14.神様、ちょっと見直し求めます
アリスが来た方向から、馬をもう一頭連れた外套が見える。その人物はこっちを確認するや否や、諸手を挙げて手綱を離し、走り寄ってきた。諸手に驚いた馬が走り去ろうとしたことに驚いたルーナとアリスが飛び上がる。馬を二頭連れているアリスは身動きが取れない。弾かれたように走り出したルーナは、走り出した馬の手綱を掴むや否や、ひらりと跨ってしまった。流石です。格好いいです。何処をどう切り取っても格好いいとか凄いです。
そして、私はというと、外套にしがみつかれて背骨を軋ませていた。
「カズキさん!」
「どいつどなたが誰ですぞり!?」
「俺です、イヴァルです!」
「え!?」
外套の下から現れたのは、赤毛の青年だった。
「きょ、巨大になりやがったですねこのやろう!?」
記憶にあるイヴァルは、まだ十歳の子どもだ。騎士見習いで小間使いのようなことをしていた、小さく痩せた子どもは、ひょろりと細長く成長していた。よく転び、よくからかわれ、よく泣いていた子どもは、涙ぐんだままにこにこと私を締めつけている。
さあ、思い出せ須山一樹。彼が、笑顔で締め落としにかかる程恨まれるような何をした!
ぎりぎり背骨が軋んで、呼吸をしようにも肺が広がらない。苦しい。
駄目だ、全然心当たりがない。イヴァルをからかった相手に箒で殴り掛かり、肥溜めに落ちたイヴァルを助けようと一緒に落ちて一緒にお風呂に入り、怖い夢を見たと泣くイヴァルと一緒に寝たくらいだ。後は何だろう。鬼ごっこを教えて、影ふみを教えて、ケイドロを教えて、色鬼を教えて、高鬼を教えて、だるまさんが転んだを教えて、クッキーを一緒に作った。焼き立てクッキー最高でした。誕生日に作ってと強請られた手袋は異形と化した。…………それか!
「ご、ごめんぞろ、イヴァル! あれなるは悪意なき、私なるの真なる実力を全霊を持って捧げたもうた結果じょろりよ! 配布されし本は、右の利き手専用のみになりにけりにて、私ぞりの初心な者には、荷物が重責過多な任務にょろぞんぴー!」
「ああ! 懐かしい! この無茶苦茶な言語力! 本当にカズキさんなんですね! 帰ってきたんですね!」
駄目だ! 許してもらえない!
ぎゅうぎゅう締め上げられて、ふわぁと意識が飛び立ちかける。召される。
「イヴァル、そろそろカズキが落ちる」
「え!? あ! ご、ごめんなさいカズキさん! 嬉しくってつい…………」
「体格差を考えろ。俺達と違って、カズキは変わってないんだから」
飛び立ちかけたと思ったら、本当に飛び立っていた。イヴァルの腕から引っこ抜かれるようにルーナの腕に移動している。物理的に空を飛んだ。ルーナの腕力凄い。
アリスは馬三頭の手綱を握っていた。
ぜーはーと息を整えている間も、イヴァルは嬉しそうに涙ぐんでいる。どうやら手袋の恨みではないらしい。
記憶にある丸く小さな指は、いつのまにか長く骨ばっていた。私の片手を両手で握っていたとは思えない力で、イヴァルは私の手を握り締めて額につける。その手は震えていた。
「もう、会えないかと思いました」
「私もぞり、イヴァル。健在で何よりだりょ……邂逅叶って、恐悦至極にょろよ!」
「にょろですね!」
十年経った今、彼も立派な青年だ。二十歳になったはずなのに、まるであの頃のように両手を握って飛び跳ねている。
