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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章:再会
23/100

23.神様、ちょっと色々ごめんなさい

 

 結局私は朝まで寝続けた。

 偶に起きて、ぼんやりした頭でトイレに行って水を飲んだのは何となく覚えているけれど、ほとんどを寝潰した。ベルを鳴らせと言われたけれど、薬でぼーっとしていた私はそんなこともままならず、掴もうとしたベルを床に落とす音で呼んでしまった。

 目を覚ますたびにどんどん酷くなる体中の痛みに辟易した。色々打ったので、それが纏めてきているのだろう。頭はがんがんするし、手足を動かしただけで体中痛いしで、私は凄く反省した。

 捕まって訳の分からない場所に閉じ込められて、妙なテンションの上がり方をしてしまった自分に。

 どうせなら『どうしてこんなことに……よよ……』とかやって大人しくしていて、外に出してもらえた瞬間どーん! みたいな勢いで逃げればよかった。どうやっても外に出られない場所でどんがらがっしゃんとかやってる場合ではなかったのに。

 冷静なつもりだったけど、全くもって冷静ではなかったということだ。

「ルーナ……」

 毛布を大きくかぶって完全に潜り、ルーナの名前を連呼する。別に、何かを望んだわけじゃない。そりゃ、ここにいてくれたら心強いし、助けてほしいとは思っている。だけど、私は今そういうつもりでルーナを呼んでいるんじゃない。いうなら、おまじないだ。自分を元気づける呪文だ。

「ルーナ、ルーナ、ルーナ、ルーナ」

 ぎゅうっと両手を握る。走った激痛に折れていたことを思い出し、慌てて二本は逃がす。

 思い出すのは十年前の笑顔と、今の笑顔だ。ルーナが笑っているのを見るのが好き。ルーナを笑わせるのも好き。当然、一緒にいるのも好きだ。あの頃は短くて、今は長くなった髪も似合っていた。三つ編みさせてもらいたいなと思っていたのに、未だその機会がない。

 この世界に戻ってきたのに、全然一緒にいられない。四六時中一緒にとか、仕事の邪魔になりそうな頻度でなんて願ってない。ただ、普通に会えたらいいのに。一日の終わりでもいい、一日の始まりでもいい。お昼休みのちょっとでもいい。会いたい。普通に、会いたい。

 休みの都合がつかなくってとか、出張でとか、会えない理由はそんなのがいい。

 

 こんなのは、嫌だ。

 帰りたい。会いたい。だから、帰ろう。


 込み上げてきた物をぐっと飲み込む。泣かない。泣きたくない。少なくとも、泣く場所はここじゃない。あいつらの前でじゃない。

 額を枕に押し付けて、思いっきり息を吸う。埃で咽た。

[よし……頑張ろ!]

 気合を入れて顔を上げる。泣くのはルーナの前でにしよう。


 毛布に包まり寝ころんだまま、部屋の中をじっと観察する。

 そもそも、ここは何の部屋なのだろう。私の為にわざわざ用意された部屋とは思えない。だとすれば、誰かの部屋だったはずだ。けれど、窓はなく、鍵は外からかけられるこの牢獄のような部屋に住んでいたのは、一体誰だろう。

 本以外の娯楽品は見当たらない。ちょっとした小物も、観葉植物も、何もない。ただ本を読む為だけのような部屋だ。ふと思い至って、寝ころんだままでも届くほど積み上げられた本を一冊手に取る。ぱらぱらと適当なページを選んで開く。文字は頑張れば一応読める。読めないのは飛ばす。

 私はきゅっと眉を寄せた。頭が痛い。怪我でじゃなくて、反射だ。

 のそりと起き上がる。体中が痛くて呻いたけれど、筋肉痛だと思い込んだら意外と動ける。これは筋肉痛、若い証拠だ。

[よっこいしょ]

 鎖でつんのめらないよう気を付けて、本の山をベッドの周りに移動させる。他の本を開いてみても、大体一緒だった。内容はまだ読んでいないけれど、どれも表や図があったり、段落ごとに纏められている。

小説では、ない。書き方からして資料といったほうが近いだろう。ここにいた人は勉強していたのだろうか。勉強と聞いたら反射的に逃げ腰になってしまう。もう二度と受験勉強はしたくない。

