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大人の香りの誘惑

今日もバイトで呪文のように接客用語を唱和する。

 

初めはコスメがたくさんあって、キラキラしてて、

楽しそうだと思ったけど、現実は一生レジ。

 

臭いオジサン、気持ち悪いこと言ってくるオジサン、

LINEを渡してくる男、目を一生見てくる男。

――こんな奴ばっかり。


「お疲れ様、福田さん代わるよ。上がりっしょ?」

高い位置から聞こえる低く心地のいい声の主は、清水先輩。大学生だ。


「あ、ありがとうございます」

手を消毒してレジから離れると、先輩は軽く手を上げる。

その仕草ひとつで胸の奥がじんわり熱くなる。


退勤処理をして、着替える。

帰り際にレジを代わってくれた清水先輩に、

声をかけに行く――


「お疲れ様ですっ!」

そう言うと清水先輩はニコッと笑って手を振ってくれる。


きっと清水先輩に分かるくらい、顔の熱が上がっていた。

私は軽く手を振り返す。

耳を真っ赤に染めながら――


かっこいよなぁ…清水先輩。

なんかこう、メロいっていうか…大人って感じ。


――


高校はつまらなかった。

勉強はまあそこそこ、嫌い。

体育はまあ、楽しいけど汗はかきたくない。


休み時間に机に伏せてキーホルダーと戯れていたら、

恋人の隼人が話しかけてくる。


「なあ、美樹ー、今日帰り時間ある?」

「ないーバイト。」


もう、1年付き合ってる。

正直今の隼人にはドキドキしないし、なんかダルい。


「はー?最近遊んでなくね?」

こういう絡みしてくるからちょっと無理って言うか…


「スマホ代ないからバイトするしかないんだよ」

そう言って隼人には目もくれず机に伏して寝たフリをする。


――


「いらっしゃいませ」

今日も一生レジだった。


あと1時間でバイトも終わる。

そう思った時にお客様として清水先輩が来た。


「んっ、福田さん。お疲れー」

「お疲れ様です!あれ?出勤ですか?」

私は目を丸くして聞いた。


「んーん、ちょっと店長に話があってさ」

「そうなんですね…」


会計をスムーズに終わらせると、

清水先輩は事務所に向かっていった。


――休憩室で水を飲んでいると、

事務所から清水先輩の話し声が聞こえる。


「……来月でバイト辞めることにしたんだー。」


その瞬間、ペットボトルの水が少し揺れた気がした。

言葉ははっきり聞こえないのに、胸の奥にズキッと刺さる。


周りの音が消えて、心臓の音がうるさく感じた――


ふと、隼人のことを考える。

1年付き合って、ドキドキはもうない。でも情はある。

一応時間を共にした。

 

清水先輩のことを考える。

大人びていて、優しくて、かっこよくて、

触れたくなるような存在。

でも、もう会えなくなるかもしれない。


――どうしよう、先輩居なくなっちゃう。

答えなんて出せないのに、心は自分勝手に揺れる。


――


退勤時間になると、事務所にまだ清水先輩がいた。

退勤の処理をする時に清水先輩が声をかけてくれた。


「福田さん上がり?

 じゃあ…駅まで一緒に帰る?」

椅子から立ち上がる清水先輩、背が高くてかっこいい。

 

「え、いいんですか?」

思わず目が丸くなる。

やった。清水先輩と一緒に帰れるタイミングが来た。


「いや、いいの?ってこっちのセリフだけど。」

クスクスと笑う清水先輩。全ての動きに見惚れてしまう。


店を出て一緒に歩き出すと、

歩くペースを自然と合わせてくれる…

隣からは、ふわっと清水先輩の香水の匂いがした。

 

隼人からは感じたことがない大人の色気に、

心臓が早くなるのを隠せない。

 

街灯に照らされる清水先輩の横顔は、優しくて、

もっと近づきたいけど、無意識に距離を測ってしまう。


突然暖かいものが手に触れる。

 

「えっ――」

 

清水先輩はさりげなく肩を寄せ、

自然な流れで私の手を取った。

驚く間もなく、手のひらがぴったりと重なる。


「良いじゃん。だめ…?」

 

私の顔を覗き込む清水先輩の顔は真剣だった。

私は息が上がってしまう。

 

清水先輩は、私の手を少しだけ強く握った。

痛いわけじゃない。

――でも、離せなかった。


きっと弄ばれている。

でもひょっとしたら――


そんなこと分かっているのに、

心がぎゅっと締めつけられる。

――こんなの、隼人といるときには絶対味わえない。


「福田さん、今日もお疲れ。忙しかったっしょ?」

小さく声をかけられるだけで、胸がぎゅっとなる。

 

「え、っと…はい。忙しかったです…」

返事をする唇が震えてることさえ、気付けないほどに、

私の心の中には、清水先輩の香水の香りが充満していた。


「……あ、あと…ちょっと、近い…ですね」

胸の高鳴りが言葉を詰まらせた。


先輩は軽く笑って、

悪戯に肩に寄りかかるように距離を詰める。


「ドキドキしちゃうよね。」

――はい、と答えたいけど、答えられない。

 

「ち、ちが…そうじゃなくて…」

胸の奥が火傷しそうなくらい、熱が渦を巻いていた。


「そうだ、今度の休み、カフェでも行かない?」

さらりとした誘いに、心臓は暴れる。


「え、あ、はい……行きたいです。」

言葉に詰まりながらも、思わず頷く。


「ふふ、やったね。じゃあ…新作試そう。」

ニッコリと笑う清水先輩はくっきりと見えるのに、

周りの景色がぼんやりと輪郭を失っていく。


歩きながら、手の温もりに何度も息を呑む。


弄ばれていることは分かっている。

それでも、この甘くて毒のある火遊びの感覚が、

今は心地よくて、どうしようもなく楽しい。


 

隼人のことを思い出そうとすると、

私の心の中にいる清水先輩が、私をぎゅっと抱きしめる。


――駅に着くと、清水先輩は笑って手を振る。

「じゃあ、またねっ、インスタDMするね。」


「は、はい……また」

胸がいっぱいで、言葉が出ない。

駅までの道がとても短く感じた。


帰り道、スマホを握りしめたまま、

隼人にLINEをしようと画面に視線を落とす。

未読が三件付いていて、私を待っていた。


話を切り出そうとして、文字を打ち込む。

やっぱり消す。その動作を繰り返してしまう。


でも今日は送らない――

揺れる心を整理するには、今日はまだ早かった。

それだけのことだった……

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