一瞬、あの頃に戻ったような錯覚に陥った。
ルーナと出かけている所にイヴァルが走ってきて、皆が呼んでますよと楽しそうに手を引く。そうして『いつものように』砦に帰るのだ。武器の手入れや鍛錬の音、鉄と錆び落とし、汗と男の臭いに呻きながら、常にうるさいあの場所に。
でも、あり得ない。
私はあの日、この世界に訪れた時のように強制的に追い出された。そして、十年。十年だ。ここでは、私の人生の半分以上の歳月が流れている。それほどの時間が流れていて孤独感を感じないで済んだのは、彼らが私を置いていかなかったからだ。もう過去の人だと忘れ、置き去りにしないでいてくれたからに過ぎない。あの頃世界の全てだったミガンダ砦は、もう別部隊が配属されている。子どもは大人になり、私を追い越して行った。私がいない間も世界は動き続けている。
あれだけ帰りたいと願った日本は遠く、あれだけ戻りたいと願った居場所は既に過去だ。
「カズキさん?」
くるくる変わる事態のように、ぐるぐる夜空が回る。星は白い線のように伸びて、円を描く。
少し、疲れた。
泣き出しそうなイヴァルの顔が遠ざかる。
「カズキ!」
背中から私を支えてくれた腕は、まるで知らない人のようだった。
家族や友達がいる生まれ育った世界。
一生一緒にいたい恋人と仲間がいる世界。
選べと言われたら泣いて抗議する。選べるかと憤慨して暴れ回るだろう。
でも、選ばせてもくれないのは、もっと酷い。
選べない。選べないけれど、覚悟も決められずに、強制的にぶっつんとぶつ切りにされるのはあんまりだ。
この世界で生きていくのかと腹を据えようとすると帰される。ならばと、新たに得た全てを痛みにして、生まれ育った世界で覚悟を決めようとすると戻される。
どちらを選んでも泣き喚く。どちらを捨てても一生悔やむ。
でも、せめて選ばせてくれたら、自分で決めたのだと思えたのに。
「起きなさい!」
[うはい! 先生!]
鋭く切り裂くような声に飛び起きる。手を突いた場所が予想外にふかっとしていて、反射的に、潰さないよう手をどけた結果、見事にバランスを崩して転がり落ちた。顔面から落ちて鼻を打つ。神様は私に、鼻を潰す呪いでもかけたんだろうか。
「何を言っているのかは分かりませんが、まずは湯殿で身体を洗いなさい!」
[はい!]
「それは恐らく返事ですね! よい返事です! パール、湯殿へ!」
[イエッサー!]
「今のはパールに言ったのです!」
[はい! 先生!]
どうやら、ふかっとしていたのは枕で、転がり落ちたのはベッドだったようだ。大きさと豪勢さから見てお金持ちに違いない。少なくとも軍人達が寝ていたベッドが石のベンチに見えるくらい、ふかふかだ。
そこまで確認して、目の前の人に視線を向けようとしたら、立ちはだかるふくよかな身体。恐る恐る視線を上げていくと、年配のおばさんが無表情で立っている。
どーんっという効果音が似合うその人は、白いエプロンを輝かせながら腕まくりした。
気が付いたら、素っ裸にされていた。その手が首飾りに伸びた時は流石にはっとなる。
「だ、大事じょり、凄まじく大事の存在物なりぞ!」
両手で屈むように首飾りを守っている私に、パールさんは両手で畳んだタオルを差し出してきた。この上に置けということだろうか。無言の圧力を感じて、そっと首飾りを外す。二本あった。二本……?