 勉強が頗る苦手だったことを見込んで選ばれた、家庭教師のバイトをしている身としては、口が裂けても言えないが。

[してた、になっちゃうのかな]

 バイト相手は高校二年生の男の子だった。友達の弟だったのだけれど、とにかく勉強への苦手意識が強くて名前さえ書けば合格するような高校に行ったと言っていた。その彼に勉強をさせてほしいと言われたことが始まりだ。

 そんな大事なことは引き受けられないし、私はそもそも勉強苦手で勉強できないのだと散々言ったら、だからいいのだと言われた。勉強できない人間だから、どこでつまったか分かってやれるのだと。それは嫌味か、友よ。

 でも、実際うまく言った。彼は私と非常によく似ていたのだ。

同じところで引っかかる。同じところでぐわーと叫ぶ。とりあえず、点Pは動かないでほしいし、登場人物達は自分の気持ちを短歌にしてくれたらいいと思う。後、歴史上の人物達は一文字違いとかやめてもっと個性を大事にしたらいい。

 そんなこんなで、なんだかんだとうまくやっていたのに、いきなり仕事を放り投げてきてしまった。以前は夏休みだったから誰にもばれなかったけれど、今度はそうもいかないだろう。皆、心配しているだろうか。

[ごめん……]

 心配させるだろうことも、何もかもを放り出してきたのも分かっている。

 けれど、どうしても、この世界に戻ってこなければよかったと思うことはできないのだ。




 がちゃりと鍵が外される音がする。振り向くと、朝食を持ったゼフェカが立っていた。それを見てお腹が鳴る。そういえば昨日眠らされてから何も食べてない。強制ダイエットですか、ありがとう!

 自分の身体を見下ろすと、心なしか痩せてきた気がする。主に胸が。

 絶対許さない。絶対にだ。

「この恨み果たして夫婦仲円満解決、末代まで呪い殺されてやる……」

「なんか色々混ざってるけど、最終的に殺されるの君になってるよ」

「なにゆえにそのような事態が発生!?」

「俺が聞きたいんだけど」

 異世界って不思議に満ちている。



 そして私は、何故かまたゼフェカとご飯を食べている。「何が好き?」とか「異世界ってどんな所?」とか「異世界ではどんな仕事してたの?」とかだ。全部無視した。私は虜囚の身であって、敵とは慣れ合わないのだ。

 つんつんした態度で返してみたら、顔を指さされて物凄く笑われた。

「今更取り繕ってもとか、あんたの性格じゃその作戦向いてないとか色々あるけど、まずは歯に挟まってる胡椒なんとかしてくれ。そんなんでクールな顔されると、俺、さっきから噴き出すの必死に我慢してたんだぜ?」

 慌ててお茶で洗い流した。鏡が欲しい。それもこれも、このサンドイッチが美味しいからだ。中に挟まっているペッパーつきのハムとか絶品だ。

 クールなツンツンキャラを失敗した今、私に残された道は一つしかない。即ち、お馬鹿キャラだ。馬鹿をやって、こいつになら何ばれても痛くも痒くないぜ、だって馬鹿だからみたいなキャラになるのだ。よし、頑張ろう。

「然らばぁ、例の件はぁ、どうなったぞりぃ?」

「え? ああ、あれ? いいよ」

[やった!]

「あんたはいつも変わらず元気だねぇ」

 しみじみ言われて、私はショックによろめいた。変わらない、だと?

 つまり、私の言動は普段から馬鹿みたいなのか。そうかそうか、ショックだ。

 床に両手両膝をついてしばらくショックを受けていたが、私の中で結論は割と早く出た。

 まあいいや、と。




 そして、私は現在、頭と左指二本に包帯、前には白いエプロン着用で、台所に仁王立ちしていた。

「第一期、敵陣でお菓子を制作しやがれ会発足――!」

「え? 俺が作るの?」

 部屋から出よう作戦をいろいろ考えてみたのだが、当たり前のことに考えるのは私だ。私の頭では、あの部屋ではできない事と自分に出来る事を組み合わせると、これしか思い浮かばなかった。

 回数を多くしようと、単なる趣味ではなく、『故郷では神様に富や豊穣の御報告を兼ねてお菓子を捧げるしきたりがある』ということにした。ちなみに、回数が多すぎても怪しいので三日に一回の頻度にして私なりに頭を使ってみたのだが、ゼフェカから『え、女の子らしい趣味だと思ってた。趣味でストレス発散できるなら毎日でもいいと思ってたんだけど、三日に一回でいいなら俺も楽だわー』と返されて、ぐあああ! となった。

 余計な事しなきゃよかったんだね!



