監査委員会
(5)
次の日。ソアリ、エレナ、大神、俺の4人は授業が終わると部室に直行した。
まだ一ノ瀬先輩の来ていない部室に鞄を置いていき、各々はいつもの場所に陣取る。大神も隅に置いてあった椅子を持ってきている。
「なあ、大神」
いつものまったりとした雰囲気になってからでは切り出し辛いだろうから、そこで俺は声をかけた。さっさと言っておかないと苦しくなるのは目に見えている。
「昨日のことなんだが、ちょっと考えさせてもらった。……俺にはムリだ」
「……そうか」
言葉はあっさりとしたものだったが、表情は厳しいものだった。やっぱり、本気だったんだな。
「お主なら、われと並び立つ存在になると思ったんだがのう」
「買いかぶりすぎだ。それに、お前具体策はあったのか?」
一ノ瀬先輩の「実験」によれば、この学校は成り代わりにとって変える必要のない状況ということになる。ならばこいつが為すのは改悪でしかない、ということになる。俺はそれが気になって訊いてみた。
「一手ならこれから打つぞ。まあ見ておれ」
なおも野望に燃えている大神の横顔だった。逆にそれが不安をかき立てる。
しかし、大神も美人なんだけどなあ。滑らかな銀髪と新雪のように銀から先に向かって白になる尻尾、彫りが深くて端正でおまけに胸もなかなか。口調が変なことを除けば、どこでも引く手あまただろう。
「……むっつりスケベ」
隣に座っていたソアリからの横槍。
「妥当な評価だ」
「あら、自覚あったのね」
「お前らがどいつも可愛いのが悪い」
「そ、そう……」
「ありがと、ネイト」
エレナは素直に喜んでるが、なんでソアリは顔が赤いんだ?
「ほう……」
大神は、頬杖をつきながらそんなやりとりを眺め、ニヤけている。逆に怖いぞ。
「まあ、そういうことであるなら分からんでもない。短い短い青春を謳歌するのも悪くはないだろう。それでは、われは用事があるのでな、失礼する」
「ああ、またな大神」
「ばいばーい」
「……」
ソアリは相変わらずふさぎこんでる。
最初は大神を歯牙にもかけない感じだったのに、最近は以前の俺みたいに警戒しているように見える。
「そうよ、もう時間が……」
ぼそりとソアリが何かを言ったが、その意味が俺には分からなかった。
数日後、大神の言う「一手」を俺は知ることになった。
「なるほど、生徒会長か」
公示された生徒会長選挙の候補者に、大神の名前があった。
対抗馬が真面目そうなだけでインパクトに欠ける連中ばかりなことを考えると、このまま当選してもおかしくはない。
この学校の生徒会は様々な委員の仕事を兼任しているため、やろうと思えばかなりの権力を持てる。ただし、あまりの忙しさに誰もそこまで考えない、というのがここ最近の生徒会の有り様だった。
ここまで調べたのは当然俺が生徒会への一極集中を警戒してた訳だが、去年の生徒会長もまた、行事の運営とか雑務に忙殺されて特に何かする余裕はなかったようだ。
だが、大神ならこの風潮を変えるのではないか、そんな予感がした。
立候補してからは大神は部室に顔を出さなくなり、何やら準備に追われているようだった。短期間で大神のことを何から何まで分かったとは言えないが、おそらくは自分が当選した後にすることの用意だろう。あいつは自分の自信を絶対に譲らないように思えた。
そして予想通り、大神は生徒会長に当選した。
選挙前から述べていた大神の公約のようなものに目を引くものはなく、全体的に彼女の印象に真新しさを感じての票だったように思える。
だから俺は油断していた。なんだかんだで大神は本人の出自を除けば平凡な生徒会長になるはずだと。
変化が起きたのは会長選の翌日のことだ。
「カギ?」
俺とエレナとソアリがいつものように部室に入ろうとすると、部室の扉にカギがかかっていた。開けっ放しで盗られたくないものは置かないという暗黙の了解が俺たちにはあったので、カギをかけることはあり得ない。ということは教師から差し止めがあったということだ。