まじまじと見つめる暇もなく風呂場に放り込まれた。羞恥心を感じる暇もなくがしがし擦られ、お湯をぶっかけられる。
「ここは誰、私はどこ!?」
「手を上げてください」
「はっ!」
そんな感じであっぷあっぷ、たんまたんましている間に洗い上がったようで、脱衣所にぽいっと放り出される。へたり込んだ私の前に、ずらりと並ぶ同じ格好、同じ髪型のメイドさん達。まるで軍隊のように一糸乱れぬ動きだ。
じり、じりと、タオルに続いてそれぞれ着替えを持って近づいてくる。
「た、待機! 待機ぞり! せめてもの情けなるは、パンツなるは自身で着用なさ、にゃんこパンツ――!」
タオル持ちメイドさん×3の次に突撃してきたパンツ持ちメイドさんの持っていた物は、白にピンクのにゃんこパンツでした。可愛かったです。
あれよあれよ、待って待ってしている間に着替え終わり、一杯の水を渡された。急かされるままに一気飲みしたら柑橘系の果実水だった。風呂上りの水分補給だろうか。寝起きすぐにお風呂に入らされたのでありがたい。
その後、どこかの部屋にぽいっと押しこまれた。閉まった扉の左右にメイドさんが控えているので、出るに出られない。
仕方なく部屋の中に足を進めるけれど、ふかふかの絨毯って歩きにくいし、靴で歩くと凄く罪悪感が湧く。いや、夏場の素足で踏んでも罪悪感が湧き上がるだろうけれど。
多分、お金持ちなんだろうなという感想しか出てこない部屋だ。そうとしか思い浮かばないのは私が異世界人だからか、はたまたただ庶民だからか。
ちょっと真面目に考えようと、奥にあった鏡台を覗き込む。緻密な細工とぺかぺかに磨かれたこれはあれですな、あれです、ほら、あれあれ。なんかこう、歴史的価値がそんな感じで、紀元前……はいきすぎだけど、なんか昔に作られたあれです。
私には、鑑定も説明も過ぎたるものだった。
素直に、綺麗で可愛くて上品で、いいなー、欲しいなー、でも私の部屋には合わないなー、高そうだなー、小指ぶつけたら痛そうだなーと思うことにしておこう。
鏡台から少し離れた場所には巨大な姿見があった。
そこに映っているのは、可愛らしいはっきりとした水色のワンピースを着た私の姿だ。いつの間にか髪も結われていた。ちょっと巻いた髪を、ちょっと結い上げてお花飾りで止めている。小走りで近寄っていき、膝丈のワンピースの翻しながらくるりと回る。
[これが、私…………]
驚いてまじまじ見つめる。
びっくりするくらい似合わない!
[え!? ここまで似合わない!? もうちょっと、まあ見れるってくらいは似合ってもいいんじゃない!?]
こういうのは、足が長くて細くて腰の位置が高くて、二の腕すらりで鎖骨綺麗な女の子が似合うんだなとしみじみ思う。私はジーンズ派だけど、ここまで似合わないとショックだ。何だこれ、仮装か、仮装なのか。夢の国に行っても現実に引き戻されそうなくらい似合わないんだけど、どうしよう。
あまりの似合わなさに泣けてくる。しかし、はっと気づく。
[もしや!]
「どうしましたか」
[これって中学生とかそれくらいの女の子が着る感じなんじゃ!?]
それなら来年二十歳の私が似合わないのも頷ける。ドレスやワンピース一式が致命的なまで似合わないわけではないはずだ。そうだったら、一応性別女子として号泣する。今はどうでもいいけれど、向こうの世界に強制送還されたとき、こっちの世界で伸びた髪が元の長さまで戻っていた私は若返っていたのだろうか。そうじゃなかったら既に二十歳に到達している。
若干現実逃避を兼ねたことを思いながら勢いよく振り向けば、目の前に胸があった。胸だ。ぼいんさんだ。
恐る恐る上を向けば、ルーナくらい長身の女の人がいた。私を起こしたのもこの人だ。まるで授業中に居眠りして先生に起こされたようだと思ったのは、彼女がきっちりしていたからだろうか。
髪の一房も落ちないくらいきちりと纏めて結い上げられた髪に、少し目尻に皺があるけれどとても美人な人だ。だいたい四十代くらいだと思うが、自信はない。
女性は、呆然と見上げる私を見下ろしながら、すぅっと息を吸った。
「ここはブルドゥス! ならばこの地に根付く言語を喋るのが礼儀です! 仮令不慣れでも郷に入っては郷に従いなさい!」
もっともだ!
