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神様は、少々私に手厳しい!  作者: 守野伊音
第一章:再会
13/100

13.神様、ちょっとも賢くなれませんでした


「っぶふぁ!」

 思ったより水路は大きく深かった。足が微妙につかない。爪先ならかろうじて触っているけれど、踏ん張れるかといえばまた別の話だ。

 流されると焦った私の身体は、水を逆流するようにぐいっと強く引っ張られた。あれよあれよという間に水から抱き上げられ、水路の端に座らせてもらってようやく事態を把握する。私では足のつかない水路も、背の高い二人では胸元くらいだ。私を水から出してくれたのはルーナだった。

 まだ水の中にいるルーナに支えられて、思いっきり咽る。硬い胸板に額をついて咽る私が水に落ちないよう押さえてくれているのに甘えて、思いっきり咽た。ちょっと水が入ったようだ。

「大丈夫か?」

[だ、いじょうぶ。平気、ありがうぉわぁっげふぉ! げふっ、ごへっ、へぶっ!]

 気遣ってくれる声に何とか笑顔を返そうと顔を上げたら、息がかかるくらい間近にルーナの顔があって思わず仰け反った。水を滴らせながら覗き込んでくるルーナの顔は、びっくりするくらい怖い。悲鳴と一緒に空気が変な感じに気管を撫でていき、再び咽る。

「……………………」

「…………女の悲鳴じゃない」

 ルーナはごめん。アリスはほっといてください。


 あの入口はちょっとやそっとでは見つからないとの事なので、何はともあれ身形を整えようという結論になった。外に出た時に少しでも違和感が少ないほうがいい。それはそうだ。出来るだけ目立たないほうがいいのに、びしょ濡れ三人組とか怪しさ以外感じられない。

 油紙にくるまれていたおかげで濡れるのを免れた蝋燭を手近に立て、二人は手始めに外套を絞ることにしたようだ。厚手で量もある生地を、ぞうきんを絞るように簡単に絞っている。ぞじゃー! と大量の水が絞られる音を聞きながら、私もさっさと服を脱ぐ。私から見て、アリスは前を、ルーナは後ろを向いているので遠慮なく脱ぐ。幸い、着ている服の枚数も構造も私のほうが簡単のようだし、もたもたして一番最後になるほうが恥ずかしい。

「リリィ集団皆の衆、無事逃亡を謀れたぞね……」

「ギャプラー殿と同じく、ガルディグアルディアも伊達にその名を名乗っていないはずだ。帝都は彼らの庭でもある。寧ろ大丈夫じゃないのはカズキだからな」

「いずれ、落ち着けば向こうから連絡があるはずだ。何処に隠れても届く可能性もあるが……」

 ワンピースみたいな服の下にズボンを履いているだけの私は、豪快にワンピースを脱いだ。否、脱ごうとした。しかし、現代日本の服に慣れている身には、こっちの世界の服は生地の質もそうだし、量も多くて扱いにくい。

「どぉわぁ!?」

 結果、濡れた服が盛大に絡まり、すっ転んだ。

 顔面から倒れることだけは回避しようと、服が絡まった状態でもがきながら手近にあったものに縋る。

 そう、前にいた、アリスのズボンをしっかりと。

 物音にこっちを振り返ったルーナさえ沈黙を守ったおかげで、妙な静寂が訪れる。

「……………………ごめんじょり」

 悪気はない。悪気はなかったんです。

 ベルトを外していたアリスのズボンは、全体重をかけた渾身の『藁をも掴む』に耐え切れなかった。

赤生地に白いハート柄のパンツが蝋燭に照らされる。確かに兎パンツじゃありませんね。これからはハートパンツって呼びます。

「ハ、ハートフルパンツ、可愛いぞろりね!」

 キャミソールにズボンだけという恰好の私と、決して振り向かないアリス。

 ルーナはしっかり絞った外套を、そっとアリスに掛けた。とても正しい判断だ。



 大きな水路の左右に道があり、良く見るとあちこちに枝分かれしている。分かれ道を使わずまっすぐ進む為には水路を飛び越える必要があった。ルーナとアリスは外套を翻して格好よく飛び越える。私は、反対側から手を伸ばして引っ張ってくれるルーナの力を借りた。足の短さが悲しい。助走つけてもぎりぎりだ。

