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鉄拳の行方


 ユリーシア様の拳は講堂の壁にめり込んでいる。大丈夫、誰も殴られていない。怪我人はいない。

 ……居ない。が、怖い。だって拳と壁のあいだから煙が上がっているように見える。バトル漫画でした見たことのない光景だ。


「もう一度口にしてごらんなさい。次は貴方の顔面に飛ぶわよ」


 拳に息を吹きかけるユリーシア様の視線にはナントカ伯爵家のナントカ小僧が、私以上に怯えて立ちすくんでいる。


「ぶ、ブスにブスと言って何が悪い! そこのちんちくりんもお前も、あの赤毛の女も! シュシュに比べたらみんなブスだ!!」


「フォンス。過剰評価しすぎだよ。赤毛の人っていうのは知らないけど、私は自分がユリーシア様やルルちゃんと並べるとすら思ってないから」


 シュシュちゃんも足が震えている。小僧の発言が居た堪れないのか、激怒するユリーシア様の迫力に気圧されてなのかわからないが、緊張を精一杯隠そうとしているようだ。もしこの場で少しでも怯えたようなところを見せてしまえば、ユリーシア様が何を言われるかわからないから。


「シュシュさんはとっても可愛らしいわ。そんな風に思わないで。……でもね、わたくし。他人の美醜を自らの勝手な価値観で評価した上に口汚く罵るような人間には好感を持てない上に、わたくしの……わたくしのルルを、ブ…………、いいえ。あまりにも汚い言葉すぎて聞き取れなかったわ。なんて仰ったのかもう一度教えてくださる?」


 えっと、いつユリーシア様のルルになったんでしょう。もちろん吝かではないですが。いやいや待って。そんな場合じゃない。


「クレイスくん、止められるっ?」


 意外にも怯えることもなく一番冷静そうなクレイスくんの腕を掴んで揺さぶる。

 って、嬉しそうな顔をするんじゃない。甘えてるわけじゃないんだってば。


「……言われたままで良いのか?」


「良いよっ。なんて言われようが私はあの小僧より可愛いもん。そんなの誰が見たって分かるでしょ!」


「なっ……!」


 小僧が不服そうな声を上げる。シュシュちゃんより可愛くないと言われることは別に良いのだが、ユリーシア様を侮辱したこと、汚く罵るその口でリリィさんにあんなことをしていたこと、ついでに私自身もブスと言われたことは許せないので意趣返しだ。


「クレイス。お前、シュシュの味方だと思っていたらいつの間にか寝返りやがって」


「寝返るも何も。ユリーシアは姉だ。ルルシアは初恋の相手だ。シュシュ嬢も今は友人だから敵対はしていない」


 ユリーシア様の鉄拳で人が集まり始めていたのに、今の言葉でよりざわつく。多分ルルシアは、のあたりに反応している。だって『やっぱり……』とか聞こえてくるもん。絶対真ん中の台詞はいらなかったって!


「……そんなクレイスくんはわたくしを止めるのかしら。わたくし達の大事なルルを不細工だって言ったのよこの小僧は!」


「こぞっ……」


 ユリーシア様がクレイスくんを煽るように私の口調を真似して喋る。……客観的に見て、口が悪いな私って。


「止める。ここで問題を起こしてみろ。お前と……、ルルの努力が水の泡だ。……コゴイ。お前も生徒会の職務で来ているんだろう。俺達の申請は通っているのだから、一部の発表者の邪魔をしたなんて他の役員に知られたくはないんじゃないのか」


「ぐっ……」


 コゴイというのは家名だろうか。小僧がぐっと言葉を飲む。

 そう。私達がこの講堂で何をしていたかといえば、文化交流会に向けて会場のチェックをしていたのだ。申請が却下される可能性も少しは危惧していたのだが、短期間での強行で慌ただしくよくよくチェックもされなかったのか、もしくは小僧以外の生徒会役員は私達に悪意はないのか。あっさりと通った。


「はあ……。まあ良いわ。ルルが可愛いことなんて脳か目が腐ってでもいない限り分かるもの」


 そういって拳を収めるユリーシア様。


「っ、おぼ……えていろ! シュシュ、そんなに声が掠れて可哀想に。絶対に絶対にそいつらから助け出してやるからな!」


「地声だってば」


 告げるシュシュちゃんの声も聞こえているのかいないのか。こちらを指差しながら小僧は消えていった。


「……さて。ごめんなさい、皆様。お騒がせしてしまったわね。……ああ、あなたも痛かったでしょう。申し訳ないことをしてしまったわ。後日きちんと治して差し上げるから許してちょうだいね」


 ギャラリーの方を向いて一礼したかと思えば、ユリーシア様は先程自身が壊した壁に誠心誠意謝罪をしている。ちなみにギャラリーの……人間の皆様は、公爵令嬢に頭を下げられるなんて恐れ多いことだとでもいうように自分たちも頭を下げている。


「……私、いつもフォンスを止められない。ごめんなさい」


 ギャラリーが解散していくのを見ながら、シュシュちゃんがぽつりと呟いた。


「あんなに人の話を聞かないんだから、無理だよ。シュシュちゃんのせいじゃないからね。……っていうか、今日絡まれたのは私が原因だし」


「ルルちゃん……。フォンスと何か話していたの?」


「ちょっとね。……纏めてからお話するから、もう少し待ってて」


 会場チェック中に、生徒会役員の監督という名目で現れた小僧。こちらの存在に気付いて苦々しそうな顔はしていたけれど、特に口を挟んでくるわけでも無かった。

 そこに、私が『リリィさんと知り合いなの? お付き合いしているの?』と尋ねたのが気に入らなかったらしい。『ブスがブスを話題に上げるなおぞましい』とかそんな話から始まった。

 仲良くないからって言葉が通じないわけではないんだし……、と、まるでお友達に話しかけるようなノリで声を掛けたのも気に入らなかったのかもしれない。

 でも、想像だけでいろいろ考えたところで正解には辿り着けないから、いっそ直接聞いたほうが早い気がしたのだ。

 ちなみに、沼地でのことは最近のトラブル続きで気落ち中だったユリーシア様とシュシュちゃんには未だに伝えられていない。


「ルル」


「なあに? クレイスくん」


「俺はお前が一番可憐だと思う。……あそこでユリーシアに加勢したら収拾がつかなくなると思ったから、今更になってしまったが」


「……良いよそんなことっ」


 せっかく霧散したギャラリーの視線がまたちらちらとこちらに向けられている。


「まったく。失礼な小僧だこと。シュシュさんもルルもこんなに可愛らしいのに。……あ、クレイスはあんまり可愛くないわ」


「俺は、ユリーシアは美人だと思うが」


 大好きなお姉様に可愛くないと言われてしょんぼりしている姿はちょっぴり可哀想にも見えるけど、……可愛いって言われたかったんだろうか。まだまだ甘えん坊さんだ。


「可愛いですよ、クレイスくんは」


「…………嬉しくないんだが」


 なんでだ。私のことを好いてくれていても、甘えたい相手はお姉様なんだろうか。


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