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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章:再会
21/100

21.神様、ちょっと指の強化願います


 重たい鞄を抱えて一限の教室に入ると、履修登録を一緒にした友達が手を振ってくれた。鞄を置いて取っておいてくれた場所にいつものように座る。

「おはよー、美代」

「おはよ」

 美代は少し巻いた茶髪を後ろに流し、レースのカーディガンを羽織り直した。

 まだ先生が来るまで少し時間がある。あまりお菓子を食べたことがないというルーナの為に練習しているお菓子の本でも一緒に見ようかと、ぱんぱんの鞄から取り出していると、美代は呆れた目で私を上から下まで見た。

「またジーンズにロングカーディガン?」

「動きやすいっす」

「男っ気の欠片もない女子大生だこと」

 やれやれと肩を竦められて、握り拳で反論する。

「私だって彼氏いるよ!」

「え!? 嘘!? 初耳!」

 マスカラばっちりな目が零れ落ちそうなほど見開かれた。そんなに驚かなくてもいいじゃないか。

 へへんっと胸を張って、別に払わなくてもいい髪を払う。

「ルーナ・ホーネルトっていうんだよ」

「へー、何してる人?」

「職業騎士」

「へー、頭いいんだね」

 確かに騎士は勉強も出来なきゃだけど、普通は剣の腕から褒める。

「なんで頭?」

 不思議に思って聞くと、美代も同じ顔をして聞いてきた。

「へ? だって、棋士なんでしょ? 棋士って囲碁だっけ、将棋だっけ」

「そっち!? 違う違う! 剣持ってるほうの騎士!」

「銃刀法違反じゃん」

 あっさり返されて、それもそうだと納得した。常に銃刀法違反な彼氏を、さて、どうやって家族に説明しよう。

 ルーナは背が高いから、玄関入るとき頭打ったらどうしよう。正座は苦手だけど、ごめんね、うちの客間畳なんだ。

 あれ? ルーナ泊まるんだっけ? そもそも、うちに来る予定なんてあったかな。

 首を傾げていると、アリスが教室に入ってきた。

「おはよー、アリスちゃん!」

「その呼び名をやめろ!」

 外套を翻して怒鳴ったアリスは、リボンはないがぴしりと紙でラッピングされた箱を鞄から出す。寸分の狂いない包箱だ。

「母上が昨日焼いた菓子だ。消臭にしろ」

「お菓子なのに!?」

 破るのを躊躇うくらいぴったりとした紙をそろーっと剥がして箱を開けると、つやつやぴかぴかの炭が綺麗に並んでいた。美しいです、エレナさん。これ、そのまま売り物に出来ます。贈り物にしてもきっと喜ばれます。炭として。

 くっと涙を拭っていると、何故か窓からティエンが飛び込んできた。

「お、いたいた! おい、カズキ、ルーナ宥めてくれよ。鞄にエロ本仕込んどいたら切れられた」

「そりゃー、切れられますね。で、イヴァルは何をやってるの?」

 窓枠から頭だけ見えているイヴァルは、曖昧な笑顔で笑う。

「今にも落ちそうですぅ……!」

「落ちかけてた――! ちょ、ルーナ! ルーナ――!」

 窓に飛びついてイヴァルの首根っこを掴み、ルーナを探す。

「ルーナぁ! エロ本仕込んだ犯人ここにいるからこっち来て――!」

 重い、イヴァルが重い。

 だって昔は抱っこできていた子どもは立派な大人になっている。私一人では引っ張り上げられない。

 ルーナ、ルーナと呼んでいる私の袖が誰かに引かれる。

「ルーナ!?」

「違うよ」

 ちょこんと立っていたのはリリィだった。

「カズキ、何してるの?」

「落ちてる!」

「カズキが?」

「イヴァルだね!」

 リリィは、必死にイヴァルを引っ張り上げようとしている私を見て、こてりと首を倒した。

「でも、これ、夢だよ?」

 あ、可愛い。

 可愛いリリィがくるくる遠ざかり、私の夢はぱちんと弾けた。






 そうか、夢だったのか。いい夢だったな。

 夢の余韻でぼんやりしながら、瞼を開けたくなくて硬く瞑る。

 あり得ない夢が、想像通り幸せだったから、何だかいろいろ込み上げてくる。あり得るはずがない。私の大切な人達が一所にいるなんて、あり得ない。分かっている。私の夢が叶うには、どちらかの世界の人が生まれ育った世界を捨てなくてはならない。