 お菓子の本はここにないので、それなりに適当でも適度に出来るクッキーを作ることにした。その材料をまじまじと見つめて、道具を選ぶふりをして周囲を見回す。

 小麦粉は一般家庭でも普通に出回っているとしても、バターと砂糖をこれだけの量、それも時間を置かずに用意できるのはやっぱりお金持ちなのだろう。小麦粉も不純物なく、向こうで売られているような真っ白でサラサラの粉だ。台所だって立派だ。立派過ぎる。無駄に。蛇口一つにしてもごてごての蛇が巻きついたりと目に優しくない。

 ここにくるまでもそうだ。目隠しでもされると思いきや、足枷が繋がっている鎖を持たれただけで、これといった拘束はなかった。おかげで色々と存分に見ることができたのだ。

 まず、私がいたのは塔のような場所で、今いるお屋敷とは渡り廊下で繋がってはいたものの、地味に離れていた。部屋はやっぱり地下だったようで、くるくる螺旋の階段を上がってお日様の下に出た時は、眩しくて溶けるかと思った。私、吸血鬼じゃなくてよかった。


 渡り廊下はまだ普通だった。寧ろ最低限の手入れしかされていないのがばればれの錆び具合である。だが、一旦屋敷に足を踏み入れるとそこは異世界と思った。ここはどこも異世界だけど。

 きっと私のような粗忽者の為に引かれているのであろう、転んでも怪我をしないふっかふかのマット。勿論、足を取られて三回ほど転んだ。夏場は鬱陶しそうだし、湿度が上がると黴とかダニが大変そうだと思った。洗濯とかどうなってるんだろう。

 それに、何より目を引いたのは置物や飾りだ。壁には壁紙が見えないくらいびっしりなんだかよく分からない絵が飾られているし、廊下も一寸の隙もないくらい訳の分からない銅像やら壺やらなんやらがあった。それらを見た時の感想は、わー、お金持ちだー、ではない。

 まるで物語で見るような、典型的な成金だ、と。



[そういやあの人金歯だったよなー。あの時は、あれ目掛けて必死に圧し折ろうとしてたなー。いやぁ、私も若かった]

「何言ってるか分かんないけど何で照れたの。ねえ、何で照れたの」

 答えるつもりはないので、きりっとした顔を作る。

「クッキー制作開始ぞ」

「ぜってぇ碌でもない内容だ」

 きりりと顔を引き締めたけれど、よく考えればお馬鹿キャラになるんだった。行き当たりばったりはよくないなぁと思いながら、適当にお菓子作りを開始する。儀式用とかお供え用なニュアンスで作ると宣言したからには、ちょっと硬めがいいだろうと目分量でバター少なめ、粉多め、どうせ自分で食べるから砂糖もちょっと多めにする。卵は左手が使いづらいので、きっと誰でも一度は挑戦したことがあるだろう片手割りだ。例に漏れず私も挑戦したことがある。ただし、成功率はゼロだ。

 ちまちまと殻を取り出して混ぜ、ふんっと気合いを入れる。

後は、レシピでは絶対するなの代名詞。

 粉を入れたらさくっと切るように混ぜてね!

 いいえ、練ります。手打ちうどんも真っ青な勢いで、全体重かけて、練ります。指が折れているので身体全体使って、ひたすら練ります。

[うぉおおおおおおおお!]

「生地が、生地が可哀想なんだけど――!」

[だばらっしょおおおおおおお!]

「生地――!」

 最後にばぁんと粉をふった調理台に叩きつけて型取りに入る。

 生地を寝かせたら、さくさくの食感になるよ!