「まあ勝手に占拠してたのは俺たちだからな」
「その通りだの。その教室の使用はしばらく禁止させてもらう」
「大神……」
見計らっていたように大神が廊下を威風堂々歩いて来て告げる。確かに俺たちが部室に来るタイミングはとても計りやすいが。
「替わりといっては何だがの、皆には新たな席を用意した」
その言葉で、大方見当はついた。
「一応、肩書きを聞いておこうか」
「生徒会直属の監査委員会という名前で、われの諮問機関ということにしておいた。とはいえ仕事などする必要はないぞ」
「ああそうかよ」
「え、えと。ネイト、何の話してるの?」
ついていけないとばかりにエレナが音を上げた。
「俺たちの『部室』は非公式どころか違反行為だからな。生徒会長が自分の目の届くところかつ合法的に抱え込むには無理がある。だから作ったんだろ」
「察しが良いのう。やはりわれと来ないか、赤隈」
大神がこれからやろうとしていることはだいたい分かる。成り代わりを手元に置いて守り、ここから本性を表す。そういうことだ。
「お断りする。それで大神、諮問機関ということは俺たちにもお前に注文をつける権限が形式上はあるということか?」
「おう、あるぞ。ただしわれがそれを聞く必要は全くないがのう」
「……そうか。ソアリ、エレナ、それじゃあ生徒会長様のご好意に甘えて、新しい部屋に行ってみるか。一ノ瀬先輩にもメール送っておく」
エレナは明らかに戸惑っている。無理もないか。
「パンダ、分かってるの?」
ソアリが鋭い眼差しで俺を見てくる。
約束は忘れたわけじゃない。ただ、説明をここでするわけにはいかない。
「決まりだの。今度の部屋は広いぞ」
監査委員会があるのは生徒会室のある棟で以前の部室より少し遠くなったのだが……。
「うわぁ……」
「無駄に広いわね……」
ソアリの声はもうほとんど呆れていた。
流石は学費が設備費のせいでバカ高い学校ということなのか、存在を初めて知ったが、生徒会室の近くには第2会議室なるものがあってそこを監査委員会ということにしたらしい。
前の「部室」はただの空き教室だったので、半分が使われていない机と椅子で埋まっていた。だかここはそれがなく、普通の教室よりやや広い部屋に大テーブルが1つあるだけなのでかなり広く感じる。
「廊下との間の壁はしっかりしていて、カギも赤隈に預ける。法律の範囲内で好きにするとよい。何、多少いかがわしい行為でも教師にバレねばいいのだ」
「しねえよ」
真顔で言うな大神。
会議室なら不要そうだが窓もあり、日中はそれなりに明るそうだ。
おそらくは多目的スペースとして作って適当に名付けたってところだろう。プレゼンなんかを想定してか、部屋の奥は1段高くなっている。
「では、われは早速仕事があるのでな。ゆるりとするとよいぞ」
「…………」
大神がぴしゃりと扉を閉めると、静寂が訪れる。誰も椅子に座ろうとはしない。
しばらくして扉が開いた。
「あら、綺麗で広いところですね」
振り向くと一ノ瀬先輩が手を合わせて喜んでいた。すごい順応力だ。
「仕方ないわね。檻に入れられたみたいで気に食わないけど、こうなったらとことんくつろいでやりましょ」
何をする気なんだソアリ。
「そうですね。お茶淹れるくらいなら大丈夫でしょうか」
「お菓子常備しよ!」
女性陣はたくましいな……。
そうして少し変化はあったが、去年と同じ風景に、部室は戻った。
一ノ瀬先輩は、相変わらずエレナの尻尾と髪の手入れをしているし、ソアリは課題を片づけている。
けれど俺は、どこか落ち着かなかった。かといって大神の出方を窺う気も起きない。
「何をそわそわしてるのよ、盛るなら外でしなさい」
「うぉう、それってたぬきちの若き青春がほとばしるってことだね」
「エレナ、茶化すな。それに……、いやなんでもない」
ここ最近、ソアリこそ落ち着きがないように見える。だがここで言うのは野暮だ。
「ま、あたしには理解できないけど、往々にしてそんなものなんでしょうね」