 だから、そうであれと願ったことなんてないのに、私の夢は当たり前のように、自分の幸福の為にルーナ達を犠牲にした。自分がこれだけ苦しい思いをしていることを皆にさせるつもりか。

 反吐が出る。



 込み上げてくるものを堪えきり、目を開けた。そこでようやく意識がはっきりしてくる。

 何かに包まって寝転がったまま、じっと部屋の中を見渡す。心臓がどんどん早鐘を打ち始めた。気を失う前の状況をじわじわ思い出す。

 身動ぎ一つ取らず、目だけをぎょろぎょろ動かして周囲の様子を窺う。部屋の壁は石畳で、窓はない。家具は、シンプルな机と椅子、箪笥が一つだけだ。後は本棚がずらりと並んでいる。壁にはべたべた沢山の紙が貼られ、足元にまで本の山が広がっていた。

 恐らく私が寝ている場所はベッドだろう。アリスちゃんの家のようにふかふかしておらず、どっちかというとパイプベッドを思い出す感触だ。

 ここは何処だ。誰が何の為に私を連れてきたんだ。

 そして何より、何よりも。


 自分以外がたてる物音が聞こえ、心臓が振動さえ分かるほど激しく鳴り響く。口を固く引き結んでいるから、漏れるのは鼻息だ。ふーふーと煩い鼻息を放ちながら、目だけで扉を探す。ざっと部屋の中を見渡して本棚の間に見つけた。ノブ付の普通のドアだ。石壁の中でそれだけが木で出来ているが、本棚に埋もれかけていて違和感を感じない。。

 足音は部屋の前を通りすぎてはくれなかった。期待はしてなかったし予想通りだけど、私の心臓はそろそろ限界だ。

 がちゃがちゃと音がするのは、鍵だ。鍵付の部屋だ。しかも、外側から。無理やり連れてこられたのだから当たり前なのだけど、目の当たりにすると結構ショックなんだなと、ショックなのにどこか冷静な部分が判断した。

 ゆっくりと扉が開いていく。

「ようやく手に入れたか」

 男の声が近寄ってくる。

「余計な手間をかけさせてくれたものだ」

 怖い。ルーナ、ルーナ助けて、ルーナ怖い、助けて。

「後の面倒を考えると、アードルゲも燃やすべきだったか?」

 それと、ルーナ、ねえ、ルーナ。


[っだぁああああああああ!]


 二度も私の所為で大切な人達を傷つけたこいつが、何より腹立たしい!



 突然飛び起きた私に殴り掛かられて、男はやけに甲高く耳に触る悲鳴を上げて床に転がった。外した。そのまま馬乗りになろうとしたが、がくんと急ブレーキをかけられたみたいに身体が止まる。視線を落とせば、足に鎖がついている。野獣みたいに鼻息荒く引っ張ってもびくともしない。

[あんたが!]

 がなった私に、男はひぃっと情けない悲鳴を上げて、転がるように距離を取った。四十くらいの金髪で太った男だ。こいつの所為だと思うと全部が腹立たしく見えてくる。脂ぎった顔も、指についた太い指輪も、前歯の二本が金なのも、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで全部忌々しい!

 ひぃひぃ後ずさる男に手が届かないのが悔しい。興奮が極限状態の私は、自分の動きを制限する鎖を射殺さんばかりに睨んで、その先に繋がっているのがベッドの足だと気づいた。

 豪華で天蓋がついたタイプじゃなくて、ミガンダ砦にあったような簡易のベッドだ。これならちょっと頑張れば動かせる。そう判断して、足腰に力を入れて引っ張ると、予想通り、ずり、ずりとベッドが動き始めた。

 髪を振り乱して顔面に張り付け、動き始めたベッドににたりと笑う私は、きっとホラー映画にぴったりの形相だ。

「ひ、ひぃ! おい、これは本当に黒曜か!?」

 転がりながら下がっていく男に、手当たり次第に物を投げつける。

[あんたなんて嫌い! 大っ嫌い! どっか行け! 何なの、何なのよ! 何で、全部いきなり、犯罪とかなんで平気で! リリィ達の家を返して! エレナさん達の家を襲うな! 皆の怪我を治して! どっか行け! あっち行け! 嫌い! あんたなんて嫌い! 私が、私が生きてく世界はどっちなのよ――!]

