第7章 二人の生存者
チャイムが鳴ってから10分以上が経った。今日の授業はすべて終わりホームルームに入っている。いつもならとっくに岡本が声を掛けてくるのだが、今日はいつまで経っても来ることはなかった。
ふと外を見れば時間が止まったように木々が静かに佇んでいる。
少し離れた場所は木がさざめいているのにだ、学校全体、校庭を合わせてすべてに結界が張られているようだ。
結界が張れる時点でこの世界の芸当じゃないことがわかる。つまりは神関係の敵がこの学校に攻めてきているということだった。
考えろ、どうすればいい、今の俺には力がない、戻し方も使い方も良く分かっていない、しかも学校だ、このままだと有紀や木崎にも被害が及ぶ可能性がある。
あくまで平静を保ち、冷静に事を考えていると、一人の生徒が席を立った。
「岡本おっそくねー?ちょっと呼んでくるわ~」
痺れを切らした一人が岡本を呼びに行こうとしているようだった、ぼやきながら教室のドアを開けて出ていこうとする。
その瞬間に予想してなかったことが起こった。
教室を出ようとした生徒が、教室から半歩前に進んだ瞬間に、何かに気づいたようだった。
「ん?え、なんだこ………」
言葉がいい終わる前に、教室から出ようと半歩前に足を進めた変な格好で動かなくなった。
体を斜めに傾けてたまま、足を上げた状態で動かなくなっている生徒は異様な光景だった。
「おい、なにしてんだよ」
「なんかあいつおかしくね?」
「ね、ねぇ、あの子教室から出ようと乗り出した状態で固まってるんだけど」
「あの子の特技なのかなー?」
クラスメイトは動かなくなった子を不思議そうに見ている。それぞれが思ったことをただ淡々と口にしているだけのようだ。突然のハプニングか何かに状況が飲み込めてないのだろうか。
俺は動かなくなったクラスメイトの一人を見て確信した、教室に出ようとした瞬間から異世界の結界に感染してしまうと!
この教室から出ようとするだけで結界に干渉してしまう…だとするとまずい状況になってしまったようだ…。
「か、中神、あ、あの子…」
「おっほっほ~、なんだあれすっげぇな、あいつ運動が得意だったんだが、
あんな特技があったのか…?」
まだ状況が理解できてない有紀と木崎が口々に特技だと判断しているようだ。有紀は関心や意外だと驚くより、気味が悪いと思っているようだ。いつもの軽い口調じゃなく、少し恐怖が顔から滲み出て見える。
無理もないか、俺だって、初めて目の辺りにしたら気味悪いと思うだろう。だが回りの連中は気味悪がらず面白がっているようだ。
「おい、いつまで冗談やってるんだよ?」
さっきまで固まってしまった生徒と一緒に話していた一人が動かなくなった生徒の肩を置いて呼ぼうとしているようだ。肩に手を置くだけの動作だ、ドアの外に触れるだけではない。外に出なければまだ危険はないはず。
なのに「やばい!」そう俺の脳裏がそう警告していた。
外に触れたものが干渉している、干渉してしまった人に触れても安全な保障がどこにある?神関係の力が張られている結界、その揉め事にただの人が干渉して、止まるだけで済む保障がどこにもない!