「はっ! これなるはもしやもやもし! うら若き乙女なるおなごの着用するお召し物ではなきかぞと思考したじょり!」
「…………貴女、歳は幾つですか?」
「十九じょりん!」
「着替えを」
女性は踵を返すとメイドさん達を呼んだ。
え? と思う間もなく続き部屋に押し込まれ、マジックみたいに服を剥がれた。するりんっと効果音が尽きそうなくらい簡単に長いキャミソール姿になる。
「手を上げてください」
デジャブ。
あっという間に薄水色の丈の長いドレスに着替えていた。自分の全体像を確認する間もなく、着替え部屋からぽいっと押しだされる。
押されながら何とか姿見を覗く。さっきのはワンピースだけど、こっちは絶対ドレスだ。しかもそっとかけられたレースのショールが上品だ。髪も後ろに一つで纏められ、真珠みたいな玉が連なった髪飾りで止められていた。
こっちは何とか馬子にも衣装に辿りつけたかもしれない。そう思いたいだけかもしれないけど。
さっきの女性は、いつの間にか用意されたお茶セットの前に座っていた。促されるままに向かいに座る。
「失礼しました。てっきり、十二、三歳かと」
「ど、どうぞろ、お気になさる必要ぞ皆無にょよ」
「ありがとうございます」
女性は、ただでさえぴしりと伸ばしていた姿勢を更に正し、豊かな胸を張った。
「では、始めましょう」
「な、何をじょり?」
「わたくしは!」
「じょりん!?」
何て通る声だ。
女性の声は、距離があっても、周り中で雑談していても、まっすぐに届いてくるタイプの声だった。
「アリスロークの母、エレオノーラ・アードルゲと申します!」
「か、カズキ・スヤマでごじょりますぞ!」
「宜しい! ここはアードルゲの屋敷です!」
「はっ!」
反射的に挨拶を返して、はたと気づく。アリスのお母さん!? 若い、綺麗、声凄い! ついでに胸も凄い!
よく見れば端正な顔立ちのアリスとよく似ている。きりっとした意志の強そうな釣り目で、エレオノーラさんのほうが強そうだけど。
しかし、そう考えると若い。二五歳の息子がいるようにはとてもじゃないが思えない。
「貴女が成人を迎えていると聞き、安堵しました!」
「あ、ありがとうございます!」
「しかし!」
「はっ!」
はきはき喋るエレオノーラさんにつられて、私もはきはき喋ってしまう。
「我がアードルゲ家と縁続きになるからには、それだけで終わるはずがないと分かっていますね!」
「は!?」
「我がアードルゲ家は、ブルドゥス建国より繋がる由緒正しき家柄! どこの馬の骨ともつかぬ娘が嫁げる場所ではありません! 仮令、貴女とアリスロークが愛し合っていたとしてもです! 大体」
「た、待機! 少々待機懇願ぞろり!」
何かとてつもない勘違いをされている。慌てて訂正しようとすると、ばんっと強くテーブルが叩かれた。茶器が吹き飛ばなかったのが奇跡だ。
掌をテーブルに叩きつけて私を制したエレオノーラさんは、思わず身を竦めるような強い声で、再度テーブルを叩いた。
「目上の人間が話しているというのに、遮るとは何事です!」
「はっ! ごめんじょりん!」
「申し訳ございませんです!」
「申し訳ござりませぬ!」
「せんです!」
「せんです!」
「最初から!」
「申し訳ござりませんです!」
「宜しい!」
息もつかぬ応酬で私は息が荒くなったのに、エレオノーラさんは全く意に介していないようだ。きりりと眼差しを吊り上げ、お茶を一口飲む。優雅です。
カップは、ほとんど音が立たないように下ろされた
「ここは貴女のような小娘がいていい場所ではありません言葉すら覚束ないようでは話にもなりません貴女の存在がアリスロークひいてはアードルゲの名の恥になるのです分かりますか貴女のような品位の感じられない見目の美しさも持たない女ではアリスロークの妻に相応しくないということです言葉が覚束ないのは大陸出身だからでしょうがそれでは後見も期待できませんね貴女は何も持ってはいないつまり何の価値もないのです」
さっきまでの激しさとは打って変わって、ほとんど息継ぎをしていないのではないかと疑うほど淡々と喋っていく。
「そんな価値のない女を我が家に迎え入れる訳はないと足りない頭でも気づけるでしょうそもそも我が家に訪れる前に気付いてほしかったものですが起こってしまったことは仕方ありません貴女が如何に価値のない女であろうが礼は尽くしましょう幾ら欲しいのです言い値を払いましょうただし受け取ったからにはどうするべきか分かりますね」
淡々と、つらつらと、無表情の唇が語っていく。
私は反論を諦め、掌に爪を立てた。
駄目だ、耐えろ。耐えなければいけない。彼女はアリスのお母さんで、私はこの家に厄介になったのだ。だから、我慢しろ。
ぎりっと歯を食い縛り、私はひたすらにアリスの訪れを待った。
「おい、起きろ!」
[うはい! 先生!]