 半分は八つ当たりだと自分で分かっている。誰にぶちまけたらいいか分からなかった鬱憤が、目の前の男に爆発した。申し訳ないとは絶対思わないけど。

 分厚い本を持ち上げた身体が羽交い絞めにされた。暴れてもがっしり関節ごと抑え込まれて身動きが取れない。

「本物って確認されてるんですけどねぇ」

 声と腕の力で、私を押さえているのは男だと分かった。

「明るくて優しい女だって聞いてたんだけどなぁ」

 軽い声音で話す若い男の顔を勢いよく振り返る。


 本物と確認されている? 聞いている?

 誰に?


 一旦興奮が収まると、急激に身体の力が抜けていく。後には伸し掛かるような疲労だけが残る。

 私の力が抜けたことを察した男は、私を解放した。

 と思ったら、両手に異様に重い何かを装着された。予想外の重みに身体がついていかず、がくんっと膝が抜けたように床に座り込む。

 驚いて視線を落とすと、両手首にごつい鉄の塊がついていた。昔見たことがある。砦で捕虜に使われていたような、手枷だ。肩がすっぽ抜けたと思う重さだった。枷というより、鉄の塊を填められたというほうが近い。

[重っ……!]

 かなり重いけれど、踏ん張れば動かせない訳ではない重さだったので、踏ん張ってずりずり動かしながら移動してみた。中腰の蟹股で歩く姿はかなり変だろうけど、私は真剣だ。

「ひ、ひぃ!? わ、わたしはもう関わらんぞ! ゼフェカ、お前が面倒を見ろ! その為にわざわざ呼び戻したのだからな!」

 この枷で殴られては堪らないと思ったのか、金歯の男は転がるように部屋から逃げて行った。どんなに恨み募る相手でも殺人まではなかなか思い至らない。これは別に、男の頭にぶつけてやろうと思っていたわけではなく、単に動くかなと思っただけだったのだけど。

「はいはい、了解しましたよっと」

 軽い調子で片手を上げて応じた男は、中腰でじりじり動いて距離を取ろうとする私を見て口笛を吹いた。

「それ持って動こうと思える女って相当根性あるよなぁ」

[根性だけが取り柄ですから]

「やべ、何言ってんのか全く分からない」

 中途半端な長さでぼさついた青髪を一纏めにした男は、まじまじと至近距離でこっちの顔を覗き込んだ。

「美人って噂だったんだけどなぁ……」

 目に見えてしょんぼりされた。

 そうともそうとも、美人じゃないだろう。そのことに一番がっかりしてるのは、この私だぁ!

 へこむ。

 いやいや、へこんでなるものか。美人じゃなくてもルーナが好きと言ってくれるならそれでいい。ルーナも、ルーナだったら何でも好きだから、別にあそこまでイケメンになってくれなくてよかったのに。


「距離、接近過多」

 ぞり、とつけようとして、ぐっと抑える。エレナさん曰く、相手を信用できないと判断した場合、もう単語だけで話しなさいとのことだ。「おはようございます」の「おはようござ」くらいで切ったような感じがして、収まりが悪くもやもやしてしまう。でも、皆からすると「ぞり」がついてるほうが違和感があるのだろう。エレナさんが可愛いと言ってくれたのが救いだ。

「あ、よかった。分かる」

 軽い調子でひょいっと離れた男にほっとして、自分の状況に気付く。

 命を狙ったり、建物を燃やしたり、皆に怪我をさせたりする危ない集団に浚われたのに、大人しくするどころかいきなり殴りかかってしまった。しかも、自由な身でもどうしようもないのに、足と手首に鉄枷。