 いいえ、寝かせません。今夜は眠らせないぜな勢いで竃に突入してもらいます。

 この指で型抜きは難しいし、そもそも型まで用意されていない。なので、適当な厚さに伸ばして包丁で菱形に切っていく。バターが少なめなので生地がべたつかずに扱いやすい。

 その後ろではゼフェカが泣きながら竃の用意をしている。

「うっうっうっ……生地が可哀想…………異世界の習慣ってこえぇ」

 苦心しながら鉄板に乗せて、後はゼフェカに丸投げした。焦げても美味しく頂く派なので失敗しても構わない。一応、しっかり焼いてとは伝えておいた。しかし、しっかりこんがり派の私でも、つやつやの炭はちょっと頂いたことはない。でも、エレナさんが作ってくれたのならどんな物体でも頑張って頂く所存だ。仮令、食感ががりごりじょりでも!


 いい匂いが漂ってくるまで苦心しながら洗い物だ。私に背を向けて竃を見ているゼフェカが置いといていいよと言ってくれたけど、後片付けを終えるまでが料理だ。

 日本ほど有能な洗剤がないので、洗い残しがないか何度も確認しながら洗う。借りたら元の状態は勿論、元より綺麗にして返すのが筋だ。でも、たぶん、後で洗い直されるんだろうなーとは思っている。要は私の気持ちの問題だ。

 苦心しながら擦り、水切り棚に乗せる。ちらりとゼフェカを見ると、真剣に竃と向かい合っていた。憐れな生地に救済をと呟きながら、焦がさないように熱心に竃を見つめている。

 私は、音をたてないようにそっと引出しを開けた。そこにはフォークやナイフが種類ごとにしまわれているのを、器具を探す時に確認している。恐らくは従業員用なのだろう。貴族の人は銀食器を使うと聞いたことがある。その銀食器は曇らないよう手入れが大変で、間違ってもこんな風に一緒くたにしまわれたりはしないそうだ。エレナさんは手間がかかると一刀両断していた。来客のときは使うそうだけど、エレナさん達の日常生活では使われていなかった。

 音を立てないよう、フォークを一本ポケットに忍ばせる。ナイフにしようか悩んだけれど、食事用のナイフの切れ味なんて高が知れている。拘束しているのが縄ならナイフを迷わず選んだけれど、これは鎖だし、まして扱うのは私だ。だったら技も何もない、ただ突き刺すに特化している方がいい。

 ポケットに納めてから、ちらりとゼフェカに視線を戻す。さっきと変わらず熱心にクッキーの焼き加減を見ていた。

 ほっと小さく息を吐き、後は気取られないように黙々と食器を洗う作業に戻る。借りた物は元通りかそれ以上にして返すのが筋だけど、誘拐犯のアジトから逃げだす為にはそれはそれ、これはこれだ。全ての罪を許して、彼らもいつかは分かってくれる、いつかは分かりあえるなんて甘いのか優しいのか分からない考え方ができるほど、日本だって甘い世界ではないのだ。


 一応満足できるまで洗った食器を眺めながら、指に巻いていた蝋紙を外す。水をそれなりに弾いてくれるとはいえ、ビニールとは違う。ちょっと濡れてしまった包帯を外していると、目の前に新しい包帯が揺れていた。

「はい、換え」

「……ありがとう」

「それと、はい、焼けた」

「ありがとう!」

「この差がなんか悔しい」

 鉄板の上に並んだクッキーからは、焼きたて独特のいい匂いがする。嗅ぐだけでお腹が空いてくるこの匂いが大好きだ。これだから手作りはやめられない。いつもならこの時点で大半つまみ食いに消えるけれど、今回の名目はお供え用。涙を飲んで焼き立てが冷めていくのを見つめよう。ああ、無情……。

「……そんな、この世の終わりみたいな顔しなくてもいいんじゃね?」

「貴様には分からぬさ…………」

「しぶっ! 誰の真似だよ!」

「この、禿の気持ちなど!」

「あ、分かった。ミガンダ砦司令官、ギニアス・ルーバだ」

 まさかの正解だ。まだ三十代だったのに、度重なる苦労で朝日が眩しい頭となったギニアスさんだ。実は彼、異文化交流の先輩でもある。元は言葉の違う異民族出身で、幼い頃にグラースの老将軍に拾われたのだそうだ。老将軍は、軍人としてはとても腕の立つ人だったそうだが、人に何かを教えたりといったことが、控えめに言ったら今一、控えないで言うとど下手な人だったらしい。