鋭く切り裂くような声に飛び起きる。手を突いた場所が予想外にふかっとしていて、反射的に、潰さないよう手をどけた結果、見事にバランスを崩して転がり落ちた。
私の鼻が! と慌てたけれど、私以上に慌てたアリスが支えてくれたので事なきを得た。
「あ、ありがとう」
「カズキ!」
「はっ!」
「私がいなかった二時間で、母上と何を話した!?」
鬼気迫る顔で詰め寄られ、慌てて自分の恰好を見る。薄水色の丈の長いドレスだ。夢かと思ったけれど、現実だったらしい。
必死に記憶を掘り返す。
「も、申し訳ござりませんです!」
思い至って、ざぁっと血の気が引いた。土下座に近い勢いでアリスに縋りつく。傍から見ると、土下座というより、胸倉掴んで引きずり倒したように見えるかもしれない。
「な、何をした!?」
「湯殿で強制的洗濯したらば後に、残念ドレスを着こんだ故の現状維持じょり! 後に、アリスぞ母親さんと会話を行ったが、とてつもなき流れるような流れを巧みに扱った会話にょろぞんけりは、私如きでは難攻不落解読は不可能な結果が齎され、睡眠をとってしまったにょろ! ごめんにょろ!」
何だか、淡々と教科書を読んでいくだけの講義を受けている気分になってしまった。板書することもなく、ただ先生が話して終わる魔の講義だ。昼一番に入っていたらお昼寝タイムとしか思えない。
無理矢理とはいえお風呂を借りて、着替えも用意してもらった上に、相手はアリスのお母さんだ。もしかしたらこれからお世話になるかもしれないのに、話の最中に寝てしまうなんて無礼すぎる。失礼をしないよう掌を抓ったりして眠気を飛ばしていたのに、結局眠ってしまったらしい。ただでさえ、挨拶もなしに誰かのベッドで熟睡していたので、これは印象最悪コースまっしぐらだ。
お風呂に入って水分補給もして、さっぱりほかほかな身体。寝起きであることも相まって、私の残念な頭は句読点を見つけられないまるで早口言葉を翻訳できず、抑揚のない声音は子守唄に等しい。
ぐっすりでした。今は反省している。
申し訳なさと、怒られるという恐怖に、何も言えなくなった。アリスも無言だ。やっぱりもう一回謝ろう。反省ってこっちで何て言ったっけ……確か。
「と、とてつもなく始末書してるぞろ! ごめんぞろ!」
「…………寝ただけか?」
「ぞり!」
「母上と会話の最中に、眠った?」
「ご、ごめんぞり!」
「だけ?」
「ぞ、ぞり」
緊迫感は霧散し、アリスはがくりと項垂れた。両手をベッドに付き、悲壮感を漂わせている。そして疲れている。凄く、疲れている。
「ご、ごめんぞろり」
「…………眠ったのは、いい。倒れたのを無理に起こしたのは母だ。知らなかった事とはいえ謝罪する。すまなかった…………だが」
「だが?」
支えてくれた体勢のまま項垂れているせいで全体的に近い。寧ろアリスの腕とベッドに挟まれている。しかし、今はそれどころではない。アリスもだろう。
「母が、お前を気に入った」
「ん!?」
「何故だ、母上! 一体どうされたのだ、母上っ!」
「誠ぞり!? 誠、怒髪天な有様は存在しないのでじょろり!?」
何て心の広い人なんだろう!