ソアリが背後から近寄って来ていたのには気づいていた。いつもふらふらしてるソアリだからそれはごく自然で、何とも思わなかったのだが……。
「っ!?」
目の前には一ノ瀬先輩とエレナがいる、ということはこの背後の体温は、ソアリしか、ありえない……。
背後から回された腕とか、かすかなにおいとか、首をくすぐる吐息とか、そうだと示す情報は山ほどあるのに頭が追いついてこない。
「そ、ソアリ、大胆だね」
目の前のエレナは照れてるというか、直視したくないだろこの状況。
「外野は黙ってなさい。……高くつくわよ、ネイト」
ぴしゃりとソアリは言い放つが、一ノ瀬先輩とエレナは何が起こるのかとおっかなびっくりしながらこちらの様子を窺っている。
やめてくれ、そういうのが一番キツイから。
「……俺は頼んでもないんだが」
「言ってるじゃない、高くつくサービスよ。物わかりが悪いあんたへのね」
ようやく絞り出した言葉に理不尽極まりない言葉が返ってくる。
物わかりが悪い? なんのことだよ。
苦笑混じりに――この人はソアリが何を言いたいかお見通しなんだろうか――一先輩が俺の後ろのソアリに向けて口を開いた。
「光里さん、こういう時は屋上に呼び出すのが相場じゃないでしょうか」
「なるほど」
表情は分からないが、本気で失念してたといった声色だった。
てか屋上? なんか不穏な空気が……。というかこんなことが前にもあったような。
「そうね、訊きたいこともいろいろあるし。ちょうどいいわ」
寒空の下にそうして俺は引き出された。
長い髪を押さえつけながら、ソアリがじっとこっちを見ている。耳と尻尾がぴんと立っているのは緊張している証拠だが……。
「まず1つ、約束が違うってこと」
大神が来たときにソアリとした約束。それは俺たちの居場所としての部室を守るということ。
「形を変えて存続してる……って言うつもりはねえよ。けど、手はまだ打ててないのは認める」
「どうにかする気はあるってことね……。まあいいわ、大神さんがここまでやるとはあたしも思ってなかったし、今は不問にしてあげる」
相変わらずだが、俺を信頼しているってことだから文句は言わない。
「それで、もう1つあって……」
ソアリの尻尾がさらに跳ねるように立つ。後ろに立てばパンツ見えるんじゃないか。
「…………っ」
「ど、どうした」
かなり固い表情のソアリにこんなことを考えていたのがバレたかと思ったが、そうではないらしい。
「もうあたしたち、2年生なのよね」
「ああ、そうだが」
「3年になったら卒業して、それぞれの種族同士で結婚して、それから……」
「大神や俺は当主を継ぐし、ソアリたちもまずは家のことだろうな」
「だから、もう時間がないのよ」
心なしか、ソアリの声が震えているように聞こえた。
「寂しくなるが、いつまでもみんなで集まれるわけねえだろ。仕方ない」
「だからっ、パンダはなんも分かってないって言ってるのよ。みんなと会うことなら、またできるからっ」
じゃあ……と言いかけて、頭の中に1つの言葉が浮かぶ。
――成り代わりが自由に恋愛できる期間はとても短い――。
「……だったらあと1年と半分ちょい、お前が全力でかかってくればいいんじゃねえの」
「なんでっ、あんたはいつもそうやって受け身なのよ」
うるせえ、今回は照れ隠しだよ。
「ソアリをもっと好きになるのはこれからだからな」
「~~~~っ!」
「ってことでいいんだよな」
「……ばかっ」
抱きついてくるかと思ったら小突かれた。
ぶっきらぼうに言うのが精いっぱいで、正直まずった。余裕がないから逆に余裕を見せようとして心にもないことを言うのは悪いクセだ。
「ごめんな」
「いいわよ別に……って」
「ほれ、風邪引くだろ」
体から力が抜けたようなソアリの手を取ると、出口に向かう。
全力で向かってくのはこっちも同じだ。
人間なら当たり前なのに、誰も歓迎しない関係。
何があろうと、俺は――