銀狼あらわる
(4)
エレナ、ソアリそして俺は無事2年生に進級した。そしてクラス分けの結果、3人は同じクラスになった。意図を考えても仕方ないので、そこは素直に喜んでおく。
教室に入ると新学期早々、転入生の噂が広がっていた。それだけなら聞き流すのだが、
「なんでも成り代わりらしい」
という話でそうもいかなくなった。
積極的に話を聞く気はないのだが、耳を澄ますとどうやら俺たちのクラスに入ってくるらしい。名前は分からないので種族は分からないままだ。
戦後、苗字が種族に紐付けされたので、苗字が分かれば種族まで知ることができるようになっていた。だからこそ種族名で呼ぶことが差別的な意味になったのだが。
「可愛い子だといいわね、パンダ」
「どういう意味だ……」
席は遠いのにわざわざソアリが近寄ってきて、そんなことを言ってきた。そういや男女どっちかは聞いてないな。
「女の子らしいよ!」
一緒にいたエレナが無邪気に告げる。……知らなかったのは俺だけか。
ざわつきはホームルームが始まっても収まらず、諦めたように担任は新入生を呼んだ。
瞬間、教室の中で時間が止まった。
夜中に降り朝を迎えた雪のような白銀の髪、尖った耳……間違いない彼女は――
「われは大神家6代目当主、銀千代だ」
黒板に「大神銀千代」と書きなぐると、それ以降彼女は黙った。
その他はすべてに担任に説明させるという、豪胆な女だ。
1列目の1番前の俺に対して2列目の後ろの方と、席はだいぶ離れているところになったが、こちらの様子見の視線に対してまともに視線を返してくる。
威圧感のようなものを感じ、俺は前に向き直る。
ホームルームが終わってからも、彼女は注目の的だった。思い切って話しかけた連中とちゃんと会話をしているせいか、徐々に彼女を取り巻く人の輪が大きくなっている気がする。めんどくさそうな奴は全員無視した俺とは違う。
しばらくは接触はないだろうな、と思っていた矢先だった。
放課後、ソアリとルシアが連れ立って部室に行こうとしているところに、大神が話しかけていた。
「――成り代わりで適当に集まってるだけよ、別に部活でもなんでもないし」
「少し興味がある、連れて行ってくれるかの」
「いいよ!」
エレナが気さくに返事をするのが聞こえた。掃除当番なので俺は部室に行くのが遅れるが、それまでに帰ってくれたりしないだろうか。
……という思いは通じず、部室の扉を開くと俺の指定席に大神が座っていた。
「今日からあんたの席はないわよ、ネイト」
「じゃあ帰る」
「光里さんそれはちょっとひどいです。赤隈くんもそんなに怒らないで」
久々に頭にきたが、一ノ瀬先輩が取りなしてくれる。というかこの人は3年になったはずだが部室に来てくれるのか。
「ここにはいつもお前が座っていたということか、すまぬの」
さらっと大神は頭を下げて席を立つ。これはこれで腹が立つな、無性に。
席には座らず、鞄だけ床に置く。
「……ここには何しにきた、銀狼」
「ただ、この場所に興味があっての」
種族名で彼女を呼ぶという安っぽい挑発はかわされていた。伊達に大神の当主やってるわけじゃないか。
「3人には自己紹介をしてもらったのだが、お主も名乗ってはくれぬか」
「赤隈、赤隈ネイトだ」
「よろしく頼むぞ」
握手を求められた。どこまでも毅然としてるなこいつ。
応じると、大神は微笑んだ。凛としていながら、心を許したくなるような可愛らしさがある。今のところ許す気はないが。
「まあそれとのう、お主には頼みがあっての」
「何だ?」
「……一緒にこの学校を変えてみぬか」
息が止まるかと思った。警戒心が上回っていた大神の発した言葉は、俺が待ち望んでいたものだったから。
「は、どういう意味だ?」
「学校は社会の縮図だといってよいだろう。それすら変えられなければ大神の名折れよ」
分かっていて聞き直した。そして口ぶりだけでなく、注意深く見た大神の瞳は本気のものだった。
「まあいきなりすぎるかのぉ……、返事はいつでもいいぞ。われはまたここに来てもよいか?」
「ええ、歓迎しますよ」
笑顔で見送る一ノ瀬先輩以外は黙っていた。どことなく部室の空気が重い。
「では失礼するぞ」
大神が部室から出ていくと、急に部屋の雰囲気が緩んだ。
「ネイト、ダメよ」
「そうだよ!」
「いきなりなんだよお前ら……」
椅子に腰を下ろした俺は苦笑いを浮かべるしかない。
横で一ノ瀬先輩はニコニコ笑っているだけだ。なんなんだろう。