 その彼としばらく一対一で言葉を覚えたギニアスさんは、偉大なる先輩である。

 言語が不可解な人、第一人者である。

 今回はまだ会えていないけれど、今は四十代になったのだろう。少しずつ夕日も眩しい頭が年齢に副っていくはずだ。ついでにいうと硝子のきらめきでも眩しかった。戦場で逆光を背に立つと最強だったそうだ。 ギニアスさん、兜はかぶらないと意味がないんですよ?



 クッキーが冷めるまで待って、粉糖と水でアイシングを作る。利き手を負傷すると些細な動作が面倒くさい。ゼフェカの顔を真正面からじっと見て、盛大に舌打ちしてあげた。

「え!? 俺なんかした!?」

「ちぃい!」

「追い打ち!?」

 こっちは折れたのに何故そっちの頬っぺたは無傷なのか。今度は平手打ちにしよう。そっちのほうが拳より効くかもしれない。

 どうせ細かい作業は出来ないし、元々苦手なので、ちょっと濃いめに作ってスプーンですることにした。クッキーの上に儀式っぽく文字を書く。それも、日本語で。何と書いているか分からないだろうから、それっぽく見えるはずだ。

[えーっと、まずは……神さま、と]

 本当は神様と書きたかったけれど、様が潰れて書けなくなると判断した。

 次は、仏さま。その次は、ご先祖さま。後は思いつかなかったので、寺、神社、墓と適当に書いていく。ご先祖様繋がりで仏壇も書きたかったけど、漢字が思い浮かばなかったのでブツダン、と書いた。後はもう適当に、カミサマ、かみさま、GOD、KAMISAMAなどバリエーションで誤魔化した。

「作戦完了!」

 バリエーションに感謝しながら、なんとか全てのクッキーに書き切ることが出来た。それらを満足げに眺めて、はたと気づく。

[これ、結構壮観な並びだなぁ……]

 神やら仏やら墓やらが書かれたクッキーに囲まれると、ちょっと微妙な気持ちになってきた。ついでに、お地蔵様を絵で描こうとしたクッキーは、ダイエットに成功したのにアンニュイな顔の雪だるまになった。


 アイシングが乾くまで崩れないよう、そっとトレーに並べていたゼフェカはそれを持ったまま私に繋がっている鎖を器用に引いた。

「ほら、部屋に帰るよ」

「…………了解」

「ん」

 ゼフェカを先頭に大人しく後をついてく。本当はもう少し色々見たかったけれど、今はポケットのフォークを部屋に持ち込むことが最優先だ。早足でさっさと歩いていくゼフェカの速度についていく為には私も駆け足にならなければならない。ゼフェカの足は長いけど、ルーナのほうが長い。たぶん。特に根拠はないけど。

 結局帰り道はほとんど周りを見ることが出来ずに部屋まで戻ってしまった。扉の前にはさっきとは違う見張りの人が五人。……なんで増えてるんですかね。

 これまたさっさと部屋に入っていくゼフェカに引っ張られるように部屋に入る。そのままクッキーを受け取ろうとしたら、ゼフェカはにこにこしていた。

「何事?」

「ん? 異世界の儀式を見せてもらおうと思って」

「へ?」

 はいと渡されたトレーがやけに重く感じる。

「だから、俺は君の故郷の習慣に興味があるの」

 私の故郷には、クッキーの生地が憐れまれるようなこんな珍妙な習慣はありません。

 そう言えたらいいのに!

 楽しそうにベッドに座ってしまったゼフェカを恨めしげに睨む。

「私なるの睡眠をとるのも仕事の内なベッドに、着席拒否」

「うわ、普通のこと言われてるのに、それが黒曜の言葉だと思うとすげぇ違和感」

 ベッドに座られたことを恨んでいるように睨むけど、私の心臓はばくばくだぁ!

 どうしよう! お供えの儀式なんてやったこともないっていうかそもそもそんなものない!