 絞っただけの服は気持ち悪いけれど、愚痴をいえる状況ではない。かろうじて滑り台に引っかかり無事だった荷物をルーナが取ってくれた際、剣先に引っ掛けて取ってくれた荷物が遠心力で私の額に激突して痛かったけれど、文句はない。

「あ、あの、本心ぞろごめんじょろ」

 アリスは無言だ。無言で歩を進めていく。私達はアリスについていくしかない。グラースならともかく、ブルドゥス帝都の地下にルーナが詳しいわけがない。

「閲覧禁止ぞ! 閲覧未遂ぞろ!?」

「………………」

「ごめん虚偽ぞろ……閲覧したじょ…………ごめんじょろり」

「………………」

 無言だ。こっちを見ようともしない。

 当たり前だ。多感な思春期時代に私が作ってしまったトラウマを、再び掘り起こしてしまったのだ。何という惨いことをしてしまったのだろう。悪気はなかったとはいえ、それで許される話ではない。

「私も着脱離脱するが対価ぞ!」

 かくなる上は同じ恥を背負うしかない。加害者が同じ状況になったところで許されるわけではないが、同じ場所には立てるはずだ。

「何でそうなる!」

 勢いよくワンピースを脱ごうとしたら、勢いよく振り向いたアリスにチョップされた。痛い。

「放っておけという態度だろう、どう考えても! 寧ろ忘れろ! 全部忘れろ! 記憶喪失になれ!」

「ここは誰!? 私はどこ!? これぞりね!」

「近いが全く違う!」

「近距離なのぞ!? 遠距離なのぞ!? どっちぞり!?」

「どっちでもないわ! たわけ――!」

 もう一回チョップした後、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽ向いたアリスをそろりと見上げる。どうやらトラウマを刺激して傷つけてしまったわけではないようだ。

 ほっと胸を撫で下ろして何気なしにルーナを見上げる。

「うぉわぁあああああ!?」

 外套の留め具に蝋燭を乗せた簡易ランタンを持ったルーナは、顔の下から揺らめく炎が当たって非常に怖かった。

「…………言っとくが、俺の顔が怖いって言ってるのはカズキだけだからな?」

「え!?」

 衝撃の事実にアリスを見れば、こくりと頷かれた。一緒に逃げたあれは何だったのか。半眼で見つめると、アリスの視線が逃げた。

「ま、誠ぞろ?」

「これでも一応モテるぞ?」

「しからば、ランキング一位との報告も…………」

「それは忘れてくれ」

「はっ!? 男性好物なりとの報も!?」

「まずそっちを忘れろ、今すぐ忘れろ、何が何でも忘れろ」

 真顔で迫られて思わず頷いてしまった。こんな短時間で二人から記憶喪失を勧められた。流行っているのだろうか、記憶喪失。流石異世界、とんでもないものが流行っている。


 至近距離にあるルーナの顔を、落ち着いて改めて観察する。睫毛長いですね。

 そうか、皆怖くないのか。そう言われるとそう思えてくるのは日本人の習性かもしれない。そもそも、何が怖かったのか、落ち着いてもう一度見直してみよう。

 目の前の顔に、少年らしさと少女らしさの中間の幼さを帯びた懐かしい顔を重ねてみる。それを前提に思い浮かべて、今のルーナを見る。びくってなった。

 そうか、昔の顔を前提とするからいけないんだ。私の中でルーナの顔はあっちだから、あの顔があるつもりで今の顔を見上げると、「うぉわぁああ!?」になるわけだ。

 自分の行動を分析するとか、ちょっと賢くなった気分だ。

 この調子で状況改善に乗り出そう。ルーナの顔を両手で挟んでまじまじ観察する。昔の顔を思い浮かべず、最初から今の顔がある! と思って見ると、びくっとならない。


 睫毛長いですね。

 その下にある瞳はすっと目尻が伸びて切れ長、鼻筋すっとして、唇まで整っちゃってまあ。モデルさんや俳優さんみたいだ。ルーナが芸能人だったら、絶対ファンになる。足長いし、すらっと綺麗だし、理想の大人の男ランキングでも絶対一位ぶっちぎりだろう。

 大きくなったなぁ。あんなに可愛かったのに、十年って凄い。手も大きくなって、凄く格好いいお兄さんに………………。

 しみじみ納得していた私は、はっと気づいた。

 イケメンだ! 超イケメンだ! イケメン過ぎてびくっとなる!