 やってしまった。

 ゼフェカの腰でかちゃかちゃ揺れているのは剣だ。嫌な汗が滲み出てくる。

 後悔先に立たず。後から悔やむから後悔だ。じゃあ、先に悔んだ場合どうなるか。案ずるより産むが易しだ。

 どうすりゃいいの。

「…………る?」

 それに、よく考えたら悔やんではいない。後先考えなかった自分に反省はしているけれど、さっきの自分の行動に後悔はない。全く事情は分からないし、ここがどこかも、あれからどれくらい経っているかも分からない。でも、さっきのおっさんに一泡吹かせられたことは、私の中で為すべきことをした分類に入っている。

 仮令、喚き散らす子どもの癇癪のような行動だったとしても。

「…………―い?」

 そう考えると、少し落ち着いてきた。すると、あれからどれくらい経っているかも分かってくる。きっと、まだ早朝だ。だって私の腹具合がそう告げているのだ。お腹は空いたけど、無差別に鳴り散らすほどではない。

 自分なりに分析していると、突然ぱんっと何かが破裂した音と、目の前に風が起こった。

 驚きすぎると声も出ないとは本当だ。目の前で両手を打ち鳴らした青年が起こした風で髪が揺れた。

「おーい、聞いてる?」

「皆無ぞり!」

 反射的に返事をして、うっかりぞりをつけてしまった。

「えっ、聞いてくれよ」

 ぞりは特に気にされなかったようだ。けれど気をつけよう。気を抜かないようにしっかりしなければ。だって、この人は敵だ。

「じゃあ、もう一回。初めまして、俺はゼフェカって言います」

「始めません、ゼフェカさん!」

「えっ、始めてくれよ」

 しっかり者に見せようときりっと挨拶したら、凄く複雑な顔をされた。何故だ。異世界文化って難しい。




 お茶と軽食を用意してくれたゼフェカ(さんはいらないそうだ)と、何故か一緒に朝食を取ることになった。枷は暴れないことを前提で外してもらった。暴れたら即付けされる。どうせなら足枷も外してほしかったけど、全部の望みが叶う訳がない。

 やっぱり朝で正しいようだけど、窓がない部屋は、一応四隅と天井付近のランプで照らされていても薄暗い。ついでに空気も悪い。きっとどこかに通風孔はあるはずだから、後で一人になったら探そう。うまくいけば抜け出せるかもしれないし。

 朝食はチーズを乗せて焼いたパンと、簡単なサラダ、スープ、お茶だ。何が入っているか分からないし、何でこの人と一緒に食べなくちゃいけないんだ。渡されたパンをじっと見つめていると、ひょいっと交換された。

「毒なんて入ってないけど、心配ならこっちをどうぞ。俺の齧りかけ」

「そちらぞ結構」

 敵の歯型のついたパンよりは無傷のパンだ。少し悩んだけれど、結局食べることにした。

 だって、今はよくてもずっと食べないなんて不可能だ。すぐに助けが来るとも思えないし、いざという時に弱っていたら走ることもできない。助けが来てくれるにせよ、足手まといになるのはごめんだ。

 あのとき殺されなかったということは、少なくともすぐに殺されることはないはず。

 覚悟を決めてパンを齧り始める。ちらりとゼフェカを見ると、美味しそうにスープを飲み干していた。敵と一緒にご飯なんか食べられない。しかも浚われてきた翌日にモリモリ食べられる程私の神経は図太くない。

 だから、お代わりは食べられなかった。



「ごつそうさまですた」

 きりりと顔を引き締めてご飯を終了すると噴き出された。

「ごちそうさまだね、それ」

 真剣な顔で間違えていたわけだ。それは噴き出されても仕方ない。

 ゼフェカは美味しそうにスープのお代わりを飲み干して、ごちそうさまでしたと言った。ご飯を食べている間も、特にこれといったことはなく「今日は晴れだよ」とか「食べ物何が好き?」とか、一般的な世間話しかされていない。それに対してそっけなく、というよりミスをしないように単語で返していたのに、気分を害してもいないらしく、軽い調子は変わらない。

