲鳴を上げようとした口は再び塞がれた。

 そうこうしている間にも、地響きに似た音が近づいてくる。近くなってくると揺れも顕著で、まるで空気まで揺れているみたいだ。

 抱きこむように抑え込まれているので、ゼフェカの心音が伝わってくる。凄くどこどこしていた。まるで全力疾走してきたみたいに。

「あんたにはいつも、ちょっとはじっとしてろよって思ってたけど、今度ばかりは助かった。まあ、あんたにとっては全然良くないだろうけど」

 暗い物陰から見ると、大通りは昼みたいに明るく見える。そこを沢山の馬が走り抜けていく。馬だけが走っていく訳はないので、当然馬上には人がいる。……いや、さっきは馬だけ行ってしまわれたけれども。とっても寂しかったけれども!


 馬を駆る人達は無地のマントを羽織っていたので所属は分からないけれど、そこに見知った人を見つけて私は思わず身を捩った。


 アリスちゃんだ、アリスちゃんがいる。

 アリスちゃんの隣に、ルーナが、いる。


 ルーナ。ルーナだ、ルーナ!

 ルーナ!

 顔怖っ! 滅茶苦茶怖い! なんだ、その、今さっき一人や二人殺ってきましたみたいな顔は! 今まさに殺りにいってますみたいな顔は! 超怖い! 超絶怖い!

 でも好き! 見ただけで回れ右したい眼光してるけど愛してる! 大好き!


 正直、今まで見た中で一番怖い顔だったけど、やっと会えたルーナにそれどころじゃなかった……会ってはないね! 見ただけだった!

 一瞬だ。だってルーナは馬に乗っている。駆け抜けていくルーナは、あっという間に背中になって、どんどん小さくなっていく。その頃になってようやく口元を覆っていた手が外された。

「離脱! 離脱するにょ! 脱皮懇願、切望に!」

「脱皮はベッドの上がいいな、俺」

[離してってば! ルーナ、ルーナ――!]

 馬上にいて、更にこんなに離れてしまっては聞こえないだろう。分かっていても止められない。前もこうやってルーナを見ていた。あの時は振り返ってくれたのに、私が逃げてしまった。今度は逃げない。逃げたりしないから! あれは本当にごめんね! 今は反省している!

 叫んだ私の口を再度塞いだゼフェカは、さっきの軽口を忘れたかのようにぎょっとした。

「騎士ルーナがいたのか!? 嘘だろ……今晩は王家主催の夜会だぞ。っていうか、早すぎだろ、行動が。馬飛ばしたって、城から一日以上かかるんだぞ、ここまで。幾らこの時期に後見人が領地に帰ったからって、他の後見人もそれぞれ帰るよう仕向けたってのに何で特定できたんだ」

 ぶつぶつ言っているゼフェカなんてどうでもいい。今は、あっという間に見えなくなってしまったルーナに思わず泣きそうになる。確かに、泣くのならルーナの前にしようと決めていたけど、今はルーナの前どころか背中も見えない。泣いて堪るか!

「あのまま大人しくしてたら恋人に会えてたのに、残念だったねぇ。あ、もしかして泣いてる?」

 苦労してバター仕込んで枷抜けして、火をつけて、馬に置き去りにされなくても、あそこで大人しくしていたらルーナが迎えに来てくれたのだ。

 報告、連絡、相談。とっても大事。

 静かになった私を、ゼフェカがひょいっと覗き込んでくる。

「うっ……!」

 喉に餅が詰まったみたいな声を上げたゼフェカが見たのは、はらはら涙をこぼして震える私、ではない。

 泣かないよう渾身の力で堪え、金剛力士像みたいな顔をした私だ!

 二対像のどっちに似ていたかは自分じゃちょっと分からないけど。


 私の顔に怯んだゼフェカの隙をついて拘束を解こうとしたけれど、それはそれ、これはこれらしくてびくともしなかった。しかも、どこから取り出したのか、いつの間にか手枷が嵌められている。

「何故にして!?」

「寧ろ何でされないと思ったのさ。まあ、普通は女の子にしないけど、自力で牢から抜け出してくるようなあんたにしないほうがおかしいだろ。寧ろあんたおかしいだろ。あ、それと」

 幸い足枷はついていない。ゼフェカの手だって二本しかないんだから、どこかで必ず隙が出来るはずだ。その時に走って逃げてやる。走って走って、ルーナを追おう。それでルーナの胸にタックル、じゃなかった飛び込んで泣いてやる。今度こそ仁王像にならずに号泣してやる!

 ぐっとゼフェカを睨み付けていると、拍子抜けするほど明るい笑顔で返された。何だろう。

「あんた起きてると危険だから、道中寝ててね」

 嫌だよと返事しようとしたら、お腹に鈍いような鋭いような、とにかく熱い衝撃が埋まった。薬を使われた時はふわっとした眠気が襲ってきたけれど、こっちはずしりと重い。

 何だか私、最近こんなのばっかだ。お腹殴るんだったら、下っ腹ダイエット中にしてほしい。お肉いっぱいついててクッションになるから痛さが軽減されると思うから。

 意識を失う寸前、頬を滑り落ちていったのは涙じゃない。そんなこと認めてなるものか。

 これは涎だ。絶対涎だ!

 そう言えば過去にも同じ言い訳をしたことがあった。

『目から涎流すほうが恥ずかしいと、俺は思う』

 ルーナ、十年経った今、私は宣言します。



 全く以ってその通りだね!






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