 ぐるぐる回って終いには爆発音まで聞こえてきた私の思考は、ぴたりと止まる。そもそも正解なんてないし、あったとしてもゼフェカはそれを知らない。適当にこなしてしまおう。だってそれが変な物でも、こういうものです、で済むのだ。変に動揺したり考え込むほうがおかしい。

「お楽しみ中邪魔するぜなる行為は叩き出すぞてめぇ、するぞりから」

「りょーかーい」

 へらへらと笑うゼフェカを気にしないようにして、とりあえず正座して座る。私の前には、本で作った即興の台に置かれたクッキーのトレイ。さて、どうしよう。儀式とかは、とにかく何かぶつぶつ言って、頭下げていたらそれっぽく見えるだろうか。

 とりあえず、ぱんぱんと手を叩く。

[えーと、じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょのすいぎょうまつうんらいまつふうらいまつくうねるところにすむところやぶらこうじのぶらこうじぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがんしゅーりんがんのぐーりんだいぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいのちょうすけ――……えー、おはようございますおやすみなさいのこんにちはでメリークリスマス、ジングルベールジングルベール除夜の鐘―、えーと、南無南無南無阿弥ほうれんそう、エロイッサムエロイッサムむこっくりさんこっくりさん、清めたまえー、祓いたまえー………………南無三!]

 ぱんっと勢いよく手を叩いて頭を下げる。後は神社で使うあれをすればいいかと考えていたけれど、思い出せない。何だっけ! 二礼で、二拍!? また二礼!?

 いつも貼られているのを見ながらしているので、ちゃんと覚えていない。

[三三七拍子――!]

 たんたんたん、たんたんたん、たんたんたんたんたんたんたん!

[フレー! フレー! あ、か、ぐ、み! フレフレ赤組! フレフレ白組! フレフレ黄組! フレフレ緑組! フレフレ紫組! もーいっちょ!]

 たんたんたん、たんたんたん、たんたんたんたんたんたんたんたん!

[なんか一拍間違ったけど、終了! お疲れ様でした神様! 寧ろ付き合わせてごめんね神様!]

 神様、仏様、ご先祖様、その他諸々巻き込んでしまった全てに謝罪を籠めて土下座で締める。

 やりきった。この胸を満たすのは達成感だ。

 きっと今の私は晴れやかな顔をしているだろう。

 どや顔で振り向くと、どこかぽかんとしているゼフェカがいた。なんですか、人が一所懸命応援、じゃなかった儀式していたっていうのに。

「なんていうか……住むところ違えば、ほんと文化ってそれぞれだよね」

 しみじみ言ったゼフェカは、すたすた私の前まで歩いてきた。そして、なんの予告もなく、いきなり私のポケットに手を突っ込んだ。

「うぎゃあ!」

「うわ! 色気ない!」

「何事の行動するぞ!」

 振り払ったゼフェカの手に握られている物を見て、動きを止める。くるくると器用に回されているのはどこにでもあるフォークだ。

「これは没収。あんたに死なれちゃ困るんでねー」

 フォークを盗んだと気づかれていたらしい。

 背中しか向けていなかったのに、やっぱりゼフェカは普通の人じゃない。そりゃ、普通の人は誘拐なんかしないだろうが、それだけじゃない。たぶん、凄く鍛えている。全然違うように見えるけれど、どこか砦の皆を思い出す動きをすることがあるのだ。あまり詳しくは知らないけれど、既視感を覚える。歩き方とか、腕の動かし方とか、振り向き方とかだ。

 しかも、何が腹立たしいって、武器になりそうな物を選んだつもりだった。けれどゼフェカにとって、私が持っていても武器に成り得ないという。私が自分の命を盾にするしかできないと、そう言われているのと同義だ。そして、事実だ。