 こうなったら、自分で聞くしかない。

「こちらなるは、どちら?」

「え? えーっと……言えないなぁ」

「何故、私、用事」

「え? えーっと……言えないなぁ」

 まあそうだろうなと思う。ちゃんと質問の内容を理解してもらえたかは謎だけど、最初から答えてもらえるとは思っていない。一応聞いてみただけだ。

「質問はそれだけ?」

 どうせ聞いても答えてくれないくせに。それに、エレナさん達は無事なのか凄く聞きたいけれど、この男の口から聞いても信じられないから、聞かない。

「じゃあ、俺からさせてもらおうか」

 何を聞かれるのか、私は身を固くした。緊張して身構えると、胃から朝ごはんが逆流しそうになる。勿体ないからお茶を一気飲みして押し戻す。頑張れ、お茶。

「黒曜はどんな男がタイプ?」

「は?」

 身構えた自分が馬鹿らしくなる話題だった。

「あ、黒曜は騎士ルーナがタイプだったか……面食いだねぇ、黒曜。いやはや、男の趣味が良い。凄い男を捕まえたもんだ」

 肩を竦めたゼフェカの『メンクイ』が何かは分からないけど、ルーナが凄いのは事実だ。ルーナは凄いんです。ルーナは凄く格好いいんです。ルーナが褒められて私も嬉しい。

 嬉しくなって、思わずどや顔になった。誰だって身内が褒められると嬉しい。あ、でもこれ敵だった。

「えっ、面食いって自慢するところだっけ? まあ、いっか。黒曜は何か欲しい物ある? どうせしばらくここに引き籠ってもらうつもりなんだけど」

「帰還」

「却下」

「捥げろ!」

「言葉不自由なくせに、何でそんな恐ろしい単語知ってんの!?」

「男社会とは無情にょり」

 しかし、どうしてみんな頭を押さえるんじゃなくて前屈みになるんだろう。不思議だ。

 しみじみ頷いて気づいたけど、また語尾が出てしまっていた。別に気を許したつもりはないのに、ゼフェカの態度はまるで友達みたいなのでどうにも緊張感が続かない。望んでではないけど同じ釜の飯を食べてしまったのもあると思う。

 でも、信用はしない。絶対。

 だって、この人達がリリィ達の家を燃やして、エレナさん達の家を燃やそうとした。自分の目的の為に平気で他者を害する人を信用するほど、私は世間知らずでも子どもでもない。

 ルーナもきっとアリスも、探してくれているはずだ。だからといって何もしないで手を拱いているわけにもいかない。私はエレナさん達の所に帰られなければならないのだ。真っ先に皆の無事を確かめる。そして、巻き込んでしまったことを謝らなければ。お世話になったことのお礼も言ってない。何が何でも帰ってやる。謝るために、お礼を言うために、絶対帰る。会ったらまずは土下座だ。菓子折りも必要だろうか。しまった、菓子折りを買うお金がない。まずはバイトして……それより先に会いに行くのが先決だろうな、やっぱり。

 絶対に帰る。その為に何をしなければならないか。考えろ、須山一樹。皆の好意に甘えて、自分のことなのに人任せにしてきた。状況に流されるままにくるくる回って、その結果がこれだ。

 考えろ。一人で考えろ。今迄が恵まれすぎていたのであって、本当なら初めてこっちの世界に来た時からしなければならないことだったんだから。

 無意識に握りしめた胸元に違和感を覚える。服の上から掴んだ手でリリィから貰った首飾りは掴めたのに、それに吊られて首筋で揺れる小さな感触がない。服を少し引っ張って首元に視線を落とすと同時に、悲鳴に似た声が喉から漏れた。

「え? ちょ、何やって」

 焦ったように制止してくるゼフェカを気にする余裕なんてない。私は服をがばりと脱いで下着姿になる。どうせこっちの世界の下着は向こうの部屋着より生地があるし、見られたところで減るようなナイスバディでもない。それに今は、そんなことどうでもいい。

 脱いで服を振っても何も落ちてこない。裏に引っかかっているのかと引っくり返してみても見つからない。服を放り投げて、足枷と繋がっているベッドに飛び込み、シーツを引っぺがして全部引っくり返す。

[ないっ! ない、ない、ない! 何で!?]