 日本では天地がひっくり返っても、雑誌やテレビの距離からしか眺められなかったイケメンがここにいる。イケメンって言葉じゃ軽く聞こえるけど、びっくりするくらいイケメンだ!


 Q.両手で頬を挟んで至近距離で見つめているのは誰ですか?

 A.イケメンです。そしてルーナです。ついでに私の恋人です。


 ぐわっと顔に火がついたのが分かった。まずい、気づいてしまった。ルーナの顔、これ以上ないくらい格好いい!

 悲鳴を上げていたのは怖かったからだけじゃない。びっくりするくらいイケメンがいたからだ! こんなイケメンがいきなり視界に入ってきたら悲鳴の一つや二つ上げるに決まってる!

「…………カズキ?」

「うぉわぁあああああああああ!?」

 頬を掴んでいる私の両手を握り、心配そうに顔を近づけてきたイケメンに思いっきり仰け反ってしまった。まずい、誰だこれ格好いい! 誰だも何もルーナだ格好いい!

 全力で手を引き抜き、ルーナの背中を押してアリスと並べる。そのままぐいぐい押して先に進むよう促す。押している背中も広いは硬いはでどきどきする。大人の男の人だ。ルーナが、年上の男の人になっている。頭では分かっているし、ちゃんと分かっていたはずなのに、びっくりするくらい格好いい。下手すると、向こうでもこっちでも、誰より知っている男の子だったはずなのに、全く知らない男の人に触っている気がする。

 誰だ!? この、日本で出会ったら、恥ずかしさの余り一言も喋れなくなるであろう年上のイケメンを子ども扱いした馬鹿は!

 私だよ!


 私があまりにぐいぐい押すので、ルーナは不満そうな顔をしながらもアリスと話すことにしたみたいだ。これからどうするかと話し合っている。とても重要な話題だ。私の身の振り方を話し合ってくれているのに、全然頭に入ってこない。

 ルーナの横顔をそろりと覗いてみる。まずい、凄く格好いい。どきどきする。顔面直視できない。誰だ、このイケメンとちゅーしようとしてたの。私か。

 今までの人生でもこれからも人生でも、絶対に無縁だと思っていたイケメンが恋人だった。びっくりだ。人生何が起こるか分からない。寧ろ、今更気づいた自分にびっくりだ。

 いっそ気づかなければよかった。だって、このイケメンと手を繋いでいいとか凄くないだろうか。背中を押しても許されるし、あまつさえ恋人とか嘘だよね状態だ。

 このイケメンと昔、おんぶしたりおんぶされたり、着替えの最中に入ったり入ってこられたり、抱きついたり抱きつかれたり、背負い投げしたりされたりしていたのは誰だ! 私だ! どうしよう!

「………………か?」

 このイケメンと恋人って何故。いったいどんな奇跡が起こってそんな事態になったのだ。異世界に飛ばされたからですね。奇跡です。

「…………い、カズキ?」

 ずっと一緒にいたらこんなに動揺することはなかったのだろうか。否、毎日毎日イケメンになっていくルーナに悶えすぎて心臓が保たなかった可能性も。まずい、ちゅーすら出来る気がしない。手も繋げるだろうか。最後までとかとんでもない!

 つまり、あの瞬間に私を日本に戻した神様は、私を助けてくれたのか。

 ありがとう神様! あんなにつらく苦しく悲しく恐ろしかった戦争が終わった夜、この人と一生生きていこう、この人に人生も含めて全部あげようと決意したあれを、寸前で中止させてくれたんですね!

[…………冷静に考えるとやっぱり酷い気がする!]

「酷いのは、お・ま・え・だ!」

 握り拳で力説した私の頬を、ルーナがにょーんと引っ張った。

「また人の話聞いてなかったな?」

[ほーれふへ!]

「そうですねじゃない」

[ほんぴぇーぴぺまぷ!]

「反省してますじゃない」

[ふひひはへふ!]