「今日のお勤め終わった? じゃあ、また飯持ってくる時まで大人しくしててね」

 取り上げたフォークを回し、掌をひらひらさせて部屋を出て行こうとするゼフェカに、私は止めていた息を吐き出した。

「ゼフェカ」

「ん?」

 人を害したいわけじゃない。誰かを殴りたいわけでも、自らの力を誇示したいわけでもない。

 でも、無力がこんなにも悔しい。

「私に、何を、望む」

 私に何をさせたいの。何もできないことは分かっただろうに、何でここにいなきゃいけないの。

 握りしめた掌は、皮膚を食い破って血を流す握力すらない。

「俺のご主人様の役に立ってくれるかなと思ってるよ」

「確実に役立て皆無! 捥げろ!」

「嫌だよ!?」

「私とて嫌ぞ!」

 枕を振りかぶって投げつけようとしたけれど、これを取り上げられると私の枕が無くなるのでちょっと冷静になってベッドに戻す。

[禿げろー……禿げろー……禿げてしまえ……万年禿げろー……]

「うわ、なんか俺呪われてる気がする!」

「捥げろ!」

「なんつーもん呪ってんだよ! 若い女の子が!」

「貴様如きに若き女子(おなご)扱いを受けるならば、鶏扱い望むぞ!」

 最悪、ルーナだけがそう思ってくれたらいい。だからゼフェカにそう思ってもらえなくて結構だ。

「へえ?」

 ゼフェカの目にすぅっと何かが落ちる。それが影だと気づいた時、その手は私の首に回っていた。

「じゃあ、縊っていい?」

 思っていたよりずっと大きな手が私の首を完全に捉え、少しずつ締まっていく。呼吸が苦しいほどじゃない。けれど確実に締まっていく力に、勝手に膝は震えだす。

 首を絞めるゼフェカの手を押さえることは、出来ない。

「あんたは頭いいわけじゃないけど馬鹿ってわけでもない。黒曜の名前に自惚れてる様子もないし、悲劇に酔ってめそめそしないのも点数高い。ある程度立場弁えられて、柔軟に考える頭があって、簡単に頽れない精神がある。俺はこれでも結構気に入ってるんだ。だから、俺にあんたを殺させるなよ? 使い勝手のいい奴は大好きなんだ」

 いつものように、明るい声と笑顔で言われた言葉のなんて現実味のないことか。

 けれど首はどんどん締まっていくし、身体の震えは止まらない。首は生き物の急所の一つだから押さえられると恐怖に震える。けれど、この震えはそれだけじゃない。

 砦ではそこらじゅうに溢れていたけれど、ルーナ達がいつも私から遠ざけてくれたから、私はその怖さと正面から向かい合わずにいられた。

 これは、殺気だ。それも憎悪とかの感情が篭っているわけじゃない、事務的で淡々とした、殺気。

「俺はあんたを気に入ってるけど、別にあんたじゃなくてもいいんだ。だから、大人しくしててくれるよね?」

 頷く以外何ができるだろう。小さく頷いた途端、解放されてそのまま床に尻もちをつく。無意識に首に手を当て、ゼフェカから隠していた。

「いつ、まで」

 ここにいろと言うの。

 最後まで言えなかった言葉を、ゼフェカは正確に汲み取った。

 先程まで投げつけてきた殺気とも、無とも違う。色が読めない瞳を浮かべて、彼は笑う。

「時代が終わるまで」

 何の、とか、何で、とか。言いたいことや聞きたいことは沢山ある。投げつけたい言葉もだ。

 でも、全部飲み込む。

 傷ついたわけじゃない。傷ついたりするものか。こんなことをされて傷つくほど、私はゼフェカを信用していない。

「じゃあ、俺行くけど、いい子にしててね」

 ぐしゃぐしゃと髪を掻き回されても手を叩き落とせない。首を捻って避ける事すらできなかった。その手が、怖い。

 大きく固い手は、優しい人達の手しか知らない。クマゴロウ将軍に掴まった時も、乱暴に扱われたりはしなかった。

「夕食、拒否。湯浴み、部屋で行う故に、盥要求」

 掠れる声で伝えると、既に向けられていた背が肩を竦めたのが分かった。

 扉が開き、そして閉じられる。鍵が閉まる重たい音がして漸く安堵する。鍵を締められて安堵するなんておかしな話だけれど、少なくとも鍵が閉まっている内は誰も入ってこられない。

 鍵が開く音がしないかに意識を集中しながら、私は大きく息を吐いた。

[よし、逃げよう」

 とりあえず、抜けた腰が治ったらだけど。


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