「ネイト、今度は大神さんのために頑張ろうとしてる」
「提案に乗り気なんでしょ、ネイト」
ソアリとエレナに同時に詰め寄られる。別な状況なら幸せ者かもしれないが、残念ながらそうではない。
「俺はまだ何も言ってない」
「そうですよ、それに大神さんもまだ具体策を出してませんからね」
「……先輩はどう思うんです? あいつのことは」
「私は赤隈くんの好きなようにするといいと思いますよ? けれど、正直に言えば人族対成り代わりという構図は、どうあっても2度と見たくないんです」
それは争いをもう見たくないから? それとも成り代わりがこれ以上傷つけられるのを避けたいから? 色々に受け取れる言葉だったが、この人を問いつめても仕方ない。
「何にせよ、まだ何も決めてないからな」
それはまるで自分に言い聞かせるような言葉だった。醜い言い訳だ。
次の日から、部室にはほぼ毎日大神が来るようになった。なんとなく、居心地が悪い。
別に受験をするわけでもないので、と少なくとも春先のうちは一ノ瀬先輩が部室からいなくなることはないらしく、それだけが救いだ。
「ふにゅ……」
「気持ちよいのは分かるが、そんなに動くと落ちるぞ」
「おまえら仲いいな……」
エレナはすぐさま大神と打ち解け、今は大神の膝の上で髪を梳いてもらってる。
こいつ、髪とか尻尾とか手入れしてくれるなら誰でもいいんじゃないか?
「尻尾立てて犬歯むき出しにしてるのはあんただけよ、ネイト」
「俺の尻尾は立つほど長くねえよ」
「なんか卑猥ね」
「あのなあ……」
ソアリの言うとおり、俺が妙に意識しすぎているんだろうが。
けど、大神の両親は種族間戦争の指導者で、今でも成り代わりの間に絶大な影響力を持っていて、当主となったこいつもきっと……。
「ああもう!」
考え事を中断したのは唐突にエレナが声を上げたからだった。そしてそのまま手を引かれ……っておい!
「先輩、エレナ、大神さん、悪いけどパンダ借りてくわよ」
「どうぞごゆっくり~」
「いってら~!」
「う、うむ、気をつけての」
「借りてくって俺は猫じゃねえぞ!」
「微妙すぎるギャグはいいから行くわよ、ほら鞄持って」
って帰るのか? どういうことだ?
「あんたは黙って付き合えばいいのよ」
廊下に引っ張り出されると、ほぼ耳打ちくらいの声でそんなことを言われた。
付き合う、2人きり……いやまさか。
訊くにも訊けずにずんずんと進むソアリの後を追い、学校を出てしまう。
「どうせバスに乗ってもまともに話せる場所ないから、まずはこのあたりね」
学校の裏手にある貯水池に来ていた。沈められることをした覚えはないんだが。
「突き落としたりしないわよ。まあそれで頭冷やせるならそれでもいいけど」
ソアリさんこわいです。
「ともかく、何の用だよ」
「それは……」
さっきまでの威勢はどこへやら、急にソアリはもじもじし出した。
「あんたがっ、大神さんのこと考えすぎだから……」
「……あいつがあの大神道雪の娘だって意識しすぎてるのは確かだ、けどだからってどうこうとは思ってねえよ」
「ネイト、お願いがあるの」
どうしてかしどろもどろになってしまっている俺に、ソアリは静かに告げた。
「どんなことがあっても、あの部室を守ってね」
「それは、俺たちの居場所って意味でのあの空間を守れってことか」
「そうよ、分かってるじゃない」
いくら察しの悪い俺でも、な。
確かに、大神の描く理想ではあの部室は無くなるか全く別な空間になるだろう。
ソアリはそれを望んでいない。当たり前だろう、家に誰もいないから部室に遅くまで残ろうとするくらいなんだから、大切な場所に違いない。
ああそうか、
「……アホか俺は」
ようやく気づき、俺は思わず声に出してしまった。
自己顕示欲だの過去の清算だの、そういう下らいことのためにソアリの大切な居場所を奪うところだった。
「守ってやるさ、あそこだけはな」
「なんだか相変わらずみたいだけど、今はそれでもいいわ」
意外と反応が薄いというか……なんか呆れられてないか?
「さてと、ここまで来て部室に戻るのも面倒だし、今日は補導ギリギリの時間まで帰さないわよ」
「やっぱり、そうなるか……」
「たまには、とことん付き合いなさい」
寒いからか、紅潮した頬を見せるソアリは俺の後ろに回るとぐいぐい押してくる。
もう傾きかけている日差しだが、日なたになっている道は少しだけ暖かい。
きっと、あの場所を守ることは間違いじゃない。
そう思えた最初の瞬間だった。