「すみませんでもない。お前は昔も今も人の話をだな!」

 頬っぺたを引っ張るルーナの顔が近い。格好いい。イケメンに至近距離で頬っぺたにょーんにょーんされるなんて、私のキャパシティを超えている。

 だってイケメンに頬っぺたにょーんにょーんだなんてそんな、そんなのっ…………どんな状況? 夢に見るどころか想像してみたことすらない。壁ドンくらいなら想像して一人でにやついたことはあるけれど、頬っぺたにょーんにょーんに対して特にこれといった感慨はなかった。

 冷静に考えると別にときめくポイントではない。イケメン効果に惑わされるところだった。イケメン効果、恐ろしや。

「流石、騎士ホーネルト……よく分かったな」

「これくらい分からなくてカズキを口説けるわけがない……あの頃の俺は頑張った」

「ああ……その通りだろうな」

 しみじみ分かりあっている二人を見て、じわじわと感動が湧き上がる。戦争をしていた国の騎士同士でもこんなに仲良くなれるのだ。時間って偉大だ、人って素晴らしい、平和って尊い!

 込み上げるものを感じ、二人の背中にそっと手を乗せる。分かってる、分かってるよと頷くと、何とも言えない視線に見下ろされた。二人分だ。



 右に曲がったばかりの水路を今度は直進だ。先に飛び越えたルーナが当たり前のように振り返って手を伸ばしてくれる。何これ、超格好いい。どこの騎士様だ。グラースの騎士様ですね、知ってます。

 顔をできるだけ見ないよう、礼を言いながら手を借りる。その手さえも格好いい。どうしよう。手を繋がれたまま歩き出されて仰け反った。慌てて引き抜こうとすると指を絡められる。綺麗な長い指の所々で剣だこが引っかかり、掌も硬い。でも、それは昔からだ。華奢さはあったものの、十年前からルーナの掌はタコだらけで硬かった。身体が出来上がる前から必死になって剣を握ってきたからだ。

 そう思うと手を離したくなくなる。恐る恐る握り返してみると、ちらりと視線が合う。盛大に顔を逸らしてしまったけれど、ルーナは何も言わなかった。

「それで、カズキは騎士アードルゲの屋敷にいてもらう」

「了承ぞ!」

「……あっさり了承されるとそれはそれで複雑だな。本当はまた俺達の所にいてほしいが、俺達の滞在場所は城だからな。全く安全じゃない」

 お城にいる黒曜候補が襲撃を受けて、ついでとばかりに私まで襲われた後に、のこのこお城に出向いて過ごすのは危ないということだ。ルーナと離れるのは寂しいが、仕方がない。顔も見られないしね!

 手を繋いだまま明後日を見て歩いている私達を怪訝な顔で見ながら、アリスが振り向く。

「私は騎士ホーネルトがあっさり了承したことに驚いたのだが。私は貴殿とほとんど関わった覚えがない。よく信頼したな」

「アリスローク・アードルゲは、今時珍しく誠実堅実で真っ当な騎士だと、グラースにまで名が轟いた騎士だからな」

 アリスは、ひょいと肩を竦める。

「売り名で騎士ホーネルトと比べられると、我が身を恥じ入るばかりだ」

「終戦後に名を馳せた己を誇るべきだ。俺はただ若かった物珍しさと、生き残っただけだ」

 ルーナはちょっと憂いを帯びたように睫毛を伏せる。まずい、胸がきゅんきゅんする。

 今まではルーナ本体に惚れていた。心底惚れていました。しかし今は、それにプラスして外見にも凄まじく惚れました。

 どうしよう。

 繋いだ手をそのままに、残った片手で顔を覆って身悶える。大丈夫、大丈夫、大丈夫。私は思いっきり深呼吸する。すぐに慣れるはずだ。世界には『順応』という素晴らしい言葉がある。それに、今は抜かれてしまったけれど、昔年上だったプライドもある。大人の女として、きりっとした対応をできないと、過去に散々大人ぶってルーナを子ども扱いした私は立つ瀬がない。

 きりっと顔を上げる。

「黒曜は……黒曜呼びはまずいか」

「あ、カズキでいいにょろね」

「カズキの名前を知っている面子なんてたかが知れているから、大丈夫だろう」

 須山一樹という一個人より、黒曜として有名だからだろう。アリスは、一応かろうじて曲がりなりにも婦女子だからと、レディカズキと呼んできた。お互いしっくりこない。結局カズキに落ち着いた。渋るアリスに、「ハートフルパンツ」と呼んだらあっさりカズキになった。