「そいつに触れるな!」
ありったけの大声で触れようとした生徒に注意を促す。
いきなり大声を出したせいか隣で「か、かみっち!?」「お、おい、正野?どうしたんだよ」と口々にいってるが、気にしていられない、今は注意した子が触れてないことを祈るしかない。
「え?」
だがあと一歩で間に合わなかったようだ、「なんで?」という顔で振り返った瞬間に、肩に手を置いてしまった。
その瞬間肩に手を置いた子も動かなくなった。同じだ、外に出ようとして固まった彼よりは不思議ではないが、それでも肩に手を置いただけで動かな
くなるのは十分に気味が悪い。
「くそ!」
間に合わなかった!どうすればいい、この密閉空間で出れないし、力もない状態だ、無事なのかわからないが、無事だったとしても、いつまでも時間の流れが止まったままでは危険になってくるだろう。
しかし、助けるすべがない、それどころか、今はこの状況を妥協する手立てを即急に考えなくてはならない。
二人目ともなれば、冗談半分だと思っていた周りもおかしさに気づく、そもそも未だに騒ぎ立てる者が居ないだけでも奇跡的な状況だ。
「お、え?どうしたんだよ」
「ちょ、ちょっとやめてよ…」
「な、なあ、ちょっとおかしくねえか?」
「ど、どーなってんだこ………」
恐る恐る近づいたもう一人は、触れてもいないのに近づいただけで動かなくなる。今度は反応すらできなかった。
「き…きゃあああああああああああああああああああ!」
この事態に、さすがに異変を感じた一人が悲鳴を上げた、すると次第にちらほらと悲鳴が聞こえ始め、バトンリレーのように次々と恐怖が伝染し始め、いつ敵がくるかわからない状況では非常にまずい状況に他ならない。
「お、落ち着け!みんな落ち着くんだ!」
必死に叫んで落ち着かせようとするが、その行為も空しく、等々ピークにまで達した恐怖によって、殆どの生徒が反対側のドアから抜け出そうとしている。落ち着かせようと必死に叫ぶが、周りの悲鳴の声にかき消され、みん
なに声が届かない。
「か、かみっち、なにがあったか知らないけど、お、落ち着けばいいんだね?」
「お、おうよ、なんだかよくわからんが、下手に動かないほうがよさそうだもんな」
幸い近くにいた二人には、俺の必死さが伝わったらしい。非常事態で色々説明したいことがあるが、こうなったら真実を伝えられる今に言うしかない。この状況なら話を全部とまではいかなくともおおよそは真面目に聞いてくれるだろう。
「二人とも、落ち着いて俺の話をよく聞いてくれ」
二人には真実を話そうと、まずはよく落ち着かせてから話そうとする。
「わ、わかった」
「お、おう…わか………」
有紀は多少ぎこちながらも返事を返してくれたが、急に木崎が静かになった。周りの声のせいで聞こえなかったのだろうかと思い有紀から目線を外して木崎の方を向く。
「木崎?聞いてるのか?…え?」
確認を取ろうと木崎を見ると、さっきまで動いていた木崎は、こちらを真剣な表情で見つめたまま固まっていた。
驚いたと瞬間に気づく、同時に周りの声がピタリと止まっていた、今さっきまで教室中を振るわせる絶叫や悲鳴がない、振り向けば有紀と中神の二人以外、全員が動かなくなっている。
「な、なによこれ、木崎君?どうしたのよ、ね、ねえ」
「な、なんで」
なぜかドアから離れ、ドアから離れた窓際なら安全だと思っていた、なのに窓際にいた生徒も硬直したまま動かない状態でいる。
よく見れば、開けたドアから、歪んだ結界が入ってしまい、教室全体に干渉が及んで感染してしまったようだ。
「そうか、さっきまで締め切っていたから結界が入ってこなかったのか…」
ずっと閉め切っているわけにもいかなかったが、早く気づければ感染が広まる前に何か状況を覆す妙案が浮かんだかもしれないのに。気づくのが遅すぎた。
「ね、ねえ…こ、これはどうゆうことなの?」
怯えながらなんでこうなったか説明を求めるように促してきている。どう説明すればいいのかわからない、そう思った。そして気づく、有紀がなんで動けているのかという重要なところに。
なんで有紀は結界に干渉しても動いてられるんだ?
「有紀!」
急に心配になり、少し大きな声で有紀を呼ぶ。突然名前を呼ばれてビック
リしたのか肩を大きく震わせてこちらを振り向いてきた。
「な、なに?」
混乱しているのか、状況が理解できないのか、落ち着いてはないが、しっかりと精神を保っているようだ。ちゃんと俺の声に反応を返してくれた。
「どこか具合が悪いとかないか!?」
「え?あ、…い、いや、特に何も…」
ざっと有紀の体を見回しても特に変わった変化はない、具合も特に悪くないようだ。
「本当にどこも具合が悪いとか、気持ちが悪いとかないんだな?」
「う、うん…」
有紀が嘘を付いてるとは思えない、それにこの結界の中で自我を失わず、停止することなく現にこうして動いている、顔色は青ざめて見えるが、よくわかっていない事態のせいだろう。
「なんでお前はこの世界の干渉に耐えられるんだ?」
「え?ちょっと、何言ってるのかみっち?」
真剣な面持ちで尋ねるが、何を言ってるのかわからないという顔をしている。この状況を理解してないぐらいだ、だとしたら有紀には、本人が気づいていない何か特別な力があるのか?