 石畳に膝を打ち付けたが気にならず、床に這い蹲って探す。継ぎ目に落ちていないだろうか。ベッドの下に潜って埃を掻き分けても見つからない。

 ルーナから貰った首飾りがない。ルーナがずっと、十年間も大事に持っていてくれた、十年前に私に贈ってくれた首飾りが無くなっている。どこだ、どこで無くしたんだ。この部屋にないのなら、ここに連れてこられた時だろうか。だったら探すのは絶望的だ。正確な場所が分からない。でも、探さなければ。連れてこられた道中だろうか、それとも転んだあの時? 分からない。でも探さないと!

 十年間、戻るかも分からなかった私の為に手入れをして保っていてくれた首飾り。前線で手に入ったものだから、たぶん、そんなに高価なものじゃない。つまり、作りも甘い。実際、何度も直された跡があった。

 私の元に戻してくれた首飾りを、ルーナの気持ちを、私はこうも簡単に無くして、蔑にしまうのか。

 そんなの、嫌だ。大事にしたいし、大切なんだ。こっちの世界で出来た繋がりも、ルーナという存在も。大事にしたいのに、大切にしたいのに、どうして私はいつもルーナを傷つけるんだろう。

 飛び起きて、ゼフェカの胸倉を掴んで捲し立てる。

「捜索する為出陣許可を!」

「え、いや、ちょっと!」

「目標発見した(のち)帰還するぞろから!」

「え!? 帰ってきてくれるの!? そりゃ俺も怒られなくて助かるけど!」

 心底驚いたと目を丸くした相手にはっとなる。

 そうだ、ここから出られたのならそのまま逃げればよかったんだ。



 胸倉を掴み上げたまま微妙な沈黙が落ちる。

「あー……えーと、探してるのは青い石ついた花の首飾り?」

「ぞり!」

「さっきから思ってたけど、ぞりって何!?」

 珍妙なのは分かってるけど今はそれどころじゃない。ゼフェカの胸元を掴んだままがくがく揺さぶる。

「てめぇは首飾りの行方存じ上げる!?」

「存じ上げる存じ上げる! だからちょっと落ち着いてくれる!?」

[これが落ち着いていられるか――!]

「何言ってるか分かんないんだけど!?」

 たぶん締まっていたのだろう。いつのまにか襟を締め上げていた私の腕が、掴まれて強引に引っぺがされた。いとも簡単に外された腕は本能的に恐怖を感じたけれど、今は首飾りの行方が一番大事だ。

「あー……苦しかった……。あの首飾り、あんたは俺達が預かってるっていう証拠として、騎士ルーナに送ったよ。まあ、匿名でだけど。そっちとどっちにしようかと思ったけど、あっちのほうが古かったから、あんたが昔からつけてるやつかなって。あ、後、首ごめん。色々してる時にちょっと切れたみたいでさ。首飾りにもちょっと血がついてたかも」

 ごめんごめんと、片手を顔の前で立てて謝られる。軽い。

 つまり、首飾りは無くなったわけじゃなくて、ルーナの所に戻ったというわけだ。無くなったわけじゃなくて一安心だ。十年間大事に持っていてくれた首飾りを私に戻してくれてすぐに、私の血が付いた首飾りがルーナの元に戻ったと。

 そうかそうか。

 不思議と凪いでいた心が、突沸した。いや、どちらかというと最初に戻ったのだ。


[無くなったより質が悪い!]


 ごめんで済むかごめんで!

 もう色々ぐちゃぐちゃになった私は、渾身の拳をゼフェカの顔面に叩きこんでいた。パーじゃない、渾身のグーだ。知らない事とはいえ、どれだけ人の気持ちを踏みにじれば気が済むんだ。どれだけ、私の大切な人達を傷つけるつもりなんだ。心も身体も両方を!

 素人の拳だから恐らく避けられたであろうゼフェカは、甘んじて頬を差し出した。どうしてそう思ったかというと、顔面のど真ん中に振りかぶった私に、流れるような動作で頬を差し出してきたからだ。鼻で喰らうよりそっちのほうが被害が少ないと踏んだのだろう。



 その結果。

 ゼフェカの頬は少し赤くなり、私の指は折れた。

 でも、特に後悔はしていない。ただし、折れた指が二本だったことは、ちょっとだけ反省した。



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