私は思わずアリスに飛びついた。思わぬ奇襲にアリスもひっくり返る。
「器巨大なる母親さん凄まじいぞり! 有難いじょろんぱ! 確実に仕留めろぞ怒髪天と信じるに値する思考だったのろり! 私如き思考ぞ遥か高みの御方ぞろ!」
「やめんかたわけ! どうせやるなら騎士ルーナにやれ!」
どうでもいいけど、アリスはルーナ本人の前では「騎士ホーネルト」と呼ぶ。パレードの時などに聞いた他の人からの呼び名も、ルーナや騎士ルーナだったから、たぶんこっちが浸透した呼び名なんだろう。本人を前にしたらちゃんと苗字呼び。
ずっと思ってたけど、アリスって真面目だ。
とりあえず落ち着こうと思ったら、アリスは急に真顔になった。
「…………母上が気に入った場合、貴様に安息の地はない」
「ん!?」
何だか変な音がする。何処からだろうと耳を澄ませると、それは廊下からやってくるようだ。さっき歩いたから知っている。廊下も部屋の中と同じくらいふかふかだ。あんなにふかふかの上を靴で歩いて、衛生面が保たれているって凄い。
「カズキ!」
「にょ!?」
「私と貴様は今より親友だ! いいな!? 親友であるからこそ、危機的状況に陥った貴様を私が匿った! これでいく! 決して! 断じて! 私と貴様の間に男女の感情などあり得ない! 復唱!」
「私とアリスは念友!」
「親友だ、たわけ――――!」
何だろう。変な音が近づいてくるような気がする。妙な雰囲気もするような。
アリスは必死の形相で私の肩を掴んで怒鳴った。唾が飛んできます。
「奴らに何を聞かれてもそれで通せ、名前は偽らんでも構わん!」
「や、奴ら!」
何だ、一体何が来るんだ!
アリスの肩越しに扉を見詰めると、取っ手が動いた。鍵がかかっているのかがちゃがちゃと何度が動いた後、静かになる。これは諦めたのだろうか。
ほっとした私に、何故か憐れむような眼差しが降る。
「…………何ぞり?」
「私には、嫁いでいった三人の姉と、二人の妹がいる」
いきなり家族語りを始めたアリスに、とりあえずうんと頷く。話が飛ぶのは別に苦ではない。私自身よく飛ぶし、周りのみんなも飛んでいた。マッハで飛ぶ話にも対応できなければ、女子大生などやっていられない。
「そして、まだ嫁いでいない四人の妹がいる」
「じょ、女性陣多量ですにょ」
こくりとアリスは頷いた。
同時に、ばん! と扉が吠えた。ばんばんばんばんと間髪入れず続く音に身を竦める私とは対照的に、アリスの目はどんどん遠くを見つめていく。やめて、帰ってきて。私を一人にしないで!
「そして」
再びしんっと静まり返った扉は、次の瞬間吹き飛んだ。まるでスローモーションのように留め具が弾け、破片が散る。扉本体も、やけにゆっくりとした速度で倒れていった。
「ごきげんよう!」
「ごきげんよう!」
「ごきげんよう!」
「ごきげんよう!」
以下同文、×いっぱい!
一気に華やかさを増した室内は、色の大洪水だ。色とりどりのドレスで部屋の中を埋め尽くした女性達は、一糸乱れぬ動きでざっと私達の退路を塞ぐ。
「従姉妹、姪、義姉、義妹、その他血縁、縁続き、総勢五三名だ!」
やけくそのように叫んだアリスの声に答えるように、女性達はにこりと笑った。
前回は、ひたすらに男ばかりと出会った。
今回は、ひたすらに女性と出会う。
神様は、そろそろ加減とバランスを覚えたほうがいい。