一人だけ状況を理解していても、このままでは埒があかない、それどころか結界を張っている敵なのか味方なのかわからない奴が、こうしている間にも近づいてきているのは確かだろう、有紀にも状況を理解させるのに迷っている場合じゃない。誤魔化しをしたところで到底無理な話だ。
「有紀、悪いが時間はそんなに多く残されていないと思う、今から話すのはとても大切な話だ、一度しか言わないからよく聞いててくれ」
「う、うん、わかった」
困惑した表情が顔から滲み出てるものの、真剣な面持ちで頷き、何も聞かずに了承をしてくれた。
「今、この状況で動けるのは俺と有紀だけらしい」
もう一度回りを見回し、それを確認した有紀は小さくコクリと頷く。
「これは多分、俺を狙ってきたどこぞの敵なんだと思う」
「多分っていったり思うっていったり、…結局この状況はなんなのよ!」
「それは…」
「本当は…タチの悪いドッキリか、何かなんでしょ…?」
そういって馬鹿馬鹿しいとばかりに一瞥したが、その声は掠れていた。
もう中神を目もくれずに、一人で納得のいくようぼんやりと呟き無理やり話しをまとめようとしている。
「今この状況を見てみろ、俺とお前だけ以外誰も動かないだろ、まるで時間が止まったようにな、この状況を冗談だと本当にいえるのか?」
「…じゃあ今のこの状況はなんなの、なんでみんな動かないの?なんでかみっちと私だけ動けるの?」
「っそれは!?……分からないんだ…、でも多分俺は何か特別な耐性があるのかも、干渉に耐えられる体になっているんだと思う、でも有紀の場合は本当に分からない、もしかしたら俺と同じなにか特別な力を持っているのかもしれない」
「でも、私なにもできないし、そもそも動けたって、これからどうするの?」
確かにそうだ、動けたところで実際には何も変わらない。
有紀には何か特別な力があるのか、偶然なのか分からないが、戦える力が無かったら無意味だ。せめてもの救いは一人だけでもここから逃げ出せるかもしれない、抜け出すのが無理でも隠れてやり過ごすくらいはできるはずだ。動けるならとりあえず有紀だけでも安全を確保させることが優先…。
そう考えた俺は逃げるよう促すことにした。
「まだ敵はやってきていない、見つかっていない今のうちにお前だけでもいいから逃げろ」
「え…でも…中神君は…?」
「狙ってるのは俺ってことになるから一緒にいるとお前まで危ないんだよ」
敵がくる理由だと、どう考えても俺を狙ってきたとしか考えられない、一
人にさせるのも危ないが一緒にいるよりは安全だろう。
「いいから何もいわず逃げろ」
「…やだよ……」
掠れた声で、駄々をこねている子供のような声で有紀が言う。
「そういってくれるのは嬉しいけど、今すぐここから逃げて、見つかったりここから出られなかったらどこかに隠れてやり過ごすんだ、だから逃げてくれって!お願いだから!」
力の無い俺と一緒にいれば、ばらばらで行動するよりも断然危険性が上がる。
俺はそのことを早口で説明し、逃げることを頼んだ。
「………わ…わかった…」
しぶしぶと頷き、了解を得てくれた。
だが何故だろう、気のせいか有紀の顔はとても誇らしげで、何かを決意したかのように見えた。
「ま、まあいいからわかったなら行ってくれ」
「うん、やだ」
「うん、そうか、嫌なのか」
うん?今有紀がおかしなこといわなかったか?今ヤダとか。
2秒ほど硬直したあと耳がおかしくなったのかと思い、「あいうえおあおあ~」と耳が正常が点検したあとにもう一回尋ねる。
「うん、逃げて?」
「うん、嫌」
「「…」」
気のせいだ気のせい。聞き間違いだよね、うん。
「うん、話聞いてたよね?俺は逃げろといったんだよ?」
「うん、だから、やだ」
聞き間違いじゃなかった。
「なんで?!さっきわかったっていったよね?時間がないの!だからさっさと逃げろっていってるだろ!?」
「うん、わかったけど嫌だっていってるのよ私は」
俺がおかしく思えたのは勘違いでも気のせいでもなかったようだ、だからといってなんでだ。逃げなきゃ危ないっていったはずなのに。
「わかったけど嫌だってそれ結果的にわかってねえじゃん!」
笑顔で言ってくる有紀を見てため息がでそうになる、さっきまでの怯えてたのはなんだったんだろうかと思ってしまうほど笑顔だった。
中神はあまりに唐突でしょうもない無謀な発言と、その笑顔の振る舞いを見て頭痛を感じ、こめかみを軽く揉み解す。
「うん、でもね、かみっちがいったことが本当でも、一人でコソコソしてる
なんて嫌なの、昔から一緒だった仲でしょう?危険だからって置いてくはずないじゃん!」
そういって、恐怖も恐れも感じさせない笑顔を向けていった。