「カズキは馬に乗れるか」

 きりっと答える。

「無理無謀だじょ」

「…………何なら乗れる」

「鶏にょ!」

「鶏!?」

 きりっと答えたら、物凄く驚愕された。

「驢馬だ」

「ぞり!」

「ただし、降りられなくていつまでも乗り続ける」

「………………もう、貴様は走れ」

「頑張れぞり!」

「頑張るのは貴様だ!」

 頑張ります宣言したら怒られた。しょんぼりだ。


 感覚的にはかなり歩いた頃、ようやくアリスが立ち止った。

「ここから出る」

 確認する間もなく蝋燭を吹き消され、急に戻ってきた闇に眼が慣れない。二人はさっさと準備を始めていた。この人達の夜目は人じゃない。

 最初にアリスが上り始める。

「カズキ」

 ルーナに手を引かれて梯子を掴む。よく見えないけれど、感触からして鉄製だ。鉄棒みたいな臭いもする。緊張しながら一段、二段と登り、幅を確かめた。後は手探り足探りで、そろそろと登っていくしかない。日本で梯子を登る練習をする機会がなかったことが悔やまれる。

「俺がすぐ下から行くから、気軽に落ちてこい」

 誰だ、この両手を広げて笑うイケメンは。

 ルーナだ。格好いい。

 下を見たら終わる。あらゆる意味で終わる。

 私はひたすら上だけを目指した。やっぱり人間は、多少でも上昇志向がなければ駄目だ。向上心って大切。前だけを見つめることも時には必要だ。私は過去を振り向かない女!

 半ば自己暗示のように繰り返し、何とか登りきることができた。

「寧ろ落ちてきてくれてよかったんだけどな」

 私は何も聞こえなかった!


 アリスは、突き当たりにあった何かの蓋を片手で持ち上げる。ぱらぱらと小石や砂が降ってきて顔を背けて避けた。

「誰も……いないな。大丈夫だ、上がってこい」

「ありがとう」

「ふん」

 先に上がったアリスに引っ張られて、ようやく外に出る。

 草と土の匂いが濃厚だ。いつの間にか私達は帝都を出ていたらしい。上を見れば、隙間がないほどの星が夜空にぎゅうぎゅう詰めで瞬いている。星の数が多いのか、それとも単に見える数が違うのか。あの頃から思っていた疑問は、今でも解決できていない。

 服についた土埃を叩きながら振り向いて、動きを止める。離れていても分かった。夜目が利かなくても見える。赤い光はまだ消えていない。帝都の中心で起こった大規模な火災は、ここからでもよく見えた。

「リリィ……」

 ぎゅっと鞄の横につけてくれた小袋を握り締める。ごめん、ごめんねリリィ。ごめんね皆。

 まだ乾いていない服は動いていれば寒さを感じなかったけれど、立ち止まり、夜風が流れる丘の上に立てばあっという間に体温を奪っていく。寒い。でも、寒さなんてどうでもいい。リリィが、皆が、痛いほうがつらい。

 不意に背中から抱きしめられた。

「大丈夫だ。あの二家がこの程度でどうにかなるなら、グラースはもうずっと前に勝利していた」

 回った腕を掴んで頷く。絶対、謝りに行く。絶対、ありがとうを言いに行く。

 絶対だ。

 この光景を忘れないよう目と記憶に焼き付けて、何回か深呼吸する。

[ありがとう、ルーナ。もうだいじょうぶふぉ!?]

 そうだった。これイケメンだった。

 いつものルーナのつもりでいたけれど、これイケメンだった!

 何の気負いもなく振り向いたら、顔を近づけてくるイケメンがいた。いや、イケメンじゃなくてルーナだけど、ルーナはイケメンだ!

 仰け反ろうにも仰け反った先はルーナの胸だ。まずい、私の心臓が破裂する。爆発だ。暴発だ。

 目を瞑ることも思い浮かばず、目の前のイケメンルーナを見ていることしかできない。

「騎士ホーネルト、貴殿の仲間が馬を…………」

「ハートフル兎パンツ――――!」

 二頭の馬を連れて戻ってきたアリス、愛してる!



「騎士アードルゲ。二つ借りだ」

「私は騎士の本分を果たしているまでだ…………二つ?」

 ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いたアリスを気にせず、ルーナは続けた。

「カズキの身柄を預かってもらう事と、矢を防いだ事だ。いつか返す」

「結構だ。私は騎士だからな」

「いつか返すが、初見でカズキと逃げた事と、さっき中断してくれた事は水に流すつもりはないからな」

「借りは返さんでいいからそっちを忘れんか!」



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